| 〔人は世界を、分類・秩序・体系化という仕方によって理解しようとしてる〕(U) っていうのどこかで見たことあって、そうだな〜ってわたし思ってる。
ひとが「理解できた」って思えるのは、まず〈分類〉できた(分けられた)、っていうことから始まるのかもしれない。そして次にその〈分類されたもの〉を秩序づけ、〈体系化〉してゆくっていうことになるんかな。
だから、たとえば哲学者の書物を読んで彼らがなに言ってるのかを理解したいとき、まず、その哲学者が〈何のうちで、どのように分けているのか〉を見つけ出すのがいいのかもしれないって、このごろ思ってる。
わたしのこれまでの経験のうちでの“分け方”と、“その哲学者の分け方”が根本から異なってるとしたら、そしてそこから出発して秩序づけられ、体系化しようとしていることが、わたしにとっては〈分からない〉っていうことになるのかもしれない。
この頃、この「分け」についていろいろ調べて、わたしのはどうしようかな、っていうのを考えてるんだけど、けっこう手間取ってる。
でも、メルポンのを読んでそれを知ろうとするなかで、相互主観的にわたしに思われたのが、
「分け」には、「分類」と「分節」っていう2つがあるんじゃないか、っていうことね。
これについてはもうちょっと上手に表言できるようになってからにする。
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