□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/25(Thu) 18:22:34)
| でね、「理」をネットで調べて見たのね。
1物事の筋道。条理。道理。 2わけ。理由。
「理」を説明するのに「理」が入ってちゃダメよね。だから「物事の筋道」とか「わけ」になるよね。 どうもいつのまにか哲学では「真偽善悪」っていう判断を、「物事の筋道」「わけ」に入れちゃってるみたいだけど、そういう大昔の哲学者の先入見をなくしちゃって、単に「物事の筋道」「わけ」として見るよ。
「理性」を〈物事の筋道を立てる性〉とか〈わける性〉ってして、「筋道」を〈順序〉ってしてみると、なにかとなにかの順序。なにかとなにかっていうのはわけられたもの。 だから、わたし「理」を〈わけ〉、〈分けること〉っていう意味としちゃった。
「理性」っていうのこのような意味として見ると、「乳幼の頃にも理性はある」ってなったんだけど。
ん?これって、独断と偏見? でもね、 No11467(MP-7)でこんなこと書いてあったよね、 【哲学者は世人や科学者たちが知っていると信ずるものを、何によらず、既知のこととは見なさない。哲学がかつて真理をいいえたにせよ、かかる真理おいても、哲学は自己の知識を既知のものと考えるべきではない。哲学とは哲学自身の出発点に立ち帰って、繰り返しこれを体験し直すことである。】 って。
思考はご自由に、っておもしろいよね。
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