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■25333 / inTopicNo.1)  Re[26]: B141
  
□投稿者/ pipit -(2022/08/03(Wed) 22:44:36)
    訳注は飛ばさせていただいたものの、
    まだB141からの142が続きます!

    が、眠いー頭が働かないので、せめて『カントと無限判断の世界』読みます。

    5ページ目標!!

    おやすみなさーい (-_-)zzz
引用返信/返信 削除キー/
■25332 / inTopicNo.2)  Re[25]: B141
□投稿者/ pipit -(2022/08/03(Wed) 22:41:50)
    訳注部分・・・さっぱりわからないので、飛ばさせていただきます
    m(_ _)m
     
    DeepL翻訳

    [18] 4つの音節的図形の退屈な教義は、定言的な音節論にのみ関係するものである。これは、純粋な三段論法の前提に即時的結論(consequentiae immediatae)を密かに導入することによって、最初の図にあるものよりも多くの結論を導く様式があるように見せかけるための策略に他ならないが、その著者たちが、他のすべてが参照されなければならないものとして、定言的判断を排他的に尊重することに成功していなかったならば、その策略はあまり成功しなかっただろう--ただし、§5によればこの説はまったく誤りである。
引用返信/返信 削除キー/
■25331 / inTopicNo.3)  Re[24]: B141
□投稿者/ pipit -(2022/08/03(Wed) 22:40:06)
    [18] The tedious doctrine of the four syllogistic figures concerns only categorical syllogisms; and although it is nothing more than an artifice by surreptitiously introducing immediate conclusions (consequentiae immediatae) among the premises of a pure syllogism, to give ism give rise to an appearance of more modes of drawing a conclusion than that in the first figure, the artifice would not have had much success, had not its authors succeeded in bringing categorical judgements into exclusive respect, as those to which all others must be referred—a doctrine, however, which, according to § 5, is utterly false.

引用返信/返信 削除キー/
■25330 / inTopicNo.4)  B141
□投稿者/ pipit -(2022/08/03(Wed) 22:31:05)
    みなさま、こんばんは(^ ^)

    No25311に返信(pipitさんの記事)
    > ■No25309に返信(pipitさんの記事)
    >>ちなみに、その箇所の原文の、中山元先生の日訳は、
    >>
    >>『第一九項 すべての判断の論理的な形式は、判断に含まれている概念の客観的な統合のうちから生まれる』
    >>
    >>だったよ!(第二巻p131)
    >
    > ん?
    >
    > 中山先生の方が、、、概念だけ?かな?(中山先生の訳、個人的には好きだけど!(^◇^;))
    >
    > 宇都宮芳明先生監修本での田村一郎先生の訳は
    >
    > 『§19 すべての判断の論理的形式は、判断に含まれている概念の統覚における客観的統一によって成り立つ』
    > でしたー (^_^)

    というわけで、§19!

    I could never satisfy myself with the definition which logicians give of a judgement. It is, according to them, the representation of a relation between two conceptions. I shall not dwell here on the faultiness of this definition, in that it suits only for categorical and not for hypothetical or disjunctive judgements, these latter containing a relation not of conceptions but of judgements themselves—a blunder from which many evil results have followed.[18] It is more important for our present purpose to observe, that this definition does not determine in what the said relation consists.

    DeepL翻訳
    私は、論理学者が与える判断の定義に納得することができませんでした。
    彼らによれば、判断とは、2つの概念の間の関係を表すことである。
    この定義の欠陥についてはここでは触れないが、この定義は定言的判断にのみ適用され、仮説的判断や分離的判断には適用されないという点で、後者は概念の関係ではなく、判断そのものの関係を含んでおり、この誤りから多くの悪い結果が生じている[18]。
    我々の現在の目的にとってより重要なのは、この定義によって、当該関係が何からなるかが決定されていないことに注目することである。
引用返信/返信 削除キー/
■25326 / inTopicNo.5)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/08/03(Wed) 17:57:42)
    おくたがわさん、こんにちは!

    No25319

    今回はじめてライプニッツのモナド説の解説を少しだけ読んだのですが、こんなおもしろい説だったんだ、と、新鮮でした。

    カントの頭の回廊には、ライプニッツさんなどが、、、とうましかさんの上手な喩えがありましたけど、カントにとっては、もう強烈に意識しちゃう存在だったんだろうなと思いました。
    (・・;)
    ど天才の雰囲気。。。
    カント先生はど変人の雰囲気。。。

    >他の部分には、未来に起きるような事柄でも「個体的実体」にとっては必然的といった記述が(自分の読み違いでなければ)
    ラプラスの悪魔を連想させる発想?<

    中山先生訳第3巻p477の中山先生の解説に、
    『このラプラスの魔という理論は、モナドのうちにすべての述語が内在的に書き込まれていて、神はそのすべてをあらかじめ解読できると主張したライプニッツの理論と接近するのは明らかである。』
    とありました。(^_^)

    >あと
    すべて(の個体的実体、人間)が宇宙全体との連関の中にあるとか 他者との関係性の中で成立する一つの結び目とか
    仏教的?<

    私は大乗仏教について無知なのですが、華厳経の世界って、もしかしてそういうかんじ???と想像してしまいました。

    今まで、モナドには窓がない、という言葉だけは目にしてたのですが、
    ??????だったのが、
    今回のことをきっかけに、ほんの少しでもライプニッツさんの凄さを知れて嬉しいです。

    うましかさんがご紹介くださった論文もおもしろかったですね!

    ライプニッツ先生も、勉強する方は、白い霧の中で不思議な感じになるのかもですね
    泥沼よりいいかもー???

    実は、、、私が今読み進めてる演繹論の箇所、、、また論理が出てくるみたいで
    (T ^ T)
    沼に決まってると、まだ、読めてないのですが、、、

    もしかしたら、今話題の論理とシンクロしてる可能性もありますね!
    いえ、、、まだ、、、読んでないので、、、

    _(┐「ε:)_ ダッテヌマダモノ






引用返信/返信 削除キー/
■25321 / inTopicNo.6)  Re:カント側の見た(ライプニッツの)論理的
□投稿者/ おくたがわ -(2022/08/03(Wed) 08:07:32)
    中山元の3巻「ライプニッツ批判」のところを見ると(pipitさん情報により)、うましかさんがリンクされた論文と関連する記述がありました。

    『ライプニッツの根拠律という概念は、主語を論理的に分析してゆけばたどりつける「論理的な根拠」。
    ライプニッツはモナドという概念で、主体の内にすべての述語が書き込まれていると考えた。
    カエサルという主語にはルビコンを渡るという述語が書き込まれていて、この主語(カエサル)を分析してゆけばルビコンを渡るという述語が読み取れるはず。
    これは主体の行為は主体のうちに刻印されていて、それを論理的に分析すれば、述語を解読できると考えるもの。』
    (完全な引用ではありません)

    *****
    それとは別に「ライプニッツ批判」の直前の部分

    『カントは反省の作業を二つに分類する。論理的な反省と超越論的な反省である』
    『論理的な反省は、与えられた像がどのような認識能力に属するものかは全く考慮せず、像が心の中で生まれたものであるということだけで同種のものとして扱う。
    対して超越論的な反省は、像がどのような認識能力に属するかという違いを考慮する』






引用返信/返信 削除キー/
■25319 / inTopicNo.7)  Re[9]: うましかさん、pipitさんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2022/08/03(Wed) 00:12:45)
    2022/08/03(Wed) 06:56:02 編集(投稿者)

    No25203に返信(うましかさんの記事)
    うましかさん、pipitさん こんばんは。

    > 私がカントの「論理的」に躓いているのは、彼がライプニッツを評して言う「論理的」と、ライプニッツの論理?が、どう重なっているかということが未だ明晰判明ではないからだと言えるかもしれません(;´・ω・)
    >
    > とりあえず、こんな論文を発見、読んでみます!
    >
    > ■ 中井裕之 『ライプニッツの論理学的人間存在論 : 新しい教育関係論へ向けて』
    > https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/57501

    そういうことだったのですね。
    論文読んでみました。ライプニッツがこのように論理にこだわっているなら、カントもそれを踏まえて「ライプニッツの論理的な〜」と言っている可能性がありそうですね。何も知らずに失礼しました。

    面白いと思ったところ
    ・真なる命題は必ず主語の内に既に述語が含まれる ---分析的である
    ・必然的真だけでなく偶然的真でも述語は主語に含まれるのだが、系列が無限に複雑に絡まっているため(宇宙全体を問題にしなければならないゆえに)人間には分析できないだけだ。
    (判明性の度合いによる感性・知性の区別の件と似たような…)

    .o0つまり、事実に合致する命題であるならば、経験的・総合的にではなく分析的に真のはずである。

    他の部分には、未来に起きるような事柄でも「個体的実体」にとっては必然的といった記述が(自分の読み違いでなければ)
    ラプラスの悪魔を連想させる発想?

    あと
    すべて(の個体的実体、人間)が宇宙全体との連関の中にあるとか 他者との関係性の中で成立する一つの結び目とか
    仏教的?


    また変なことを言ってたらすみません。

    > ところで、
    >
    > pipitさん( No.25186 )の
    >
    > >ライプニッツ式☆アプリオリな分析判断 か、
    > >カント式☆アプリオリな総合判断 か、
    > >の問題点につながりそうな気がしてます。
    >
    > というセンスに、、、脱帽(;'∀')

    ほんとですね。あの文脈で「ライプニッツ式☆分析判断」と出てくるのは、(*゚0゚*)スッ、スゲー!!
引用返信/返信 削除キー/
■25311 / inTopicNo.8)  田村先生の訳
□投稿者/ pipit -(2022/08/02(Tue) 21:09:51)
    No25309に返信(pipitさんの記事)
    > ちなみに、その箇所の原文の、中山元先生の日訳は、
    >
    > 『第一九項 すべての判断の論理的な形式は、判断に含まれている概念の客観的な統合のうちから生まれる』
    >
    > だったよ!(第二巻p131)

    ん?

    中山先生の方が、、、概念だけ?かな?(中山先生の訳、個人的には好きだけど!(^◇^;))

    宇都宮芳明先生監修本での田村一郎先生の訳は

    『§19 すべての判断の論理的形式は、判断に含まれている概念の統覚における客観的統一によって成り立つ』
    でしたー (^_^)
引用返信/返信 削除キー/
■25310 / inTopicNo.9)  可能性
□投稿者/ pipit -(2022/08/02(Tue) 20:59:01)
    No25307に返信(pipitさんの記事)
    > ■No25305に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    >>>なんでDeepL翻訳はApperceptionを飛ばすのかな?<
    >>その翻訳、あてにならない、っていうことじゃないの?
    >>ひとつの”参考"にはなるかもしんないかもけど。
    >
    > もちろんそう(あてにならない)かもだけど、
    >
    > 実はめっちゃ深いかもだよ、
    >
    > まぁ、意味づけは こちらがしてるかも、だけどね(^ ^)
    >
    >

    DeepL翻訳さんは、Apperceptionを飛ばしたのではなく、Apperceptionを認識し、判断の上で『観念』と訳した可能性もあるかもだね
    (^○^)
引用返信/返信 削除キー/
■25309 / inTopicNo.10)  中山元先生の訳は、、、
□投稿者/ pipit -(2022/08/02(Tue) 20:51:59)
    ちなみに、その箇所の原文の、中山元先生の日訳は、

    『第一九項 すべての判断の論理的な形式は、判断に含まれている概念の客観的な統合のうちから生まれる』

    だったよ!(第二巻p131)
引用返信/返信 削除キー/
■25308 / inTopicNo.11)  Re[20]: AI(人工知能)?
□投稿者/ pipit -(2022/08/02(Tue) 20:48:01)
    wiki『観念』より抜粋引用

    『観念(かんねん、英: idea、希: ιδ&#941;α)は、プラトンに由来する語「イデア」の近世哲学以降の用法に対する訳語で、何かあるものに関するひとまとまりの意識内容のこと。元来は仏教用語。

    「イデア」は、何かあるものに関するひとまとまりの意識内容を指し、デカルトによって近世哲学的な意味で再導入された。』


    で、DeepL翻訳は、

    Apperception of the Conceptions(概念の知覚・統覚)を、
    『観念』と訳した。

    もちろんカント哲学の文脈にピッタリとはまった日訳ではないけど、
    なかなかおもしろい訳だとpipitは思いました(pipit主観)
引用返信/返信 削除キー/
■25307 / inTopicNo.12)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/08/02(Tue) 20:44:06)
    No25305に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > >なんでDeepL翻訳はApperceptionを飛ばすのかな?<
    > その翻訳、あてにならない、っていうことじゃないの?
    > ひとつの”参考"にはなるかもしんないかもけど。

    もちろんそう(あてにならない)かもだけど、

    実はめっちゃ深いかもだよ、

    まぁ、意味づけは こちらがしてるかも、だけどね(^ ^)


引用返信/返信 削除キー/

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