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■21054 / inTopicNo.1)  Re[13]: 1.対象を認識するための条件137★
  
□投稿者/ pipit -(2022/02/23(Wed) 23:47:04)
    2022/02/24(Thu) 00:00:42 編集(投稿者)

    No21053
    ※原文の英訳の機械翻訳
    >さて、問題は、もし何かが直観されないとしても、物体として考えられる条件としての理解の概念が、心の中に先験的に存在しないかどうかということである。この疑問が肯定的に答えられるならば、物体に関するすべての経験的認識は、必然的にこのような概念に適合することになる。<

    直観される条件が空間と時間のように、

    対象(object)が思考(概念を適用)される条件としての概念(conceptions of understanding )があると肯定されるならば、


    直観に関するすべての経験的認識は、必然的にこのような形式(空間と時間)に適合するように、
    >物体(object)に関するすべての経験的認識は、必然的にこのような概念に適合することになる。<


    >なぜなら、もしこのような概念が前提となっていなければ、何かが経験の対象となることはあり得ないからである。<

    考える形式、にのっとって、対象が思考される。(仏教用語・パパンチャ。。。思考の広がり、を連関して思い出しました。)

    >さて、すべての経験には、対象が与えられる感覚の直観のほかに、直観において与えられる対象の観念も含まれている。<

    >したがって、一般に対象に関する概念は、すべての経験的認識の基礎に先験的条件として存在しなければならない。<

    >したがって、先験的概念としてのカテゴリーの客観的妥当性は、(思考の形式に関する限り)経験はその手段によってのみ可能であるということ、このことに基づいているであろう。<

    >なぜなら、その場合、カテゴリーは経験の対象に必然的かつ先験的に適用されるからであり、経験の対象はそれらを通じてのみ思考されうるからである。<

    後半は、おそらく、
    この投稿の冒頭

    >さて、問題は、もし何かが直観されないとしても、物体として考えられる条件としての理解の概念が、心の中に先験的に存在しないかどうかということである。この疑問が肯定的に答えられるならば、<

    で、演繹論(根拠づけ)が成功するならば、という、目算かな、と、思いました。

    おつかれさまです。 

    1.対象を認識するための条件137★
    の読解終わります。誤読してたらすみません
    m(_ _)m


    --------------------------------
    読んでる場所の参考★中山元先生の段落タイトルリスト参照

    第一四項 カテゴリーから超越論的な根拠づけへの移行
    1.対象を認識するための条件137★
    2.超越論的な根拠づけの原理138
    3.イギリス経験論の問題点139
    4.本書の課題 140
    5.判断表の概念とカテゴリー表の概念の違い――実体の概念を例として141

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf
引用返信/返信 削除キー/
■21053 / inTopicNo.2)  Re[12]: 1.対象を認識するための条件137★
□投稿者/ pipit -(2022/02/23(Wed) 23:25:32)
    後半部分まとめて英訳と機械翻訳を投稿してみます。
    前回(対象)と訳されたobjectが今回は(物体)と訳されてますね。

    Now the question is whether there do not exist, a priori in the mind, conceptions of understanding also, as conditions under which alone something, if not intuited, is yet thought as object. If this question be answered in the affirmative, it follows that all empirical cognition of objects is necessarily conformable to such conceptions, since, if they are not presupposed, it is impossible that anything can be an object of experience. Now all experience contains, besides the intuition of the senses through which an object is given, a conception also of an object that is given in intuition. Accordingly, conceptions of objects in general must lie as &#224; priori conditions at the foundation of all empirical cognition; and consequently, the objective validity of the categories, as a priori conceptions, will rest upon this, that experience (as far as regards the form of thought) is possible only by their means. For in that case they apply necessarily and a priori to objects of experience, because only through them can an object of experience be thought.

    さて、問題は、もし何かが直観されないとしても、物体として考えられる条件としての理解の概念が、心の中に先験的に存在しないかどうかということである。この疑問が肯定的に答えられるならば、物体に関するすべての経験的認識は、必然的にこのような概念に適合することになる。なぜなら、もしこのような概念が前提となっていなければ、何かが経験の対象となることはあり得ないからである。さて、すべての経験には、対象が与えられる感覚の直観のほかに、直観において与えられる対象の観念も含まれている。したがって、一般に対象に関する概念は、すべての経験的認識の基礎に先験的条件として存在しなければならない。したがって、先験的概念としてのカテゴリーの客観的妥当性は、(思考の形式に関する限り)経験はその手段によってのみ可能であるということ、このことに基づいているであろう。なぜなら、その場合、カテゴリーは経験の対象に必然的かつ先験的に適用されるからであり、経験の対象はそれらを通じてのみ思考されうるからである。
引用返信/返信 削除キー/
■21052 / inTopicNo.3)  1.対象を認識するための条件137★
□投稿者/ pipit -(2022/02/23(Wed) 23:13:08)
    2022/02/23(Wed) 23:19:53 編集(投稿者)

    No21049の続きです。

    対象認識には二つの条件があり、直観により現象としての対象が与えられ、その対象に概念が適用される。
    その概念により直観に対応した対象が思考される。
    例えば、◯ ← 「丸」 この丸は、、、と思考が展開される。(※pipitが勝手に考えた例です。)

    --------------------------------

    さて、対象認識の二つの条件である、
    直観
    概念

    --------------------------------

    感性論で、直観についてを探求したカント的結論は、
    直観の形式は空間と時間、ということ。
    形式なので、それは、アプリオリということ。なので、、、

    J. M. D. Meiklejohn英訳
    省略

    DeepL機械翻訳
    したがって、感受性のこの形式的条件によって、すべての現象は必然的に対応する。なぜなら、この条件によってのみ、現象は現象でありうる、つまり、経験的に直観され、与えられるからである。

    --------------------------------
    さて、ここでカントは提案します。

    直観の形式は、直観の条件であり、すべての直観はその形式による規定内で現れる。
    そのように、思考における対象一般の条件というものも考え得るだろうか?と。(pipit意訳)

    該当場所英訳
    Now the question is whether there do not exist, a priori in the mind, conceptions of understanding also, as conditions under which alone something, if not intuited, is yet thought as object.

    DeepL機械翻訳
    さて、問題は、もし直観されないとしても、何かが対象として考えられる条件として、心の中に先験的に理解という概念も存在しないかということである。

    ここまででいったん投稿します。まだ続きます。
引用返信/返信 削除キー/
■21049 / inTopicNo.4)  沼ポチャ
□投稿者/ pipit -(2022/02/23(Wed) 20:56:55)
    2022/02/23(Wed) 20:57:49 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんは♪

    --------------------------------
    読んでる場所の参考★中山元先生の段落タイトルリスト参照

    第一四項 カテゴリーから超越論的な根拠づけへの移行
    1.対象を認識するための条件137★
    2.超越論的な根拠づけの原理138
    3.イギリス経験論の問題点139
    4.本書の課題 140
    5.判断表の概念とカテゴリー表の概念の違い――実体の概念を例として141

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    --------------------------------
    1.対象を認識するための条件137★

    英訳

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap40

    英訳抜粋引用
    it must nevertheless be a priori determinative in regard to the object, if it is only by means of the representation that we can cognize anything as an object.

    DeepL機械翻訳
    とはいえ、私たちが何かを対象として認識することができるのが表象によってのみであるならば、それは対象に関してアプリオリに決定的であるに違いないのです。

    (pipit雑感)
    引用文章以前で、表象と対象が【必然的な】関係を結んで【一致】している場合の結ばれ方の区分分けをしてて、
    上記引用文章は、
    表象によって対象が可能となる結ばれ方の場合についてで、
    その場合は、表象は対象をアプリオリ(経験より前に)に規定してると言える、と。
    表象 があるとき 、 対象 がある。
    表象 がないとき 、 対象 もない。
    という関係で必然的に一致するならば、
    対象の現れる前に、表象は対象を規定してる、と言えるってことかなと考えました。

    とりあえず前半部分を投稿しまーす (^_^)
引用返信/返信 削除キー/
■21038 / inTopicNo.5)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/02/23(Wed) 12:51:51)
    2022/02/23(Wed) 13:21:56 編集(投稿者)

    こんにちはー

    うましかな沼地へようこそ! (・∀・)、、、?!

    pipitさんはすごいなー

    他人の意味不明な思考(沼地)の足あとを追跡していくエネルギーに脱帽です!(◎_◎;)


    それにしても、

    意味不明なのは、うましかな思考なのか(;゚Д゚)

    考えていることは単純そうでも、うましかが文章化すると意味不明になるのか(゚Д゚;)

    文章は単純そうでも、(再)解釈するうましかの脳がドロ沼なのか(/・ω・)/


    思考と言語の関係っておもしろいですねー、、、


    なんて余裕ぶっている場合じゃないですが。



    それではまた〜(;´・ω・)
引用返信/返信 削除キー/
■21024 / inTopicNo.6)  うましかさんへ Σ(・□・;)
□投稿者/ pipit -(2022/02/22(Tue) 20:32:30)
    うましかさん、こんばんはー (^○^)

    > 「ある事物Aが、ある場所Pに、存在する」×「その(ある)事物Aが、同じ(ある)場所Pに、存在しない」
    >
    > は、たがいに矛盾対当の関係にあるが、これが同一の客体のうちで成立する
    >
    > について。
    >
    > 私うましかがこれらを視覚的に表示してみようと考えてみると、感覚的には、(視)空間内に文字が同時に存在しても、読む際には例えば左"から"右"へ" (●→◆→▼…)文字を追って読んでいき、そこに時間の流れが生じてくるように"感じます"。
    >
    > この時、もし文字(列)に文章として意味を持たせようとするならば、それらを読む際に、変化や因果を文と文の間に解釈しようとする意識が生ずるのかもしれませんね
    > (/・ω・)/
    >
    >  
    > ●→◆→▼…  
    >  ← ←
    > (;゚Д゚)(゚Д゚;) うま & しか 
    >
    > \    /
    >    ↑
    >   (・∀・) うましか

    <

    えー、なんかめっちゃおもしろそうなんですけど、ちゃんとわかりきれない!
    ???

    > 私うましかがこれらを視覚的に表示してみようと考えてみると、感覚的には、(視)空間内に文字が同時に存在しても、読む際には例えば左"から"右"へ" (●→◆→▼…)文字を追って読んでいき、そこに時間の流れが生じてくるように"感じます"<

    は、わかる気がします、うん。
    同じ客体(全体文章)において焦点合う位置が変化していくとき時間の流れが生じてくるように「感じる」。?

    > この時、もし文字(列)に文章として意味を持たせようとするならば、それらを読む際に、変化や因果を文と文の間に解釈しようとする意識が生ずるのかもしれませんね<

    あー、わからないけど、今文章読んでて、やっぱり単語、単語が強調される感じがました。
    関係性を解釈する意識も生まれてるのかな。

    > > ●→◆→▼…  
    >  ← ←
    > (;゚Д゚)(゚Д゚;) うま & しか 
    >
    > \    /
    >    ↑
    >   (・∀・) うましか<

    も、もしかして、

    >  ← ←
    > (;゚Д゚)(゚Д゚;) うま & しか

    ↑解釈確認系意識うましかさん??
    こ、これは、演算?記憶?なにもの??!(◎_◎;) オモシロイデスー

引用返信/返信 削除キー/
■21013 / inTopicNo.7)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/02/22(Tue) 10:51:31)
    2022/02/22(Tue) 13:36:52 編集(投稿者)

    おはようございますー

    No.21005 (pipitさん)

    >pipitは立つ。pipitは座る。(立っていない)のように、同一のpipitという客観において、お互いに矛盾する述語が結合する事態は、時間という捉え方を採用しないと成り立たなくなる、みたいなことも述べてるのかな、と、思いましたけど、勘違いしてたらすみませんm(_ _)m<


    おおー 敢えての?"A×非A"ではなく"立つ×座る"の例〜(゚Д゚;)?!

    ここの例示の違いって面白いですねー、、、何が面白いのかを説明する力が私にないところが悲しいところですが。。。

    ( ノД`)シクシク…


    私は論理(学)のことは(も^^;)全然分からないのでー

    分かりやすい中山訳を参考にして、

    >変化とは、まったく同一の客体のうちにおいて、[論理学において、二つの命題が両立しえないことを示す]矛盾対当の関係にある述語が結びつけられるということなのである(たとえば、ある事物がある場所に存在するという命題と、その事物が同じ場所に存在しないという命題[はたがいに矛盾対当の関係にあるが、これが同一の客体のうちで成立すること]である)。<

    No.20986 (うましか)

    の、命題(文)

    「ある事物Aが、ある場所Pに、存在する」×「その(ある)事物Aが、同じ(ある)場所Pに、存在しない」

    は、たがいに矛盾対当の関係にあるが、これが同一の客体のうちで成立する

    について。

    私うましかがこれらを視覚的に表示してみようと考えてみると、感覚的には、(視)空間内に文字が同時に存在しても、読む際には例えば左"から"右"へ" (●→◆→▼…)文字を追って読んでいき、そこに時間の流れが生じてくるように"感じます"。

    この時、もし文字(列)に文章として意味を持たせようとするならば、それらを読む際に、変化や因果を文と文の間に解釈しようとする意識が生ずるのかもしれませんね
    (/・ω・)/

     
    ●→◆→▼…  
     ← ←
    (;゚Д゚)(゚Д゚;) うま & しか 

    \    /
       ↑
      (・∀・) うましか



    わーい書いていて朝から目が回る〜(◎_◎;)




引用返信/返信 削除キー/
■21010 / inTopicNo.8)  今読んでいる位置座標の確認
□投稿者/ pipit -(2022/02/21(Mon) 23:02:24)
    カント純粋理性国/原理地方/論理学県/分析市
    の『純粋悟性概念の演繹』・・・通称〈根拠づけの館〉・・・

    に入る前にカント校長は注意事項のアナウンス。
    それがここまで見てきた
    [第一三項 超越論的な根拠づけ一般の原理について]

    ひえー、やっと終わった。。。
    と、思ったら、カント校長、

    ここから、[第一四項 カテゴリーから超越論的な根拠づけへの移行]についてをお話します、ですって!
    まだ入らんのかーい
    (ただし、もしかしたら、重要なお話でてくるかも?pipitもまだはっきりわかってません。)

    この次の第一五項からが【第二節 純粋知性概念の超越論的な根拠づけ】だそうです。



    ↓第一節についての復習。次はAの1からみていくということですね。

    No20886※中山元先生の段落番号をタイトル末に付け足しました。
    > ===================
    >
    > それで中山先生が細かく一段落ごとにタイトルつけてくださってて、
    > @は、8段落、
    > Aは、5段落、で構成されてるみたいで、タイトルもつけられてます。
    >
    > https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf
    >
    > @ 超越論的な根拠づけ一般の原理について
    > 1.根拠づけ [=演繹] の定義 129
    > 2.超越論的な根拠づけの役割 130
    > 3.アプリオリな概念の超越論的な根拠づけの必要性 131
    > 4.純粋でアプリオリな概念の根拠づけの性格 132
    > 5.超越論的な根拠づけの必要性 133
    > 6.空間と時間の役割の再考134
    > 7.知性の難問 135
    > 8.カテゴリーの〈威厳〉136
    >
    > A カテゴリーから超越論的な根拠づけへの移行
    > 1.対象を認識するための条件137
    > 2.超越論的な根拠づけの原理138
    > 3.イギリス経験論の問題点139
    > 4.本書の課題 140
    > 5.判断表の概念とカテゴリー表の概念の違い――実体の概念を例として141<
引用返信/返信 削除キー/
■21006 / inTopicNo.9)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/21(Mon) 21:38:29)
    田秋さん、こんばんは!
    古代史とてもおもしろそうと私も思いました(o^^o)
    ご報告ありがとうございます!


    No20993
    > 迷った挙げ句、《三重県の古代史を学ぶ》を取ることにしました。一昨日岩波文庫の《判断力批判(上)》を買い、ちらっと読んでみましたが、内容が難しい上に、活字が小さく行間が狭く、ボクの目にキビシー!でした。目がいい頃は岩波文庫が好きだったのですが・・・
    >
    > せっかくアドバイスを頂いたのにすみませんでした。 m(_ _)m<
引用返信/返信 削除キー/
■21005 / inTopicNo.10)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/21(Mon) 21:33:18)
    うましかさん、こんばんはー(^○^)
    カント沼ばく沈み中です!

    ψ(`∇´)ψシーズームードロー


    No20986
    > 言い換えれば、矛盾対当の関係にある諸述語〔(kontradiktorisch entgegengesetzter
    Pr&#228;dikate〕(例えば、同一の物が、或る場所に存在することと、その同じ場所に存在しないこと)の同一の客観においての結合の可能性を理解せしめ得なくなるということである。<

    ここ、おもしろいなーと思いました。
     
    pipitは立つ。
    pipitは座る。(立っていない)

    のように、同一のpipitという客観において、お互いに矛盾する述語が結合する事態は、時間という捉え方を採用しないと成り立たなくなる、みたいなことも述べてるのかな、と、思いましたけど、勘違いしてたらすみません
    m(_ _)m

    めっちゃ寒くなりそうですね、おつかれさまです!

引用返信/返信 削除キー/
■20993 / inTopicNo.11)  判断力批判
□投稿者/ 田秋 -(2022/02/21(Mon) 09:16:32)
    おはようございます、pipitさん

    迷った挙げ句、《三重県の古代史を学ぶ》を取ることにしました。一昨日岩波文庫の《判断力批判(上)》を買い、ちらっと読んでみましたが、内容が難しい上に、活字が小さく行間が狭く、ボクの目にキビシー!でした。目がいい頃は岩波文庫が好きだったのですが・・・

    せっかくアドバイスを頂いたのにすみませんでした。 m(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/
■20986 / inTopicNo.12)  超越論的感性論 第五項:Y−1
□投稿者/ うましか -(2022/02/21(Mon) 00:30:54)
    2022/02/22(Tue) 10:13:51 編集(投稿者)
    2022/02/21(Mon) 00:31:58 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    わーpipitさん、カント沼をばく進中?ですねー(゚Д゚;)

    うましかはさいきん全く時間がないのに、pipitさんご紹介の中島義道の本は購入してしまいました! (;´Д`A ```

    ありがとうございました〜


    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について 〔Von der Zeit〕 
     第五項 時間概念の超越論的論究 〔§5 Transzendentale Eroerterung des Begriffs der Zeit〕

    ◇ 私は、簡単にするために、本来は超越論的論究であるものを、形而上学的論究の諸項目のうちに含めてしまったので、前述の3〔*1〕をここで引き合いに出すことができる。

     *1 ◆ 3 このア・プリオリな必然性に、時間の諸関係についての確然的な諸原則の、或いは時間一般についての諸公理の可能性もまた根拠付けられている。時間は一次元だけを持っている。様々の諸時間は同時的にではなく、継起的に存在する(様々の諸空間が継起的にではなく、同時的に存在するのと同様である)。これらの諸原則は経験からは引きだされ得ない。なぜなら経験は、厳密な普遍性をも、確然的な確実性をも与えるはずがないからである。私たちは普通の知覚がそのように教えると言い得るだけであって、そのようになっていなければならないと言うことはできないであろう。これらの諸原則は、総じて経験がそのもとでのみ可能であるという規則とみなされ、だから私たちに経験に先立って教えるのであって、経験を通じて教えるのではない。 → No.20699 

    ◇ 私がここでさらに付け加えたいのは、変化〔Veraederung〕の概念、それと共に運動〔Bewegung〕(場所の変化としての〔als Veraederung des Orts〕)の概念は、時間表象〔Zeitvorstellung〕をつうじて、また時間表象においてのみ可能であるということ、すなわち、この時間表象がア・プリオリな(内的な)直観でなかったとすれば、どのようなものであれ、いかなる概念も、変化の可能性を、言い換えれば、矛盾対当の関係にある諸述語〔(kontradiktorisch entgegengesetzter
    Praedikate〕(例えば、同一の物が、或る場所に存在することと、その同じ場所に存在しないこと)の同一の客観においての結合の可能性を理解せしめ得なくなるということである。

     ※1 変化の概念と運動の概念は、時間表象においてのみ可能。
     ※2 「すなわち…」以下は中山元訳1、p.100ではこう書かれている。
    >この時間の像が内的でアプリオリな直観でないとしたら、どのような概念を使ったとしても、変化の可能性を把握させることはできなかっただろう。変化とは、まったく同一の客体のうちにおいて、[論理学において、二つの命題が両立しえないことを示す]矛盾対当の関係にある述語が結びつけられるということなのである(たとえば、ある事物がある場所に存在するという命題と、その事物が同じ場所に存在しないという命題[はたがいに矛盾対当の関係にあるが、これが同一の客体のうちで成立すること]である)。<

    ◇ 時間においてのみ、二つの矛盾対当の関係にある規定が、一つの物において、つまり継起的に′ゥ出させられ得るのである。それゆえ、私たちの時間概念は、みのり少なくはない一般運動論が叙述しているかぎりの、それだけ多くのア・プリオリな綜合的認識の可能性を説明する。


    † 原佑訳上巻、p.162〜p.163参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986

引用返信/返信 削除キー/

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