□投稿者/ パニチェ -(2024/02/04(Sun) 09:54:47)
| 2024/02/04(Sun) 09:56:06 編集(投稿者)
おはようございます、おくたがわさん。横レス失礼します。
■No36407に返信(おくたがわさんの記事) > 事実の記憶は海馬に保存され、感情の記憶は偏桃体に保存される。
> 例えば楽しい(もしくは不快な)パーティーの記憶は海馬にある事実についてのネットワークと偏桃体の感情記憶が結びついて保存される。 > 感情を伴う出来事は記憶に残りやすいとはよく言われる。 > 不快な出来事を思い出すとき、別件の不快なできごとまで思いだしてしまうことがある。 > もしかして、これによる配線ミスもあり得るのでは。 > Aさんにされた不快なことをBさんにされたと記憶違いするなど。
記憶が思い出すたびに上書き(再形成)されるというのはその通りだと思います。 すり替わった記憶による証言でもって冤罪が生じた事例ってのは私も別の番組で見ました。
おそらくエピソード記憶と言われるものは言語的記憶(陳述記憶)と呼ばれることからしても、言語的な物語として保存されているのであって、映像として保存されたものでないように思います。
これに対して非言語的な記憶(非陳述記憶)と呼ばれるのは手続記憶、運動や職人芸等、マニュアル化(言語化)できないものあり、職人が弟子に「見て覚えろ」というのはこのためだと言われています。
エピソード記憶は言語的に保存された物語が思い出す都度、映像として再現される。 配線ミスはこの段階で思い込みやバイアスによって別の言語的記憶と結びついてしまうのではないでしょうか。
言語によりエピソード(物語)を元に映像化されるわけですから主たるエピソード以外の細かな景色や情景などはフォーカスされないままぼやけているか、完全につくり直されているんだと思います。
PS.「探査日記2」設置しておきましょうか?
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