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Re[45]: 言葉のざわめきの下
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/22(Mon) 18:41:04)
| な〜か現象学というフィロソフィア、雰囲気的にわたしに見えてきたかな?
現象学的還元――遡ってそこからそのうちで――という手法手続きによってメルポンが遡っているのは、
No11365の(MP-3)、【言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるであろう。】だとわたし見てる。 〈言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見すること、この沈黙をやぶる身振りを描き出すこと〉 っていうことかな。
(MP-3)は、精神(意識)において〈赤ちゃんのころから、言葉を喋るようになるころを描き出すこと〉しかも〈そのうちにおいて(外からそれを見るんじゃなくて)〉ってわたし見てる。生まれてから4,5歳ぐらいまでかな。この時期を〈乳幼の頃〉って呼ぶことにする。
私と世界との関係において、世界における(への)存在である私という見方で、私の生の意識という問題について、の始まりを乳幼の頃に遡って、そのうちで、見ようとすること。 この手法によって、 No11345の【匿名的に行われてる】【隠れた働き】【根源的な働き】へ、No11411の(MP-5)【世界との、この素朴な触れあい】へ、精神の根源・起源へ、原初的世界へ、一般的にすでに大人になった私が自明なこととしてしまっているものへ、と。
うん、そう、〈自明なこと〉、〈あたりまえ〉となっているもの、こういうのって実はもうそれについてわざわざ問う必要ないのね。一般的には問題とならないから、関心が湧かないのも当然のこと。もしこのようなことが問題となるとすれば“ではない”という事態が生じているときかな。
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