□投稿者/ みのり -(2021/09/27(Mon) 12:07:29)
| ■No16857に返信(pipitさんの記事)
> そうですよね、なんか、わたしもみのりさんと同じような印象受けてしまいます。
話としては通じたようでよかったです。 理解してもらえないかな〜。。 とも思ったのね。(半々ぐらいでした。)
> でも、カントの文章はめちゃめちゃわかりにくくて(T ^ T) > > カントの文章の解釈として、慎重に行かなければという思いなのですが、 > カントは天然的だと思うのですが、多義に解釈できる記述になってしまってる印象を受けます。
わざと多義に解釈できるようにしているわけではなく、普遍性のあるものを 組み立てていこうとすると、そうなってしまったのかな、もしかしたらね。 今、そんなふうに思いました。
> 私見なのですが、これは仏教のパーリ経典についても同様に思っています。 > (多義に解釈しても解釈者一人一人の益になることを目指して仏典は紡がれてると思っています。抜苦のために説かれている、残されている、と。) > 石飛先生が研究されている『空』という言葉が思い浮かびます(^-^)
お〜、なるほどね。 ニーチェもそしたらそうかも。 解釈は読む人に委ねるということで。
> みのりさんが書いてくださったことも含め、読んでみますね、 > ありがとうございます! > (*^▽^*)♪♪♪
こちらこそありがとうございます。 カントもおもしろいとは思うんだけど、細かいのがどうも性にあわなくてねぇ。。 pipitさんは、テーラワーダとかの細かいの好きだもんね。^^ 私は不立文字の禅が仏教では好きだし。
あ、「気づき」でなくても、「スクリーン」でも同じです。 一つの意識に無数のストーリーが上演される。
では〜。
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