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■11718 / inTopicNo.25)  Re[72]: ゲシュタルトと分節
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/04(Sun) 18:33:12)
    「ゲシュタルト」、わたしの、
    ある物事を単なる部分の集合として見るのではなくて、
    〈統一的・全体的構造をもつ、移調可能な、一つの〉、
    ってしとく。

    メルポンの言う「ゲシュタルトというカテゴリーを導入する」っていうの、わたしので書いて見ると、
    「〈統一的・全体的構造をもつ、移調可能な、一つの〉という〈それ以上に分けることができない、最も根本的・一般的な基本概念〉を導入する。」
    ってなった。 うん、いいかも。

    そしてこのような意味(概念)において、“そのような一つのうち”に分けるときに「分節」っていう語を使うってして見たよ。

    このようにメルポンのを読んでるなかで、〈分け〉というの、「分類」と「分節」の二つあって、区別しておくことにした。

    でもさ〜、なんか「ゲシュタルト」ってなんか堅い感じ〜。
    No11696のネットで「形態・姿」、No11697の(MV)の訳注の、英語でform(形)、configuration(構成)、ってあることから、わたし「Gestait」を「容姿」とか、ひらがなで「かたち」ってしちゃおっかな〜。このほうが雰囲気的に日本語化としては近い感じがする。あ、これはあくまでもわたしの、ね。


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■11697 / inTopicNo.26)  Re[71]: メルポンのゲシュタルト
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/03(Sat) 19:02:36)
    (MP)に、
    【…もっとも、問題は、多くの仮説のなかからあえて一つの仮説を試みることにあるのではなく、一つの新しいカテゴリー、「ゲシュタルト」というカテゴリーを導入することにあるのであって、それこそは無機物の領域にも有機体の領域にも適用されて、生気論的仮説をかりなくても、神経系のなかに「横の機能」−―すでにウェルトハイマーが述べており、また観察によってもその存在が確かめされている――を出現させうるものなのである。というのは「ゲシュタルト」や特に物理的系というものは、孤立した諸部分がもつ特性の総和とは異なる特性をもった全体的過程として――もっと正しくは、その諸「部分」をひとつひとつ比較すれば、それらは絶対的な大きさにおいて異なっているにもかかわらず、全体としてみれば相互に区別できない全体的過程として、言いかえれば、〈移調可能な全体〉として――定義されるからである。たったひとつの部分に変化がおこってもそのたびに系全体の特性が変わるとか、また反対に部分がすべて相互に同時に関係を保ちながら変化するばあいには、系の特性もそのまま維持されてるところには、どこでもゲシュタルトが存在すると言われよう。この定義は、神経現象にふさわしいものである。これまでみてきたように、そこでは反応の各部分を部分的条件に帰することはできないし、また一方では求心的な興奮相互のあいだに、他方では運動流相互のあいだに、そしてさらにそれらの両者のあいだにも、相互作用や内的連関があるからである。‥‥】
    ってあった。

    また、メルポンは【相互に作用しあっている出来事、つまり「ゲシュタルト」】と言い、【神経系には全体的な出来事しかないのである。】とし、【精神現象を理解するために、ゲシュタルトというカテゴリーを導入】したよう。

    (MV)に、
    【…ゲシュタルトを経験するのは誰であろうか。それはゲシュタルトを理念あるいは意味(シニフィカシオン)として捉える精神であろうか。そうではない。それは身体なのである。――いかなる意味でか。 私の身体は一つのゲシュタルトであり、それがすべてのゲシュタルトの内に共に現前しているのである。私の身体も一つのゲシュタルトなのである。…】(MP-10)
    ってあった。

    また(MV)の訳注に、
    〔Gestalt原語は心理学用語で、「形態」と訳されることもある。英語ではformないしconfigurationの訳語が当てられる。一つの図形、一つのメロディ、一つの動作のように、単なる部分の総和に還元されないあるまとまり・構造・体制をもち、移調可能であるような全体を「ゲシュタルト」と呼ぶ。この現象の発見によって、ゲシュタルト心理学が成立した。〕

    (MP)で、
    【…したがってわれわれは、距離を知るためにこれらの媒介物を通過するのではないということを、ゲシュタルト学説はいみじくも明らかにした。しかしながら、ゲシュタルト学説はここから次のことを結論するのである。つまり身体的印象や視野の中間に介在する諸対象は、距離を知覚する際の標識や理由ではないのだから、この知覚の原因でしかありえない、と。こうして、またまた説明的心理学に舞い戻るのであるが、実はゲシュタルト学説といえども心理学である限り、決して自然主義との縁を断ち切ったわけではなく、したがって説明的心理学の理想を決して捨ててはいないのである。しかしそれと同時にゲシュタルト学説は、それ自身の記述に忠実ではなくなる。…】
    ってあった。ちなみに、ここに出てくる【自然主義】は、〔哲学で、自然を唯一の実在・原理として、精神現象を含む一切の現象を自然科学の方法で説明しようとする立場〕(ネットより)っていう主義のことだと思う。
    また、
    【‥‥このような知覚的な諸関係を十分に言い表すためには、カテゴリーを一新しなくてはならないのであるが、ゲシュタルト学説は、これを果たしていない。…】
    とも言ってる。

    以上、(MC)(MV)(MP)のなかから探し出して書き写して見た。

    「ゲシュタルト」について、わたし(MV)の訳注がわかりやすかった。
    もっとあっただけど、まいいわ。わたしにわかればいいんだら、っていうことで。

    わたしのは後で。

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■11696 / inTopicNo.27)  Re[70]: ゲシュタルト
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/03(Sat) 17:23:23)
    ネットでは、

    〔《形態・姿などの意》知覚現象や認識活動を説明する概念で、部分の総和として捉えられない合体構造に備わっている、特有の全体構造をいう。形態。〕とか、〔(Gestalt「かたち」の意)ゲシュタルト心理学の基本概念。部分からは導くことができない、一つのまとまった、有機的・具体的な全体性のある構造をもったもの。〕とか、〔…たとえばメロディを1オクターブ上げても同じ感じを抱くように、〈要素の単なる結合ではなく、それとはある程度独立した新しいの〉、すなわち〈形態質Gestaltqualitat〉の存在を指摘した。ゲシュタルト心理学の先駆をなしたのは、彼をはじめとするオーストリア学派の人々であった。1912年、ウェルトハイマーは仮現運動に関する実験的研究を発表したが、これがゲシュタルト心理学の誕生であった。〕

    ってあった。

    メルポンは、「ゲシュタルト学説」について哲学的分析をし、「ゲシュタルト」を取り入れてる。
    また、「ゲシュタルト」は「構造」とも言われてみたいだけど、おそらく構造主義の「構造」だと思う。

    っていうことで、後で「ゲシュタルト」に関して、メルポンの書物のなかからいくつか書きだして見ます。

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■11695 / inTopicNo.28)  Re[69]: 分節
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/03(Sat) 16:07:49)
    〈分け〉のつづきのつづき

    「分節」っていうの、メルポンのを読んでてわたしにきわだってきた語。

    ネットで、
    〔全体をいくつかの区切りに分けること。また、その区切り〕とか、〔言語学で、言語に見られる音の単位の区切れ、意味の単位の区切れ。個々の音をはっきり発音すること、また、発生器官の調節や運動を言う。とか、〔心理学で、統一的・全体的構造をもつものの部分は、独立した要素として分割できず、全体性の分化としての構成要素であること〕てあった。

    わたし言語学でじゃなくて心理学でのとする。ここの心理学っていうのは「ゲシュタルト心理学」のことだと思う。

    で、「分節」のわたしの意味をどうしておこうか、っていうまえに、「ゲシュタルト」っていうのを見ていってみることにする。

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■11679 / inTopicNo.29)  Re[68]: カテゴリー
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/01(Thu) 20:17:01)
    〈分け〉のつづきね、

    コトバンクで、
    〔哲学で、アリストテレス以来の用語。事物を分類する際、もはやそれ以上に分けることのできない、最も根本的、一般的な基本概念(属性、量、状態、関係等)。最高の類概念。範疇。〕とか〔哲学で、あらゆる事象をそれ以上に分類できないところで包括する一般的な基本概念。最高類を意味する。〕ってある。これとして、
    っていうことから、

    ひとまずわたし「カテゴリー」を〈事物を分類しようとするとき、もうこれ以上に分けることができない、最も根本的・一般的基本概念〉ってしておくことにする。ん〜んもうちょっとはぶいて〈これ以上に分けることができないもっとも根本的・一般的基本概念〉ってしとく。

    いづれにしても「カテゴリー」って、このような「概念」のことみたい。

    〈分け〉、つづく



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■11665 / inTopicNo.30)  Re[67]: 概念
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/31(Wed) 18:54:03)
    「概念」の意味なんだけど。

    やっぱコトバンクからね。
    〔概念とは、個々の対象、いわゆる個物(個体)よりも複数の個物を包括的・概括的に捕捉する〕とか〔〈犬〉という概念が単数、複数の犬の心像、イメージを思いおこさせることなどもあって、概念は心像、イメージも合わせて意味し、あるいはそれらと同一視されることがまれではない〕とか〔個々の物について、知覚・記憶に現れる表象とは別に、一般的なものを考えるときに心のなかに生じるものを「概念」とよび、これが判断の基本要素となる〕っていうのがあって、わたしこれとして見る。

    「概念」っていうの、なんか「分類」と似てるところがある。ん〜ん、〈分類されて(して)るもの〉ってしとこっかな?〈イメージ〉っていうの、わたしにとっては雰囲気的にいいと思うんだけど?「概念」って英語で[con-cept]よね?
    ん〜ん、まだ、ここらへん、わたしの、どうするかはっきりしてない。

    あと、「概念は言葉として表されその意味となる」っていうのどこかで見たんだけど、これからわたし「概念」と「意味」を同義語と見てる。

    〈分け〉、つづく。

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■11664 / inTopicNo.31)  Re[66]: 分類
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/31(Wed) 18:43:51)
    「分類」の意味なんだけど。

    コトバクンで、
    〔同類のものをまとめ、いくつかの集まりに区分すること〕とか〔全体を共通性にしたがって大きく分け、分けたものをさらにまた共通性に従って細分し、これ以上分けることのできない個体の一つ手前(種という)まで順次分けていって段階づけ、体系化することをいう〕というのがあって、わたしこのようなものとして見ることにした。

    ひとまず「分類」を〈さまざまな物事を、共通性によって括りまとめ、同じものとして見て、分ること。〉ってしとく。

    「生物(科)学」を見て見ると(ウィキより)、
    「生物」っていう分類されたもののうちで、〔ドメイン/界/門/網/目/科/属/種〕っていう分類体系っていうのがあって。まず〔ドメイン〕が最も大きな分類で、〔真核生物〕と〔細菌〕の二つに分類しているもたい。さらに細かく分類していって、〔個体の一つ手前(種という)まで順次分けていって段階づけ、体系化〕している、みたい。

    詳しいことは知らないけど、こういうのから見ると雰囲気的に分かる感じ。

    ちなみにね、「生物学」っていう科学的分類から見たとき、この頃問題となってる「ウィルス」っていうの、「生物」に入るのか?っていうのも話題になってるみたいだけど、こういうの、科学者にまかせときましょ。ここでのわたしの物語りはそこじゃないから。

    〈分け〉、つづく。



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■11663 / inTopicNo.32)  Re[65]: 〈分ける〉っていうこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/31(Wed) 18:20:36)
    No11596で、わたし、「分け」には二つの見方、「分類」と「分節」、があるんじゃないかな、って思ったんだけど、これ、もうちょっとわたしに見えるようにしようかなって。でもこれ、けっこう手間取ってる。
    「分類」「概念」「カテゴリー」「分節」の意味にいて、わたしの、どうしておこうな、っていうことで。
    こういうのってソシュールの言語学にも連関する感じだけどここではひとまず横に置いとく。

    いろいろネットで調べて見たんだけど、まずそれから、少しづつ。

    つづく

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■11649 / inTopicNo.33)  Re[64]: 〈分ける〉っていうこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/30(Tue) 19:33:34)
    「神」と「人間」、これも〈分け〉てるんじゃないかしら。
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■11646 / inTopicNo.34)  Re[63]: 感性と考えられたもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/30(Tue) 19:06:31)
    メルポンより、

    ふたつの赤

    【〈感覚〉としての赤と「どんな」赤かというときの赤とは区別されなければならない。〈どんな〉という質のうちには、すでに赤という純粋印象と、例えば空間・時間のある拡がりを覆う〈印象の機能〉という二つの契機が含まれている。】

    【いったい〈感覚〉としての赤と、「どんな」赤かという、純粋印象と例えば空間・時間のある拡がりを覆うという〈印象の機能〉との二つの契機が含まれている。従って〈認識する〉ということは、つねにある与件を、ある機能において、またある関係の中で、つまり、それが私にとって意味をもち、しかじかの構造を呈示する「かぎりにおいて」把握するということである。】

    【常識の見解、つまり、知覚したことを常識的な言葉で述べるその報告と、知覚的経験そのものとの区別――話された知覚と生きられている知覚との区別――ぐらいはいはしておくべきであろう。】

    うん。

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■11641 / inTopicNo.35)  Re[62]: 非反省的な生
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/29(Mon) 20:45:39)
    ■11638、あら、マジモンさん、ありがと。

    食の幸、どれもおいしそ〜。
引用返信/返信 削除キー/
■11638 / inTopicNo.36)  Re[61]: 非反省的な生
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/03/29(Mon) 20:24:44)
    はい、こんばんわ、悪魔ちゃん

    この非反省的な生っていうのが、悪魔ちゃんが時々いう、
    哲学は反省ってことですかね?

    なんとなくわかる。
引用返信/返信 削除キー/

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