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■24921 / inTopicNo.61)  悪魔ちゃんへ
  
□投稿者/ pipit -(2022/07/17(Sun) 21:23:05)
    悪魔ちゃんこんばんは!
    書き込みありがとう(o^^o)

    No24915
    >だったら、実際はそうでな〈ではない〉んじゃない?
    中島義道さんによると、「超越論的」とは「事実問題」ではなく「権利問題」である、ってすると、[must]を使うのわかる気がするけど。
    あ、もっとも英訳だったね。<

    中山元先生訳のB140(御子柴先生本ではB139)を読んでみたよ!

    カント的には、 
    実際そうなのに、カントの居た哲学界では区別されていないから、〈区別しなければならない〉と記している感じだけど、

    実際そうでないのに、そう主張したいから、[must]を使って、言い張ってる、という見方もできるかもしれないね。

    権利問題のことだけど、この箇所(超越論的演繹論)においての権利問題は、
    アプリオリな概念があるか否かに対してあると言う権利を主張してるのではなく、
    アプリオリな概念使用の正当性の根拠づけ(正当性・合法性の権利があるか否か)だとpipitは思ってます。

    一応このB140より前の箇所で、アプリオリな概念はある、と話を持っていってて、次に、ではその概念が正当に利用されている根拠や保証はある(権利の問題)のか?が、この箇所だと思ってます。

    > 沼の底をもっと深くしようとたくらんでるんだけど、少しは深くできたかな?<

    うん (*_*)

    ありがとう (*^▽^*)♪
引用返信/返信 削除キー/
■24919 / inTopicNo.62)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2022/07/17(Sun) 19:34:28)
    田秋さん、こんばんは!
    書き込みありがとうございます(o^^o)

    No24911
    >ボクも1小節を何時間もさらうことはよくありました(今は根性がないのでもうしませんが)。結局そういう地道な努力が実を結ぶんですよね。<

    そうなんですねΣ(・□・;)
    田秋さんのようなプロの方がそうおっしゃってて、なんか安心しました。

    >COFFEE TIME<
    も、びっくりしました。38億手?!
    楽しい話題をありがとうございます♪

引用返信/返信 削除キー/
■24915 / inTopicNo.63)  Re[14]: 憔悴日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/07/17(Sun) 18:12:25)
    お邪魔しま〜す、pipitさま、

    >こんじょおー(・∀・)<
    っていうのなんか気に言っちゃたら、

    No24908、って、
    What Objective Unity of Self-consciousness is § 14
    It is by means of the transcendental unity of apperception that all the manifold, given in an intuition is united into a conception of the object. On this account it is called objective, and must be distinguished from the subjective unity of consciousness, which is a determination of the internal sense, by means of which the said manifold in intuition is given empirically to be so united.
    についてのつづきのことでいい?

    だとして書いちゃうね。

    and must be distinguished from the subjective unity of consciousness
    の[must]って言うのがわたし気になるのね。
    [must]をわたし〈〜でなければならない〉って訳すんだけど、

    客観の概念のなかに結びつけられた直観によって与えられたすべての多種多様の統覚の超越論的統一である自己意識の統一は主観的意識の統一からはすぐれたもの〈でなければならない〉。
    のかな?

    だったら、実際はそうでな〈ではない〉んじゃない?

    中島義道さんによると、「超越論的」とは「事実問題」ではなく「権利問題」である、ってすると、[must]を使うのわかる気がするけど。
    あ、もっとも英訳だったね。

    田秋さんと違って、わたし悪魔ちゃんだし〜、
    沼の底をもっと深くしようとたくらんでるんだけど、少しは深くできたかな?






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■24911 / inTopicNo.64)  Re[13]: 憔悴日記
□投稿者/ 田秋 -(2022/07/17(Sun) 17:04:06)
    こんにちは、pipitさん

    読解おつかれさまです!内容は難しくてボクにはわかりませんが、pipitさんの努力と根性はよくわかります。ボクも1小節を何時間もさらうことはよくありました(今は根性がないのでもうしませんが)。結局そういう地道な努力が実を結ぶんですよね。

    作家は一文を書くのに膨大な下調べをしますし、将棋の棋士も次の1手を指すのにもの凄い読みを入れます。

    COFFEE TIME
    写真は今行われている棋聖戦というタイトル戦です。最近はAIが評価値というものを出しどちらが有利かを示してくれます。右上に74%とあるでしょう。その左に(1分)とあり、その左に38億手とあります。これはAIが次の1手を1分考えその間に38億手読んだという意味です。何手(何十手)も先まで考えて次の1手を決めるのですが、枝葉があるのですぐに膨大な手数になるのですが、それにしてもね。ボクも将棋を嗜みますが精々5〜7手です^^

600×450

AI.jpg
/90KB
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■24909 / inTopicNo.65)  憔悴日記
□投稿者/ pipit -(2022/07/17(Sun) 15:32:30)
    訳文たった、三文で、読解するために、このボリューム・・・ _(┐「ε:)_

    三文、、、、
引用返信/返信 削除キー/
■24908 / inTopicNo.66)  B139
□投稿者/ pipit -(2022/07/17(Sun) 15:24:58)
    こんじょおー(・∀・)

    No24875 カント原文の英訳文のpipit日訳
    @統覚の超越論的統一によって、直観により与えられる多様が対象の概念に統合される。
    Aそれゆえ、超越論的統一は客観的と呼ばれ、意識の主観的統一とは区別されなければならない。
    B意識の主観的統一は、内的感覚の規定であり、内的感覚よって、統合されるように、直観における多様体は経験的に与えられる。

    ※※※※※※※※※

    (pipit私見)

    @・・・どのレベルで【対象の概念】とカントが言ってるのかわからないのですが、
    ある一つの対象物(認識対象としての1)に、、、pipitの感覚で言えば、、、様々な情報を(変換も込みで)紐づける。
    個々の眼識結果、意識結果、触識結果、などを一つの対象物に集約(統一)させる。

    A・・・@の行為により、【対象物】が出来上がる。それは、行為主にとっての客観的世界を構築するための情報統一である。
    目の前に◯◯があり、左側に△△があり、右側に××がある。
    この『在る』としての対象を作り上げるのが、統覚の超越論的統一なのではないかと、現時点でのpipit感想です。
    そして何処が〈超越論的〉なのかというと、直観の多様は経験的に与えられるけど、その統一への流れ方や途中における概念の関与に、アプリオリな部分があるとする説の箇所がある為に〈超越論的〉と名付けてる。

    B・・・意識の主観的統一は、主体の感情や推測なども交えた経験的情報の認識対象への統一。

    ===========
    ↑pipitの雑感はいい加減なものなので、
    この箇所の御子柴善之先生の解説文を引用させていただきます。↓
    あ!御子柴先生は、この箇所をB139としてる。pipitはB140としてました。失礼しましたm(_ _)m
    ============

    『カント純粋理性批判』御子柴善之先生、p209-210より引用。
    ※冒頭は御子柴先生によるカント原文の翻訳文。その後は御子柴先生の解説文です。

    『統覚の超越論的統一とは、それによって、ひとつの直観において与えられた一切の多様なものが客観の概念へと一つにまとめられることである。それゆえ、この超越論的統一は客観的と呼ばれて意識の主観的統一から区別されねばならない。意識の主観的統一とは内官の規定であり、この内官の規定によって、かの直観の多様なものが主観的に結合されるべく与えられるのである。(B139)

    まずは「統覚の超越論的統一」と対比される「意識の主観的統一」に目を向けましょう。カントは、経験的な場面で主観にどのように直観の多様が与えられるかは、まさに経験的な諸条件に依存するがゆえに、そこに主観が成立させる統一もまた経験的であり、偶然的に過ぎないと指摘します。たとえば、「ドッジボール」という言葉を聞いて、みなさんはなにを思い浮かべるでしょうか。ある人は、小学生時代の快活な体育の授業を表象するでしょうし、他の人は、他人の投げるボールから逃げ惑う陰惨な場面を表象するでしょう。〈ドッジボール〉という表象からなにを連想するかはひとそれぞれです。それでも、各人の主観においては、表象の一定の連関が成立してはいます。各人がそれぞれの経験的条件の下で「統一」しているのです。これが「意識の主観的統一」です。
     次に「統覚の超越論的統一」に目を向けましょう。まず思い出すべきは「超越論的」が「経験的」の対義語であることです。前者はア・プリオリな認識の可能性にかんして用いられる用語です。次に思い出すべきは、初版で演繹論は内官に即して展開されると注意されていたことです。(A98f.)。内官のア・プリオリな形式は時間です。この時間においてア・プリオリに直観の多様なものがそれとして分節化されます。このような直観は意識のことがらですから、それに対して、あらゆる表象に伴うことができるはずの、〈私は考える〉という根源的統覚が必然的にかかわります。そこにカントは「統覚の超越論的統一」の可能性を見ているのです。
     カントがここに導入した対比によって、「統覚の超越論的統一」が「意識の主観的統一」とは異なることが伝わったことでしょう。しかし、後者のイメージは明瞭なものの、それに比して前者はいまなお不分明ですし、なにより前者が「客観的」であることが十分に明らかにされたとは言えません。この課題は次節に引き継がれます。』
    引用終了

引用返信/返信 削除キー/
■24881 / inTopicNo.67)  Re[10]: 日記
□投稿者/ pipit -(2022/07/16(Sat) 06:44:01)
    No24876に返信(pipitさんの記事)
    > 客観的統一と主観的統一
    >
    > 考察はまた後で。。。

    今思ってるのが、
    個人が頭の中で作るマップ(地図)

    2種類(客観マップと主観マップ)作成する工程。

    地図には対象物が配置されますね。
    (個人的に勝手にウィトさん思い出しちゃうなー)

    本読んだりしたいけど、本日お仕事行ってきまーす
    (T ^ T)クッ、アリガタヤー(二律背反気持ち)
引用返信/返信 削除キー/
■24876 / inTopicNo.68)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/07/16(Sat) 00:26:08)
    客観的統一と主観的統一

    考察はまた後で。。。

    おやすみなさい!(( _ _ ))..zzzZZ
引用返信/返信 削除キー/
■24875 / inTopicNo.69)  B140
□投稿者/ pipit -(2022/07/16(Sat) 00:17:57)
    2022/07/16(Sat) 00:20:47 編集(投稿者)
    2022/07/16(Sat) 00:18:30 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんは。沼世界へ。。。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap45

    に進みます。B140です。
    日訳はいろんなものを参考にさせていただいてのpipitの訳です。

    It is by means of the transcendental unity of apperception that all the manifold, given in an intuition is united into a conception of the object.

    統覚の超越論的統一によって、
    直観により与えられる多様が対象の概念に統合される。

    On this account it is called objective, and must be distinguished from the subjective unity of consciousness, which is a determination of the internal sense, by means of which the said manifold in intuition is given empirically to be so united.

    それゆえ、超越論的統一は客観的と呼ばれ、意識の主観的統一とは区別されなければならない。

    意識の主観的統一は、内的感覚の規定であり、内的感覚よって、統合されるように、直観における多様体は経験的に与えられる。

引用返信/返信 削除キー/
■24861 / inTopicNo.70)  Re[7]: 超越論的感性論 第八項:\−3
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/07/14(Thu) 18:49:58)
    ■24852、
    >『現象は、基本的には、認識の客観的妥当性を主張しうる対象、あるいは領野を示している。』『カント事典』p156黒崎政男先生<
    pipitさま、ありがとございま〜す。
引用返信/返信 削除キー/
■24852 / inTopicNo.71)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/07/13(Wed) 20:15:37)
    悪魔ちゃん、こんばんは!(^○^)

    No24846に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔しま〜す
    >
    > No24658
    > 「認識」と「意識」については、pipitさま個人の場合、>あんまし区別してない<みたいだけど、
    > ひとまず、了解で〜す。
    >
    > で、もうちょっと聞いちゃうね。
    > (1)「現象」についてのpipitさま個人のイメージはどんなのかしら?<

    pipitの場合は、現象というと、現れているものみんな,って感じやね。

    > (2)カントの言う「現象」(日本訳だけど)はどういうんだとpipitさまの場合見てます?<

    あ、黒ちゃんの見ちゃった。
    『現象は、基本的には、認識の客観的妥当性を主張しうる対象、あるいは領野を示している。』
    『カント事典』p156
    黒崎政男先生

    pipit、黒ちゃん先生の見ちゃったから。。。
    カントにとっては、客観的妥当性を主張しうる対象、Σ(・□・)なんかぁ、と。
    今のところ、そう思ってしまう。(盲信するのではなく、そう言われれば、考えてみればそんな気がする、みたいな。)


    > の、二つなんだけど。
    > No24835に「現象」っていう訳語出てきてるし。<

    うん。

    いつでも自由に書き込んでねー(o^^o)
    いつもありがと!
引用返信/返信 削除キー/
■24846 / inTopicNo.72)  Re[5]: 超越論的感性論 第八項:\−3
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/07/13(Wed) 19:19:36)
    お邪魔しま〜す

    No24658
    「認識」と「意識」については、pipitさま個人の場合、>あんまし区別してない<みたいだけど、
    ひとまず、了解で〜す。

    で、もうちょっと聞いちゃうね。
    (1)「現象」についてのpipitさま個人のイメージはどんなのかしら?
    (2)カントの言う「現象」(日本訳だけど)はどういうんだとpipitさまの場合見てます?
    の、二つなんだけど。
    No24835に「現象」っていう訳語出てきてるし。

引用返信/返信 削除キー/

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