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No36348 の記事


■36348 / )  Re[23]: Re:pipitさんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/01(Thu) 15:41:17)
    No36306に返信(pipitさんの記事)
    返事遅くなりました、すみません。
    > 2024/01/27(Sat) 20:57:07 編集(投稿者)
    >
    > No36276
    > (悪魔ちゃん)
    > >いま、こういうの書いてるときに思ったんだけど、さらに、『だから』の前も気になるところね。<
    >
    > おくたがわさん、悪魔ちゃんこんばんは!
    > 横レス失礼します。m(_ _)m
    >
    > 悪魔ちゃんの感想・考察まで行くもっと手前のことなんだけど、
    > カント的『だから』は、こんな感じかな?というpipitの私見を書きます。
    >
    >
    > @空間が純粋直観として対象全般にアプリオリに関わるゆえ、経験的直観において空間が経験的になるように、
    > A思考が純粋思考として対象全般にアプリオリに関わるゆえ、経験的思考において特定の概念が経験的なものになる、という構図もあり得るかもしれない・・・
    > という意味での【だから】かな、と思いました。
    > @【だから】A
    >
    > 当該箇所B81(中山元訳独自番号089)を解説した山口修二先生の解説文を抜粋引用します。
    > 『カント超越論的論理学の研究』p63より
    > (山口修二先生の解説文)
    > 『「アプリオリに諸対象に関係する」ような概念、すなわち「純粋悟性認識」が存在することは、現時点ではいまだ「期待」にとどまっている。「対象を完全にアプリオリに思考する」ことはいかにして可能なのか。この課題に答える学として「超越論的論理学」は構想されているのである。』
    > 引用終了
    > --------------
    >
    > 山口先生の他箇所の解説で、おくたがわさんが考察されている箇所に対応してると思われる文章も見つけたので引用します。同本p61.62より引用。
    >
    > 『「それなくしてはいかなる対象も思考されないような諸原理」を示すこと。「超越論的論理学」の構想の中心はここにある。
    > (略)
    > この思考規則は、「一般論理学」における思考の論理的形式のように、一切の思考内容の捨象によって見い出されるものではない。
    > なぜなら、求められているのは、思考を思考たらしめる普遍的条件ではなく、思考が内容を持つための普遍的条件であるかぎり、それは、一切の思考内容の捨象によってではなく、むしろ、思考一般が必ず持つべき「内容」として見いだされねばならないからである。
    > すなわち、「超越論的論理学」の思考規則は、それ自体「内容」を含んでいなければならない。
    > この「内容」は、我々の思考が内容ある思考であるかぎり常に必ず含むべきものである以上、思考の普遍的内容である。
    > そのかぎり、「超越論的論理学」の思考規則は、いかなる経験によっても見出されることのない、アプリオリな思考内容を持つものでなければならない。
    > (略)
    > 「超越論的論理学」の規則は、我々が何か(対象)を思考するとき同時にそれを思考していなければ我々は実は何も思考していないことが判明する、そのような思考「内容」として提示されなければならない。
    > 思考のこのような普遍的「内容」は、明らかに経験的・感性的なものではなく、したがって、まさに「純粋悟性認識」の内容であり、「純粋思考」の「対象」である。
    > (略)』
    > 引用終了

    素晴らしい情報ありがとうございます。

    > 山口先生は、超越論的論理学の思考規則は、経験的ではないアプリオリな思考内容を持たなくてはならない、と考えられているみたいとpipitは読みました。

    自分もそう読みます。
    それがすなわち純粋悟性概念(カテゴリー)ということでしょうか?
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