| 2021/09/30(Thu) 18:55:39 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんは。
> もし私たちが客観的な判断を下すことができると考えるのであれば、そうしたさまざまな主観的な意識を包み超えた、あるいはそうした主観的な意識に通底する「意識一般」が権利上、考えられねばなりません。
ここ、難しく考えず、このまま受け止めるというのはどうなのかな、と 思ったんです。 そうすると、意外と受け止められる気が・・・ 権利上って書いてあるし、科学的に考えた時の意識の働きがそうであるか否かは また別として、というか。
現代の私たちが考える「意識」というものと、まだいろいろと研究も なされていなかったカントの時代の「意識」についての観方は、現代 の人間にはちょっと違和感もあるものだったのかな、と思ったのでした。
あくまで私の感じたものです〜。
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