| こんにちは
悪魔ちゃんの今見てる認識から、『概念』を取り除き、残ったものが【カント的直観】だとわたしは今のところ思ってるんだよね。
ただ、その光景を覗こうと思っても、わたしにはめちゃ難しいよ。
概念がすぐに働く。
すごく微妙なところなんだ。
概念に整理された直観しかわたしたちは認識できないのか。
概念を除いた直観を、『見る』ことは叶うのか。
概念を【把握】、、うーん分別かなぁ、としたとき、色の違いや濃淡をもう把握(分別)してる。
認識は生成されたものなのか、生成中は認識できないのか、
コトバ 把握 概念 そして感性
カント的には、感性と知性が協働して、はじめて【認識】が生じるみたい。
カントの言葉として以下のものがあるそうだよ。 『たんなる純粋悟性や純粋理性からする物の認識は、すべて単なる仮象にほかならず、真理は経験のうちにのみ存する。(『プロレゴメナ』付録、同)』 黒崎政男先生著、『カント『純粋理性批判』入門』p68より引用。
感性の重要性。。。
ただ、カントって、とため息つきたくなるのは、 理性一辺倒に傾きたいように見える文章もでてくるようなんだけど、それが晩年の文章で、認知症ゆえなのか、認知症発症前の時点での探究のいく先なのか、これまた各読者の内にいろいろな評価を生んでるみたい。 年代も、書き留めてきたものだ、とか、最晩年期だ、とかね。
いろんなことが判明しても、結局は自分がどう生きるか、が大切なんだろうけどね。
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