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Re[6]: Bewuβtsein uberhaupt意識一般
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□投稿者/ pipit -(2021/09/27(Mon) 10:58:05)
| 2021/09/27(Mon) 12:12:40 編集(投稿者)
No.16821 御子柴善之泉
沼山に湧き出る善之泉で癒やしのひと時を。。。 あれ?気のせい?何か見えた気が。。。 &( 'Θ' )&
『シリーズ世界の思想カント純粋理性批判』御子柴善之先生著、p213より引用 ※御子柴善之先生の解説文章です。↓ 『さて、§19で論じられたように、判断は「統覚による客観的統一」を目がけて下されます。
それが引用文中では、「多様なものはこうした論理的諸機能によって意識一般へともたらされる」と表現されています。ここに「意識一般」という概念があらたに登場します。 これはどのような意識でしょうか。
私たちは、「私の意識」や「あなたの意識」という主観的な意識にとどまっている限り、客観的な判断を下すことはできません。 もし私たちが客観的な判断を下すことができると考えるのであれば、そうしたさまざまな主観的な意識を包み超えた、あるいはそうした主観的な意識に通底する「意識一般」が権利上、考えられねばなりません。 つまり、客観的判断は意識一般を目がけて下されるのです。 「意識一般」はこのように普遍的な意識であると考えられます(この「意識一般」は、突き詰めて考えれば、「純粋統覚」あるいは「根源的統覚」の別名であることが理解できます)。』 引用終了
⊂((・x・))⊃ んん? どういう意味やろう???
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