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■16991 / inTopicNo.49)  pipitさんへ
  
□投稿者/ みのり -(2021/09/30(Thu) 18:22:36)
    2021/09/30(Thu) 18:55:39 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんは。

    > もし私たちが客観的な判断を下すことができると考えるのであれば、そうしたさまざまな主観的な意識を包み超えた、あるいはそうした主観的な意識に通底する「意識一般」が権利上、考えられねばなりません。

    ここ、難しく考えず、このまま受け止めるというのはどうなのかな、と
    思ったんです。 そうすると、意外と受け止められる気が・・・
    権利上って書いてあるし、科学的に考えた時の意識の働きがそうであるか否かは
    また別として、というか。


    現代の私たちが考える「意識」というものと、まだいろいろと研究も
    なされていなかったカントの時代の「意識」についての観方は、現代
    の人間にはちょっと違和感もあるものだったのかな、と思ったのでした。

    あくまで私の感じたものです〜。
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■16904 / inTopicNo.50)  Bewuβtsein ueberhaupt 沼メモ
□投稿者/ うましか -(2021/09/28(Tue) 00:38:11)
    2021/09/29(Wed) 22:25:44 編集(投稿者)

    "Bewuβtsein ueberhaupt"(意識一般)について。

    『カント事典』(p.15〜p.16)に「意識一般」についての項あり。渡邊二郎による解説。渡邊の解説のなかで『プロレゴーメナ』について言及されていたため試しに検索。

    https://www.projekt-gutenberg.org/kant/prolegom/prolegom.html

    たぶん鈴木大拙と関係あるPaul Carusによる英訳はこちら↓

    https://www.gutenberg.org/files/52821/52821-h/52821-h.htm

    『純粋理性批判』よりもおそらく多く、"Bewuβtsein ueberhaupt"という表現自体は『プロレゴーメナ』の§20、§22、§26、§29にみられた(ただし全て「意識一般」と訳されているわけではない)。

    ここで御子柴善之『カント哲学の核心 − 『プロレゴーメナ』から読み解く』を紐解くと、p.128〜「経験一般の分析 − 意識一般の析出」で説明される。ここでも御子柴によって「権利上、〜」とか「包み越える(超える)」という表現がされていることが気になった。

    とにかく、ここだけ読んでも分からないので、p.119〜「二 知覚判断と経験判断(§18、§19)」と続くp.127〜「三 いかにして経験判断は可能か (§20、21、21a、22)」から読んでみまーす(;・∀・)




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■16899 / inTopicNo.51)  意識一般
□投稿者/ pipit -(2021/09/27(Mon) 21:09:35)
    もう一つ考えたのは、『あつまれどうぶつの森』みたいなゲーム空間があるとして、
    客体の客観としての統一は、一つのサーバー上にアクセスしてる、みたいな、
    でも、これは、おそらく異端的思考のやうな。。。

引用返信/返信 削除キー/
■16898 / inTopicNo.52)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/09/27(Mon) 20:45:04)
    うましかさん、こんばんはー!

    困ってしまいますよねー (・ω・`)

    沼。。。。。

    個別のそれぞれのイチゴを包み超えた、イチゴ一般、って言い方は論理学として可能なのかなぁ?
    もし、こういう↑意味で包み超えた、なら、
    個性のない意識の働き(個別性を包み超えた意識)、が、普遍的に人間なら働く、みたいな意味の解説文章なのかなぁと思ったり。

引用返信/返信 削除キー/
■16876 / inTopicNo.53)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2021/09/27(Mon) 19:22:53)
    2021/09/27(Mon) 19:38:31 編集(投稿者)
    pipitさん、こんばんはー

    *******

    No16854に返信(pipitさんの記事)
    > 2021/09/27(Mon) 12:12:40 編集(投稿者)
    >
    > No.16821
    > 御子柴善之泉 
    >
    > 沼山に湧き出る善之泉で癒やしのひと時を。。。
    > あれ?気のせい?何か見えた気が。。。
    > &( 'Θ' )&
    >
    > 『シリーズ世界の思想カント純粋理性批判』御子柴善之先生著、p213より引用
    > ※御子柴善之先生の解説文章です。↓
    > 『さて、§19で論じられたように、判断は「統覚による客観的統一」を目がけて下されます。
    >
    > それが引用文中では、「多様なものはこうした論理的諸機能によって意識一般へともたらされる」と表現されています。ここに「意識一般」という概念があらたに登場します。
    > これはどのような意識でしょうか。
    >
    > 私たちは、「私の意識」や「あなたの意識」という主観的な意識にとどまっている限り、客観的な判断を下すことはできません。
    > もし私たちが客観的な判断を下すことができると考えるのであれば、そうしたさまざまな主観的な意識を包み超えた、あるいはそうした主観的な意識に通底する「意識一般」が権利上、考えられねばなりません。
    > つまり、客観的判断は意識一般を目がけて下されるのです。
    > 「意識一般」はこのように普遍的な意識であると考えられます(この「意識一般」は、突き詰めて考えれば、「純粋統覚」あるいは「根源的統覚」の別名であることが理解できます)。』
    > 引用終了
    >
    > ⊂((・x・))⊃ んん?
    > どういう意味やろう???

    *******

    >私たちは、「私の意識」や「あなたの意識」という主観的な意識にとどまっている限り、客観的な判断を下すことはできません。
    もし私たちが客観的な判断を下すことができると考えるのであれば、そうしたさまざまな主観的な意識を包み超えた、あるいはそうした主観的な意識に通底する「意識一般」が権利上、考えられねばなりません。<



    (;´・ω・)うーーーーん???


    "権利上"考えられるってどう意味でしょうか。

    権利上、、、←コレ気になります。

    ところで、もし私が自分一人の思い込み(主観)から脱却し、より客観的な判断をしようとするならば、私以外の誰かの主張を多く参考にするとか、あるいは客観性が担保された情報を参考にするとおもいます。

    その場合、私(の意識)を"包み超えた"「意識(一般)」なんて考える必要あるのだろうか?確かに、私(だけ)じゃない、判断の主体(主語)subjektは必要かもしれないけど。

    あるいは、主観的な意識を"包み超えた"、そうした主観的なsub-jektiv意識に"通底する"Sub-stanz が必要なんだということなのかな…





    分からないなー

    沼だなー(´;ω;`)ウッ…


引用返信/返信 削除キー/
■16875 / inTopicNo.54)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/09/27(Mon) 17:57:11)
    いえいえ、いろんなものの見方はとても参考になります、
    ありがとうございます!

    カントのせいです。。。。

    ややこしい構造の認識論をわかりにくい文章で説くカントの。。。

    というと、カント先生に怒られそうなので、がんばってみまーす

    いつでも書き込みしてくださいねー\(^o^)/
引用返信/返信 削除キー/
■16874 / inTopicNo.55)  Re[14]: 南 直哉(みなみ じきさい)
□投稿者/ みのり -(2021/09/27(Mon) 17:54:11)
    お写真も拝見してきました。^^ 教えて頂いてありがとうございました。
    古代中国の禅僧は、名前からしてとても怖そうな風格ありそうな人が多いです。 

引用返信/返信 削除キー/
■16872 / inTopicNo.56)  Re[7]: Bewuβtsein uberhaupt意識一般
□投稿者/ みのり -(2021/09/27(Mon) 17:50:57)
    >それが引用文中では、「多様なものはこうした論理的諸機能によって意識一般へともたらされる」と表現されています。ここに「意識一般」という概念があらたに登場します。
    >これはどのような意識でしょうか。

    >私たちは、「私の意識」や「あなたの意識」という主観的な意識にとどまっている限り、客観的な判断を下すことはできません。
    >もし私たちが客観的な判断を下すことができると考えるのであれば、そうしたさまざまな主観的な意識を包み超えた、あるいはそうした主観的な意識に通底する「意識一般」が権利上、考えられねばなりません。
    >つまり、客観的判断は意識一般を目がけて下されるのです。
    >「意識一般」はこのように普遍的な意識であると考えられます(この「意識一般」は、突き詰めて考えれば、「純粋統覚」あるいは「根源的統覚」の別名であることが理解できます)。』

    pipitさん、すみませ〜ん。 さっき投稿したのはレスもいただいてるので
    削除はしませんが、根本的に間違えてたと気づきました。(;'∀')

    というのは、「純粋統覚」「根源的統覚」というのは、認識したことや心に
    浮かんだことなどを「私が」したこととしてまとめている働きのことなのですものね。
    なんかへんだな〜、と後から思い出したのです。
    前にそんなふうに記憶したって後から思い出しました。 で、今、投稿。

    でもそうすると、↓ これを言うのはなぜなの?となってしまう。(私だけかも
    だけど)

    >私たちは、「私の意識」や「あなたの意識」という主観的な意識にとどまっている限り、客観的な判断を下すことはできません。
    >もし私たちが客観的な判断を下すことができると考えるのであれば、そうしたさまざまな主観的な意識を包み超えた、あるいはそうした主観的な意識に通底する「意識一般」が権利上、考えられねばなりません。

    さきほどの私の投稿は、きれいさっぱりと忘れていただけると嬉しいです。
    (なんて身勝手な〜。 すみません。)
引用返信/返信 削除キー/
■16865 / inTopicNo.57)  南 直哉(みなみ じきさい)さんでしたー。
□投稿者/ pipit -(2021/09/27(Mon) 13:09:10)
    No.16863

    >禅のイメージとしては、南さん(だったかな?)です。<

    わたしの勝手な脳内禅僧イメージは、
    南 直哉(みなみ じきさい)さんが浮かびます。

    wikiより抜粋引用
    『南 直哉(みなみ じきさい[注釈 1]、1958年 - )は、日本の曹洞宗の禅僧[2]。福井県霊泉寺住職[3]、青森県恐山菩提寺院代(山主代理)[2]。

    長野県出身[2]。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度[2]。同年に曹洞宗大本山永平寺に入山し、同寺で約20年の修行生活を送る[2]。2003年に同寺を下山[4][3]。青松寺に立ち上げた超宗派の若手僧侶の修行道場「獅子吼林サンガ」主幹を経て、霊泉寺住職および恐山菩提寺院代[5]。2018年、『超越と実存』で第17回小林秀雄賞を受賞[6]。』


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■16863 / inTopicNo.58)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/09/27(Mon) 12:18:25)
    No.16860
    >こちらこそありがとうございます。
    カントもおもしろいとは思うんだけど、細かいのがどうも性にあわなくてねぇ。。
    pipitさんは、テーラワーダとかの細かいの好きだもんね。^^
    私は不立文字の禅が仏教では好きだし。<

    そうなんですよねぇ。困ってますが好きなんですねー(。-_-。)コマカイ
    前にパニチェさんともお話ししたんですけど、禅もかっこいいけどビビリのわたしには怖いんですよねー
    禅のイメージとしては、南さん(だったかな?)です。カッコこはい。
    後で調べてみます。

    >あ、「気づき」でなくても、「スクリーン」でも同じです。
    一つの意識に無数のストーリーが上演される。<

    ありがとうございます!
    いろんな可能性考えながら読んでみますね!
    感謝です(*^▽^*)
引用返信/返信 削除キー/
■16862 / inTopicNo.59)  pipitさんへ
□投稿者/ みのり -(2021/09/27(Mon) 12:15:24)
    >最初の書き込みだと、カント本人の文章か否かわからないと思うので、訂正しておきますね。
    >すみません!

    うん。あくまでその先生のカント解釈ということですね。^^
    そんなふうに理解してましたよ〜。

    丁寧にありがとう〜。

引用返信/返信 削除キー/
■16861 / inTopicNo.60)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/09/27(Mon) 12:10:08)
    あ!すみません、
    No.16854
    は、カントの文章の引用ではなく、御子柴善之先生の解説文章の引用なんです。
    御子柴善之先生の解釈ということですね。

    最初の書き込みだと、カント本人の文章か否かわからないと思うので、訂正しておきますね。
    すみません!

    でも、私、御子柴善之先生のことすごく信頼してるんですよねー
引用返信/返信 削除キー/

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