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■34770 / inTopicNo.73)  Re[63]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/27(Fri) 19:03:02)
    No34697のつづきね。

    (a)の『ハイデガーが示唆しているように、「世界」というものの知覚がないかどうか、・・・・・』について、
    【『存在と時間』 ハイデガー/原佑・渡邊二郎訳/中央公論新社2003 】のなかに、これに似たようなことを言ってるところがあったので、それ書き写しておく。

    (e)『世界内部的存在者の存在的な描写も、こうした存在者の存在の存在論的な学的解釈も、そのものとしては、「世界」という現象に遭遇しはしない。「客観的存在」へと近づく通路のこれら両様式においては、すでに、しかも異なった仕方において、「世界」が、「前提されて」いるのである。』(『存在と時間』Tp165)

    (f)『世界内存在は、したがってまた世界も、現存在の最も身近な存在様式としての平均的日常生活という地平のうちで、分析論の主題になるべきである。日常的な世界内存在が追及されるべきであり、だから、この日常的な世界内存在を現象的な頼りとして世界といったようなものが視野のうちに入ってこなければならないのである。』(『存在と時間』Tp169)

    (g)『そもそも世界というものが存在しているのかどうか、また、世界の存在が証明されうるのかどうかという問いは、世界内存在としての現存在が設定する問いとしては――だが、そのほかの誰がこうした問いを設定するのであろうか――無意味である。そのうえにこの問いには、あくまで曖昧さがつきまとっている。内存在の場としての世界と、世界内部的な存在者としての「世界」、つまり、現存在が配慮的に気遣いつつそのもとに没入している当のものが、ごちゃまぜになっている、ないしは全然区別されてさえいないのである。だが、世界は、現存在の存在とともに本質上開示されており、「世界」は、世界の開示性とともにそのつどいちはやく暴露されている。そうは言っても、実在的なものという意味での、つまり、たんなる事物的存在者という意味での、まさしくそうした世界内部的な存在者は、まだ隠蔽されたままであることがありうる。』(『存在と時間』Up175)

    ちなみに、(e)の、『世界内部的存在者の存在的な描写も、こうした存在者の存在の存在論的な学的解釈』にある『存在的』と『存在』と『存在論的』は、異なる意味で使われてるみたい。あと『存在者』っていうのもね。 たぶん。

    ハイデガーのから、わたしに見えるようにさせようとするものに関するところは、これでだいたい書き出せたかな。

    「世界」って名ざされてるもの、わたしのどうしとこっかな〜、って。

    まだ、つづくよ。

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■34772 / inTopicNo.74)  Re[64]: つれづれなるままに
□投稿者/ 花火田ドン -(2023/10/27(Fri) 19:56:33)
    2023/10/27(Fri) 19:57:06 編集(投稿者)

    人は10回言わなきゃ解らないんだな。
    たぶん、俺の考えている事って、悪魔ちゃんが言うハイデカーなんだと思う。

    すげ〜じゃん。
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■34791 / inTopicNo.75)  Re[65]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/28(Sat) 15:32:42)
    No34770の(e)と、
    No33577の(a)、
    ハイデガーは『「世界」という現象』って言ってて、メルポンは『「世界」というものの知覚』って言ってる。

    ハイデガーは『存在と時間』のなかで、「現象(ファイノメノン)」という語はいろいろな意味で使われている、って言ってて、「現象学」は『おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせるということにほかならない』っていってる。だから、現象学で扱おうとする「現象」というのは「おのれを示す当のもの」ってわたし見たのね。
    メルポンのばあい、現象を〈知覚・統覚されているもの〉に見てるのかも?
    ハイデガーの言う現象学の意味と合わせると、『知覚の現象学』っていう題名は、〈知覚のおのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせると〉ってなるのかな。

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■34792 / inTopicNo.76)  Re[66]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/28(Sat) 16:45:44)
    いまのわたしの物語り、メルポンの言う「世界における(への)存在」なんだけど、
    前にも書いたけど、【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】の訳注にあるのを書いとく。
    [etre au monde]の[etre]の最初の[e]の上には、[^]がついてるんだけど、ここでは省略するね。

    〔原文はI’homme est au monde.これは12項に出現する本書の基本概念「世界における(への)存在」(etre au monde)を先取りするものであるが、この基本概念はハイデガーの「世界内存在」(In-der-Welt-Sein)、サルトルのetre -dans-le-mondeに対応するものであることは、いうまでもない。問題はmondeの前の前置詞auの訳し方だが、独訳(Rudolf Boehem,1966)ではzu、英訳(Colin Smith,1961)ではinとなっている。つまりetre-au-mondeを独訳者はZu-Welt-Sein、英訳者はBeing in the worldと訳す。但し英訳では文脈によってはbeing to the worldとも訳している。要するにetre au mondeとは世界に属しつつ世界に臨む人間のあり方を表す言葉で、本訳書では述語的に使われていると思われるところでは、カギ括弧でくくり、更に「世界における存在」と「世界への存在」を共に示すため「世界における(への)存在」とした。〕(『知覚の現象学』訳注P.818)

    メルポンは、フッサールやハイデガーに倣ってるのかな?ん、わたし現象学っていうのは〈方法を提示する学〉って見てるから、っていうよりその方法に倣って、っていう方が正確なのかも。

    わたしのばあい、”メルポンの”現象学が好み。

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■34793 / inTopicNo.77)  Re[67]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/28(Sat) 19:03:04)
    ■34792、ちょっと修正ね。

    わたし「現象学」っていうの〈方法を提示する学〉って勝手に思っちゃてるんだけど、

    ハイデガーによると、
    『「現象学」はその研究の対象を名指しているのでもなければ、また、現象学というこの名称はその研究の事象内容を性格づけているのでもない。現象学というこの語は、この学において論ぜられるべき当のものを、いかに提示し取り扱うかということに関して解明するだけである。』
    っていうことみたいです。

    ここんとこ何度読んでもわたしよくわかんないのね。

    「解明」っていうのネットでは、「不明な点を探って、はっきりさせる」ってある。で、それをするだけなのが現象学っていうこと?

    私がある問い(知りたいという欲望)が発生したとするね。そのとき、その問いに対するある答えを提示してくれるんじゃなくて、そこへの道筋のヒントを示してくれるだけ、みたいなの?答えはあなたが出すものよ、みたいな〜? ん〜ん?

    よくわかんないけど、【箴言】(戒めの言葉。教訓の意味をもつ短い言葉。格言。)−―たとえばキリストの教え、仏の教え−―みたいなのを語ってる、みたいなんじゃないことは確かだと思う。

    こういう感じの、わたし現象学から感じてるんだけど、自分の問いの答えを他者に求める人には、現象学は意味(価値)ないかもね。

    あ、そもそも、問いが発生しない状況、幸せなんだな〜、ってわたし見てる。


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■34805 / inTopicNo.78)  知的財産
□投稿者/ 田秋 -(2023/10/29(Sun) 15:12:56)
    こんにちは、悪魔ちゃん

    知的財産とは
    「知的活動によって生まれ、経済的に価値のあるもので、それ自体には形のないもの」
    と言うことが出来ます。専門用語では上文「価値あるもの」は「価値ある情報」、「形のないもの」は「無体物」となっています。
    具体的には著作物、発明、商標などで、また著作物とは「文芸、学術、美術、音楽の範疇」を指します。又、舞踊や建物も含まれます。

    小説や論文は「情報」と表現するのですね。無体物というものは少し考えると「?」が点きます。
    「本って形あるじゃない?」
    本は媒体であって、知的財産と言うのは「その中身」ということです。美術品に関しては色々コムツカシイ判例があります。
    著作権法第2条 「判例」参照
    https://ja.wikibooks.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E6%B3%95%E7%AC%AC2%E6%9D%A1

    建物も著名な人が建てたもの(経済的価値のあるもの)は著作物になります。建物が無体物?と疑問を持ちますが、著作物だと認定されれば著作物となり知的財産となるようです。建物に関してこれ以上はわかりません。

    悪魔ちゃんが興味あるのは多分「著作の複製」というところじゃないかな。色々書き写したりしているから。

    「複製権とは」
    https://jrrc.or.jp/educational/guide/outline/

    著作権法第21条
     著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。
    著作者以外に複製権を持つものはいない、ということです。

    第63条 著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる。
    複製したいのなら著作者の許しが必要、ということです。

    この後、「著作権法で定められた例外」というものが列記されています。ここは悪魔ちゃんには参考になると思います。

    私見ですが、悪魔ちゃんがニークラで行っている行為は、
    営利を目的としないし、「引用」をちゃん明記していれば問題はないと思います。

    版権の切れたものは大丈夫ですが、翻訳物となると翻訳に対する著作権が生まれるので、やはり「引用」は常に明記した方が安全と言えます。
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■34806 / inTopicNo.79)  Re[69]: 知的財産
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/29(Sun) 15:56:05)
    ■34805、田秋さん、ありがとございます。

    わたしの、私的使用のための複製(第30条)の範囲を超える利用ではないし、
    出どころも書くようにしてるので、

    ちょっと安心しました。



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■34811 / inTopicNo.80)  Re[70]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/29(Sun) 18:25:11)
    「世界」について、
    ハイデガーのを見てきたんだけど、もういちどメルポンのを見て見ようとしてるんだけど、
    その前に、

    わたしが〔世界(文化・自然)〕ってしたのを書いとく。
    あくまでもわたしのばあい、ね。
    @「世界」っていうのを「存在」とも言うことにしちゃってる。
    No34697の1に『世界は、存在的概念と使用され』ってあるのから。もっとも『存在的』になってるけどね。
    A「人(私)」を中心にして、「世界(存在)」を大きく二つに、〈人(私)がつくりだしたもの〉を「文化(的存在)」、〈人(私)がつくりだしたものではないもの〉を「自然(的存在)」って分節。
    Bそして「人(私)」はその間にいるから、文化と自然が絡み合った場。
    っていいうふうに(前にも喋ったかもだけど)。
    ちなみに「身体」は「自然的存在」ってして見てる。だから、私と自然とは身体という臍の緒で結びついてる、とも見てる。

    こういうふうに「世界」っていうのを「文化」と「自然」に分けて見ることにしたのは、やっぱ、メルポンのからね。
    そのきっかけとなったところを書き出しておくね(前にも書いたけど)。

    (h)『…コギトとは、三世紀以前にデカルトの精神のなかで形成されたあの思想であるか、それとも彼がわれわれに残したさまざまなテキストの意味であるか、あるいはまた、それらを貫いて現れる永遠の真理であるか、いずれにせよ、私の思惟が捉えようとするとうよりも、むしろ、なじみ深い環境において私の身体がもろもろの事物のさなかにあって、これらの事物をはっきりと表象するまでもなく、おのずと方向をとって進んでゆくのと同じように、私の思惟が向かってゆくところの、一個の文化的存在なのである。…』(『知覚の現象学』p602)
    の、
    『コギトとは、・・・・一個の文化的存在なのである。』っていうところから。

    「コギト」――考えることとそれによって考えられたもの――これって〈人(私)がつくりだしたもの〉よね。

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■34813 / inTopicNo.81)  Re[71]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/29(Sun) 19:31:12)
    「世界」について、メルポンのに戻るね。

    (h)『‥‥現象学は、「厳密学」たろうとする哲学の野心であるが、またそれと同時に、「生きられた」空間、世界についての報告でもある。それは、われわれの経験の心理学的な発生や、科学者、歴史家、もしくは社会学者が提供しうるような、その因果的な説明を願慮せずに、経験をあるがままに、直接、記述しようという試みである。だがフッサールは、晩年の諸著作のなかで「発生的現象学」、いや「構成的現象学」にまで言及している。こうした矛盾は、フッサールの現象学とハイデガーのそれを区別することによって、解決されるだろうか。しかし『存在と時間』はすみずみまで、フッサールの指示に由来するものであって、要するにこれは、フッサールが、その生涯の終わりに臨んで、現象学の最も主要なテーマとして提起した「自然的世界概念」あるは「生活世界」の、一つの解明にすぎないのだ。‥‥』  (『知覚の現象学』p1-2)

    ここにある「自然的世界概念」っていうの、まだわたしいまいちわかんない。

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■34814 / inTopicNo.82)  Re[72]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/29(Sun) 19:33:41)
    いま、〈世界における(への)存在としての私〉がわたしの物語りになってるんだけど、

    「世界」っていうの、

    No33577の、
    『「世界」というものの知覚がないかどうか』(?)
    とか、
    No34770の、
    『そもそも世界というものが存在しているのかどうか』(?)
    っていう問いを、現象学からつきつけられて、わたしのばあい困惑しちゃってる。

    “「世界」というのも”あるいは“「世界」と呼んでるもの”、わたしどういうものだって思ってるのかしら、って。

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■34845 / inTopicNo.83)  Re[73]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/30(Mon) 19:31:31)
    “「世界」というもの”、“「世界」と呼んでるもの”、
    ハイデガーは、
    No34697の(d)のように分けてるんだと思うけど(たぶん)。わたしにはよくわかんなかった。

    ひとまず、現象学のを見ていく。

    No34813の(h)から、
    現象学がテーマとする「世界」というの、「生きられた世界」とか「生活世界」ってしていいかも。
    ハイデガーのでは、
    No34770の(f)に「平均的日常生活という地平」、
    No34697の3に「環境世界」――そしてハイデガーは「われわれは、世界という表現を述語的には3で確定された意義をあらわすために要求する」って言ってる。
    メルポンの、
    No33577の(a)の〈現実に存在するものとしての世界〉、(b)の〈世界のこれこれの一区画に隣接する地平〉というのもある。

    わたしの、
    わたしに、あるものが見え、考えるとき、メルポンの言う「地の上の図」っていうのを忘れないようにしようと思ってる。「地」っていうの、フッサールでは「地平」って言ってるのかも。「顕在的地平」「潜在的地平」っていうのあるみたいで、わたし簡単に見て、それぞれ〈見えてる背景〉、〈見えてない背景〉ともしてる。「図」をあるひとつの「対象」とも見てる。いづれにしても「図(対象)」はすべて「地(地平・背景)」をもっていて、両者の関係性によって図が見え(知覚され)隠れしている、みたいなふうに見てる。
    前に、こういういうのを、
    No29540 で絵で描いて見た。
    このように“されるもの“としての私だけじゃなくて、”するもの“としての私っていうのもあって、”するものとしての私“が、なにか”して“「したもの」が出来るとするね。この私が「したもの」を「図」ってして見るのね。そして、メルポンは『地の上に図を描いたらそれを再び地に戻してみる』みたいなことを言ってたと思う。
    「世界」っていうの、こういうよな「地(地平)」として見たらいいのかも?って。
    こんなことわたし思ってるから、
    現象学がテーマとする「世界」っていうのを、フッサールのいう「生活世界」ってしてもいいんだけど、わたしのばあい、〈日常生活という地平〉とか、私の〈生きられた生活世界〉のこと、ってした方がわたしには分かりやすい感じ。
    こういうんから、〈世界における(への)存在としての私〉の〈世界〉っていうのを、言いかえると、
    〈日常生活という地平における(への)存在としての私〉
    〈生きられた生活世界における(への)存在としての私〉
    っていうことになるのかな。

    「世界」が狭い、っていう人もいるかもね。
    でもね、・・・・・・・・ ← そういう人いたら書くね。

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■34846 / inTopicNo.84)  Re[74]: つれづれなるままに
□投稿者/ 花火田ドン -(2023/10/30(Mon) 19:51:04)
    俺にとっての世界は、イマジネーション(文化)とメランコリック。
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