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■21494  悪魔ちゃんへ♪
□投稿者/ pipit -(2022/03/13(Sun) 10:16:58)
    2022/03/13(Sun) 10:32:10 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、おはよう (*^▽^*)

    > メルポンの『行動の構造』の訳注に、
    >
    > 〔『純粋理性批判』の第二版は、〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」のいう「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え、また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――を放棄して、意識のすべての水準――それは、抽象的分析によってのみ区別される――に「我思う」が現前しているということを第二版よりもいっそう明らかにしようとする。〕
    >
    > 〔カントの有名な言葉。直観に与えられる多様な表象が綜合されて、〈一つの経験〉ないし〈一つの認識〉となるためには、それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない、というわけである。〕
    >
    > ってあるのね。ほら、これ、訳注だし〜、<

    の真ん中あたりの

    【また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――を放棄して、意識のすべての水準――それは、抽象的分析によってのみ区別される――に「我思う」が現前しているということを第二版よりもいっそう明らかにしようとする。〕】

    について考えてみるね。_φ(・_・

    【三段の綜合】は、純粋理性批判・初版でのカントによる記述を言ってるんだと思う。

    私はまだ精読できてないから、黒崎政男先生の解説などを参考にしながら、pipitの誤解かもの私見を書くね。

    中山先生の訳語で書くね。(第二巻訳注p247)
    カントは初版では、
    〈感覚能力〉
    〈想像力〉
    〈自己統合の意識〉
    の、三段で、『概観→綜合→統一』による『認識』を成り立たせてる、と書いてたみたいなんだよ。(勘違いしてたらごめん!)
    この中の〈想像力〉の働きが、第二版では放棄されてる、と、訳注文は言ってるのかなと。

    というわけで、メルポンさんの訳注(メルポンさんの文章?それとも日訳者の文章?)
    【また〈超越論的想像力〉の三段の綜合】を指してると思われるカントの文章の日訳を引用するね。

    光文社古典新訳文庫『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p247、248
    A94あたり。

    (カントの文章)
    『人間には、すべての経験の可能性の諸条件を含んでいる三つの根源的な源泉(魂の能力または機能)が存在していて、心の他の能力からはこれを導きだすことができない。
    これらの源泉は、感覚能力、想像力、自己統合の意識である。
    これらの三つの源泉に基づいて、
    (一)感覚能力によって多様なものがアプリオリに概観され、
    (ニ)想像力によってこの多様なものが総合され、最後に
    (三)根源的な自己統合の意識によってこの多様なものの総合が統一されるのである。
    これらのすべての能力は、経験的に使用されるだけではなく、超越論的にも使用されるのであり、超越論的に使用される場合には、形式にだけかかわるために、アプリオリに可能である。
    第一部門の超越論的な感性論のところでは、感覚能力のこうした超越論的な使用について検討してきたが、以下では残りの二つの能力について、その本来の性格を洞察してみよう』
    引用終了

    pipitメモ_φ(・_・
    上記引用文の【(ニ)想像力によってこの多様なものが総合され、】が、放棄されて、、、どうなったとメルポンさんの?訳注は言ってるのか、
    また続きを考えてみるね(^ ^)
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■21498  Re[24]: 三つの根源的な源泉
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/13(Sun) 16:47:26)
    pipitさま、

    >三つの根源的な源泉(魂の能力または機能)<
    なんとなく分かりました、ありがとございま〜す。

    >上記引用文の【(ニ)想像力によってこの多様なものが総合され、】が、放棄されて、、、どうなったとメルポンさんの?訳注は言ってるのか<
    これって、メルポンがここらへん、どんなことをいってるか、っていうこと?
    そうでないかもしれないから、メルポンのだし、これWhatのところに書いて見ます。
    あ、それと訳注じゃなくて原注でした、ごめん。
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■21501  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/13(Sun) 17:10:01)
    No21498に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、
    >
    > >三つの根源的な源泉(魂の能力または機能)<
    > なんとなく分かりました、ありがとございま〜す。
    >
    > >上記引用文の【(ニ)想像力によってこの多様なものが総合され、】が、放棄されて、、、どうなったとメルポンさんの?訳注は言ってるのか<
    > これって、メルポンがここらへん、どんなことをいってるか、っていうこと?
    > そうでないかもしれないから、メルポンのだし、これWhatのところに書いて見ます。
    > あ、それと訳注じゃなくて原注でした、ごめん。<

    こんばんは!

    悪魔ちゃんが引用してくれた文章は、メルポンさんの主張なのか、
    翻訳者の主張なのか、どっちなのかなーと、?つけたよ。
    ややこしい言い方してごめんね。
    Whatみてみるね、ありがと!

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■21502  Re[26]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/13(Sun) 17:29:27)
    ありがとう!
    No 21499読んだよー

    どうしよう?

    >上記引用文の【(ニ)想像力によってこの多様なものが総合され、】が、放棄されて、、、どうなったとメルポンさんの?訳注は言ってるのか、
    また続きを考えてみるね(^ ^)<

    は、まだ、

    >> メルポンの『行動の構造』の訳注に、
    >
    > 〔『純粋理性批判』の第二版は、〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」のいう「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え、また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――を放棄して、意識のすべての水準――それは、抽象的分析によってのみ区別される――に「我思う」が現前しているということを第二版よりもいっそう明らかにしようとする。〕
    >
    > 〔カントの有名な言葉。直観に与えられる多様な表象が綜合されて、〈一つの経験〉ないし〈一つの認識〉となるためには、それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない、というわけである。〕
    >
    > ってあるのね。ほら、これ、訳注だし〜、<<

    に答える途中なので後からその続きも書くね、という気持ちで書いたよ。

    Whatでの引用ありがとね!

    一回、今の時点での悪魔ちゃんの質問を聞かせ直してもらってもいい?
    それから調べてみようかなと思うよ
    (^○^)(^人^)



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■21504  Re[27]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/13(Sun) 18:32:22)
    pipitさま、さっそく返信ありがと

    >今の時点での悪魔ちゃんの質問を聞かせ直してもらってもいい?<
    って、わたしが何を知りたいのか、っていうこと?

    あ、その前に、
    〔『純粋理性批判』の第二版は、〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」のいう「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え、また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――を放棄して、意識のすべての水準――それは、抽象的分析によってのみ区別される――に「我思う」が現前しているということを第二版よりもいっそう明らかにしようとする。〕
    は、原注で、
    〔カントの有名な言葉。直観に与えられる多様な表象が綜合されて、〈一つの経験〉ないし〈一つの認識〉となるためには、それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない、というわけである。〕
    は訳注でした。ごめん。

    でね、
    前に、カントは意識の二つの幹「感性」と「悟性」に分けている、ってpipitさまから教えてもらったんだけど、現象学もそう分けて見たいなのね。現象学の場合「受動的総合」「能動的総合」っていう言い方になるんだと思うけど。
    で、この点ではカントのと現象学のとは同じだとわたし見てるのね。

    でも『純理』の第二版ではこの区別をナシにして「感性」を「悟性」のうちに含めちゃった、ってメルポンは言ってるように思えるのね。

    で、わたしがpipitさまに聞きたかったのは、二つあるの。
    (1)第一版から第二版になるとき、カントは心変わりしたのかな?
    (2)『純理』(第一版、第二版関係なく)は、カントの根源的出発点として、〔それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない〕っていうのがそもそもあったのかな?
    っていうこと。

    もし、(2)だとしたら、カントの『純理』は、デカルトのが根本にあるのかな?って思うのね。
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■21506  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/13(Sun) 19:03:47)
     ■No21504に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、さっそく返信ありがと<

    こちらこそ、ありがとう!


    > >今の時点での悪魔ちゃんの質問を聞かせ直してもらってもいい?<
    > って、わたしが何を知りたいのか、っていうこと?<

    うん。m(_ _)m

    > あ、その前に、
    > 〔『純粋理性批判』の第二版は、〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」のいう「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え、また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――を放棄して、意識のすべての水準――それは、抽象的分析によってのみ区別される――に「我思う」が現前しているということを第二版よりもいっそう明らかにしようとする。〕
    > は、原注で、
    > 〔カントの有名な言葉。直観に与えられる多様な表象が綜合されて、〈一つの経験〉ないし〈一つの認識〉となるためには、それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない、というわけである。〕
    > は訳注でした。ごめん。<

    ありがと!
    原注がメルポンさんの文章、
    訳注が翻訳者の文章ってことでよかったかな?

    > でね、
    > 前に、カントは意識の二つの幹「感性」と「悟性」に分けている、ってpipitさまから教えてもらったんだけど、現象学もそう分けて見たいなのね。現象学の場合「受動的総合」「能動的総合」っていう言い方になるんだと思うけど。
    > で、この点ではカントのと現象学のとは同じだとわたし見てるのね。<

    うん。

    > でも『純理』の第二版ではこの区別をナシにして「感性」を「悟性」のうちに含めちゃった、ってメルポンは言ってるように思えるのね。<

    第二版でもカントは区別してるけど、【総合】とは何の能力とするか、を、メルポンさんは問題にしてるかもだね。


    > で、わたしがpipitさまに聞きたかったのは、二つあるの。
    > (1)第一版から第二版になるとき、カントは心変わりしたのかな?<

    カント自身は、内容は変わってない、的なことを言ってた覚えがあるよ。

    引用しようと、今中山元先生の訳本(第一巻p185…)読み返したら、結構分量あったので
    英訳抜粋して機械翻訳にかけて引用してみるよ。
    後で投稿するね!


    > (2)『純理』(第一版、第二版関係なく)は、カントの根源的出発点として、〔それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない〕っていうのがそもそもあったのかな?
    > っていうこと。
    >
    > もし、(2)だとしたら、カントの『純理』は、デカルトのが根本にあるのかな?って思うのね。<

    ここらへんは最終的な結論に辿り着くの難しいかもだね。
    カント自身は純粋理性批判の中でデカルトのコギト論に対して反論してるみたいだよ。

    ここも中山元先生訳本を見てみたら(第四巻p137ー)分量多かった。
    ここはわたしは日本語訳でもまだわからんとこやけど、後で英訳と機械翻訳投稿しておくね。

    では後で英訳さがしてきまーす(^^)/
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■21508  Re[29]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/13(Sun) 19:42:50)
    ■21506、pipitさま、

    >第二版でもカントは区別してるけど、【総合】とは何の能力とするか、を、メルポンさんは問題にしてるかもだね。<

    わたし”区別する”っていうの、他に含められないものとして存在する、ってわたし見てるのね。だからもしカントが「感性」を「悟性」の中に含めちゃったら、「感性」は感性じゃなくなっちゃて、「悟性」になっちゃうの。なにも区別する必用ないじゃん。

    たとえばね、
    「pipitさまは人間である」ってして、pipitさまを人間のなかに含めっやらpipitさまじゃなくなって、「人間」っていう名にになっちゃうのね。
    「ロシアがウクライナに武力攻撃してる」ってしてして、ロシア人をロシアのなかに含めちゃたら、ロシア人は「ロシア」っていう名になっちゃうのね。
    こんな感じわたしもってる。

    >後で投稿するね!<
    よろしくおねがいしま〜す。
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■21512  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/13(Sun) 20:56:03)
    > わたし”区別する”っていうの、他に含められないものとして存在する、ってわたし見てるのね。だからもしカントが「感性」を「悟性」の中に含めちゃったら、「感性」は感性じゃなくなっちゃて、「悟性」になっちゃうの。なにも区別する必用ないじゃん。<

    カントは感性と悟性をくっきり区別してるよ。
    感性を悟性の中に含めていないよ。
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■21507  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/13(Sun) 19:35:27)
    うーん、機械翻訳してみたけど、やっぱり意味が取り難くなってると思うから、
    中山元先生の文章をそれぞれ引用してみるねー

    ちょっと先での(明日以降の)投稿になるかもでごめんね。

    いつもいろいろありがとう!
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■21509  Re[30]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/13(Sun) 20:06:11)
    ■21507、
    あ、わたしが送信する前に、時間差で先にあったのね。

    >ちょっと先での(明日以降の)投稿になるかもでごめんね<
    いいえ〜、おねがいしてるのはこっちの方だから、いつになってもいいで〜す。
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■21510  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/13(Sun) 20:19:56)
    引用とかはゆっくり明日以降にさせてもらうね!

    悪魔ちゃん、今何か光景見えてるでしょう?

    その見えている光景から悪魔ちゃんの記憶を引いたときに何が残るか、想像できる?

    どんな景色になると想像するのか聞かせてくれる?
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■21513  質問
□投稿者/ pipit -(2022/03/13(Sun) 20:58:40)
    No21510に返信(pipitさんの記事)
    > 引用とかはゆっくり明日以降にさせてもらうね!
    >
    > 悪魔ちゃん、今何か光景見えてるでしょう?
    >
    > その見えている光景から悪魔ちゃんの記憶を引いたときに何が残るか、想像できる?
    >
    > どんな景色になると想像するのか聞かせてくれる?

    ↑よかったらまた教えてねー(^_^)
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■21530  Re[33]: 感性と悟性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/14(Mon) 18:29:25)
    pipitさま、
    >感性を悟性の中に含めていないよ<
    カントの、分かりました、ありがとございま〜す。

    >その見えている光景から悪魔ちゃんの記憶を引いたときに何が残るか、想像できる?どんな景色になると想像するのか聞かせてくれる?<
    記憶を引くのね、っていうことは体験がない、っていうことだから〜、
    ん〜ん、そうね、
    私が初めて見る光景かな?
    もっと初めのは、
    乳幼児の私が見てる風景かな?
    乳幼児は”この世界”を初めて見るものばかりだし。
    残念なことにわたしそのころの、ほとんど記憶にないのね。

    ん?ひょっとして、pipitさまって、ある派?




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■21531  Re[34]: 感性と悟性
□投稿者/ pipit -(2022/03/14(Mon) 19:55:47)
    No21530に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、
    > >感性を悟性の中に含めていないよ<
    > カントの、分かりました、ありがとございま〜す。
    >
    > >その見えている光景から悪魔ちゃんの記憶を引いたときに何が残るか、想像できる?どんな景色になると想像するのか聞かせてくれる?<
    > 記憶を引くのね、っていうことは体験がない、っていうことだから〜、
    > ん〜ん、そうね、
    > 私が初めて見る光景かな?
    > もっと初めのは、
    > 乳幼児の私が見てる風景かな?
    > 乳幼児は”この世界”を初めて見るものばかりだし。
    > 残念なことにわたしそのころの、ほとんど記憶にないのね。
    >
    > ん?ひょっとして、pipitさまって、ある派?<

    悪魔ちゃん、お返事ありがとう!

    悪魔ちゃんが今見てる景色から記憶を引いた景色を、悪魔ちゃん的には想像することはできない、というお返事の意味でいい?
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■21532  質問2
□投稿者/ pipit -(2022/03/14(Mon) 20:01:56)
    悪魔ちゃんへ

    よかったら、ほんの少し新しい角度からの質問いいかな?

    悪魔ちゃんが今見えてる景色は、悪魔ちゃんの記憶能力がある時とない時に、見えるものが違ってると思う? 
    それとも、記憶能力がある時でもない時でも、同じ光景が見えていると思う?

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■21534  質問3
□投稿者/ pipit -(2022/03/14(Mon) 20:09:08)
    悪魔ちゃんへ

    部屋にティッシュボックスある?

    今、見れる?

    記憶がある時と、記憶がない時、それを【知る】結果はそれぞれどういう風な表現になると推測するか、教えてもらっていい?
    正解があるわけじゃないよ、悪魔ちゃんの表現が知りたいからだよ。

    好き勝手に書いてくれればいいよ。
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■21549  Re[37]: 質問3
□投稿者/ pipit -(2022/03/14(Mon) 20:12:47)
    No21534に返信(pipitさんの記事)
    > 悪魔ちゃんへ
    >
    > 部屋にティッシュボックスある?
    >
    > 今、見れる?
    >
    > 記憶がある時と、記憶がない時、それを【知る】結果はそれぞれどういう風な表現になると推測するか、教えてもらっていい?
    > 正解があるわけじゃないよ、悪魔ちゃんの表現が知りたいからだよ。
    >
    > 好き勝手に書いてくれればいいよ。<

    ※補足
    【知る】は、見た瞬間に知ること、を意味してpipitは書きました。
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■21568  悪魔ちゃんへ 引用
□投稿者/ pipit -(2022/03/15(Tue) 00:09:52)
    2022/03/15(Tue) 00:12:43 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは!
    No21504
    >で、わたしがpipitさまに聞きたかったのは、二つあるの。
    (1)第一版から第二版になるとき、カントは心変わりしたのかな?
    (2)『純理』(第一版、第二版関係なく)は、カントの根源的出発点として、〔それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない〕っていうのがそもそもあったのかな?
    っていうこと。<

    まず、(1)に関するカントの文章を引用するね。
    カント自身は、心変わりはしてないと主張してるみたいだね。

    純粋理性批判第二版序文から抜粋引用します。『純粋理性批判1』カント、中山元先生訳、p185より引用

    (カントの文章)
    『(略)ところでこの第二版については、当然のことながら、この機会を利用して、初版で理解しがたいところを訂正し、意味のとりにくいところを改善しようと試みた。
    わたしにも責任があるのだろうが、初版にあった問題点のために、初版を批評された多数の鋭い評者のうちに、誤解が生じたらしいからである。
    しかし本書で提示した命題と、その命題の証明の根拠について、さらに本書の計画の形式とその完全さについて、修正すべき点は発見できなかった。
    それは本書の刊行に先だって、わたしが長い時間をかけて吟味したからであり、あるいは問題となっている事柄の性質に(すなわち思索をこととする純粋な理性の性質に)よるからでもある。
    (略)
    ただ、記述のしかたにはまだ多くの改善すべき点があり、この第二版ではさまざまな改善を試みた。
    とくに改善したところをあげるならば、まず感性論における誤解、とくに時間の概念における誤解を解消するようにした。
    次に知性の概念の根拠づけのうちの曖昧なところを取りのぞき、
    さらに純粋な知性の原則の証明における明証性の欠如(と思われたもの)をなくし、
    最後に合理的な心理学を批判的に考察した誤謬推論の部分についての誤解を解消するように試みた。
    ただし記述の方法を修正したのはそのくらいであり(すなわち超越論的弁償論の第一章の最後までであり)、その後はとくに変更を加えていない(注)。というのは時間があまりにも不足しているだけでなく、専門的な見地から公正に吟味した人々のうちでも、残りの部分については誤解が発生していないからである。
    (略)
    (注)ほんらいの意味で[初版と比較してこの第二版が]増加したところは、証明方法だけにかかわる部分であり、二七三ページにおいて、心理学的な観念論を新たに論駁し、外的な[事物の]直観の客観的な実在性について厳密な証明を示したところだけである(略)』
    引用終了


    今日はもう寝るね、おやすみー(^ ^)☆彡
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■21572  Re[39]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/15(Tue) 18:02:24)
    引用、ありがとございます。
    カントの心変わりはなかった、っていうことでわかりました。

    わたしへの質問、書いて見ま〜す。

    質問3
    No21534
    部屋にティッシュボックスある?
    うん、ティシュの入った箱よね、あるよ。

    (a)「ティッシュボックス」の記憶がある時、見た瞬間に知る、その結果は、どうなるか?
    (b)「ティッシュボックス」の記憶がない時、見た瞬間に知る、その結果は、どうなるか?
    っていうこと?

    だとしたらでね
    (a)のばあい、わたし花粉症で、今の時期鼻水いっぱい出ちゃうから、鼻かむよ。
    (b)のばあい、見た瞬間に知る、っていうことがなくなるから、その結果「これなあに?」ってなる。記憶能力のない人が「これはティッシュボックスだよ」って教わっても、記憶ないんだから、それを見るたび「これなあに?」。


    質問2
    No21532
    記憶能力がある人(A)とない人(B)がいて、今、同じ場所にAとBがいて、
    Aが見ている風景とBが見ている風景、それぞれ見えるものが違うのか、同じ光景なのか?
    っていうことでいいのかな〜?
    ひとまず、これで、

    もし、わたしがAとしてを見て見ると、
    わたしが椅子に座って、しばらくそこに居て、わたしの眼の前の景色を見ているとするね。
    そのしばらくの間にも、時間は過ぎてるんだけど、〈ついさっき見た景色〉と〈たった今見てる景色〉と〈これから見るであろう景色〉、これ、わたし“同じ景色”って思ってるのね。
    「今」っていう時間の幅のなかに、記憶能力のある人は〈ついさっき見た景色〉を保持することができる、っていうことよね。

    じゃ、もしわたしがBの場合はどうなんるかな?
    記憶能力がないっていうことは、〈ついさっき見た景色〉を保持することができない、っていうことだから、〈たった今見てる景色〉と〈これから見るであろう景色〉だけになる、っていうことなんだけど。
    でもよく考えてみると、記憶能力がない、っていうことは「過去」がないっていうことで、これは「今」っていうのも存在しない、っていうことになるんじゃないかしら?「未来」もね。
    もしわたしに記憶能力がなかったら「今わたしに見えてる景色」の「今」がなくなって、「わたしに見えてる景色」だけになる。

    Aわたしは「今」見えてる景色は”同じ光景“。
    Bわたしは、わたしに見えてる光景だけ、「今」のない光景、ってなる。

    Aには「今」はあるけど、Bにはそもそも「今」が存在しない、過去・現在・未来、っていうのがなくなってる、時間が存在しない?今日は何年何月何日がないっていうことにもなるかな?

    こいうふうに見て見ると、
    AとBが、今、同じ場所にいて、“同じ光景が見えている”のかもしれないけど、Aに見えてる景色とBに見えてる景色はそれぞれの“意味が異なる”から、それぞれ見えているものは違う、っていうことになるんじゃないかしら?

    記憶能力のあるなしじゃなくても見ているものが違うっていうことあるよね。

    どう? pipitさまの期待した答えになってるかしら?

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■21573  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/15(Tue) 18:27:35)
    2022/03/15(Tue) 18:38:21 編集(投稿者)

    お返事ありがとう!

    No21572
    > 質問3
    No21534
    部屋にティッシュボックスある?
    うん、ティシュの入った箱よね、あるよ。

    (a)「ティッシュボックス」の記憶がある時、見た瞬間に知る、その結果は、どうなるか?
    (b)「ティッシュボックス」の記憶がない時、見た瞬間に知る、その結果は、どうなるか?
    っていうこと?<

    ややこしくてごめんね、わたしの質問の意味は違ってて、

    知る【内容】ということ。

    伝わる??

    わたしの書き方がまずくて、ごめんよ(>人<;)
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