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■20982 / inTopicNo.13)  Re[36]: 知性の難問
  
□投稿者/ pipit -(2022/02/20(Sun) 22:39:46)
    No20980
    pipit雑感
    >しかし、理解力の純粋な概念は、単に経験の産物として扱えば、その特異な性格を完全に失ってしまう。<

    純粋悟性概念を経験からの産物として扱うなら、その特異な性格はそれら概念からは完全に失われる(から、カントはそれら概念が経験からではなく、アプリオリなものとしての可能性を、そして正当な利用が出来るという根拠づけを、目論見るんだね。(多分)

    おやすみなさーい☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■20980 / inTopicNo.14)  Re[35]: 知性の難問
□投稿者/ pipit -(2022/02/20(Sun) 22:32:21)
    2022/02/20(Sun) 22:39:16 編集(投稿者)

    さぁがんばるよー 

    8.カテゴリーの〈威厳〉136★!

    --------------------------------
    読んでる場所の参考★中山元先生の段落タイトルリスト参照
    @ 超越論的な根拠づけ一般の原理について
    1.根拠づけ [=演繹] の定義 129
    2.超越論的な根拠づけの役割 130
    3.アプリオリな概念の超越論的な根拠づけの必要性 131
    4.純粋でアプリオリな概念の根拠づけの性格 132
    5.超越論的な根拠づけの必要性 133
    6.空間と時間の役割の再考134
    7.知性の難問 135
    8.カテゴリーの〈威厳〉136★

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    --------------------------------

    If we thought to free ourselves from the labour of these investigations by saying: “Experience is constantly offering us examples of the relation of cause and effect in phenomena, and presents us with abundant opportunity of abstracting the conception of cause, and so at the same time of corroborating the objective validity of this conception”; we should in this case be overlooking the fact, that the conception of cause cannot arise in this way at all; that, on the contrary, it must either have an &#224; priori basis in the understanding, or be rejected as a mere chimera. For this conception demands that something, A, should be of such a nature that something else, B, should follow from it necessarily, and according to an absolutely universal law. We may certainly collect from phenomena a law, according to which this or that usually happens, but the element of necessity is not to be found in it. Hence it is evident that to the synthesis of cause and effect belongs a dignity, which is utterly wanting in any empirical synthesis; for it is no mere mechanical synthesis, by means of addition, but a dynamical one; that is to say, the effect is not to be cogitated as merely annexed to the cause, but as posited by and through the cause, and resulting from it. The strict universality of this law never can be a characteristic of empirical laws, which obtain through induction only a comparative universality, that is, an extended range of practical application. But the pure conceptions of the understanding would entirely lose all their peculiar character, if we treated them merely as the productions of experience.

    ※ Title: The Critique of Pure Reason
    Author: Immanuel Kant
    Translator: J. M. D. Meiklejohn

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html

    上記英訳DeepL機械翻訳
    もし、私たちがこのような調査の労苦から解放されようと考えたら、こう言うしかない。「経験というものは、現象における原因と結果の関係の例を絶えず提供しており、原因という概念を抽出し、同時にこの概念の客観的妥当性を確証する機会を豊富に与えてくれる」この場合、原因という概念はこの方法では全く生じ得ないという事実を見過ごすことになるであろう。なぜなら、この概念は、何かAは、他の何かBが必然的に、絶対的に普遍的な法則に従って、そこから生じるような性質であるべきだと要求しているからである。私たちは確かに、現象から、これまたはあれが通常起こるという法則を集めることができるが、必然性の要素はその中に見いだすことはできない。それゆえ、原因と結果の合成には、いかなる経験的合成にも全く欠けている尊厳が属していることは明らかである。この法則の厳密な普遍性は、経験的法則の特徴とはなりえず、誘導によって比較的な普遍性、すなわち実際的な適用範囲の拡大のみを獲得するものである。しかし、理解力の純粋な概念は、単に経験の産物として扱えば、その特異な性格を完全に失ってしまう。

    ===========


引用返信/返信 削除キー/
■20978 / inTopicNo.15)  Re[36]: 知性の難問
□投稿者/ pipit -(2022/02/20(Sun) 19:24:31)
    悪魔ちゃん、こんばんは(^○^)

    No20977
    > お邪魔しま〜す、pipitさま
    >
    > 知性の難問は、どうしても知覚的信念の曖昧さを前提としてるからだと思う。<

    悪魔ちゃん、知覚的信念の曖昧さ、ってなあに?
    自分に生じる知覚が客観を表現していると信じてないということ??
    それとも別の意味??
引用返信/返信 削除キー/
■20977 / inTopicNo.16)  Re[35]: 知性の難問
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/20(Sun) 19:09:23)
    お邪魔しま〜す、pipitさま

    知性の難問は、どうしても知覚的信念の曖昧さを前提としてるからだと思う。

引用返信/返信 削除キー/
■20973 / inTopicNo.17)  知性の難問
□投稿者/ pipit -(2022/02/20(Sun) 13:34:37)
    No20971
    次の段落です。
    --------------------------------
    読んでる場所の参考★中山元先生の段落タイトルリスト参照
    @ 超越論的な根拠づけ一般の原理について
    1.根拠づけ [=演繹] の定義 129
    2.超越論的な根拠づけの役割 130
    3.アプリオリな概念の超越論的な根拠づけの必要性 131
    4.純粋でアプリオリな概念の根拠づけの性格 132
    5.超越論的な根拠づけの必要性 133
    6.空間と時間の役割の再考134
    7.知性の難問 135★
    8.カテゴリーの〈威厳〉136

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    --------------------------------

    7.知性の難問 135★

    J. M. D. Meiklejohnさんの段落後半の英訳

    略しました。

    上記英訳のDeepL機械翻訳の日訳
    『感覚的直観の対象が、心の中に先験的に存在する感性の形式的条件に対応しなければならないことは、それがなければ私たちにとって対象とはなりえないという事実から明らかであるが、思考の総合的統一のために理解が必要とする条件にも対応しなければならないというのは、そう簡単に発見できない主張である。なぜなら、現象は思考の統一の条件に対応しないように構成されるかもしれないし、万物はそのような混乱の中にあって、例えば、現象の領域では合成の法則を示唆するものに出会うことができず、したがって原因と結果という概念に対応できないかもしれないからで、この概念はまったく無効で、空虚で、意義がない。現象は、それでもなお、われわれの直観に対象を与え続けるだろう。なぜなら、単なる直観は、いかなる点においても、思考の機能を必要としないからだ』

    ================
    pipit雑感
    最後らへんの文章(機械翻訳文章)がおもしろいね。
    > 現象は思考の統一の条件に対応しないように構成されるかもしれないし、万物はそのような混乱の中にあって、例えば、現象の領域では合成の法則を示唆するものに出会うことができず、したがって原因と結果という概念に対応できないかもしれないからで、この概念はまったく無効で、空虚で、意義がない。現象は、それでもなお、われわれの直観に対象を与え続けるだろう。なぜなら、単なる直観は、いかなる点においても、思考の機能を必要としないからだ<

    私は、例えば因果関係を現象に頭であてはめて物事の把握をするわけですが、(パターンで現象を観る)、そんなパターンを廃棄しても、現象はそのまま目の前に現れてるでしょう?
    原因と結果というこの物の見方の道具(概念)は、
    実は客観把握としては、
    > まったく無効で、空虚で、意義がない<
    かもしれない。
    そこらへんのとこを見ていくんでしょうね。

    =================

    黒崎先生が紹介してた部分だと思うけど、英訳前半部分からカントの演繹論での主題となると思われる文章を引用します。

    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳
    Thus we find ourselves involved in a difficulty which did not present itself in the sphere of sensibility, that is to say, we cannot discover how the subjective conditions of thought can have objective validity, in other words, can become conditions of the possibility of all cognition of objects;

    DeepL機械翻訳
    つまり、思考の主観的条件がいかにして客観的妥当性を持ちうるか、言い換えれば、対象物のあらゆる認識の可能性の条件となりうるかを発見することができないのである。

    for phenomena may certainly be given to us in intuition without any help from the functions of the understanding.

    というのも、現象は確かに、理解の機能の助けを借りずに直観で与えられるかもしれないからだ。
引用返信/返信 削除キー/
■20971 / inTopicNo.18)  思い出す感性論
□投稿者/ pipit -(2022/02/20(Sun) 13:02:05)
    さあ、次です。
    まだ「根拠づけの館」に入る前の、カント校長先生のお話が続きます。長くて貧血で倒れる人出てない?

    --------------------------------
    読んでる場所の参考★中山元先生の段落タイトルリスト参照
    @ 超越論的な根拠づけ一般の原理について
    1.根拠づけ [=演繹] の定義 129
    2.超越論的な根拠づけの役割 130
    3.アプリオリな概念の超越論的な根拠づけの必要性 131
    4.純粋でアプリオリな概念の根拠づけの性格 132
    5.超越論的な根拠づけの必要性 133
    6.空間と時間の役割の再考134★
    7.知性の難問 135
    8.カテゴリーの〈威厳〉136

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    --------------------------------

    6.空間と時間の役割の再考134★

    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳

    We have been able, with very little trouble, to make it comprehensible how the conceptions of space and time, although &#224; priori cognitions, must necessarily apply to external objects, and render a synthetical cognition of these possible, independently of all experience. For inasmuch as only by means of such pure form of sensibility an object can appear to us, that is, be an object of empirical intuition, space and time are pure intuitions, which contain &#224; priori the condition of the possibility of objects as phenomena, and an &#224; priori synthesis in these intuitions possesses objective validity.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap39

    上記英訳のDeepL機械翻訳の日訳
    『我々は、空間と時間の概念が、アプリオリな認識であるにもかかわらず、必然的に外的対象に適用され、すべての経験から独立して、これらの合成的認識を可能にしなければならないことを、ほとんど苦労せずに理解させることができた。なぜなら、このような純粋な形式の感性によってのみ、対象がわれわれに現われ、すなわち経験的直観の対象となりうる以上、空間と時間は純粋な直観であり、それは現象としての対象の可能性の条件を先験的に含んでおり、これらの直観における先験的合成は客観的妥当性を有しているからである。』

    ================
    pipit雑感
    カント先生の感性論の振り返りですね。
    感性論のときはある意味簡単やったなー、と。
    現に感性的に与えられてるものを見てみればいいのですからね。(たしかカントは解明というワードを使用してたような。)
    知性による概念も現に自分内に与えられていますが、その概念に客観的妥当性を主張するための「権利づけ」(=根拠づけ)を今からしようとするのですからね。


引用返信/返信 削除キー/
■20965 / inTopicNo.19)   超越論的な根拠づけの必要性について
□投稿者/ pipit -(2022/02/20(Sun) 08:52:04)
    みなさま、おはようございます。
    No20961読解の続きです。

    >これに対して、理解の純粋概念では、これらの概念自体だけでなく、空間についても、超越論的演繹を求める絶対的必要性が始まる。なぜなら、これらの概念は、対象に関する断言を、直観と感性の述語によってではなく、純粋な思考 apriori によって行う以上、感性の条件の何ひとつなしに対象に適用されるからである。また、経験に立脚していないため、経験に先立って、合成の基礎となるような対象を先験的に直観することができない。それゆえ、空間概念の客観的妥当性や適切な使用限度について疑問が生じるだけでなく、空間概念さえも曖昧なものとなってしまうのです。<


    『the pure conceptions of understanding』を今回は、『理解の純粋概念』と訳してて、おもしろく感じました。
    一般的には、【純粋悟性概念】と日訳されてることが多いですね。
    でも、物事を理解するための経験の混じってない概念、という意味に読めるようで、『理解の純粋概念』という訳もいいなと思いました。
    ちょうど悪魔ちゃんとお喋りしてたから思い浮かぶのは、
    分類の純粋概念、とかね。

    それでなんですが、
    ここでカントが、空間の超越論的演繹も絶対必要とお喋りするロジックが、pipitにはまだよくわかりません。

    んー、考えてみます…
    純粋悟性概念は思考の働きのみで直観は条件としては入っていない、
    直観の助けなしに、純粋悟性概念の根拠づけを行うなら、直観(感性)とはまた違った経路での空間の根拠づけを行わないといけない、ということかなぁ。

    違うかもだけど、とりあえず考えてみました。
    読み進めながら訂正していくと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■20962 / inTopicNo.20)   超越論的な根拠づけの必要性について
□投稿者/ pipit -(2022/02/20(Sun) 00:04:24)
    2022/02/20(Sun) 00:06:46 編集(投稿者)

    No20961
    > 幾何学は純粋な先験的認識の領域で着実に、確実に前進しており、空間という基本概念の純粋かつ正当な起源について、哲学に証明書を求める必要はない。<

    直観による明証性ですね。

    >したがって、この世界において、すべての幾何学的認識は、それがa priori直観に基礎を置いているので、即時の証拠を有し、この認識の対象は、認識自体によって直観において(その形態に関して)apriori与えられたものであり、それを通して、この認識の対象は、直観の中でapriori与えられたものである。<

    よくわからなかったので、該当部分のみでDeepL機械翻訳で翻訳し直しました。わかりやすくなりました。↓


    したがって、この世界において、すべての幾何学的認識は、それがアプリオリな直観に基礎を置くがゆえに、即時の証拠を有し、この認識の対象は、認識自体によって、また認識を通して直観において(その形に関して)アプリオリに与えられているのである。

    and in this world, therefore, all geometrical cognition, because it is founded upon a priori intuition, possesses immediate evidence, and the objects of this cognition are given a priori (as regards their form) in intuition by and through the cognition itself.

    途中ですが、今日はもう寝ます。おやすみなさい☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■20961 / inTopicNo.21)  超越論的な根拠づけの必要性について
□投稿者/ pipit -(2022/02/19(Sat) 23:51:50)
    みなさま、こんばんは。
    --------------------------------
    読んでる場所の参考★中山元先生の段落タイトルリスト参照
    @ 超越論的な根拠づけ一般の原理について
    1.根拠づけ [=演繹] の定義 129
    2.超越論的な根拠づけの役割 130
    3.アプリオリな概念の超越論的な根拠づけの必要性 131
    4.純粋でアプリオリな概念の根拠づけの性格 132
    5.超越論的な根拠づけの必要性 133★
    6.空間と時間の役割の再考134
    7.知性の難問 135
    8.カテゴリーの〈威厳〉136

    ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リスト参照

    https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf

    --------------------------------

    ということで、

    5.超越論的な根拠づけの必要性 133★

    英訳には禁止ワードが入ってるようなので省略します。
    省略した部分のDeepL機械翻訳による日訳↓
    『しかし、純粋な先験的認識の唯一の可能な演繹が超越論的演繹であることは認めるが、そのために、そのような演繹が絶対に必要であることは、完全に明白ではない。我々はすでに超越論的演繹によって空間と時間の観念をその源泉にたどり、その客観的妥当性をアプリオリに説明し決定しているのである。それにもかかわらず、幾何学は純粋な先験的認識の領域で着実に、確実に前進しており、空間という基本概念の純粋かつ正当な起源について、哲学に証明書を求める必要はない。しかし、この科学における概念の使用は、感覚の外的世界にのみ及び、その直観の純粋な形態は空間である。したがって、この世界において、すべての幾何学的認識は、それがa priori直観に基礎を置いているので、即時の証拠を有し、この認識の対象は、認識自体によって直観において(その形態に関して)apriori与えられたものであり、それを通して、この認識の対象は、直観の中でapriori与えられたものである。これに対して、理解の純粋概念では、これらの概念自体だけでなく、空間についても、超越論的演繹を求める絶対的必要性が始まる。なぜなら、これらの概念は、対象に関する断言を、直観と感性の述語によってではなく、純粋な思考 apriori によって行う以上、感性の条件の何ひとつなしに対象に適用されるからである。また、経験に立脚していないため、経験に先立って、合成の基礎となるような対象を先験的に直観することができない。それゆえ、空間概念の客観的妥当性や適切な使用限度について疑問が生じるだけでなく、空間概念さえも曖昧なものとなってしまうのです。読者は、純粋理性の分野で一歩を踏み出す前に、超越論的演繹の絶対的必要性を十分に確信しなければならない。そうでなければ、盲目的に仕事に取り掛かり、あらゆる方向に迷い込んだ後、出発点であるまったくの無知の状態に戻ってしまうからだ。なぜなら、そうでなければ、彼はやみくもに仕事をし、あらゆる方向に疑問を抱いた後で、出発したときの全くの無知の状態に戻ってしまうからだ。さらに、彼は、自分の仕事において避けられない困難をあらかじめはっきりと認識しておくべきで、後になって、このテーマ自体が深く関わっている不明瞭さを訴えたり、自分の行く手を阻む障害に対してすぐに焦ったりしないようにしなければならない。

引用返信/返信 削除キー/
■20923 / inTopicNo.22)  Re[29]: 日記・
□投稿者/ pipit -(2022/02/19(Sat) 12:56:18)
    そして、これらは、感覚的な印象によって与えられた機会に、呼び起こされ、観念を生み出すのである。


    and these, on occasion given by sensuous impressions, are called into exercise and produce conceptions.

    をこの一文だけでDeepL機械翻訳に改めて訳してもらいました。

    こっちの方がいいね!(※個人の感想です)
引用返信/返信 削除キー/
■20922 / inTopicNo.23)  Re[28]: 日記・
□投稿者/ pipit -(2022/02/19(Sat) 12:46:36)
    2022/02/19(Sat) 12:47:48 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちは。
    感想日記です。

    No20918
    >この生理学的な導出の試みは、単に事実のquaestioに関係するため、正しく演繹とは呼べないが、私は純粋な認識の所有に関する説明と名づけることにする。<

    pipit感想
    経験からこそ時間空間の概念ができたんだという説明は、カントからすれば根拠づけとならずに、所有に関する説明になる、ということかな、と。
    なぜ、所有に関するというかと言えば、

    > これらが感覚的印象によって与えられる機会に、行使され、観念を生み出すというものである<
    and these, on occasion given by sensuous impressions, are called into exercise and produce conceptions.

    何かに触発されて現れるものに時間空間が含まれてるとして、
    現れたものに含まれてるのは確かなのだけど、
    経験の混じってない概念の根拠づけを今から始めよう、とする人が、
    @経験の中に入ってるか否かの根拠づけをしても無意味なんだということかと。

    純粋(経験の入ってない)概念の根拠づけを企む人にとっては、@はせいぜい所有の説明にしかならない。
    (経験とともにはじまるが、経験からではない)

    などと感想してみました。
引用返信/返信 削除キー/
■20918 / inTopicNo.24)  日記・◯◯でない性格
□投稿者/ pipit -(2022/02/19(Sat) 07:38:23)
    2022/02/19(Sat) 12:49:45 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます。

    No20914
    > 経験から出た概念のその道筋を辿ることを生理学的な導出として(事実問題に属する系)、
    それは純粋なアプリオリ概念の根拠づけとは異なる性格のもの、としてるのかなと思いました。<

    △△△は◯◯◯ではない性格、ですね。(とpipitは思った)
    カント的には、無限判断の形式・の表現かな?

    このあとも超越論的根拠づけ[超越論的演繹]についての前段階みたいなカントなりの?規定?が続くみたいです。
引用返信/返信 削除キー/

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