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■36348 / inTopicNo.85)  Re[23]: Re:pipitさんへ
  
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/01(Thu) 15:41:17)
    No36306に返信(pipitさんの記事)
    返事遅くなりました、すみません。
    > 2024/01/27(Sat) 20:57:07 編集(投稿者)
    >
    > No36276
    > (悪魔ちゃん)
    > >いま、こういうの書いてるときに思ったんだけど、さらに、『だから』の前も気になるところね。<
    >
    > おくたがわさん、悪魔ちゃんこんばんは!
    > 横レス失礼します。m(_ _)m
    >
    > 悪魔ちゃんの感想・考察まで行くもっと手前のことなんだけど、
    > カント的『だから』は、こんな感じかな?というpipitの私見を書きます。
    >
    >
    > @空間が純粋直観として対象全般にアプリオリに関わるゆえ、経験的直観において空間が経験的になるように、
    > A思考が純粋思考として対象全般にアプリオリに関わるゆえ、経験的思考において特定の概念が経験的なものになる、という構図もあり得るかもしれない・・・
    > という意味での【だから】かな、と思いました。
    > @【だから】A
    >
    > 当該箇所B81(中山元訳独自番号089)を解説した山口修二先生の解説文を抜粋引用します。
    > 『カント超越論的論理学の研究』p63より
    > (山口修二先生の解説文)
    > 『「アプリオリに諸対象に関係する」ような概念、すなわち「純粋悟性認識」が存在することは、現時点ではいまだ「期待」にとどまっている。「対象を完全にアプリオリに思考する」ことはいかにして可能なのか。この課題に答える学として「超越論的論理学」は構想されているのである。』
    > 引用終了
    > --------------
    >
    > 山口先生の他箇所の解説で、おくたがわさんが考察されている箇所に対応してると思われる文章も見つけたので引用します。同本p61.62より引用。
    >
    > 『「それなくしてはいかなる対象も思考されないような諸原理」を示すこと。「超越論的論理学」の構想の中心はここにある。
    > (略)
    > この思考規則は、「一般論理学」における思考の論理的形式のように、一切の思考内容の捨象によって見い出されるものではない。
    > なぜなら、求められているのは、思考を思考たらしめる普遍的条件ではなく、思考が内容を持つための普遍的条件であるかぎり、それは、一切の思考内容の捨象によってではなく、むしろ、思考一般が必ず持つべき「内容」として見いだされねばならないからである。
    > すなわち、「超越論的論理学」の思考規則は、それ自体「内容」を含んでいなければならない。
    > この「内容」は、我々の思考が内容ある思考であるかぎり常に必ず含むべきものである以上、思考の普遍的内容である。
    > そのかぎり、「超越論的論理学」の思考規則は、いかなる経験によっても見出されることのない、アプリオリな思考内容を持つものでなければならない。
    > (略)
    > 「超越論的論理学」の規則は、我々が何か(対象)を思考するとき同時にそれを思考していなければ我々は実は何も思考していないことが判明する、そのような思考「内容」として提示されなければならない。
    > 思考のこのような普遍的「内容」は、明らかに経験的・感性的なものではなく、したがって、まさに「純粋悟性認識」の内容であり、「純粋思考」の「対象」である。
    > (略)』
    > 引用終了

    素晴らしい情報ありがとうございます。

    > 山口先生は、超越論的論理学の思考規則は、経験的ではないアプリオリな思考内容を持たなくてはならない、と考えられているみたいとpipitは読みました。

    自分もそう読みます。
    それがすなわち純粋悟性概念(カテゴリー)ということでしょうか?
引用返信/返信 削除キー/
■36349 / inTopicNo.86)  Re[26]: 言語とは像、箱庭的装置、代理物
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/01(Thu) 15:50:10)
    No36318に返信(knowingitselfさんの記事)
    knowingitselfさん、お返事ありがとうございます。

    >>『言語哲学がはじまる』は分かりやすく、論考の関連部分が読みやすくなったと感じるので、『論理哲学論考を読む』も購入して読むことにしました。ご紹介ありがとうございました。
    >
    > ちくま学芸文庫版を所持していますが、面白いですよ。

    同じものを入手して読み始めました。期待にたがわずスッキリと解読・解説されていると感じます。

    > あと、論理哲学論考の邦訳は岩波文庫から野矢さん訳で出ていますが、この訳注がいいですね。
    > わずか数十ページながら、論理哲学論考における、ほぼすべての重要な概念の解説にもなっています。

    本としてはセレクションで全体の1/2程度の抜粋しか持っていなくて、現在kindle読み放題で丘沢静也訳は読めますが、ずっと登録しているつもりはないので、岩波文庫を買おうかなと思っていたところでした。knowingitselfさんの評価が高いということで、買うことに決定しました。情報ありがとうございました。またよろしくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■36352 / inTopicNo.87)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/02/02(Fri) 00:34:24)
    おくたがわさん、こんばんは(^ ^)

    No36348
    >>山口先生は、超越論的論理学の思考規則は、経験的ではないアプリオリな思考内容を持たなくてはならない、と考えられているみたいとpipitは読みました。<<
    >
    > 自分もそう読みます。
    > それがすなわち純粋悟性概念(カテゴリー)ということでしょうか?<

    そうだとpipitは思うのですが、これまた微妙な話題で、
    その純粋な思考規則(純粋悟性概念/カテゴリー)の内容が、
    対象との一致において真偽を論じることが可能な内容として存するためには、
    その使用が直観的対象への場合に限定されている、
    とカントは言っているのかなとpipitは考えています。

    カントの文章(山口修二先生訳)では、

    『超越論的論理学において我々は悟性を孤立させて(上述の超越論的感性論において感性を孤立化させたように)、我々の認識から、もっぱら悟性に起源を持つところの思考の部分を取り出す。
    しかし、この純粋認識の使用は、その条件として、純粋認識が適用されうるところの対象が直観において与えられているということに基づいている。
    なぜなら、直観がなければ我々のあらゆる認識には客観が欠けることになり、この場合認識はまったく空虚だからである。』(A62,B87)
    (『カント超越論的論理学の研究』p63より引用)

    とあり、使用条件をはずれると内容は【空虚】(独leer、英empty)ということかな、の思いました。
    ※引用文章最後の箇所の原文と原文をDeepLで英訳したものをコピペします。(記号省略)

    Denn ohne Anschauung fehlt es aller unserer Erkenntnis an Objekten, und sie bleibt alsdann vollig leer.

    For without perception, all our knowledge lacks objects, and it then remains completely empty.

    pipitの今の段階の私見なのですが、
    純粋悟性概念の内容の源泉は悟性なのですが、悟性が概念生成の段階において純粋直観を使用して概念に内容を持たせているので、内容と対象の一致を確かめられるのは経験的直観の対象に限定されることになるのではないかと、そんなふうに考えています。
    、、、カントって黙々とこんなこと考えてるかもなんて変人に思えます(−_−;)

引用返信/返信 削除キー/
■36404 / inTopicNo.88)  Re[27]: 『青色本を掘り崩す』
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/03(Sat) 11:20:35)
    No36314に返信(パニチェさんの記事)
    > おはようございます、おくたがわさん。横レス失礼します。

    いえ、パニチェさんあてのつもりの投稿でした^^

    >>**永井均さんのX(ツイート)引用**
    >>永井均@hitoshinagai1 2023年12月4日
    >>あと、『ウィトゲンシュタインの誤診ー青色本を掘り崩す』は「哲学」というものが知りたい(を学びたい)人にとっても必読。青色本のこの箇所は殆んど唯一無二だから。「哲学」の伝統を継承したのではなく、いきなり「哲学」をしてしまった人からでなければ学べない「哲学」というものがあるのさ。
    >>***
    >
    >>と永井さんが自賛(?)していたので『青色本を掘り崩す』を買って読んでいます。
    > >『言語哲学〜』より前に買ったが、あちらを先に読んでしまった。
    >>『青色本を掘り〜』は自分には難しい。けれど何故か面白い(今半分くらい)。ウィトの『青色本』自体も試し読みの範囲は面白く感じたので買った(大森訳)。(ヨドバシが30%ポイント還元セールだったので『言語哲学〜』と一緒に)
    >
    > へぇ〜。そんなことをツイートしてるんですね。知りませんでした、というかツイッター時代からXはほとんど見てないです。
    > どうも書くのも読むのも短文ってのは苦手です。^^;

    今は有料で文字数制限なしにできるみたいですが、使っているのは一部の利用者だけですね。永井さんも制限ありのままでやってる。
    今気づきましたが、ツイッターは日本人向きなのかな。同じ環境を共有してるんだから詳しく全部書かなくてもわかるでしょ、的な、いわゆるハイコンテキスト。
    個々人の違いがあるのを前提に擦り合わせながら話すのは短文では難しい。

    > 『青色本を掘り崩す』は私も持っています。読み込んだと言えるほど精読してないですが。。。
    >
    >>ちょうど『青色本を掘り〜』についてパニチェさんに意見を聞きたい部分があったのですが、今パニチェさんから出ている質問と紛らわしくなるかもしれないので、また今度にします。
    >
    > 全然、大丈夫ですよ、私でよければ何なりとどうぞ。
    > むしろ永井均氏やウィトゲンシュタイン、〈私〉関連でレス交換できるのはパニチェにとってもラッキーです。
    > 但し、初期と違って最近の永井氏は言ってることがよく分からないこともあり、『青色本を掘り崩す』に関してもよく分からないところもあります。
    > せっかく質問いただいても「私にも分かりません」という返信になることも大いにありえますが、それでもご容赦いただけるならレス下さい。

    実は、野矢さんの「論考を読む」にかかってまして、これを読み終わってから「青色本」とその後半を対象にしたという「掘り崩す」を読み直すという方針にしました。こちらから話を振っておいてすみません。先延ばしさせてください。m(_ _)m
    パニチェさんにとって大事な問題が関係すると思われますので、思い付きで書くのは避けたいとも思い。
引用返信/返信 削除キー/
■36406 / inTopicNo.89)  記憶
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/03(Sat) 13:55:06)
    2024/02/03(Sat) 18:58:00 編集(投稿者)

    NHK-BSのヒューマニエンスで「記憶」について。
    以前から自分が思っていたことに適合する話をしていたので書きます。

    あるできごとに関する記憶は、まず海馬の神経細胞に保存されるが、個々の要素が(いわば点として)保存され、それらを結ぶ線がネットワークとして出来事全体の記憶になっている。

    そのネットワークが別な出来事の中の要素(点)と結ばれてしまうことがある。記憶違い。記憶の塗り替わり。
    例:去年の会議の記憶の中に、もっと以前の出席者の記憶が結ばれてしまうー 去年出ていなかった人が出ていたように記憶される。

    この配線ミスが記憶の想起によってむしろ起きやすくなるとのこと。

    何かを思い出そうとするとき、いったんネットワークの結びつき(線)が弱まる仕組みがあり、そこで配線変更が起きやすくなる。そして変更されたままネットワークが強化される。

    ********

    何故こんな仕組みになっているのかについては、
    動物にとって記憶のアップデートが必要だから、との説明。
    危険ありと記憶した場所が、安全で食物のある場所に変わることもある、そのとき速やかに記憶が変更できる。
    そういったメリットがデメリットを大きく上回るからと。

    ここから自分の解釈ですが、
    おそらく人以外の動物は、実際にその場所に行くことなしにその場所を想起するということが無い(もしくは少ない)、従って、その場所に行き、確かめ得た内容に従って、記憶(ネットワーク)がアップデートされる。
    そのとき古いネットワークをいったん弱めて、新しいものに組みなおすことにメリットが大きい(現在の現実に対応した記憶に組みなおせる)

    しかし人間は、新しい情報に触れない場合にも「思い出して」しまう。
    このとき、ネットワークが弱まれば、現実に対応しない配線(ミス)が起きやすくなる。
    しかも、その後ネットワークが強化される仕様になっている。

    人間の場合、他の動物に比べるとデメリットの比重が大きくなっているのでは。

    人間は、現実の確認なしに記憶だけを想起する機会が多くなったが、未だそれに適応しきれていないのでは。

    ****
    番組では、犯罪を目撃した人の中にある犯人の記憶が、事後的にマスコミが容疑者として流した人物(実際は濡れ衣)の像と入れ替わって、確かにその人物を犯人として目撃したという記憶になってしまった例が上がっていた。

    **********

    以前ヤフー掲示板の投稿者で、過去のできごとを何回も蒸し返して他者を非難するタイプの人間が何人かいた。
    それを見ていて、
    過去のことを思い出す度に記憶の塗り替わりが起き、しかも強化されているのではないか、という仮説を考えていたのでした。
    今回の番組がその説明になっているように思えたので。

引用返信/返信 削除キー/
■36407 / inTopicNo.90)  Re[26]: 記憶
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/03(Sat) 14:04:12)
    事実の記憶は海馬に保存され、感情の記憶は偏桃体に保存される。

    例えば楽しい(もしくは不快な)パーティーの記憶は海馬にある事実についてのネットワークと偏桃体の感情記憶が結びついて保存される。
    感情を伴う出来事は記憶に残りやすいとはよく言われる。

    不快な出来事を思い出すとき、別件の不快なできごとまで思いだしてしまうことがある。

    もしかして、これによる配線ミスもあり得るのでは。
    Aさんにされた不快なことをBさんにされたと記憶違いするなど。
引用返信/返信 削除キー/
■36410 / inTopicNo.91)  Re[25]: おくたがわさんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/03(Sat) 18:08:05)
    No36352に返信(pipitさんの記事)
    こんばんは

    > No36348
    > >>山口先生は、超越論的論理学の思考規則は、経験的ではないアプリオリな思考内容を持たなくてはならない、と考えられているみたいとpipitは読みました。<<
    >>
    >>自分もそう読みます。
    >>それがすなわち純粋悟性概念(カテゴリー)ということでしょうか?<
    >
    > そうだとpipitは思うのですが、これまた微妙な話題で、
    > その純粋な思考規則(純粋悟性概念/カテゴリー)の内容が、
    > 対象との一致において真偽を論じることが可能な内容として存するためには、
    > その使用が直観的対象への場合に限定されている、
    > とカントは言っているのかなとpipitは考えています。
    >
    > カントの文章(山口修二先生訳)では、
    >
    > 『超越論的論理学において我々は悟性を孤立させて(上述の超越論的感性論において感性を孤立化させたように)、我々の認識から、もっぱら悟性に起源を持つところの思考の部分を取り出す。
    > しかし、この純粋認識の使用は、その条件として、純粋認識が適用されうるところの対象が直観において与えられているということに基づいている。
    > なぜなら、直観がなければ我々のあらゆる認識には客観が欠けることになり、この場合認識はまったく空虚だからである。』(A62,B87)
    > (『カント超越論的論理学の研究』p63より引用)
    >
    > とあり、使用条件をはずれると内容は【空虚】(独leer、英empty)ということかな、の思いました。

    これって、添付画像の判断表の例えば「すべてのAはB」のA,Bに入るものが直観に与えられないといけないということでしょうか?
    違ってたらすみません。遠慮なく批判ください。
    (別な目的で作った画像なので大げさですみません)

    > pipitの今の段階の私見なのですが、
    > 純粋悟性概念の内容の源泉は悟性なのですが、悟性が概念生成の段階において純粋直観を使用して概念に内容を持たせているので、内容と対象の一致を確かめられるのは経験的直観の対象に限定されることになるのではないかと、そんなふうに考えています。

    自分には難しいです。
    純粋直観て時間空間という形式のことですか?
    純粋悟性概念がそれを使って内容を持たされているので、時間空間に乗せられた直観の対象でないと判断できないということでしょうか?
    全然違ってたらすみません。
    「内容と対象の一致」というのはどのようなことを指しているのでしょうか?

    pipitさんの投稿はできているのに、それを引用するとerrorになるのは何故なんでしょう。原文か英文を外すと投稿できる。
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引用返信/返信 削除キー/
■36414 / inTopicNo.92)  Re[28]: 『青色本を掘り崩す』
□投稿者/ パニチェ -(2024/02/03(Sat) 18:44:27)
    こんばんは、おくたがわさん。レスありがとうございます。

    No36404に返信(おくたがわさんの記事)

    > いえ、パニチェさんあてのつもりの投稿でした^^

    そうでしたか。^^

    > 実は、野矢さんの「論考を読む」にかかってまして、これを読み終わってから「青色本」とその後半を対象にしたという「掘り崩す」を読み直すという方針にしました。こちらから話を振っておいてすみません。先延ばしさせてください。m(_ _)m

    了解しました。全然大丈夫ですので、お気遣いなく。

    > パニチェさんにとって大事な問題が関係すると思われますので、思い付きで書くのは避けたいとも思い。

    ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■36415 / inTopicNo.93)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/02/03(Sat) 19:17:23)
    2024/02/04(Sun) 13:29:04 編集(投稿者)

    ※2024.2.4時点での追記として、、、
    下記の投稿は、その後解説本などを読んで、pipitの誤解かもと今思っています。
    カントは「内容と対象の一致」を判断するのではなく、「認識(内容含む)と客観との関係」の基準について、超越論的論理学で考察してるのかな、と今の時点では思いました。(これもまたpipitの勘違いかもですけど。)
    なぜそのように考え直したのか→山口修二先生の解説本p17-19を読んだから、です。
    次の投稿で、その箇所を引用したいと思います。
    以上で追記を終わります。いったん失礼しますm(_ _)m


    ---------------------
    おくたがわさん、こんばんは(^O^)

    No36410
    > これって、添付画像の判断表の例えば「すべてのAはB」のA,Bに入るものが直観に与えられないといけないということでしょうか?<

    いえ、pipitは判断表関連のことは考えていませんでした。
    判断表ではなく、カテゴリー表のカテゴリー(純粋悟性概念)に関して考えていました。
    カテゴリーが持つ内容が適正に働くのは、直観に与えられたものに対して、という意味でpipitは文章を書いており、
    「カテゴリーの使用条件をはずれるとカテゴリーの持つ内容は【空虚】(独leer、英empty)になる」
    と思っているということです。

    おくたがわさんの画像の中の単語【単一性】を例にすれば、
    「【単一性】という純粋悟性概念は、カテゴリーの使用条件(※直観に与えられた対象に適用させること)を逸脱すると、【単一性】の内容は空虚となる(【単一性】としての概念の正当性が失われる)」
    と思っているということです。

    わかりにくく独りよがりに書いてしまってすみません。

    > 純粋直観て時間空間という形式のことですか?<

    はい、そう考えています。

    > 純粋悟性概念がそれを使って内容を持たされているので、時間空間に乗せられた直観の対象でないと判断できないということでしょうか?<

    はい、そう考えています。
    持たされている、というか、概念作成の主犯は悟性側のイメージです。
    (またわかりにくく書いてしまってすみません)

    > 「内容と対象の一致」というのはどのようなことを指しているのでしょうか?<

    例えば、
    【単一性】の内容 と 目の前のコップ(直観に与えられた対象)の一致、、、正確には包摂関係?の成立、をpipitはイメージしています。
    《【単一性】(一つ)-------目の前のコップ》
    という関係を結ばせることを「内容と対象の一致」と表現しました。
    結ばせる判断をしたのは、両辺に同じ規則を見出したから、だと今のところ思っています。

    未勉強箇所が山ほどあるので、いろいろめちゃくちゃ勘違いしてたらすみません。
    細々と勉強続けてみますm(_ _)m

    > pipitさんの投稿はできているのに、それを引用するとerrorになるのは何故なんでしょう。原文か英文を外すと投稿できる。<

    いろんな条件の組み合わせでerrorになったりならなかったりなんですかね?
    pipitも英文を外して投稿すること、けっこうあります
    (^ ^)
引用返信/返信 削除キー/
■36422 / inTopicNo.94)  Re[27]: 記憶
□投稿者/ パニチェ -(2024/02/04(Sun) 09:54:47)
    2024/02/04(Sun) 09:56:06 編集(投稿者)

    おはようございます、おくたがわさん。横レス失礼します。

    No36407に返信(おくたがわさんの記事)
    > 事実の記憶は海馬に保存され、感情の記憶は偏桃体に保存される。

    > 例えば楽しい(もしくは不快な)パーティーの記憶は海馬にある事実についてのネットワークと偏桃体の感情記憶が結びついて保存される。
    > 感情を伴う出来事は記憶に残りやすいとはよく言われる。

    > 不快な出来事を思い出すとき、別件の不快なできごとまで思いだしてしまうことがある。

    > もしかして、これによる配線ミスもあり得るのでは。
    > Aさんにされた不快なことをBさんにされたと記憶違いするなど。


    記憶が思い出すたびに上書き(再形成)されるというのはその通りだと思います。
    すり替わった記憶による証言でもって冤罪が生じた事例ってのは私も別の番組で見ました。

    おそらくエピソード記憶と言われるものは言語的記憶(陳述記憶)と呼ばれることからしても、言語的な物語として保存されているのであって、映像として保存されたものでないように思います。

    これに対して非言語的な記憶(非陳述記憶)と呼ばれるのは手続記憶、運動や職人芸等、マニュアル化(言語化)できないものあり、職人が弟子に「見て覚えろ」というのはこのためだと言われています。

    エピソード記憶は言語的に保存された物語が思い出す都度、映像として再現される。
    配線ミスはこの段階で思い込みやバイアスによって別の言語的記憶と結びついてしまうのではないでしょうか。

    言語によりエピソード(物語)を元に映像化されるわけですから主たるエピソード以外の細かな景色や情景などはフォーカスされないままぼやけているか、完全につくり直されているんだと思います。


    PS.「探査日記2」設置しておきましょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■36428 / inTopicNo.95)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/02/04(Sun) 22:55:50)
    おくたがわさん、こんばんはー(^O^)

    No36415の追記で
    (pipit)
    >なぜそのように考え直したのか→山口修二先生の解説本p17-19を読んだから、です。
    >次の投稿で、その箇所を引用したいと思います。<

    と書きました。
    今回の投稿で、意見の変化の経過と、変化のきっかけになった山口修二先生の解説文章を引用しようと思います。

    No36352 で、
    (pipit)
    >純粋悟性概念の内容の源泉は悟性なのですが、悟性が概念生成の段階において純粋直観を使用して概念に内容を持たせているので、内容と対象の一致を確かめられるのは経験的直観の対象に限定されることになるのではないかと、そんなふうに考えています。<

    と書いた時は、pipitは「内容と対象の一致が真偽を決定する」というイメージを持っていました。
    ところが、山口修二先生『カント超越論的論理学の研究』の解説本を読み、
    カントは、内容と対象の一致の是非が真偽を決定づけるという考え方ではなく、認識と客観との関係の規則についての考察を試みたのかな、と、考え直しました。
    もちろんpipitがまたまた誤解曲解してる可能性は大ですが、とりあえず今はそう考えています。

    山口修二先生『カント超越論的論理学の研究』p18.19より抜粋引用
    (山口先生の解説文)
    『 (略) この考えに従って、「判断の真理決定条件は、表象された〈主語と述語の内容的合致〉が実際に成立していることである」としよう。(略)しかし、「表象された何かが実際に成立している」ということは「真」という言葉の言い換えにすぎない。したがって、上の言明は、「判断の真理決定条件は、〈主語と述語の内容的合致〉が真であることである」と言い換えられる。これは結局「判断の真理決定条件は判断が真である」という同語反復に帰着する。
     このような循環的な事態を「各々の認識の真理性の普遍的かつ十分な基準とは何か」(A58,B82)を問う場合に不可避的に陥る事態として把握するのが『純粋理性批判』のカントである。後に検討するように、「論理学者たち」を「惨めな循環論法」(A57,B82)に追い込んだこの問は「それ自体において矛盾している」(A59,B83)。このように、『判明性』論文における真理論は、事態的に見て、循環を抱え込んだ理論と見なされうる。たしかに、この真理論の主張する真理決定条件が、真と偽の区別の普遍的基準を示していると考えるかぎりにおいて、それは欠陥を免れない。
     しかしながら、もしこの真理論の主張する真理決定条件が、真と偽の区別の普遍的基準をではなく、したがって、認識と対象との「合致」の基準をではなく、むしろ、認識と対象との「関係」の基準を示すものであるとすれば、どうであろうか。この種の真理論を考えたのは言うまでもなく後のカント自身である。『純粋理性批判』においてカントは、「真理の論理学」、すなわち、「認識がそれに反する場合には必ず、同時にあらゆる内容を、すなわち何らかの客観とのあらゆる関係を失い、したがってあらゆる真理を失う」(A62f.B87)ような規則を示す「超越論的論理学」という構想を提示する。(略)』

    ↑この箇所を読んで、、、そうかぁ、『純粋理性批判』では、概念の内容と対象の一致を問題にするのではなく、コペルニクス的転回で(対象が認識に従う。)という考え方を展開するんだったぁ、と思い出しました。

    まだまだいっぱい誤解してるかもしれませんが勉強続けてみますね。m(_ _)m

    ---------------------
    (おくたがわさん)
    > > 純粋悟性概念がそれを使って内容を持たされているので、時間空間に乗せられた直観の対象でないと判断できないということでしょうか?<<
    (pipit)
    >はい、そう考えています。
    持たされている、というか、概念作成の主犯は悟性側のイメージです。<

    についても、pipitの考え方はどんどん変わる気はするのですが、
    とりあえずこの箇所に関係あるかな、と、思えた山口先生の解説文章を引用します。

    同本p93より引用
    (山口修二先生の解説文)
    『(略)すなわちカテゴリーとしての「原因と結果」の関係は「超越論的内容」(A80,B105)を持つ。言いかえれば、「原因と結果」という概念は、対象一般を包摂する「超越論的述語(transzendentale Pradikate)」(A343,B402)であり、この包摂を行う機能が「純粋総合」なのである。「総合」は「表象そのものを生産する」(A51,B75)「自発性」の機能である以上、「純粋総合」は「超越論的内容」を直観一般において「生産する」と言ってもよいだろう。このように、我々がカテゴリーを対象一般についての「普遍的」規定として理解しうるのは、カテゴリーを「純粋総合」として見なす場合のみである。すなわち、我々の「純粋悟性認識」は「純粋総合」によってのみ可能なのである。これは、「我々自身が諸物のうちに置き入れるものだけを我々は諸物に関してアプリオリに認識する」(B ]XV)という、カントがコペルニクスの業績に比した「考え方の変革的方法」(ebd.)に他ならない。(略)』
    引用終了

    今回おくたがわさんのおかげで、挫折していた山口修二先生の本に少しだけ再チャレンジでき、pipitの誤解も認識できて、感謝です!
    ありがとうございます♪
    (これからもいっぱい誤解曲解した書き込みしてしまうと思います、すみません!)

引用返信/返信 削除キー/
■36449 / inTopicNo.96)  Re[28]: 記憶
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/06(Tue) 14:00:26)
    No36422に返信(パニチェさんの記事)

    > エピソード記憶は言語的に保存された物語が思い出す都度、映像として再現される。
    > 配線ミスはこの段階で思い込みやバイアスによって別の言語的記憶と結びついてしまうのではないでしょうか。
    >
    > 言語によりエピソード(物語)を元に映像化されるわけですから主たるエピソード以外の細かな景色や情景などはフォーカスされないままぼやけているか、完全につくり直されているんだと思います。

    エピソード記憶(物語)という話からすると、なおさら記憶の塗り替えは起きやすそうですね。

    > PS.「探査日記2」設置しておきましょうか?

    自分からリクエストしないといけなかったんですね?
    お手数をおかけします。よろしくお願いいたします。

引用返信/返信 削除キー/

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