| 「世界における(への)存在」etre au mondeについてちょっと書いときます。 [etre]の最初の[e]の上の[^]は省略してます。
(MP)で、 【…人間は世界においてあり(訳注2)、ほかならぬ世界のうちで自己を知るのである。‥‥】(MP-8) (訳注2) 〔原文はI’homme est au monde.これは12項に出現する本書の基本概念「世界における(への)存在」(etre au monde)を先取りするものであるが、この基本概念がハイデガーの「世界内存在」(In-der-Welt-Sein)、サルトルのetre -dans-le-mondeに対応するものであることは、いうまでもない。問題はmondeの前の前置詞auの訳し方だが、独訳(Rudolf Boehem,1966)ではzu、英訳(Colin Smith,1961)ではinとなっている。つまりetre-au-mondeを独訳者はZu-Welt-Sein、英訳者はBeing in the worldと訳す。但し英訳では文脈によってはbeing to the worldとも訳している。要するにêtre au mondeとは世界に属しつつ世界に臨む人間のあり方を表す言葉で、翻訳書では述語的に使われていると思われるところでは、カギ括弧でくくり、更に「世界における存在」と「世界への存在」を共に示すため「世界における(への)存在とした。」
わたしこれをお借りして、〈世界における(への)存在である私〉として見ることにしちゃってる。
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