□投稿者/ パニチェ -(2025/04/26(Sat) 17:43:50)
| 2025/04/27(Sun) 08:05:09 編集(投稿者)
こんにちは、おくたがわさん。レスありがとうございます。 おくたがわさんの指摘と私の反論がかみ合っているのかどうか分からないので、まず私の反論を説明してみます。 その上で異論反論いただければ有難いです。 まず私が反論しているのは以下のSB理論についてです。 (突っ込みどころはヴェーダンタ哲学、空論等々めちゃめちゃあるのですが、今回は正誤がつきやすい量子力学に絞ってます。)
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No41309 SumioBabaさん 量子論理を使った神論・世界論です。 インド哲学でいう梵我一如を採用し、神の定義は「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」とします。存在するのは神(ブラフマン) だけです。神の本来の姿は無意識状態の「空」M0ですが、全知全能であり、存在し得るすべての有意識状態の心である「色」M1、M2、M3、…を作り出し、自ら体験して(夢を見て)楽しんでいるだけ、と考えます。物質世界は夢の中の幻(マーヤー)であり、実在しません。人間の心(アートマン)も「色」M1、M2、M3、…に含まれ、神自身が見ている夢です。そして量子論理を使い、こう表現します。 存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…のそれぞれが a「存在する」+b「存在しない」(0≦a≦1、0≦b≦1) …※ これは、「存在する」(a=1、b=0)かもしれない、「存在しない」(a=0、b=1)かもしれない、「両方」(a≠0、b≠0)かもしれない、「片方」(a=1、b=0、または、a=0、b=1)かもしれない、とすべての可能性を考慮しているため、決して外れようが無く、証明不要のまま論理的必然性で恒真(トートロジー)になります。喩えると、「確率1/6ずつで1〜6の目が出るサイコロを振ると何の目が出るか?」という問に、「1、2、3、4、5、6、のどれかが出る」と答えるようなものです。神は全知全能であるため、個々の心について「存在する」と「存在しない」の片方に限定されず、「存在する」「存在しない」「両方」「片方」のすべてを確率的に実現している、という意味です。しかも※が世界のすべてです。つまりこう考えると、神と世界の謎がすべてトートロジーに解消できたことになります。 間違いが無いかどうか、批評して下さい。
No41432 SumioBabaさん 「多世界解釈」だとこうなります。 存在し得るすべての世界W0、W1、W2、W3、…のそれぞれが a「存在する」+b「存在しない」(0≦a≦1、0≦b≦1)…@ もちろんこれもトートロジーです。そしてどの世界についても、以下のトリプル・トートロジーが成立しています。 「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」…(1) 「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」…(2) 「不定」と認識する視点に立てば「不定」…(3) 例えば、W1に住む人の視点に立つと、W1は存在確率1で「存在する」ですが、W2は存在確率0で「存在しない」にもなります。W2に住む人の視点に立つと、W2は存在確率1で「存在する」ですが、W1は存在確率0で「存在しない」にもなります。W3=(1/√2)W1+(1/√2)W2を満たした世界W3に住む人の視点に立つと、W1もW2も存在確率1/2ずつで「不定」にもなります。
従って、《謎》=「なぜ世界は「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」ヘの答はこうなります。→《答》=「@、(1)、(2)、(3)という全部で4つのクアルト・トートロジーが成立しているだけであり、ここに謎など何も無い。「存在する」の方だけが選ばれている訳ではないので、《謎》は事実誤認による勘違いである。」
************上記がSB理論です************
上記は世界の存在、非存在、両方?について述べられていますが、M0、M1、M2、M3、…であることから、今回の『観測前は存在確率1/2ずつで「不定」』には当てはまりません。
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No41549 SumioBabaさん ふくろうさんは「多世界解釈」W0=W1+W2+W3+…を考慮せず、我々の世界W1だけを「現実世界」と呼んでおられるようです。 W1は《相対的世界》であり、「「○○○である」が真で「○○○でない」が偽だ」と片方に限定された『相対的真理』で構成されています。そして、どう限定されているのかを解明するのが科学です。 ところが「空」W0の方は《絶対的世界》であり、これこそが「不二の世界」であって、あらゆる○○○についてクアルト・トートロジーという『絶対的真理』が成立しているだけであり、完全無限定・完全無情報であるため、科学で解明するような『相対的真理』など何も存在しません。 「真の世界は「色」W1ではなく「空」W0の方なのだと気づいたら、「空」W0には科学で解明すべき謎など何も存在しないことが解った」です。
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私の初めの反論というか確認は多世界解釈というのは観測問題を説明する仮説であるにもかかわらず上記のようにレスされていたので、『SumioBabaさんはご自身の量子論理を使った神論・世界論は仮説ではないと考えておれるんでしょうか?(No41554)』というものでした。これに対しては『はい、その通りです。「空」W0をクアルト・トートロジーで表現して見せただけですので。(No41564)』というものでした。 その後何度かのレス交換はしましたが全く話がかみ合わず、いったんはレス交換を打ち切りにしました。 しばらく静観していましたが、次に横レスしたのは以下の投稿に対してです。
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No42679 SumioBaBaさん 「真如」の矛盾した性質は「古典論理」では記述できず「量子論理」を使う必要がある。[0]で「○○○である」=「存在する」、「○○○でない」=「存在しない」とおくと、こう表現できる。 真如はa「存在する」+b「存在しない」(0≦a≦1、0≦b≦1)…[0a] これは「真如」が、「存在する」(a=1、b=0)かもしれない、「存在しない」(a=0、b=1)かもしれない、「両方」(a≠0、b≠0)かもしれない、「片方」(a=1、b=0、または、a=0、b=1)かもしれない、とすべての可能性を考慮しているため、決して外れようがなく、証明不要のまま論理的必然性で恒真(トートロジー)になり、「なぜ?」という謎も発生しようがない。
No42685 パニチェ 量子力学の多世界解釈では「量子は波である」世界と「量子は粒子である」世界が並行して存在しますが、「量子が存在する」世界と「量子が存在しない」世界は想定していません。
(↑にはNo42708でSumioBabaさんから『「量子は波である」世界と「量子は粒子である」世界が並行して存在するのではありません。我々の世界W1という1つの世界の中の1個の量子が、様々な位置座標R=(x,y,z)を持つ「粒子」状態の重ね合わせΨ(R)でも表せるし、様々な運動量P=(Px,Py,Pz)を持つ「波」状態の重ね合わせΦ(P)でも表せる、ということです』との反論がありました。議論がそちらにそれてしてしまうことが嫌で、先の私の意見はいったん撤回しました)
「......である」と「......が存在する」の混同が見られるように思いますが、量子力学の多世界解釈で「......が存在する」と「......が存在しない」という世界に分岐するという仮説の出自はどこでしょうか? 量子力学の多世界解釈では「量子は波である」世界と「量子は粒子である」世界が並行して存在しますが、「量子が存在する」世界と「量子が存在しない」世界は想定していません。 「......である」と「......が存在する」の混同が見られるように思いますが、量子力学の多世界解釈で「......が存在する」と「......が存在しない」という世界に分岐するという仮説の出自はどこでしょうか?
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上記から今回の議論が始まります。 既にこの時点で『[0]で「○○○である」=「存在する」、「○○○でない」=「存在しない」とおくと、こう表現できる。』と「である」と「がある」の混同が見られ指摘しています。私の反論は最初のSumioBabaさんNo41432の多世界解釈の投稿も踏まえ。。。
『私はSumioBabaさんが量子力学の多世界解釈やシュレディンガーの猫を無理やり「存在する世界」と「存在しない世界」に結び付けているのではないか?と指摘しています。SumioBabaさんの量子力学に関する説明は牽強付会的だと感じています。(No42732)』
『多世界解釈を無理やり「存在する」と「存在しない」に解釈していませんか? 多世界解釈では量子、測定器、猫、観測する人間をワンセットにして量子力学の対象にするというものであって、生きている猫を観測する人間がいる状態(世界)と死んでいる猫を観測する人間がいる状態(世界)に分岐する(共存するが、互いに干渉はしない)ということになると思います。猫は生きていようが、死んでいようが存在するのであって、猫が存在しないという世界は多世界解釈でもありません。(No42714)』
というものであって、論理の正しさとか、猫の生死や各世界から見た存在確率に限定したものではありません。
さらに付け加えると「生存確率」が「存在確率」にすり替わっているとことが多々あり、ここにも牽強付会的な解釈を感じています。また最初のNo41309の投稿では分岐した世界がはじめにありきみたいにも読解できますが、それなら観測前は「不定」にはならず、観測前にはW1やW2には、それぞれ生きている猫か死んだ猫が存在するとなるでしょう。
ちなみにご存じだとは思いますが多世界解釈は分岐した世界は干渉不能(無関係)ですから、W1に住む人がW2の世界をイメージして「生きている同じ猫は存在しない」などとは考えません。リアルと同じく、ただそこに死んだ猫(または生きている猫)がいるだけです。
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