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■19817  超越論的感性論 第三項:W−7
□投稿者/ うましか -(2021/12/11(Sat) 09:24:02)
    2021/12/11(Sat) 09:25:15 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございますー

    No.19814 (pipitさん)

    >カントもそうだけど、どなたでも、やっぱりその時代においてのいろんな影響を含んでのその方になってるのかもなーと思いました。

    そうですねー、私もそうおもいます(・∀・)

    >関連して思い出したカント関連の動画
    https://youtu.be/nR8sxOq_g9o

    これはなかなかベンキョーになる動画ですね!
    いつもためになる情報をありがとうございますm(__)m

    あと、関西弁の二人称?としての「じぶん」の使用について。
    コレおもしろいですねー(・∀・) こんなサイトみつけました。

    https://keicob.com/kansaiben-jibun/

    「あなた」をじぶんとしては≠ニ置き換えるとよいとありました。


    *******

    ◆したがって私たちは、人間の立場からのみ、空間とか拡がりのあるもの等について語ることができる。私たちが、その〔主観的条件の〕下でのみ、対象によって触発されるだろう外的直観を得ることができるという、そのような主観的条件を捨て去るならば、空間についての表象は全く無意味となる。空間というこの述語〔Praedikat〕は、諸物が私たちに現象するかぎりにおいてのみ、言いかえれば、諸物が感性の対象であるかぎりにおいてのみ、それらの諸物に付加される。私たちが感性と名づけるこの受容性の恒常不変の形式は、諸対象がそこで外なるものとして直観される全ての関係の一つの必然的条件であり、これらの諸対象が捨象されるときには、一つの純粋な直観であり、この純粋な直観に空間という名称が使われるのである。私たちは感性の特殊な諸条件を、事象の可能性の諸条件にすることはできず、事象の現象の可能性の諸条件にすることができるに過ぎないので、私たちはおそらくこういうことができる。空間は、私たちに外的に現象し得る全ての物を包括しはするが、たとえ物自体が直観されるにしても、直観されないにしても、或いはまたいかなる主観によって直観されるとしても、全ての物自体を包括しはしない、と。なぜなら、私たちは、私たち以外の思考する存在者の直観については、私たちの直観を制限し、私たちにとって普遍的に妥当するのと同じ諸条件に、はたしてそれらの存在者が拘束されているかどうかを全然判断することができないからである。

    --- No.19682 からの続き---

    ◇私たちが判断のこの制限を主語の概念に付加するなら、そのときにはその判断は無条件的に妥当する。「全ての諸物は空間において並存している〔Alle Dinge sind neben einander im Raum〕」という命題は、これらの諸物が私たちの感性的直観の対象と理解されるという制限〔Einschraenkung〕のもとでのみ妥当する。

    ◇私たちがこの場合、この条件をその概念に付加して、「全ての諸物は、外的現象として、空間において並存している」と言うなら、この規則は普遍的に制限なしに妥当する。したがって私たちの論究が教えるのは、
    空間は、外的に対象として私たちにあらわれうる全てのもの関しては、実在性〔Realitaet〕(言いかえれば、客観的な妥当性〔die objektive Gueltigkeit 〕)をもつが、
    同時に空間は、理性によってそれ自体において考究されるときの、言いかえれば、私たちの感性の性質を顧慮することなしに扱われるときの諸物に関しては、観念性〔Idealitaet〕≠もつということである。

    ◇それゆえ私たちは、空間の経験的な実在性〔empirische Realitaet〕(全ての可能的な外的経験〔aller moeglichen ausseren Erfahrung〕に関しての)を主張するが、
    もっとも同時に、
    空間の超越論的な観念性〔transzendentale Idealitaet〕≠も、
    言いかえれば、私たちが全ての経験の可能性の条件を捨て去り、だから空間を諸物自体そのもの〔Dinge an sich selbst〕の根底にある或るものとして想定するやいなや、空間は何ものでもなくなるということをも、
    主張するのである。


    † 原佑訳上巻、p.156〜p.157参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−7 No.19817
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817
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