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■36012 / inTopicNo.49)  Re[17]: 中山元訳「純粋理性批判」について
  
□投稿者/ pipit -(2024/01/04(Thu) 07:49:59)
    おくたがわさん、おはようございます(^O^)

    ふと思いつきまして、「度外視する」と訳されている箇所の原語とDeepL英訳を投稿いたします。
    m(_ _)m
    原語は「abstrahiert」みたいですね。

    (ドイツ語)
    Die allgemeine Logik abstrahiert, wie wir gewiesen, von allem Inhalt der Erkenntnis,
    (DeepL英訳)
    General logic, as we have shown, abstracts from all content of knowledge,
引用返信/返信 削除キー/
■36013 / inTopicNo.50)  Re[18]: 中山元訳「純粋理性批判」について
□投稿者/ pipit -(2024/01/04(Thu) 07:57:10)
    2024/01/04(Thu) 08:12:16 編集(投稿者)
    2024/01/04(Thu) 08:01:10 編集(投稿者)

    現時点の感想ですけど、「度外視する」という訳語は、意味的にはわかりやすい上手な訳だなぁと思えました。

    内容を度外視する論理学(一般論理学)と、

    内容のある部分を排除する(度外視しない)論理学(超越論的論理学)と、、、

    特徴の差別化になるといえばなると思えます、、、けど、、、

    やっぱりカント先輩のせい、、、、、
引用返信/返信 削除キー/
■36138 / inTopicNo.51)  Re[16]: 今年もよろしくお願いします
□投稿者/ おくたがわ -(2024/01/12(Fri) 13:04:32)
    こちらこそよろしくお願いいたします。
    遅レスですみません。

    No36002に返信(パニチェさんの記事)
    > ■No35948に返信(おくたがわさんの記事)
    >
    >>探査日記というトピ題は、その昔ヤフー掲示板というところで使っていたハンドルです。
    >>おくたがわの前に、主にお笑い・大喜利系のトピで使用したのでパニチェさんたちはたぶん知らない。
    >>その後、ヤフー以外のネット大喜利にも進出して(名前は変えましたが)大会的なもので上位に入ったことも。プロのお笑い芸人にもけっこう高評価されてたこともありました。(河本とか。藤原もいたような… - なんかやらかしたやつばっかりか…)
    >
    > これは全く知りませんでした。
    > 哲カテ全般「神はいるか」トピでおくたがわさんと出会う前ですね。
    > そんなキャラの側面もあったとは当時のおくたがわさんからは想像できませんでした。。。^^;

    そうですか? でも、哲学のことを知らないのになんでこいつは哲学カテをうろうろしてるんだろうという感じではなかったですか?
    ネットお笑いのログは長く残っていましたが、今回検索してみたら全くヒットせず。さすがに全部消えたか…。寂しい気もします。

    ヤフーで一番古くから知っている名前は地下猫で、彼は今もX(ツイッター)で活躍中。実はパニチェさんよりも前、一番最初にぶつかった(対立した)投稿者の一人でしたが、今は懐かしいのみです。
    その次に長く知っているのがパニチェさんかエフニさんかどちらかですね(たぶん同時期に知ったと思います)。

引用返信/返信 削除キー/
■36139 / inTopicNo.52)  Re[19]: 中山元訳「純粋理性批判」について
□投稿者/ おくたがわ -(2024/01/12(Fri) 13:23:22)
    No36007に返信(pipitさんの記事)

    pipitさん、こんにちは。遅いレスですみません。
    自分だけの興味で書いていて誰にも読まれなくてもしかたないと思っていたので、丁寧に読んでいただけてありがたいです。

    >pipitも今の時点では、(C)は「超越論的論理学」のことを述べてるように思えます。

    そうですか、嬉しいです。

    >>次に(A)からの文脈で見ると、一般の論理学では認識の内容をすべて度外視し、超越論的論理学は度外視しないわけなので、一見すると「経験的な認識」を排除するのは、一般論理学の方であるかのような印象を受けるかもしれません。
    >>しかし、「認識の内容を度外視する」と「(経験的な)認識を除外する(中山『経験的な内容からなる認識』」はまったく異なる事態を表していると思います。<
    >
    > はい。調べてみると、
    > 「内容」の原語はInhalt (英訳はcontent )でした。
    > (C)は、【「内容」から「経験的な内容に関するような認識を、全て排除する」】という文意に捉えることも可能なのではないか、、、
    > 対象の内容から経験的な要素を排除し、対象認識のアプリオリな悟性規則をまとめたものが超越論的論理学という捉え方もできるのではないかと思いました。

    「認識の内容を度外視する」と「(経験的な)認識を除外する」の違いについての現時点での自分の解釈は、こんど、(C)の主語が超越論的論理学である場合に全体のつじつまが合うかどうか(合うと私は考えています)を書く際に、書きますね。(いつやるの)

    >>そもそも2ページほど前で一般論理学について
    >>『〜内容がどうであるか(経験的か超越論的かは)問わない。』とあり、原さんも後者を『超越論的』と訳している。原文でそう書いてあるのだろう。<
    >
    > Kindleのドイツ語本を見てみました。
    > transzendental(超越論的)ですね。
    > ドイツ語とDeepLの英訳をコピペします。

    ***
    投稿エラーになるので、この部分に載せていただいた原語と英文の引用を割愛してみます。すみません
    *****

    >>つまり、超越論的 - 経験的を対比的に使っているのだから、
    >>シンプルに「経験的な内容の認識を除外する」のは「超越論的論理学」である傍証の一つになるのではないか。<
    >
    > そうですね。
    > 超越論的の説明も、この後続きますしね。

    原語と英文を調べてくださってありがとう! 
    やはりそうなのですね。「経験的かアプリオリか」ではなく「経験的か超越論的か」と対立させているのですね。

    >>*********
    >>
    >>p.115
    >>石川『(超越論的論理学は)単に知性と理性の諸法則に関係し、しかも、ひたすらアプリオリな対象に向けられるかぎりにおいてであって、一般の論理学のように、無差別に経験的理性認識にも純粋な理性認識にも向けられることはないからである』
    >>末尾の表現がやや語弊あるかもですが、同じ個所
    >>中山元『この論理学(超越論的論理学)は一般論理学とは違って、理性認識が経験的なものであるか、純粋なものであるかを問わずに適用されるような学ではないからである』
    >>
    >>「一般の論理学は、無差別に経験的理性認識にも純粋な理性認識にも向けられる」と言っちゃってるわけですね。<
    >
    > はい。思考の形式だけを抽象してるのが一般論理学ということなのかな、と、思いました。

    自分もそう思います。

    『一般の論理学は認識の内容をすべて度外視する。すなわち、客体への認識の関係をすべて度外視する。そうして、諸認識間における論理的関係だけを考察する』
    についての自分のイメージですが、

    たとえば
    「(1)円には角が無く、かつ、(2)近年の日本で最も人気のあった総理は小泉である」

    という命題があったとして、この全体が「真」になるのは、(1)と(2)の両方ともに真の場合のみ。それ以外は全て全体が「偽」
    ( (1)をアプリオリ、(2)を経験的のつもりで書いていますが、異なる考え方もあるかもしれません)

    『「かつ」で結ばれているならば、両方とも真の場合のみ全体が真』 という関係は(1)や(2)がアプリオリな認識か経験的に得られた認識かには関係ありません。
    こういった形式論理学では、(1)や(2)の内容(=由来)は問わず、それらの関係(真理値の関係)のみを扱う。
    (さらに言うと、(1)や(2)が現実において正しいか否かについても論理学は関知しない。)

    そんなことでイメージしています。

    対して、
    超越論的論理学では、諸認識の内容(アプリオリか経験的か)を問うて区別するとカントは言う。


    >きちんと複数の可能性を考えられているのですね、すごいなー(*_*)

    一応、間違っているのではないかという指摘なので、間違っていなくて中山さんの挿入のままで正しく読める可能性もできるだけ考えないといけないと。
    ご存知だと思いますが、「寛容の原則」みたいなことで。
    他者の主張なり文章に対しては、できるだけ辻褄の合うような解釈を探すという(安易に批判する前に)。
    (カントの文章自体、そういう読み方しないと読めないかも…?)

    >>以上のように見ると
    >>(C)が一般論理学を指すとするのはかなり不自然な気がします。
    >>少なくとも、わざわざ[一般論理学]と挿入して決め打ちしてしまうのは危険ではないかと。
    >>
    >>
    >>間違いであると断定するのももちろん危険であるし、可謬主義というまでもなく、カントの読みを素人が(いや専門家でも)簡単に断定できるはずもないでしょうが、逆に中山元さんが読みを決め打ちしてしまっているのも疑問 - 程度は言っていいんじゃないかと。
    >>
    >>
    >>次に (C)の主語が超越論的論理学である場合に、これらの文章間に齟齬・矛盾が生じるか、それとも矛盾の生じない解釈が可能かについて書くつもりですが、またこんど。<
    >
    > おつかれさまです!
    > 第一はカントがひどい、と、思うのですが、
    > いろいろじっくりカントの文章について読んだり考えたりできてとても勉強になりました。
    > ありがとうございます!

    こちらこそありがとうございます。

引用返信/返信 削除キー/
■36146 / inTopicNo.53)  ヤフー!のアホー!
□投稿者/ パニチェ -(2024/01/12(Fri) 21:56:55)
    2024/01/13(Sat) 09:00:50 編集(投稿者)

    No36138に返信(おくたがわさんの記事)
    > 遅レスですみません。

    全然OK!です。^^

    > ■No36002に返信(パニチェさんの記事)
    >>■No35948に返信(おくたがわさんの記事)

    > >>探査日記というトピ題は、その昔ヤフー掲示板というところで使っていたハンドルです。
    > >>おくたがわの前に、主にお笑い・大喜利系のトピで使用したのでパニチェさんたちはたぶん知らない。
    > >>その後、ヤフー以外のネット大喜利にも進出して(名前は変えましたが)大会的なもので上位に入ったことも。プロのお笑い芸人にもけっこう高評価されてたこともありました。(河本とか。藤原もいたような… - なんかやらかしたやつばっかりか…)

    >>これは全く知りませんでした。
    >>哲カテ全般「神はいるか」トピでおくたがわさんと出会う前ですね。
    >>そんなキャラの側面もあったとは当時のおくたがわさんからは想像できませんでした。。。^^;

    > そうですか? でも、哲学のことを知らないのになんでこいつは哲学カテをうろうろしてるんだろうという感じではなかったですか?
    > ネットお笑いのログは長く残っていましたが、今回検索してみたら全くヒットせず。さすがに全部消えたか…。寂しい気もします。

    当時のおくたがわさんのイメージはパンドラ先生と同じく論理学の印象が強いです。
    残念ですよね、当時のレス交換やカキコが残ってないのは、Yahoo!はほんまにahoo!ですね。

    > ヤフーで一番古くから知っている名前は地下猫で、彼は今もX(ツイッター)で活躍中。実はパニチェさんよりも前、一番最初にぶつかった(対立した)投稿者の一人でしたが、今は懐かしいのみです。
    > その次に長く知っているのがパニチェさんかエフニさんかどちらかですね(たぶん同時期に知ったと思います)。

    地下猫は誰でも衝突するでしょ(笑)。修辞罵倒学だったかな?を看板にしてましたし。
    まぁ私も負けず劣らずコテハン多キャラで毒入りパニチェでもあったので対立しますよね(笑)。
    私もそうですが初対面は対立や衝突からってのは哲カテでは日常茶飯事でした。

    もう時効だからいいかな。。。(笑)
    転法祖師はYahoo!掲示板を飛び越えて、NATROM氏の「進化論と創造論」サイトまで殴り込みに行くし(笑)
    その炎上はYahoo!掲示板哲カテまで延焼して、地下猫から暗黙裡に水面下でもって仲裁を頼まれましたが、そんな政治屋みたいな裏取引は大嫌いでキッパリ断ったり、ニーチェトピを喧嘩場として提供したり、いろいろありました。。。

    私はおくたがわさんは毛ツルット(ktsurut)の古くからの知り合いだと思ってたのですがそうではなかったのですか?
    あとセキバ(he_is_sekiba=sekiba_black_magic=sekiba_renaissance)も印象に残ってますねぇ〜。^^

引用返信/返信 削除キー/
■36168 / inTopicNo.54)  Re[18]: ヤフー!のアホー!
□投稿者/ おくたがわ -(2024/01/17(Wed) 11:14:17)
    No36146に返信(パニチェさんの記事)
    > 残念ですよね、当時のレス交換やカキコが残ってないのは、Yahoo!はほんまにahoo!ですね。

    過去ログがごそっと消えたことについてツバメさんが気落ちしたようなコメントをしていた記憶が…
    実のある会話で人間関係を築いていた人たちには特に残念かもしれないなと。
    自分は、良いと思うネタ(大喜利回答)が失われて心残りな程度ですが(笑)

    > 地下猫は誰でも衝突するでしょ(笑)。修辞罵倒学だったかな?を看板にしてましたし。

    「議論のために必要な罵倒もある」とかも言ってました。どういう論理かは把握してないけど。
    ヤフー参加当初、罵倒が平気で使われる状態にショックを受けましたが、中でも目立ってたのが地下猫だなあ。他にUという有名女性と。

    > 私もそうですが初対面は対立や衝突からってのは哲カテでは日常茶飯事でした。

    衝突の後、親しくなる、ですね。
    自分は、仲良し→犬猿 もありましたけど(笑)。
    同じ相手でも案件によって共感できることもあれば対立することもあるという切り替えが、通用しやすい人と、しにくい人がいたように思います。

    > もう時効だからいいかな。。。(笑)
    > 転法祖師はYahoo!掲示板を飛び越えて、NATROM氏の「進化論と創造論」サイトまで殴り込みに行くし(笑)
    > その炎上はYahoo!掲示板哲カテまで延焼して、地下猫から暗黙裡に水面下でもって仲裁を頼まれましたが、そんな政治屋みたいな裏取引は大嫌いでキッパリ断ったり、ニーチェトピを喧嘩場として提供したり、いろいろありました。。。

    当時の進化論掲示板は、迷いこんだ人を多人数で集中砲火するようなことが時々起こり、しかも地下猫の罵倒を誰も止めないこともあって「これも議論のうち」ではすまないイジメ感があったと思うので、転法さんが乗り込んだのは共感的に見てました。別な時に自分も口を出して地下猫に罵倒の嵐を受けたし。

    それで、当時の進化論サイト側の強硬な印象からは「仲裁」というのは意外に思いますが、彼らから見るとサイトを荒らされたくない的な捉え方だったのかな? 転法さんに関し仲裁を頼むには最適の人と見えたのでしょうね。
    もしかして、自分たちは正しいという前提で、間違っている転法さんに何か言ってほしい的な感じでしたか?
    月蛇もそんなことをパニチェさんに言っていたことがあった気が。対立してない頃に。 
    パニチェさんは人からは仲裁を頼みたくなるのだけど、実はそういうのお断りという感じは分かる気がします。

    > 私はおくたがわさんは毛ツルット(ktsurut)の古くからの知り合いだと思ってたのですがそうではなかったのですか?

    一番古い云々は、現在ネット上で活躍を見かける中では、という意味でした。言葉足らずですみません。
    パニチェさん・転法さんを知ったのはktsurutを通じてでした。でも少し先に知ったという程度です。
    転法さんについては、ktsurutが知り合いのとこにヒントをもらいに行くという風に書いて(信頼できる知人という感じで)行ったので、珍しいなと思い、どんな相手だろうかとロムしていたのですが、見ているうちに二人の会話が険悪になってktsurut的平常運転(いつもどおりに喧嘩)になりました。

    > あとセキバ(he_is_sekiba=sekiba_black_magic=sekiba_renaissance)も印象に残ってますねぇ〜。^^

    彼は最初、ktsurutへの批判者でしたが、途中から擁護者的になりました。自分と逆。
    医学部卒とのことで医師だと思いましたが、医師の人に「同業者ではない」とレスしていて「ではなにもの?」と。ただ、その相手の人(医師)によると「あれは科が違うという意味で、書いている内容等から医師に違いない」と。自分がセキバ氏に批判的になったせいか、その人との関係は途絶えましたが(その人、セキバファンだったので)


    書いているうちに、連想で色々思い出したこととかヤフー掲示板に関する総括とか書きたいことが多数出てきましたが、パニチェさんへの返信として全部書くのはご迷惑と思うので、あらためて単独投稿にします。
    それでも長文になりました。
引用返信/返信 削除キー/
■36171 / inTopicNo.55)  ゆらぎ: 中山元訳「純粋理性批判」について
□投稿者/ おくたがわ -(2024/01/17(Wed) 15:15:38)
    2024/01/17(Wed) 15:18:03 編集(投稿者)

    No35962に返信(おくたがわさんの記事)
    考え直した点

    > (B)と(D)がカントが提示する論理学(超越論的)を指すのは間違いないとして、真ん中にある(C)が一般論理学とすると、直後の(D)における『そのような論理学は』が(C)をとばして(B)を受けるというのは不自然に見えます。なお、この部分で中山訳のみが(D)の前に改行を入れているが、他の3者ともに改行はありません。

    英文訳(J. M. D. Meiklejohn)では、

    (B)In this case, there would exist a kind of logic, in which we should not make abstraction of all content of cognition; (C)for or logic which should comprise merely the laws of pure thought (of an object), would of course exclude all those cognitions which were of empirical content. (D)This kind of logic 〜〜

    とあり、これだと、(D)が(B)を受けていると読めるのかも。kind が共通するのと、(C)が独立した文ではないので。
    原文も同じ形だとすれば、ここについての私の言い分は撤回します。
    後、for の後の or 、以前から気にはなっていて、逆説を意味するのなら、(C)が(B)とは異なるとも読めるが、
    これがもし原文にもあるとすれば、私の言い分(ここの主語が超越論的論理学)への反証の一環となり得る気がする。
    しかし、or を訳したと思える日本語訳は私が見た四人の誰もしていない。
    原文に当たらないとダメか・・・

    そして、前から気になっていた点、

    石川訳の『経験的な内容に関するような認識』の意味
    これが他の訳者の『経験的な内容を含む認識(天野)』、『経験的な内容からなる認識(中山)』、『経験的内容をもっているかもしれないような全ての認識(原)』
    ではなく石川が正確で、それが「[一般論理学が度外視する経験的な内容]からなる認識」のことではなく、
    他の意味であって
    「認識の内容を全て度外視(abstract)する論理学では、『経験的な内容に関するような認識』が全て除外される」
    が成立するとすれば、少なくともこれらの部分は辻褄が合うことになるでしょう。
    自分の主張の多くは、そこが『経験的な内容からなる認識』(一般論理学では、その内容が度外視され、認識どうしの関係だけが扱われる)のことだという読みの上に立っているので、そこが違っていると、かなり揺らいでくるかも。

    ただ、そのかんじんの『経験的な内容に関するような認識』が上の意味でないなら、何を指すのかが現状自分には分からないので、なんとも言えないですが。
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引用返信/返信 削除キー/
■36173 / inTopicNo.56)  「論理学」っていうの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/01/17(Wed) 19:15:53)
    お邪魔しま〜す、おくったがわさん。

    No36171

    カントの場合、「論理学」っていうの、「一般的論理学」と「超越論的論理学」っていうのがあって、それらは区別してる、っていうことでいい?
引用返信/返信 削除キー/
■36177 / inTopicNo.57)  純粋理性批判B79-80
□投稿者/ pipit -(2024/01/17(Wed) 21:35:36)
    2024/01/17(Wed) 21:45:54 編集(投稿者)

    おくたがわさん、こんばんは(^ ^)

    No36171
    Kindleの原文と、その原文をDeepLで英訳したものを投稿させていただきますね。
    Kindle原文版のスクリーンショットを編集した画像を添付します。
    →→→原文&英訳が投稿禁止になるので、次投稿で(C)部分の原文とDeepL英訳のみで投稿します。文字化けするドイツ語は似たアルファベットに置き換えて投稿します。

    おせっかいすみません
    おもしろそうで、ついー(^^;;


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引用返信/返信 削除キー/
■36180 / inTopicNo.58)  Re[17]: 純粋理性批判B79-80
□投稿者/ pipit -(2024/01/17(Wed) 21:48:40)
    2024/01/17(Wed) 22:43:01 編集(投稿者)

    (C)ドイツ語
    denn diejenige, welche bloB die Regeln des reinen Denkens eines Gegenstandes enthielte, wurde alle diejenigen Erkenntnisse ausschlieBen, welche von empirischem Inhalte waren.

    (C)DeepL英訳
    for the one which contained merely the rules of pure thought of an object would exclude all those cognitions which would be of empirical content.

    pipit雑感
    「Gegenstandes」(object)という語が入っているのも注目点になるかなぁ?と思っています。

    認識と客観の関係を無視して思考の形式のみを抽象する一般論理学と、

    認識と客観の関係性を問題とした「対象」認識における純粋思考に着目した超越論的論理学と(だから真理の論理学とカント自身は述べてるのかな?と)と....

    今の時点での感想です、おつかれさまですm(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■36181 / inTopicNo.59)  Yahoo!掲示板総括 その1
□投稿者/ パニチェ -(2024/01/17(Wed) 21:52:02)
    2024/01/18(Thu) 08:36:47 編集(投稿者)

    こんばんは、おくたがわさん。レスありがとうございます。以下、長いのでテキトーにスルーして下さい。

    No36168に返信(おくたがわさんの記事)

    > 過去ログがごそっと消えたことについてツバメさんが気落ちしたようなコメントをしていた記憶が…
    > 実のある会話で人間関係を築いていた人たちには特に残念かもしれないなと。
    > 自分は、良いと思うネタ(大喜利回答)が失われて心残りな程度ですが(笑)

    気落ちするのも分かりますし、心残りなのも分かります。
    私の場合はdanza_espanolaさんがここを立ち上げてくれた上にPanietzsche Roomまで設置してくれたので自分の投稿をまとめることができてラッキーでした。
    転法祖師やエフニさんの〈私〉に関する投稿や、ゴウさんとのレス交換は取り置きしてあります。
    気が向かれましたら、思い出すままに良いネタ(大喜利回答)もこのトピで保存して下さい。

    > 「議論のために必要な罵倒もある」とかも言ってました。どういう論理かは把握してないけど。
    > ヤフー参加当初、罵倒が平気で使われる状態にショックを受けましたが、中でも目立ってたのが地下猫だなあ。他にUという有名女性と。

    Uは誰のことかピンと来ません^^;
    議論のために必要な罵倒はないでしょうね(笑)。
    俄仕込みの知ったかブリっ子とか信仰押し付け洗脳族への罵倒とか挑発ってのは、結構皆やってましたが、地下猫の場合はロム受けを狙った罵倒要素が大だったと思いますよ。

    > 衝突の後、親しくなる、ですね。

    そうですね。^^

    > 自分は、仲良し→犬猿 もありましたけど(笑)。
    > 同じ相手でも案件によって共感できることもあれば対立することもあるという切り替えが、通用しやすい人と、しにくい人がいたように思います。

    哲カテでは、一つのテーマで激しく対立した相手でも議論が終われば水に流し、異なるテーマでは以前の対立はなかったこととして議論するってのが理想でした。
    知的な刺激を求めて哲カテに集まっていたメンバーの間では暗黙の了解があったのですが、自己顕示欲を満たすために参加してたアホどもには通用しなかったですね。

    > 当時の進化論掲示板は、迷いこんだ人を多人数で集中砲火するようなことが時々起こり、しかも地下猫の罵倒を誰も止めないこともあって「これも議論のうち」ではすまないイジメ感があったと思うので、転法さんが乗り込んだのは共感的に見てました。別な時に自分も口を出して地下猫に罵倒の嵐を受けたし。
    > それで、当時の進化論サイト側の強硬な印象からは「仲裁」というのは意外に思いますが、彼らから見るとサイトを荒らされたくない的な捉え方だったのかな? 転法さんに関し仲裁を頼むには最適の人と見えたのでしょうね。
    > もしかして、自分たちは正しいという前提で、間違っている転法さんに何か言ってほしい的な感じでしたか?
    > 月蛇もそんなことをパニチェさんに言っていたことがあった気が。対立してない頃に。 
    > パニチェさんは人からは仲裁を頼みたくなるのだけど、実はそういうのお断りという感じは分かる気がします。

    あのサイトでは進化論に異を唱える創造論者を袋叩きにするってのが日常茶飯事でしたね。
    その急先鋒が地下猫でした。以下は私の理解というか解釈ですが。。。

    転法祖師は「進化論は科学ではなく哲学(哲学には科学的要素も含まれる)だ」という主張だったように思うのですが、この主張の前半部分「進化論は科学ではない」にネオダーウィニスト達は猛反発しました。

    あの掲示板の常連は進化論は科学であるというスタンスでもって創造論を非科学として批判してましたから、ここは絶対譲れないってところだったのでしょう。

    ところがそれまでのヤワな訪問者と違い転法祖師は一人で乗り込んであのサイトの常連が束になってかかっていっても全てに返信(反論)してました。
    で、メインBBSではないところに転法祖師用のスレを設けて、そこに投稿するように促したのですが転法祖師はそんなのお構いなしでメインBBSで大立ち回りを続けてました。

    それがYahoo!掲示板にまで延焼し収拾がつかなくなったので、どこかで治めたかったのだと思います。
    だから私への要望はあくまでも炎上を収束させるための介入でした。

    月蛇との対立でも経験しましたが、ネオダーウィニストの投稿も、創造論者に対してドグマチックと批判している割には、自分たちも学説の一つでしかないセントラルドグマに縛られて結構ドグマチックだなという印象はありましたね。

    創造論者は彼らにとって格好の餌食になりましたが、どんな理論やドグマ、いずれの哲学や思想にも縛られない相手との議論は不得意であったように思います。
    逆にネオダーウィニストならではのドマチックなところを突かれますからね(笑)。

    そんな中にあって「新・進化論を検証しましょう」トピのトピ主でもあったprotein_crystal_boy氏(プロテインさん)は博学な上にバランスの取れた科学者らしい方でした。

    >>私はおくたがわさんは毛ツルット(ktsurut)の古くからの知り合いだと思ってたのですがそうではなかったのですか?
    > 一番古い云々は、現在ネット上で活躍を見かける中では、という意味でした。言葉足らずですみません。

    いえいえ。^^

    > パニチェさん・転法さんを知ったのはktsurutを通じてでした。でも少し先に知ったという程度です。

    あ、やっぱそうですよね。

    > 転法さんについては、ktsurutが知り合いのとこにヒントをもらいに行くという風に書いて(信頼できる知人という感じで)行ったので、珍しいなと思い、どんな相手だろうかとロムしていたのですが、見ているうちに二人の会話が険悪になってktsurut的平常運転(いつもどおりに喧嘩)になりました。

    そうでしたね。
    あと、転法祖師vs科学教梵梵法主(whiskey_bonbonさん)の教外別伝に関する議論、転法祖師vs鰯の頭教教祖(JA50さん)の無常宗の教義に関するバトルは、ほんと残しておきたいほどの内容&名言が多々あり抜群に面白かったです。

    >>あとセキバ(he_is_sekiba=sekiba_black_magic=sekiba_renaissance)も印象に残ってますねぇ〜。^^

    > 彼は最初、ktsurutへの批判者でしたが、途中から擁護者的になりました。自分と逆。
    > 医学部卒とのことで医師だと思いましたが、医師の人に「同業者ではない」とレスしていて「ではなにもの?」と。ただ、その相手の人(医師)によると「あれは科が違うという意味で、書いている内容等から医師に違いない」と。自分がセキバ氏に批判的になったせいか、その人との関係は途絶えましたが(その人、セキバファンだったので)

    セキバとは自由意志に関するディベートが面白かったですね。
    「信号機にも意志がある」というセキバの主張はあれはあれで名言でした。

    > 書いているうちに、連想で色々思い出したこととかヤフー掲示板に関する総括とか書きたいことが多数出てきましたが、パニチェさんへの返信として全部書くのはご迷惑と思うので、あらためて単独投稿にします。
    > それでも長文になりました。

    是非、総括やりましょう。
    私もお邪魔でなければYahoo!掲示板関連でカキコしたことが山ほどあります。^^


    PS.個人的には振り返って書き残しておきたいことが多々あるので、Yahoo!掲示板総括トピを作って、そこに以下を転記してもいいですか?


    No36138に返信(おくたがわさんの記事)

    No36146に返信(パニチェさんの記事)

    No36168に返信(おくたがわさんの記事)

    No36181に返信(パニチェさんの記事)


引用返信/返信 削除キー/
■36185 / inTopicNo.60)  J. M. D. Meiklejohn訳について(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2024/01/18(Thu) 00:32:27)
    2024/01/18(Thu) 00:38:18 編集(投稿者)

    おくたがわさん、こんばんはー

    お久しぶりです!

    *******

    No.36171 (おくたがわさん)

    https://archive.org/details/CritiqueOfPureReason_201304/page/n109/mode/1up?view=theater

    のp.94には、

    >In this case, there would exist a kind of logic, in which we should not make abstraction of all content of cognition; for that logic which should comprise merely the laws of pure thought (of an object), would of course exclude all those cognitions which were of empirical content. This kind of logic <

    とありました。

    では〜

引用返信/返信 削除キー/

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