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No11411 の記事


■11411 / )  Re[30]: What do I want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/14(Sun) 13:29:31)
    またなんか話が細かいところへ進んじゃってる〜、
    ちょっとNo11345あたりまで戻ります。

    メルポンの、
    【現象学とは何か。フッサールの最初の諸著作が世に出てからもう半世紀もたつのに、今なおこんな問いをたてなければならないことは、一見、奇妙なことと思われるかも知れない。しかしこの問いはまだ解決されていはいない。現象学とは本質の研究である。現象学によれば、あらゆる問題は、もろもろの本質、例えば知覚の本質、意識本質などを定義することによって解決されるはずである。しかし現象学とは、また、本質を実存のなかに戻し、人間と世界とを理解するには、それらの「事実性」から出発するほかないと考える哲学でもある。それは自然的態度から生ずるさまざまな主張を理解するために、かえってこれらの主張を保留する超越論的な哲学ではあるが、しかしまた、世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。現象学は、「厳密学」たろうとする哲学の野心であるが、またそれと同時に、「生きられた」空間、世界についての報告でもある。それは、われわれの経験の心理学的な発生や、科学者、歴史家、もしくは社会学者が提供しうるような、その因果的な説明を願慮せずに、経験をあるがままに、直接、記述しようという試みである。だがフッサールは、晩年の諸著作のなかで「発生的現象学」、いや「構成的現象学」にまで言及している。こうした矛盾は、フッサールの現象学とハイデガーのそれを区別することによって、解決されるだろうか。しかし『存在と時間』はすみずみまで、フッサールの指示に由来するものであって、要するにこれは、フッサールが、その生涯の終わりに臨んで、現象学の最も主要なテーマとして提起した「自然的世界概念」あるは「生活世界」の、一つの解明にすぎないのだ。‥‥】(MP-4)

    『知覚の現象学』で、メルポンの現象学はこのようなことから始まってる。
    上の中からわたしにとくに関心があるところを抜粋して見ます。

    【しかし現象学とは、また、本質を実存のなかに戻し、人間と世界とを理解するには、それらの「事実性」から出発するほかないと考える哲学でもある】(MP-4-1)

    【しかしまた、世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである】(MP-4-2)

    【またそれと同時に、「生きられた」空間、世界についての報告でもある】(MP-4-3)

    【現象学の最も主要なテーマとして提起した「自然的世界概念」あるは「生活世界」の、一つの解明にすぎないのだ】(MP-4-4)

    〈生活世界のフィロソフィア〉かな?
    ようするに、わたしのようにふつう?に、この世界で生活しているひとに、哲学的な資格を与えようとする、って言ってるのよね。
    なんかわけわかんない言葉で語る学者さんのを理解しようとすることより、このようなフィロソフィアを知ろうとすることの方がわたしのwant。

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