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■11365 / inTopicNo.73)  Re[24]: What do I want to do?
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/10(Wed) 19:59:30)
    メルポンのはもっと身近に感じる。

    No11345の(FD-2)に絡まって、
    【…われわれは言葉が制定されて(instituee)いる世界のなかに生きている。日常的なあらゆる言葉に対して、われわれ自身のうちに出来合いの意義が用意されている。これらの言葉はわれわれの心に二次的な思想しか呼びおこさない。この思想はこの思想でまた別の言葉に言い直される。そしてこの別の言葉とは、われわれから真の表現の努力といえるものを少しも要求せず、聞き手がそれを了解するためにも何ら努力を必要としないような言葉である。こういうわけで言語活動と言語理解とは、当たりまえのことのように思われる。
    言語的世界、相互主観的世界は、われわれにとってもはや驚くべきことではない。われわれはこの世界をもはや世界そのものから区別しない。そしてわれわれが反省するのも、すでに語られまた語りつつある世界の内部においてである。話すことを学ぶ幼児の場合にせよ、あることがらを初めて語り考える著述家の場合にせよ、要するにある沈黙を言葉に変えるすべてのひとびとの表現や意思伝達のなかに存する偶然なものにわれわれはもはや気づかなくなっている。しかし日常生活において使用される既成の原語は、明らかに表現の決定的な段階がすでに踏み越えられたこと前提にしている。われわれがこの起源に遡り、言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるであろう。言語は身振りであり、その意義は一つの世界なのである。…】(MP-2)

    こういう見方からのフィロソフィアの方向、わたしに興味がある。

    とくに【言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるであろう。】(MP-3)
    っていうところ、「現象学的還元」をうまく言い表してる気がする。

    わたしの〈人(私)の原初的な生のフィロソフィア〉はここから浮かんできたのかも。

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■11356 / inTopicNo.74)  Re[23]: ニーチェのと現象学
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/09(Tue) 19:41:51)
    No11345の(FD-2)って、なんかニーチェのに似てるところがある。

    ニーチェのには「意志」っていうの出てくるけど、これを〈意識の志向〉ってして見ると、フッサールの言う「志向的な働き」と似てるし、ニーチェがNo10810の(N-c)なかで使ってる「本能活動」という語で言い表そうとしているものと、フッサールの「匿名的に行なわれる」「隠れた働き」「根源的な働き」って言うのと、も似てる気がする。そしてこのようなものはわたしのなかでは「自然」と結びついている。あ、「アプリオリ(生まれつき備わってるもの)」にもね。

    たしか「本能」っていうの、〔動物(人間を含む)が生まれつき持っていると想定されている、ある行動へと駆り立てる性質のことを指す。〕だったと思う。

    こういうのをわたし〈原初的なもの〉って呼ぶことにしてる。原初的な世界とか、精神(意識)における原初的な領分って言ってもいいかも。

    ちなみに、現象学で「志向」って日訳されてるのは「In-tention」っていう語。「tention」は「緊張、張られていること」。って(FD訳注)にあった。

    現象学的眼で、ニーチェの『善悪の彼岸』をあらためて読んで見てるんだけど、現象学のと似てるところを見つかる。

    メルポンは、
    【…現象学は、完全な哲学的自覚に到達する以前から、手法あるいは様式として、すでに実行され、認められ、動きとして現存していたのだ、と。現象学はずっと以前から、その道を歩みつつあったのである。その信奉者たちはいたるところに、ヘーゲルやキルケゴールはもちろん、マルクス、ニーチェ、フロイトにもまた、現象学を見出すのである。…】(MP-1)
    って言ってる。

    あ、あらためて「現象学」っていうの、「手法」「様式」なんだ、って気づいた。

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■11345 / inTopicNo.75)  Re[22]: 生活世界のフィロソフィア
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/07(Sun) 18:31:55)
    現象学っていうフィロソフィア、わたしに関心が湧いたとこ、書き写して見ま〜す。

    フッサールの、
    【…日常の実践的な生活は素朴であり、すでに与えられている世界のなかに入り込んだまま経験し、思考し、価値づけをし、行為している。その際、経験することがもつ志向的な働きはすべて、それによって初めて事実が端的にそこに存在することになるのにもかかわらず、匿名的に行なわれる。経験している者自身は、それについて何も知らない。そこで働いている思考についても、同様に何も知らない。例えば、数、述定的な事態、価値、目的、作品といったものは、この隠れた働きのおかげで、一つ一つ積み上げられて現れるが、経験している者には、これから現れてくるもののみが視野に入る。実証的な諸学においても、事情は変わらない。それらは高次の素朴性であり、賢明な理論的技術によって形成された作品であるが、ただ、それらすべてが究極的にはそこから湧き出ているはずの志向的な働きが、解明されないままなのだ。学問というものは確かに、その理論的な歩みを正当化できることを要求し、いつも批判的吟味に基づいているが、その批判は究極的な認識批判(3)なのではない。究極的な認識批判とは、根源的な働きについての研究と批判的吟味であり、それがもつあらゆる志向的地平を露呈することなのである。…】(FD-2)
    訳注(3)
    〔ロックの『人間知性論』からカントの『純粋理性批判』に至る近代哲学の課題は「認識批判」であった。フッサールが現象学的還元の着想を得た頃の覚え書きにも「理性の批判」という語が見られる。〕

    ジョン・ロックが出てきたから、参考書で調べて見たよ。
    『人間知性論』(『人間悟性論』)
    ロックの主著で、1690年の刊行。人間に生まれつき備わっている生得観念を否定し、一切の知識の源泉を経験に求める経験論の立場から、人間の認識作用を考察した。心の意識に現れる観念は、外から印象を受ける感覚と、心の内の働きを観察する反省という二つの作用をもとに発生し、理性はこれらの経験から生まれた観念を使って推理や思考を行う。
    「tabula rasaタブラ=ラサ 白紙」
    経験によって外から知識や観念を与えられる前は、生まれつきの人間の心は、何も書かれていない白紙の状態であるというロックの言葉。タブラ=ラサとは、ラテン語で何も書かれていない板・白紙を意味する。ロックは、一切の知識の源泉を経験に求める経験論の立場から、デカルトの説いた神や実体についての生得観念を否定し、感覚と反省という二つの経験の作用によって、心にさまざまな観念が刻まれていくと説いた。

    「哲学」ってしないで、「フィロソフィア(知りたい)」ってすることで、わたしに身近になる気がする。

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■11343 / inTopicNo.76)  Re[21]: 表現すること
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/07(Sun) 15:26:48)
    〈見えるようにさせること〉で思ったんだけど、

    わたしに思われたものを表現して、そしてそのわたしが表現したものをわたしが見る(フィードバックする)ことによって、わたしに見えるようにさせる、っていうことになるんだと思う。
    ん〜ん、わたしに思われたものを表現して、それをわたしが見る、これってわたしがわたしを客観的に見る、っていうことになるのかな。こういうのって、人間ならではの能力なのかも?私が私を見ることができる?私が私を外に置いて見る?

    これわたし独りでもできることなんだけど、「表現すること」ってもう一つ、ほかの人に向けて、っていうのもある。ほかの人に向けて、っていうばあい、その表現はほかの人に見も“伝わるように”、っていうことが含まれてくる。わたしに思われたものを上手に表現できるように心がけようとしてる、っていうことかな。こっちの方がわたしにより見えるようになる感じがしてる。だからここに来てるほかの人に向けて表現してる。(ま、もっともWhatを見る人が誰もいなくても、いいけどね)
    ん〜ん、ここにはもう一つの客観が登場することになる。ほかの人の、っていう客観が。

    「表現すること」自身は真偽善悪の判断以前の「すること」。そして、それによって「した(された)もの」において、後で判断されてるんだと思う。

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■11327 / inTopicNo.77)  Re[20]: 理性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/06(Sat) 18:26:51)
    No11270のところで、

    訳注で〔ドイツ語では「理性[Vernunft]」の語源は、「認知する[vernehmen]」である。〕ってある。

    ネットで調べて見たら、
    [vernehmen]は「聞く・聴取る・聴こえる・うけたまわる・・・」。[Vernunft]はいっぱいあったけど、「理・道理・理屈・ことわり・ふんべつ・ききわけ・・・」。
    日本語で「認識」は独語では[Anerkennung]で、この独語の日本語は「賛辞・認知・認定・容認・了承・・・」。

    あ〜、日本語いっぱいある〜。
    でもちょっと見方、変わったかも。で、ひとまず「認知」と「認識」は区別しておくことにしといた。

    No11270のところで、ちょっと気になったのが、
    【‥‥いっそう根源的に「真」であるのは、アイステーシス、すなわち感覚である。つまり、或るものを、端的に、感性的に認知することである…】っていうところ。

    で、訳注のように「認知する→理性」ってしたとき、上記のところは〈いっそう根源的に「真」であるのは、感覚である。つまり、或るものを、端的に、感性的に理性ことである〉ってなる。こうなると、〈感性における理性〉ということにもなるんだけど。

    No11101のアリストテレスの(A)のところに書いてあった
    【…その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげられる。というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚することそれ自らのゆえんにさえ愛好されているものだからである。…】を思い出す。

    古代ギリシアの話しだよ、今は違う。なに言ってるのバカじゃないの、って言われそうだけど、わたしこの見方本気で考えてる。

    「理性」、いまだ思案中。
    あ、わたしは合理主義じゃない、っていうことからね。

    なんか、違う方向に向かってる感じ。迷子になる前にひとまず「理性」から離れなくっちゃ。

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■11299 / inTopicNo.78)  Re[19]: 言葉の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/05(Fri) 19:29:14)
    フッサールは、〔意味を通じて世界と関わる〕(FD訳注)って言ってる見たい。なんかわたしもそんなんかな〜っていう気がしてる。わたしのこのごろのお喋りは、言葉の意味をどうしておきましょうか、っていうことになってる感じ。ん〜ん、ってすると「意味」っていう語の意味も問題になるんだけど、後で考えて見ることにする。なんか問いが山積みになってく〜。

    わたし「命題」を「判断を言葉にして表したもの」ってしてるんだけど、これって判断と言葉の関係で命題を“言い表して”るって見ることもできる。また、「概念は言葉として表されその意味となる」ってしてるんだけど、これって概念と言葉と意味との関係を“言い表して”るって見ることもできる。
    「定義」っていうの「物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること」だったり、「根拠」っていうのも〈その判断の根拠を示す〉とか言っちゃりして。

    こんな感じで、判断、定義、根拠、概念、言葉、命題、などは〈表現すること〉(見えるようにさせること)ということによってまとめてよさそう(概念については後でまた考えて見るつもりだけど)。ひとまずね。

    でも、理性、論理、理法、はどうなのかしら。ぜんぶに「理」が入ってるから、わたしひとまず「理性」っていうのどうしておきましょうか、っていうとかな。

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■11295 / inTopicNo.79)  Re[18]: 「ロゴス」っていう語の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/05(Fri) 18:29:47)
    「ロゴス」なんだけどー

    わたしの参考書での「ロゴス」は、
    〔言葉・定義・命題・論理・理法・理性などをあらわすギリシア語。承認された事実に基づくミュトス(神話)が確かめられないのに対して、ロゴス(理性)は事物を論理によって考え、真理を論証する。古代ギリシア人は、世界はカオス(混沌)ではなく、法則が支配する秩序あるコスモス(宇宙・調和)と考えた。世界を支配する法則であるロゴスを、人間にそなわる内なるロゴス(理性)によって把握し、世界を統一的・合理的に理解しようとする営みから哲学が生まれた。〕(E-1)
    ってあります。

    ハイデガーが言ってるように「ロゴス」という語は、理性、判断、概念、定義、根拠、関係とか、上記の参考書のように、言葉、命題、論理、理法などといろいろに翻訳されてる見たい。
    わたしよくわかんなかったんだけど、ハイデガーの見方でわたしにわかりやすくなった感じ。

    「ロゴス」を〈見えるようにさせること〉とすることによって、上記のようないろいろな語は〈これ〉によってまとめられる気がする。

    で、もうちょっとわたしにわかりやすくして見た。
    わたしのばあい、「ロゴス」を〈見えるようにさせること〉として、〈表現すること〉、〈表現した(された)もの〉ってしてすることにして見た。

    わたしふだん「ロゴス」なんって言葉使わない。わたしにとって関係するのは、「語ること」あるいは「表現すること」「表現した(された)もの」。そしてこのようなことを〈見えるようにさせること〉として見ること、ということだけでいい。メルポンは、「見えるものと見えないもの」っていう見方をしてるし。

    つぎにわたしにとって問題となってくるのが、ロゴスから派生した翻訳語としての、理性、判断、概念、定義、根拠、関係、言葉、命題、論理、理法の意味をどうして置きましょうか、っていうこと。

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■11284 / inTopicNo.80)  Re[17]: What do you want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/04(Thu) 19:58:40)
    ねえ、ちょっとわたし思うんだけど、ここで、ロゴス、してるんじゃなかしらって。
    あ、ここだけじゃなくても。たとえば国会での“言い合い”のなかでもね。

    ん?違う?自分の、思ってることを、信念を、真正と思ってることを、判断を、見えを、見方を、”表現してる”?ん?自分の主張に賛同する人、共感する人を、求めてる?ん?それとも、いろんな人の見方、思・考を見て見たい?

    でも結局、What do you(I) want to do?っていうことなんじゃないかしら?


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■11281 / inTopicNo.81)  Re[16]: What do I want to
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/04(Thu) 19:18:13)
    ハイデガーは、古代ギリシャに遡り、そこにおいて、そこから見ている。
    「現象」「ロゴス」「現象学」、わたしにまとめて見ると、

    ハイデガーにおいては、

    「現象」phenomenon
    〈おのれを示す当のもの〉

    「ロゴス」logos
    〈見えるようにさせること〉 〈語ること〉

    「現象学」Phenomenologie
    〈おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見える世にさせること。〉

    として、わたし取り入れることにしたの

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■11270 / inTopicNo.82)  Re[15]: ロゴスという概念
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/01(Mon) 20:03:49)
    ■11269のつづき

    【さらにまた、ロゴスは見えるようにさせることであるゆえ、このゆえにロゴスは、真であったり偽であったりすることができる。だからまた肝要なのは、「合致」という意味での捏造(ねつぞう)された真理概念から解放されているということである。合致というこの考えは、アレーティア、すなわち真理という概念において、第一次的なものでは断じてない。アレーテウエイン、すなわち真理ヲ暴露スルコトとしてのロゴスの「真であること」とは、それについて語られている存在者を、アポファイネスタイとしてのレゲイン、すなわち語ルコトにおいてその存在者の秘匿性から取り出して、秘匿されていないもの(アレーテス)として見えるようにさせること、つまり暴露することである。同様に、「偽であること」を意味するプセウデスタイとは、隠蔽するという意味での欺瞞と同じこと、すなわち、或るものを或るもののまえに(見えるようにさせるという仕方で)据え置き、かくしてその或るものを、その或るものがそれではない或るものとして言いふらすことである。
    しかし、「真理」がこうした意味をもち、ロゴスが見えるようにさせることの特定の一様態であるゆえ、ロゴスは真理の第一次的な「在りか」としてけっして要求されてはならない。今日あまねく行われているように、ひとが真理を規定して、真理は「本来的」には判断に帰属するものだとし、そのうえ、このテーゼについてアリストテレスを引き合いに出すなら、こうした引証は正当でもなければ、また、なかんずくギリシア的真理概念も誤解されている。ギリシア的な意味において、しかも前記のロゴスよりもいっそう根源的に「真」であるのは、アイステーシス、すなわち感覚である。つまり、或るものを、端的に、感性的に認知することである。アイステーシス、すなわち感覚というものがそのつどめざすのは、おのれのイデア、すなわちおのれの特定対象、つまり、まさしくアイステーシスをつうじて、またそのアイステーシスにとってのみ、そのつど純正に近づきうる存在者である。たとえば、視覚が目指すのは色なのだが、そのかぎりでは、その認知はつねに真である。このことは、視覚がつねに色を暴露し、聴覚はつねに音を暴露するということにほかならない。最も純粋な最も根源的な意味においては「真」であるのは――言いかえれば、暴露するだけであって、したがってけっして隠蔽することができないのは、純粋なノエイン、すなわち思考スルコトであり、つまり、存在者そのものの最も単純な諸存在規定を、率直に眺めやりつつ認知することである。このノエインは、けっして隠蔽することはできず、けっして偽であることはできず、たかだかそれは、認知しないこと、すなわちアグノエイン、つまり端的に適切に近づく通路を欠くことに、とどまりうるだけである。
    純粋に見えるようにさせることを遂行する形式をもはやもってはおらず、提示するときにはそのつど他のものに頼り、このようにして或るものを或るものとしてそのつど見えるようにさせるもの、このものが、こうした綜合構造でもって隠蔽の可能性を引き受けるのである。だが、「判断の真理」はこうした隠蔽の反対の場合にすぎない――言いかえれば真理の幾重にも基礎づけられた現象にすぎない。実在論も観念論も、ギリシア的真理概念の意味を等しく根本的に取り逃がしているのだが、そもそもひとは、このギリシア的真理概念からのみ、哲学的認識としての「イデア論」といったようなものの可能性を、了解しうるのである。
    また、ロゴスの機能は、或るものを端的に見えるようにさせることに、つまり、存在者を認知させることにあるゆえ、ロゴスは理性を意味しうる(4)。またさらに、ロゴスは、レゲイン、すなわち、語ルコトという意味においてばかりではなく、同時に、レゴメノン、つまり、提示されたものそのものという意味においても用いられ、しかも後者は、ヒュポケイメノン、つまり、いかなる語りかけや論じ合いが行なわれるときでも、実際に存在しているものとして、そのことによってそのつどすでに根底にあるもの、そうしたもの以外の何ものでもないゆえ、ロゴスは、レゴメノンとして、根拠、すなわちラティオのことでもある。最後に、レゴメノンとしてのロゴスは、或るものとして語りかけられているものをも意味するゆえ、つまり、そのものと或るものとの関係において、すなわち、そのものが「関係づけられている」ことにおいて、看取できるようになっているものをも意味するゆえ、ロゴスは関係や比例という意味をもっているのである。
    「命題的な語り」のこうした学的解釈で、ロゴスの第一次的な機能を判然とさせるためには当面十分であろう。

    訳注(4)〔ドイツ語では「理性[Vernunft]」の語源は、「認知する[vernehmen]」である。〕


    以上で〜す。
    これについてのわたしのは後で。

引用返信/返信 削除キー/
■11269 / inTopicNo.83)  Re[14]: ロゴスという概念
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/01(Mon) 20:02:08)
    (HS)に「ロゴスという概念」っていうのあったので書き写しておきます。字数の関係で、2回に分けて。

    【ロゴスという概念は、プラトンとアリストテレスにあっては多義的であり、しかも、それらの諸意義がたがいにそむきあって、一つの根本意義によって積極的に導かれてはいないという仕方で多義的である。これは、事実上はたんに見せかけにすぎないのであって、この見せかけが成り立つのは、学的解釈がその根本意義の第一次的な内実において適切にとらえられることができないかぎりにおいてなのである。われわれがロゴスの根本意義は語りだと言うなら、この文字通りの翻訳は、語りということ自身が何を意味するのかが規定されることにもとづいてはじめて、完全な効力をもつものになる。ロゴスの語義の後代の歴史、なかんずく、その後の哲学がなした多種多様な勝手な学的解釈は、語りということがもっているあまりにも明々白々な本来の意義を、不断に隠蔽している。ロゴスは「翻訳され」る、言いかえれば、理性、判断、概念、定義、根拠、関係としてつねに解釈される。だが、どうして「語り」が変様されて、ロゴスがいま挙げたすべてのものを意味し、しかも、学的用語法の範囲内においてそれらのものを意味するようになりうるのであろうか。ロゴスが陳述という意味に解され、だが、陳述が「判断」と解されるときですら、この一見正当にみえる翻訳でもっては、基礎的な意義がなんとしても逸せられているおそれがあり、ことに判断が現今のなんらかの「判断理論」の意味においてとらえられるときには、なおさらそうである。判断が「結合」ないしは「態度決定」(承認―否認)だと解されているかぎりでは、ロゴスは判断を意味しておらず、いずれにしても第一次的な判断を意味してはいないのである。
    むしろ、語りとしてのロゴスは、デェールーンと同じことであり、このデェールーンとは、語りにおいてそれについて「語られて」いる当のものをあらわならしめる、ということである。アリストテレスは語りのこの機能をアポファイネスタイとしていっそう鋭く究明した。ロゴスは、或るものを見えるようにさせる(ファイネスタイ)のである、つまり、それに関して語られている当のものを、しかも、語りつつある者にとって(中動相)、ないしはたがいに語りあいつつある者たちにとって、見えるようにさせるのである。語りは、それについて語られている当のもの自身のほうから(アポ)「見えるようにさせる」。語り(アポファンシス)においては、その語りが真正のものであるかぎり語られている当の内容は、それに関して語られている当の話題から汲み取られているべきであり、したがって、語りつつ伝達するときにはこの伝達は、この伝達がそれに関して語っている当の話題を、言われた伝達内容のうちであらわにし、かくして他人に近づきうるものにする。これがアポファンシスといてのロゴスの構造なのである。あらゆる「語り」が、提示しつつ見えるようにさせるという意味でのあらわにするというこの様態を固有にもっているわけではない。たとえば願うこと(エウケー)もあらわにするのであるが、しかしそれは別の仕方においてなのである。
    具体的に遂行されるときには語ること(見えるようにさせること)は、発言という性格を、つまり、言葉を声に出して口外するとう性格をもっている。ロゴスは、フォーネー、すなわち音声であり、しかも、フォーネー・メタ・ファンタシアス、すなわち、見エル像ヲトモナッタ音声であり――声に出して口外することであるが、そこではそのつど何ものかが看取されているのである。
    そして、アポファンシスとしてのロゴスの機能が或るものを提示しつつ見えるようにさせるということにあるゆえのみ、ロゴスは、シュンテシス、すなわち綜合という構造形式をもつことができる。綜合とは、ここでは、諸表象の結合や連結、つまり、心理的に出来(しゅったい)することどもの操作のことを言っているのではないのであって、そうした心理的に出来する諸表象の結合に関してなら、次に生ずる「問題」が、いかにして内的なものとしてそのような結合が外なる物理的なものと合致するのかということであるのは、当然のことである。綜合の合、つまり、シュンテシスのシュンは、ここでは、純粋に命題的(2)な意義をもっているのであって、或るものをそれが或るものといっしょになっているままに見えるようにさせる、或るものを或るものとして(3)見えるようにさせるということにほかならない。】

    訳注(2)〔ここでは「命題的」という語は、そのドイツ語が由来するギリシア語アポフアンシスに与えられた前記の語義を受けて、提示しつつ見えるようにさせるという意味を含んでいる。〕

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■11260 / inTopicNo.84)  Re[13]: 現象学
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/28(Sun) 18:27:07)
    わたしの勝手なのを、ね。

    「現象学」っていうのは、どうやら、「方法」を提示している的なものの感じがする。「現象(おのれを示す当のもの)」にどのような見方で、どのような仕方でアプローチしたらよいか、っていうことに関して見えるようにさせること的な。

    たとえば、「箴言(戒めの言葉。教訓の意味をもつ短い言葉。格言。)」――【口では嘘を言うが、しかもなおその際の口吻(こうふん)ではやはり真実を洩らす。】(善悪の彼岸166)――的なのを導き出してるような哲学じゃなくてね。

    ハイデガーは、「存在者の存在」っていう言い方をしてる。「存在」を「現象(おのれを示す当のもの)」としてるんじゃないかって。
    たとえば「存在者」を「イチゴ」ってして、「存在」を「現象」ってして見ると、「存在者の存在」は「イチゴの現象(おのれを示すとうのもの)」ってなる。「イチゴの現象学」っていう場合、「イチゴの、イチゴを示す当のものを、そのイチゴがイチゴをイチゴ自身のほうから示すとおりに、イチゴ自身の方から見えるようにさせるということ」ってなる。
    また、「知覚の現象学」っていうばあい、「知覚の、知覚を示す当のものを、その知覚が知覚を知覚自身のほうから示すとおりに、知覚自身の方から見えるようにさせるということ」ってなる。

    あと、最近のトピで、「存在者」に「新型コロナウィルス」って入れて見てもおもしろいかも。

    ん〜ん、「現象学」っていうの、なんか見えてきた感じ〜?

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