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■11618 / inTopicNo.37)  Re[60]: 非反省的な生
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/28(Sun) 19:07:20)
    ■11617の「題名」まちがえちゃった。ごめんなさい。
    「反省的な生」じゃなくて、「非反省的な生」に訂正。
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■11617 / inTopicNo.38)  Re[59]: 反省的な生
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/28(Sun) 18:58:55)
    ちょっと現象学に戻るね。

    No11411の(MP-4-2)
    【…世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。…】

    No11467の(MP-7)
    【根本的な反省とは、非反省的な生に対する、反省自身の依存性を自覚することなのだ。非反省的な生こそ、反省の出発状況であり、恒常的な状況でもあり、終局の状況でもある。】

    ほかにメルポンは
    【…私はあるとき反省しはじめたのであり、私の反省は、反省されていないものへの反省である。反省は、おのれが出来事であることを、知らないわけにはいかない。それだから反省は、真の創造として、意識の構造における変化として、自己自身に現れる。主観が自己自身に与えられているのだから、主観に与えられている世界を、反省は反省自身の働きの手前にあるものと、認めなくてはならない。…】(MP-9)
    とも言ってる。

    メルポンの言う「反省」っていうのはデカルトの『省察』と絡まってる。

    No10665の第一省察(D-1)でデカルトは【私は、すでに幾年か前のことになるが、こう気づいたのである。幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっていることか、…】だった。メルポンが言ってるように、
    【私はあるとき反省し始めた】のよね。

    おそらくデカルトは大きくなるなかで科学のお勉強いっぱいしたんだと思う。「幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっている」は“そこから”(科学的見方から)なんだと思う。
    たしかわたし、デカルトの“したい”は〈真なるものを見つけたい〉って見たんだった(No10685)。そして彼も科学の知識は真正なものって信じてたんだと思う。

    (FD)でこんなことを言ってる
    【…デカルト自身は初めから、学問についての理念を持っていた。それは幾何学あるいは数学的自然科学という理念だった。この理想は、宿命的な先入観として幾世紀ものあいだ人々を支配しつづけ、批判的な考察が加えられないまま、デカルトの省察をも規定していた。普遍的な学問は演繹体系という形態をとらねばならず、そこでは全体の構造は幾何学の秩序に従って、演繹を絶対的に基礎づける公理論的な土台の上に立てられねばならない、ということはデカルトにとって、初めから当然のことだった。彼にとって、幾何学において幾何学的な公理が果たしたのと同様の役割を普遍学において果たしたのは、生まれつき公理的な原理を持っている我(エゴ)の絶対的な自己確実性、という公理だった。ただ、この公理的な基礎は、幾何学の公理的な基礎よりももっと深くにあり、幾何学の究極的な基礎づけにも関与する、という使命をもっていた。】(FD-6)

    デカルトもアポステリオリに獲得した「数学的自然科学」を〈自明なこと〉としちゃったのかもしれない。

    現象学は、科学のような認識(真正な知識)も、「非反省的な生」、「この世界との素朴な触れあい」があってはじめて成り立ってるって見てて、だからその原初的世界を解明しようとしてるだと、わたし見てる。

    うん!「反省的な生」って、わたしのこと。

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■11613 / inTopicNo.39)  Re[58]: 乳幼の頃
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/28(Sun) 16:14:38)
    No11562で、わたし「理性」を〈分ける性〉ってしちゃったんだけど、No11532を見て見る。

    心理学っていう科学じゃなくても、生後2年目で、たとえば「マンマ」「ママ」「パパ」「ブーブー」「イス」などと発語するようになるっていうこと、これ一般的事実だと思う。No11411の(MP-4)で【人間と世界とを理解するには、それらの「事実性」から出発するほかないと考える哲学でもある】ってメルポンは言ってるし。

    んでね、「マンマ」「ママ」「パパ」「ブーブー」「イス」は、世界のうちに“分けてる”ってうことじゃないかしら。この頃にすでに〈分け〉ができるようになってる。そして「ママ、ブーブー」よね。「ブーブー、ママ」じゃなくて。もう〈順序〉もできてる感じ。

    乳幼の頃だし、こういうのって誰からか教わったんじゃなくて“自然と”なんだと思う。一般に、ひとに生まれつき備わってるもの(アプリオリなもの)としての理性(分け・順序という性)によって、世界は知られてゆく、ってわたしこう見たんだけど。

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■11596 / inTopicNo.40)  Re[57]: 「分ける」っていうこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/27(Sat) 16:41:27)
    〔人は世界を、分類・秩序・体系化という仕方によって理解しようとしてる〕(U)
    っていうのどこかで見たことあって、そうだな〜ってわたし思ってる。

    ひとが「理解できた」って思えるのは、まず〈分類〉できた(分けられた)、っていうことから始まるのかもしれない。そして次にその〈分類されたもの〉を秩序づけ、〈体系化〉してゆくっていうことになるんかな。

    だから、たとえば哲学者の書物を読んで彼らがなに言ってるのかを理解したいとき、まず、その哲学者が〈何のうちで、どのように分けているのか〉を見つけ出すのがいいのかもしれないって、このごろ思ってる。

    わたしのこれまでの経験のうちでの“分け方”と、“その哲学者の分け方”が根本から異なってるとしたら、そしてそこから出発して秩序づけられ、体系化しようとしていることが、わたしにとっては〈分からない〉っていうことになるのかもしれない。

    この頃、この「分け」についていろいろ調べて、わたしのはどうしようかな、っていうのを考えてるんだけど、けっこう手間取ってる。

    でも、メルポンのを読んでそれを知ろうとするなかで、相互主観的にわたしに思われたのが、

    「分け」には、「分類」と「分節」っていう2つがあるんじゃないか、っていうことね。

    これについてはもうちょっと上手に表言できるようになってからにする。

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■11580 / inTopicNo.41)  Re[56]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/26(Fri) 19:38:47)
    感性的意味に、思考は言葉を探し、それを何とか言い表そうとする。

    なんか、メルポンのフィロソフィア、上手に表言できた感じ〜、って自我自賛。
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■11566 / inTopicNo.42)  Re[55]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/25(Thu) 19:41:29)
    もし、ひとの意識(精神)について思考するなら「感情」っていうの、はずせないって思うんだけど。
    あ、もっともここ「知性」だけが主なら話は別なんだけど。
    もしそうだとして、だからね、No11195で話題したように「知ること」っていうことがどうことなのかがわたしにとっては問題なのね。

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■11565 / inTopicNo.43)  Re[54]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/25(Thu) 19:29:15)
    「感情」ってなあに?って感情主義者に聞いたときに、なんて答えるのかしら?
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■11564 / inTopicNo.44)  Re[53]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/25(Thu) 19:20:24)
    イチゴって品種改良されていろんな品種出回ってるよね。
    いろいろなのわたし食べてるけど、ふと思うのね。
    イチゴってなあに?って。

    科学に培養されたの、「イチゴ」だけじゃなくて、「私」も、なのかもね。

    日本じゃ「哲学」も「科学」の一つ。
    ま、これはこれで「真理」であるべきね。
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■11563 / inTopicNo.45)  Re[52]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/25(Thu) 18:36:30)
    すべてのひとが、本当に知りたがってるのはなんなのかしね。
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■11562 / inTopicNo.46)  Re[51]: 「理」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/25(Thu) 18:22:34)
    でね、「理」をネットで調べて見たのね。

    1物事の筋道。条理。道理。
    2わけ。理由。

    「理」を説明するのに「理」が入ってちゃダメよね。だから「物事の筋道」とか「わけ」になるよね。
    どうもいつのまにか哲学では「真偽善悪」っていう判断を、「物事の筋道」「わけ」に入れちゃってるみたいだけど、そういう大昔の哲学者の先入見をなくしちゃって、単に「物事の筋道」「わけ」として見るよ。

    「理性」を〈物事の筋道を立てる性〉とか〈わける性〉ってして、「筋道」を〈順序〉ってしてみると、なにかとなにかの順序。なにかとなにかっていうのはわけられたもの。
    だから、わたし「理」を〈わけ〉、〈分けること〉っていう意味としちゃった。

    「理性」っていうのこのような意味として見ると、「乳幼の頃にも理性はある」ってなったんだけど。

    ん?これって、独断と偏見?
    でもね、
    No11467(MP-7)でこんなこと書いてあったよね、
    【哲学者は世人や科学者たちが知っていると信ずるものを、何によらず、既知のこととは見なさない。哲学がかつて真理をいいえたにせよ、かかる真理おいても、哲学は自己の知識を既知のものと考えるべきではない。哲学とは哲学自身の出発点に立ち帰って、繰り返しこれを体験し直すことである。】
    って。

    思考はご自由に、っておもしろいよね。

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■11555 / inTopicNo.47)  Re[50]: 「理性」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/24(Wed) 21:23:43)
    まえにちょっと話題した「理性」っていうのなんだけど。もういちど乳幼の頃に遡ってそのうちで見て見るね。

    わたしの参考書より、
    「理性」
    〔物事を筋道立てて論理的に正しく考え、真理と虚偽、善と悪を判断する能力。
    古代ギリシアから人間は理性的動物と定義され、理性はすべての人間に共通した普遍的な思考能力とされた。近代哲学の祖デカルトは、「良識(理性)はすべての人に平等に与えられている」と説いた。
    カントは理論理性と実践理性とに分け、理論理性は客観的世界についての真理を追究し、実践理性は善を実践して道徳的世界を建設すると説いた。人間は理性によって自然の客観的な法則を発見し、法や道徳をつくって人間社会形成し、自然の威力や神への服従から独立して、みずから思考・判断し、自己の責任で行動する自律的で自由な人格となる。〕

    「真理truth」
    〔理性的なすべての人間が認める、普遍的な知識や判断。
    真理の特徴としては、第一にそれが主観的な思い込みや判断ではなく、個人の好悪や感情、時代や民族の違いをこえて人類に普遍的に妥当し、すべての人を納得させる普遍性をもつこと、第二に理性に基づいて考えれば誰もが理解できる明晰な論理性・合理性をそなえていること、第三に客観的な事実に裏づけられた実証性をもつこと、などがあげられる。
    哲学においては、古代からの真理の基準を外界の現実に置き、人間の認識が外の世界と一致することが真理であるとする伝統的な真理観があったが、近代になると真理の基準を人間の認識方法に求め、理性的な思考法則に一致することが真理であるとする真理であるとする合理的な真理観が生まれた、また、真理の基準をその判断もたらす成果に置くプラグマティズムの真理観などがある。宗教では、超自然的な神の啓示に基づく信仰の真理が説かれる。〕

    「合理主義(理性主義)rationalism」
    〔世界や人生には理性が支配していると考え、その理性に従って思考・行動する立場。
    外部の世界を支配する理性的法則が、人間の精神の内部にある理性と同一であることを前提とし、外界の理法を人間の理性が認識するところに合理的認識が成立するとする。合理主義は理性に合うものを真理として認め、非理性的なものは認識の範囲外に置くか、またはいつか高い次元で理性化できるものと考える。しかし、合理主義は理性が処理できない不合理なものに直面すると、理性的思考を放棄して、神秘主義や迷信や熱狂におちいる場合がある。科学が兵器の開発に応用され、それが憎悪や恐怖から野蛮な戦争に使用される場合などがその例である。〕

    これによると、
    「理性」とは、「物事を筋道立てて論理的に正しく考え、真理と虚偽、善と悪を判断する能力」
    「真理」とは、「理性的なすべての人間が認める、普遍的な知識や判断」
    っていうことは、「真理」っていうのは「理性的ではない人」には関係なくなるのかな?
    あ、こういう方向で考えてゆくんじゃなかった。つい培養されちゃたわたしの慣れがその内において思考の方向を規定されちゃった。こんなじゃ面白くない。わたしNo11327で、>わたしは合理主義じゃない、っていうことから<って書いたんだっけ。

    「理性」っていうの、乳幼の頃にあるのかしら?

    わたし、上記のような意味での「理性」っていうの、乳幼の頃にはまだないと思ってる。
    でも、なにも「理性」の意味を上記のようなものとしておかなくちゃダメ、っていうことでなくてもいよね。

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■11537 / inTopicNo.48)  Re[49]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/23(Tue) 21:01:33)
    「生きる」って、どういうこと?
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