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No36352 の記事


■36352 / )  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/02/02(Fri) 00:34:24)
    おくたがわさん、こんばんは(^ ^)

    No36348
    >>山口先生は、超越論的論理学の思考規則は、経験的ではないアプリオリな思考内容を持たなくてはならない、と考えられているみたいとpipitは読みました。<<
    >
    > 自分もそう読みます。
    > それがすなわち純粋悟性概念(カテゴリー)ということでしょうか?<

    そうだとpipitは思うのですが、これまた微妙な話題で、
    その純粋な思考規則(純粋悟性概念/カテゴリー)の内容が、
    対象との一致において真偽を論じることが可能な内容として存するためには、
    その使用が直観的対象への場合に限定されている、
    とカントは言っているのかなとpipitは考えています。

    カントの文章(山口修二先生訳)では、

    『超越論的論理学において我々は悟性を孤立させて(上述の超越論的感性論において感性を孤立化させたように)、我々の認識から、もっぱら悟性に起源を持つところの思考の部分を取り出す。
    しかし、この純粋認識の使用は、その条件として、純粋認識が適用されうるところの対象が直観において与えられているということに基づいている。
    なぜなら、直観がなければ我々のあらゆる認識には客観が欠けることになり、この場合認識はまったく空虚だからである。』(A62,B87)
    (『カント超越論的論理学の研究』p63より引用)

    とあり、使用条件をはずれると内容は【空虚】(独leer、英empty)ということかな、の思いました。
    ※引用文章最後の箇所の原文と原文をDeepLで英訳したものをコピペします。(記号省略)

    Denn ohne Anschauung fehlt es aller unserer Erkenntnis an Objekten, und sie bleibt alsdann vollig leer.

    For without perception, all our knowledge lacks objects, and it then remains completely empty.

    pipitの今の段階の私見なのですが、
    純粋悟性概念の内容の源泉は悟性なのですが、悟性が概念生成の段階において純粋直観を使用して概念に内容を持たせているので、内容と対象の一致を確かめられるのは経験的直観の対象に限定されることになるのではないかと、そんなふうに考えています。
    、、、カントって黙々とこんなこと考えてるかもなんて変人に思えます(−_−;)

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