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■21216  Re[15]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 15:02:24)
    2022/03/02(Wed) 15:03:24 編集(投稿者)

    No21213
    そして、その結合を〈総合〉と名付ける、と。

    To this act we shall give the general appellation of synthesis, thereby to indicate, at the same time, that we cannot represent anything as conjoined in the object without having previously conjoined it ourselves.

    DeepL機械翻訳
    この行為に対して、我々は一般的に合成という名称を与え、それによって同時に、我々は以前に我々自身で結合したことがなければ、対象の中で結合したものとして何かを表すことはできないということを示すことにする。

    合成と訳されてるのは「synthesis」ですね。
    中山先生は、該当箇所原語を総合と訳されています。

    文章の後半で述べてることは、
    例えばレゴブロックで組み立てた車を認識対象とするには、認識する事前に、自分で組み立てていなければ何も対象とならない、と言っているのではないかと。

    カントにとっては、感性に与えられたものは、あくまでも未分別の多様なのですね。

    ここらへんは異論反論でそうなとこですね。
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■21217  Re[16]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 15:09:24)
    Of all mental notions, that of conjunction is the only one which cannot be given through objects, but can be originated only by the subject itself, because it is an act of its purely spontaneous activity.

    DeepL機械翻訳
    あらゆる心的観念の中で、結合の観念だけは、対象を通して与えられることはなく、主体自身によってのみ発生させることができるものである。

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■21218  Re[17]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 15:14:47)
    The reader will easily enough perceive that the possibility of conjunction must be grounded in the very nature of this act, and that it must be equally valid for all conjunction, and that analysis, which appears to be its contrary, must, nevertheless, always presuppose it; for where the understanding has not previously conjoined, it cannot dissect or analyse, because only as conjoined by it, must that which is to be analysed have been given to our faculty of representation.

    DeepL機械翻訳
    読者は、結合の可能性がこの行為の本質に根ざしていなければならないこと、そしてそれがすべての結合に対して等しく有効でなければならないこと、そしてその反対に見える分析が、それでも常にそれを前提にしていなければならないことを容易に理解するだろう。なぜなら、理解力が以前に結合していないところでは、解剖も分析もできないからである。

    ここ、ちょっとおもしろいです。
    解剖・分析できるのは、まえもって結合してるからだ、と、カントは考えているんですね。
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■21219  Re[18]: 知性による総合の根源性
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 15:17:44)
    ということで、
    ======================
    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リストを読解の参考にさせていただきます。
    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    第一五項 結合一般の可能性について
    142 知性による〈総合〉の根源性 ★
    143 総合的な統一
    143n 像についての意識

    ==================

    の、142 知性による〈総合〉の根源性 ★
    の部分の読書をおわります。
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■21211  日記
□投稿者/ pipit -(2022/03/02(Wed) 06:53:09)
    No21202
    >それからこれはイラストのページだから、更科さんの文じゃないかもだけど、
    メロンの網みたいな上に人間がのってて、
    『進化というと一方向を想像しがちだけど、、、
    実際の進化は網目のように進むのかもね』p233

    一直線の進化じゃないっておもしろいよね。<

    さっき、ビックバンのこと思い出したよ。
    違う本の前書きで、もともと同じ点だった私たちが今こんなに多様にわかれて、みたいな発想で書かれてて。

    そう思うと、最初の一点が、それぞれに進化して、今にある、
    と思う捉え方も可能だね、と、思いました。

    昔から思うんだけど、
    動物も魚も人間も、細胞は一緒なのかな?違うのかな?
    魚は違うのかな?
    あ、真核とか、その違いかな、
    それでも同じようなもので、それぞれの身体が構成されてるの
    不思議だなと思ってました。

    生物も、高校の時、全く勉強してなかったなあ。(−_−;)
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■21243  結合一般の可能性/総合的な統一について
□投稿者/ pipit -(2022/03/03(Thu) 22:46:12)
    みなさま、こんばんは。

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リストを読解の参考にさせていただきます。

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    第一五項 結合一般の可能性について
    142 知性による〈総合〉の根源性
    143 総合的な統一 ★
    143n 像についての意識
    第一六項 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について

    ==================
    今日は、
    143 総合的な統一 ★
    です。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap42

    英訳省略m(_ _)m

    (DeepL機械翻訳)
    しかし、結合の概念には、多様体の概念とその合成の概念に加えて、それの統一の概念も含まれる。

    (pipit雑感)
    conjunction(結合)の概念には、
    多様と、その総合に加え、
    統一の概念も含まれてる、と。

    レゴで考えてみます。
    レゴの結合という概念には、
    レゴブロックの多様、その多様の総合、そして統一という概念が含まれてる、と。

    前の箇所でカントは

    > DeepL機械翻訳
    この行為に対して、我々は一般的に合成という名称を与え、それによって同時に、我々は以前に我々自身で結合したことがなければ、対象の中で結合したものとして何かを表すことはできないということを示すことにする。<

    としてあり、
    結合像は、結合する行為によって可能となると言っていましたね。

    そして、結合する行為部分に、(synthesis)総合という単語をあてがっていましたね。

    レゴで言えば、

    バラバラのブロック→( the manifold)多様
    お城→(conjunction)結合
    お城を作る行為→(synthesis)総合

    というイメージかな、と。(違うかったらすみませんm(_ _)m)

    ここで最初のDeepL機械翻訳に戻りますね。

    > (DeepL機械翻訳)
    しかし、結合の概念には、多様体の概念とその合成の概念に加えて、それの統一の概念も含まれる。<

    レゴで考えてみますね、

    お城という作品には、ブロック(感性による多様)とブロックを結合していく行為(総合)に加えて、【統一】the unityの概念も含まれてる、と。

    これ、まだわからないけど、今思ってるのは、
    単一体として捉えることかなーと。
    違うかなあ。

    ※※※※※※※※※

    ここで、御子柴善之先生の解説読みました。
    ほー、なるほどー!(◎_◎;)
    ↓御子柴先生の解説

    『、この結合には「統一」という共通の場が必要なのです。多様なものを結合することができるのは、その多様が共通の場に位置しているからです。』
    (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生、p200)

    いろんな解釈あるかもだけど、御子柴先生的には、この統一の場に、「私は考える」という自己意識を持ってくるのかも!
    ※p201の小題が、
    〈統一の場は「私は考える」という自己意識である〉となっていました。
    このあたりは今読んでいる箇所よりもう少し後ででてくるかな。またその時にあらためて考えてみます。

    ※※※※※※※※※※※

    143 総合的な統一 ★の読解に戻って、続けます。
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■21662  前回を思い出すメモ_φ(・_・
□投稿者/ pipit -(2022/03/19(Sat) 23:43:27)
    みなさま、こんばんは。
    純理の論理学の演繹論の続き読みます!の準備(^◇^;)

    ↓以下の過去投稿の続きから読みたいと思います。
    次は、143nか。。。なんのこと言ってるかわからなかった記憶あるなあ(ー ー;)

    No21243に返信(pipitさんの記事)
    > みなさま、こんばんは。
    >
    > ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リストを読解の参考にさせていただきます。
    >
    > https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf
    >
    > 第一五項 結合一般の可能性について
    > 142 知性による〈総合〉の根源性
    > 143 総合的な統一 ★
    > 143n 像についての意識
    > 第一六項 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について
    >
    > ==================
    > 今日は、
    > 143 総合的な統一 ★
    > です。
    >
    > https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap42
    >
    > 英訳省略m(_ _)m
    >
    > (DeepL機械翻訳)
    > しかし、結合の概念には、多様体の概念とその合成の概念に加えて、それの統一の概念も含まれる。
    >
    > (pipit雑感)
    > conjunction(結合)の概念には、
    > 多様と、その総合に加え、
    > 統一の概念も含まれてる、と。
    >
    > レゴで考えてみます。
    > レゴの結合という概念には、
    > レゴブロックの多様、その多様の総合、そして統一という概念が含まれてる、と。
    >
    > 前の箇所でカントは
    >
    >>DeepL機械翻訳
    > この行為に対して、我々は一般的に合成という名称を与え、それによって同時に、我々は以前に我々自身で結合したことがなければ、対象の中で結合したものとして何かを表すことはできないということを示すことにする。<
    >
    > としてあり、
    > 結合像は、結合する行為によって可能となると言っていましたね。
    >
    > そして、結合する行為部分に、(synthesis)総合という単語をあてがっていましたね。
    >
    > レゴで言えば、
    >
    > バラバラのブロック→( the manifold)多様
    > お城→(conjunction)結合
    > お城を作る行為→(synthesis)総合
    >
    > というイメージかな、と。(違うかったらすみませんm(_ _)m)
    >
    > ここで最初のDeepL機械翻訳に戻りますね。
    >
    >>(DeepL機械翻訳)
    > しかし、結合の概念には、多様体の概念とその合成の概念に加えて、それの統一の概念も含まれる。<
    >
    > レゴで考えてみますね、
    >
    > お城という作品には、ブロック(感性による多様)とブロックを結合していく行為(総合)に加えて、【統一】the unityの概念も含まれてる、と。
    >
    > これ、まだわからないけど、今思ってるのは、
    > 単一体として捉えることかなーと。
    > 違うかなあ。
    >
    > ※※※※※※※※※
    >
    > ここで、御子柴善之先生の解説読みました。
    > ほー、なるほどー!(◎_◎;)
    > ↓御子柴先生の解説
    >
    > 『、この結合には「統一」という共通の場が必要なのです。多様なものを結合することができるのは、その多様が共通の場に位置しているからです。』
    > (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生、p200)
    >
    > いろんな解釈あるかもだけど、御子柴先生的には、この統一の場に、「私は考える」という自己意識を持ってくるのかも!
    > ※p201の小題が、
    > 〈統一の場は「私は考える」という自己意識である〉となっていました。
    > このあたりは今読んでいる箇所よりもう少し後ででてくるかな。またその時にあらためて考えてみます。
    >
    > ※※※※※※※※※※※
    >
    > 143 総合的な統一 ★の読解に戻って、続けます。
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■21247  Re[9]: 日記
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/03/04(Fri) 11:17:41)
    No21211に返信(pipitさんの記事)
    > No21202
    > >それからこれはイラストのページだから、更科さんの文じゃないかもだけど、
    > メロンの網みたいな上に人間がのってて、
    > 『進化というと一方向を想像しがちだけど、、、
    > 実際の進化は網目のように進むのかもね』p233
    >
    > 一直線の進化じゃないっておもしろいよね。<
    >
    > さっき、ビックバンのこと思い出したよ。
    > 違う本の前書きで、もともと同じ点だった私たちが今こんなに多様にわかれて、みたいな発想で書かれてて。
    >
    > そう思うと、最初の一点が、それぞれに進化して、今にある、
    > と思う捉え方も可能だね、と、思いました。
    >
    > 昔から思うんだけど、
    > 動物も魚も人間も、細胞は一緒なのかな?違うのかな?
    > 魚は違うのかな?
    > あ、真核とか、その違いかな、
    > それでも同じようなもので、それぞれの身体が構成されてるの
    > 不思議だなと思ってました。
    >
    > 生物も、高校の時、全く勉強してなかったなあ。(−_−;)


    大分、おくればしながら…
    進化の事は、マジモンに聞け。
    はい、おはようございます、Pipitさん

    進化は一定方向じゃないです、どちらかという出来損ないの生命が進化します。

    一定方向に進化する生命はもちろんありますが、
    それらエリート生命に追いやられた出来損ない生命が足掻いたゆえの進化なのです。
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■21252  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/04(Fri) 18:44:28)
    No21247
    > 大分、おくればしながら…
    > 進化の事は、マジモンに聞け。
    > はい、おはようございます、Pipitさん<

    はい、おこんばんわです、マジモンさん (^ ^)

    > 進化は一定方向じゃないです、どちらかという出来損ないの生命が進化します。<

    おもしろいですね、いろんな要因が絡まってくるのかな。

    > 一定方向に進化する生命はもちろんありますが、
    > それらエリート生命に追いやられた出来損ない生命が足掻いたゆえの進化なのです。<

    おぉ、知恵という言葉を今思い浮かべました。
    いや、根性でしょうか。。。
    閃き。。。
    やっぱり根性かな( ^ω^ )

    この頃、創発性という言葉も頭に浮かぶんですよね。

    コトバンクさんより引用
    『創発

    「創発」とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない特性が、全体として現れること。物理学や生物学などで使われる用語「emergence」(発現)が語源で、自律的な要素が集積し組織化することにより、個々のふるまいを凌駕する高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象あるいは状態をいいます。所与の条件に基づく予測や計画、意図を超えたイノベーションが誘発されるところから「創発」と呼ばれ、組織論やナレッジマネジメントの分野では、個々人の能力や発想を組み合わせて創造的な成果に結びつける取り組みとして注目を集めています。』

    ど根性であがいてたら、いろんな偶然必然重なって、思いもかけないこと起きたり、ね

    生命、認識、進化、いろいろ不思議ですね
    今日も一日おつかれさまです(^_^)
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■21262  超越論的感性論 第六項:Z−1
□投稿者/ うましか -(2022/03/05(Sat) 08:16:17)
    2022/03/05(Sat) 08:17:27 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございます!


    うましかは、ほそぼそと週末・朝の沼浴びです(´;ω;`)ウッ…


    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第六項 これらの概念からの結論

    ◇ a) 時間は、それ自身だけで存立する或るもの、あるいは諸物に客観的規定として結びついていて、したがって、人が諸物の直観のすべての主観的条件を捨象しても残存する或るものではない。

    ◇なぜなら、第一の場合〔*1〕には、時間は、現実的対象無しでも、それにもかかわらず現実的に存在する或るものとなってしまうであろうからである。

     *1 「それ自身だけで存立する或るもの」である場合

     ※1 原佑訳では文意が得にくいため、中山元訳1,p.101を参照した。

    ◇しかし、第二の場合〔*2〕に関して言えば、時間は、諸物自身に結びついている一つの規定ないしは秩序として、諸対象にそれらの条件として先行し得ないことになり、だから綜合命題によってア・プリオリに認識されたり直観され得ないことになるであろう。

     *2 「諸物に客観的規定として結びついているため、人が諸物の直観のすべての主観的条件を捨象しても残存する或るもの」である場合

    ◇これに反して、この後者のことは、時間が全ての直観がそのもとで私たちの内で生じ得る主観的条件以外の何ものでもないなら、極めてよく生ずることである。

     ※2 石川文康訳上巻,p.88〜p.89では次のようにある。「ところが、時間が主観的条件であり、その条件の下で、すべての直観がわれわれの内で起こるのだとすれば、そのことはよく説明がつくのである。」

    ◇なぜなら、その時には内的直観の時間というこの形式は、諸対象に先立って、したがってア・プリオリに、表象され得るからである。


    † 原佑訳上巻、p.163参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Z−1 No.21262
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262
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■21265  Re[2]: 超越論的感性論 第六項:Z−1
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 11:26:17)
    2022/03/05(Sat) 11:35:51 編集(投稿者)

    うましかさん、こんにちは(^○^)

    No 21262
    ひえー難しい。

    しっかり理解せずに置いてたところなので、うましかさんの投稿をきっかけに自分内で考えさせていただきますね、
    お気になさらないでくださいね、
    ありがとうございます(^人^)

    内勉強
    ※※※※※※※※※※※※
    うましかさんの書き込みの単語も使わせていただきますねm(_ _)m
    英訳はJ. M. D. Meiklejohnさんのものです。
    ※はスマホの翻訳で出たものです。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap21

    「時間は、それ自身だけで存立する或るもの」(ではなく)

    Time is not something which subsists of itself,

    ※subsists存続する

    「あるいは諸物に客観的規定として結びついていて」(いるものでもなく)

    or which inheres in things as an objective determination,

    ※ inheres 継承する

    「したがって、人が諸物の直観のすべての主観的条件を捨象しても残存する或るものではない。」のであり、その反対(直観の主観的条件のもとに残る)である。

    and therefore remains, when abstraction is made of the subjective conditions of the intuition of things.

    ※abstraction 抽象概念

    この続きの箇所
    For in the former case, it would be something real, yet without presenting to any power of perception any real object.

    In the latter case, as an order or determination inherent in things themselves, it could not be antecedent to things, as their condition, nor discerned or intuited by means of synthetical propositions a priori.

    But all this is quite possible when we regard time as merely the subjective condition under which all our intuitions take place. For in that case, this form of the inward intuition can be represented prior to the objects, and consequently a priori
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■21269  Re[3]: カントの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/05(Sat) 17:47:45)
    pipitさま、お邪魔するね

    カントの、「時間・空間」っていうの、
    「物理学」っていう「科学」を見てそう思ったんじゃない?
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■21270  Re[4]: カントの
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 17:59:44)
    2022/03/05(Sat) 18:00:35 編集(投稿者)

    No21269に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、お邪魔するね
    >
    > カントの、「時間・空間」っていうの、
    > 「物理学」っていう「科学」を見てそう思ったんじゃない?<

    悪魔ちゃん、こんばんは(^_^)

    そうだね、わたしはまだ純粋理性批判を通読できてない者だけど、
    なんで科学や数学を学問として共有知識にできてるんかなー、というところから出発したとこもあるのかもしれないね。
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■21272  Re[5]: カントの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/05(Sat) 18:21:54)
    ■21270、pipitさま、
    >なんで科学や数学を学問として共有知識にできてるんかなー<
    うん、わたしもそう思ってる。
    で、カントはそこらへんなんていってるの?
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■21274  Re[6]: カントの
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 18:47:34)
    2022/03/06(Sun) 00:12:16 編集(投稿者)

    No21272に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■21270、pipitさま、
    > >なんで科学や数学を学問として共有知識にできてるんかなー<
    > うん、わたしもそう思ってる。
    > で、カントはそこらへんなんていってるの?<

    じゃあ、まず誤解してるかものpipitの感想を書くね。
    あとで、wikiとかに載ってないかみてくるね。

    pipit私見
    人間が物自体に触発されて生じる現象の形式を利用して作成されているのが、人間の数学や物理学なので、人間であるならお互いに共有できる可能性を有してる、と、pipitは思ってるよ。

    よりpipitの私見雑感で言うね。

    現象表出用のための、内蔵形式を利用してるので、現象にも適用可能だし、共通知にもなる、と思ってるよ。

    ちょっとwikiみてくるねー
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■21275  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 18:58:22)
    いつもありがとうねー(^ ^)

    wikiの『純粋理性批判』の項目の説明より、
    同じカント著の『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ』のページの方が、まだわかりやすかった(と言ってもややこしいけど( ̄▽ ̄;))のでそちらの方を引用するね。

    抜粋引用
    『超越論的主要問題の第二部:如何にして純粋自然科学は可能か
    この部分は、手短に言えば、『純粋理性批判』の超越論的分析論の思想を再現している。すなわち、前の部分では感性的認識の必然的前提が主役を演じたが、ここでは(カント的な意味での)悟性が認識するものが核心にある。「実体」、「原因と結果」、「普遍性」等々のような原理的な、自然科学(カントの時代の)における中心概念(カントはそれを「カテゴリー」と呼ぶ)が、空間や時間と同じように我々の認識のうちで必然的条件となることを悟性は証明しようとする。すなわち、我々はカントに従って、二つの連続する出来事の関係(太陽が石を照らす、石が温まる)を因果性のカテゴリーの下で考察することができる。カテゴリーはかつて単に連続していただけのものに客観的必然性を与える。すなわち、まさに太陽が石をてらす「ので」、石が温まるのである。
    これも、普遍的で自然科学的な言明に、単なる帰納を超えて達せられるある種の必然性と合法則性を確保するという上述の目的と似ている。ちょうど原因と結果の取り扱いはさらにヒュームに対する明白な反対と見なされる。ヒュームは因果関係についての我々の言明の客観的実在性を攻撃し、そこに出来事についての観察された関係について必然性を想定する習慣への単なる主観的で心理学的な傾向だけを認めた。』
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■21278  Re[8]: カントの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/05(Sat) 19:22:10)
    pipitさま、■21275、ありがと

    >抜粋引用<部分、わたしには、よく分かんなかったけど、

    >感性的認識の必然的前提<
    って、何の前提なのかしら?
    〈悟性の〉必然的前提が感性的認識っていうこと?
    それとも感性的認識に必然的前提があるっていうこと?


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■21281  Re[9]: カントの
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 20:28:28)
    悪魔ちゃんへ

    No21278
    > >抜粋引用<部分、わたしには、よく分かんなかったけど、
    >
    > >感性的認識の必然的前提<
    > って、何の前提なのかしら?
    > 〈悟性の〉必然的前提が感性的認識っていうこと?
    > それとも感性的認識に必然的前提があるっていうこと?<

    No21275では、途中から抜粋引用してるから、わかりにくかったらごめんね。

    この文意では、

    > それとも感性的認識に必然的前提があるっていうこと?<

    の意味で、前提と言ってるんだとpipitは思う。
    感性的認識の必然的前提が純粋形式としての時間空間だと言ってるんだと思う。
    そのことがわかる(と思う)抜粋引用箇所の一つ前を、新しく引用するね。

    同じくwiki『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ』からの抜粋引用です。

    『超越論的主要問題の第一部:如何にして純粋数学は可能か
    この部分は、要するに『純粋理性批判』から超越論的感性論の要約版になっている。この中で、カントは空間と時間の超越論的観念性についてのひょっとすると最も有名な教説を展開している。要約すれば次のようなことが述べられている。空間と時間は実在的には存在しない、つまり、人間から独立には存在しない。すなわち、それらはむしろ(人間の)全ての感性的経験の根本条件であり、それで以て我々が現実を見るようなメガネのようなものである。
    全ての感性的経験の必然的条件である純粋な直観形式である空間と時間とを以て、この理論は特に次のことを説明しようとする。なぜ数学と幾何学(カントの時代での)における判断は全ての経験判断を超えた破棄できない必然性をもつのか。すなわち、両者が現実において我々から独立に形成されうるのならば、それらについての言明は、例えば「全ての(健全な)犬は四本の足を持つ」のような帰納推理による比較的普遍的な言明の確実性を要求しうる。すなわち、我々が「これまで」見てきた限りで、犬類の(健全な)生物は四肢を持つ。我々がある日三本の足をもったそのような生物にも出くわすだろうことを不可能にしないのは何か。』
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■21276  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 19:06:14)
    No21272に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■21270、pipitさま、
    > >なんで科学や数学を学問として共有知識にできてるんかなー<
    > うん、わたしもそう思ってる。
    > で、カントはそこらへんなんていってるの?

    ふと思ったんだけど、
    悪魔ちゃんはどう思ってるの?
    わたしにとって悪魔ちゃんの意見は新鮮だから聞きたいな、と。

    気が向いたらでいいよ!

    家事してくるねー (^○^)
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■21282  Re[7]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 20:32:09)
    感性論は数学、
    悟性論(プラス感性論)は物理学などの基礎となる純粋自然科学の成立について記述してるとpipitは思ってるよー

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