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■20809 / inTopicNo.49)  Re[8]: 日記
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/13(Sun) 19:52:45)
    お邪魔しま〜す。
    pipitさま、前からちょっと思ってたのをちょっと書かせてもらうね。

    『純粋理性批判』の訳本で、pipitさまが紹介してくれた箇所を、たしかうましかさんだっとだと思うけど、書き写したのを再掲して見ます。

    No.16076、だったかな?
    >序論の最後<に、
    >ところで、人がこの学の区分を体系一般という一般的な観点からこころみようとするならば、私たちが今論述している区分は、第一には純粋理性の原理論、第二には純粋理性の方法論を含まねばならない。これらの主要部分のそれぞれはその小区分をもつであろうが、それにもかかわらず、そうした小区分の根拠はここではまだ論述され得ない。ただ、次のことだけは序論あるいは前書きには必要であると思われる。それはすなわち、おそらく共通の、しかし私たちには未知の根から生じているところの人間の認識の二つの幹、つまり感性と悟性とがあるが、これらのうちの前者によって、私たちには対象が与えられるが、後者によって対象が思考されるということである。ところで、感性もア・プリオリな諸表象を含んでいるはずであり、そうしたア・プリオリな諸表象が、私たちにそのもとで対象が与えられる諸条件をなす限り、感性は超越論的哲学に属するであろう。超越論的感性論は原理論の第一部門に属さなければならないだろうが、それは、人間の認識の対象がそのもとでのみ与えられる諸条件は、その同じ対象がそのもとで思考される諸条件に先行するからである。→原佑訳上巻、p.140〜p.142参照<

    のなんかの、
    >人間の認識の二つの幹、つまり感性と悟性とがあるが、これらのうちの前者によって、私たちには対象が与えられるが、後者によって対象が思考されるということである。<
    っていうこと、わたしもそうだな、って思ってるのね。
    でも、
    >おそらく共通の、しかし私たちには未知の根から生じている<っていうとこはどうなのかな?だけど。

    そして、■20806、
    (1)感性  sense

    (2)知性(悟性) understanding

    (3)理性  reason

    これから、カントの「人間の認識」おいて、
    「認識」の二つの幹=「感性」と「悟性」。そしてこの両者の共通の未知の根っていうのがあって、それを「理性」とした。っていうのかな?って。
    でも、カントのはあくまでも人間の「認識」について、なんだと思うのね。人間の「精神(意識)」じゃなくて。

    もし、感性が存在しなかったら、知性(悟性)は成立しない、って、カントは言ってるようにもわたしには見えるんだけど。

    No20783
    >あんまり理詰め的に考えない方がいいのかもしれませんね。<
    わたしもそう思ってる。
    わんちゃんに人間ほどの「知性(悟性)」はないとわたし思ってるんだけど、まったく無いとは思えないよ。「感性」の方が主なんだと見てるのね。
    人間もこの原初的な領分(感性)がなければ世界のなかで”生きていくこと”ができないんじゃないかしら?って。

    ごめんね、思ったことを日記的に書いちゃたけど、こういうのもいいよね。








引用返信/返信 削除キー/
■20806 / inTopicNo.50)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/02/13(Sun) 16:25:02)
    2022/02/13(Sun) 19:30:37 編集(投稿者)

    No20805
    > 今の段階での私見を書きます。
    (1)主体に感性的直観として何か(たとえば色や音のクオリア的なもの)が現れたとき、
    現れたものは、主体にとって、まだ客体対象としての意味は持っていないとするのが、山下先生の考え方かなと思いました。
    (2)それで現れたものが、主体にとっての意味として分別される状態が、「意識システム」(悟性)と言ってるのではないかと思いました。
    意識システムにおいて、感じたものを考えてある規則に従って分別されてるとしたとき、
    (3)そのさまざまな規則を考察して、その規則がどのような原理に乗って動いているのか、を推論するのが、「認識システム」(理性)と言ってるのではないかと思いました。<

    カントは『純粋理性批判』のB356あたりで

    『わたしたちのすべての認識は、感覚能力に始まって知性を経由し、理性で終わる。直観の素材に働きかけて、思考の最高の統一のもとにもたらす能力としては、理性より高次のものは存在しない。』
    (中山元先生訳、第4巻p28、中山先生独自番号383)

    と述べてて、その箇所の英訳が、

    =============
    A. OF REASON IN GENERAL.

    All our knowledge begins with sense, proceeds thence to understanding, and ends with reason, beyond which nothing higher can be discovered in the human mind for elaborating the matter of intuition and subjecting it to the highest unity of thought.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap64

    Title: The Critique of Pure Reason
    Author: Immanuel Kant
    Translator: J. M. D. Meiklejohn

    ===============

    なのですが、この英訳から単語を抜きだして、上記私見に対応させると、

    (1)感性  sense

    (2)知性(悟性) understanding

    (3)理性  reason

    になるのかなと思いました。
    英単語も対応させてみると、私の場合は、理解の補助になることも多い気がしています。
    (ほんとにそうなのか、いいのかわるいのか、などは自分ではわかりませんけど)

    抜き出した部分
    All our knowledge begins with sense, proceeds thence to understanding, and ends with reason,

    読解、疲れた!!

引用返信/返信 削除キー/
■20805 / inTopicNo.51)  第三章 批判と二つの視点を読み進める準備
□投稿者/ pipit -(2022/02/13(Sun) 15:27:25)
    こんにちは!
    No20803の続きです。

    > これから話題とされる認識システム(理性)に関しての山下先生の記述を引用しようと思っています。(p31-32)<

    『カントとオートポイエーシス』山下和也先生著、p31.32より引用します。

    『認識能力の最後は理性である。
    もっとも、ここで言う理性は狭義の理性と言うべきかもしれない。カントは人間の認識能力を総称して理性と呼ぶこともあるからである。
    悟性が規則の能力と呼ばれたのに対して、
    カントはこの理性を「原理の能力」(B356)と定義する。
    原理とは何か?
    カントによれば、原理からの認識とは「概念において特殊を普遍において認識する」ことであり、「すべての理性推論は、原理からの認識の導出の形式」となる(B357)。
    つまりカントの言う原理とは、理性推論、すなわち三段論法の大前提を指す。
    そのうえ、カントは再び悟性と理性を対置して次のように言う。

    「悟性が規則による現象の統一の能力であるとするなら、
    理性は原理の下で悟性規則の統一の能力である。
    それゆえ、理性は決して直接経験あるいは対象に関わらず、悟性に関わり、その多様な認識に概念による統一を与える」(B359)。

    この理性はまた、よりわかりやすく、
    「それによって、悟性認識が相互にのみ、そして低次の規則が、他のより高次な(その制約が前者[低次の規則]の制約をその範囲に含む)規則に従属させられる」(B362)能力とも規定される。
    「規則の多様性と原理の統一性」(ibid)とも言われ、原理とは言わば、多様な規則がそこから導かれる上位の規則と言うことができよう。
    理性とはすなわち、規則の上位規則を導く能力である。

    これはオートポイエーシスの言葉で言うなら、
    理性とは、意識システムのコードに言及し、
    複数のコードを俯瞰的により上位のコードに包摂する能力ということになる。

    それはすなわち、意識システムに言及する認識システムの働きに他ならない。

    認識システムは同時にコード表象である記号を産出できるから、概念に名前を与えることができるのもこのシステムである。

    無論この際、意識システムの作動は自己言及を通じて繰り上がり、認識システムが概念コードによって認識表象を産出しているのであるが。

    言い換えると、我々がそれぞれに名前をつけて概念と読んでいるものは認識システムの概念コードであり、これによって初めて記号による思惟、したがって言語による思惟も可能になる。

    端的に言えば、理性とは認識システムであり、それゆえカントの言う「感性的存在者」、すなわち生物では人間のみがもつとされるのである。

    この意識システムと認識システムの区別は、現代の認知科学では「二重過程理論(dual process theory)」に対応するであろう。

    これは、
    推論には高速かつ並列的で自動的である潜在的な過程と、
    低速かつ継時的で注意を要する代わりに抽象的思考を可能にする顕在的過程
    の二段階がある、とするものである。

    言うまでもなく、
    潜在的過程が意識システムのレベル、
    顕在的過程が認識システムのレベルになる。』
    引用終了

    =============

    pipit雑感

    山下先生が考えてる意識システムと認識システムの違いを、私がきちんと理解できてるか自信ないんですよね。

    今の段階での私見を書きます。

    (1)主体に感性的直観として何か(たとえば色や音のクオリア的なもの)が現れたとき、
    現れたものは、主体にとって、まだ客体対象としての意味は持っていないとするのが、山下先生の考え方かなと思いました。

    (2)それで現れたものが、主体にとっての意味として分別される状態が、「意識システム」(悟性)と言ってるのではないかと思いました。

    意識システムにおいて、感じたものを考えてある規則に従って分別されてるとしたとき、

    (3)そのさまざまな規則を考察して、その規則がどのような原理に乗って動いているのか、を推論するのが、「認識システム」(理性)と言ってるのではないかと思いました。

    ※※※※

    人間にとっての言語が現れるのは、
    (3)の認識システムだとするのが、山下先生の考え方なのかな、と。

    (2)は、動物でも働いているシステムと捉えてられるのではないかと、思いました。

    関連するような山下先生の記述を引用しておきます。

    『感性は特に生命システムが感官を介してもつ環境からの影響の受容性で、動物レベルの悟性が意識システムであろう。』p171

    『とするならカントの言う悟性とは、意識システムにおけるコードに応じた表象産出とコード創発およびコード連鎖の能力と考えることができる。

    認識の場合、表象は環境からの攪乱に帰せられなければならないから、触発による直観でなければならず、かつ意識システムのコードすなわち概念に従っていなければならない。
    だからこそ「直観と概念はすべての我々の認識の要素を形成する」(B74)のであり、
    「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目」(B75)と言われるのである。

    この意味において、すべての表象は、鈴木貴の言う、事物を自らの関心に応じて分類する「分節表象」(鈴木貴:一四二)になっている。

     ただし注意しておかなければならないが、意識システムのレベルのコードは本来コード表象化されていない。
    つまり認知科学で言う、言語化以前の「名無しの概念」である。
    カントは本を書いている関係上、概念に言語で名称をつけねばならないのであるが。
    そのためには、もう一度の自己言及が必要になる。
    それでも、このコード表象なきコードのみによる思惟は、脳をもつ脊椎動物になら可能と思われる。
    認知科学では「非言語化思考」と呼ばれるこの思惟は、意識システムが表象を創発したコードの一項に包摂し、それに連鎖するコードの一項に包摂される表象を産出する操作である。(略)』p30.31

引用返信/返信 削除キー/
■20803 / inTopicNo.52)  Re[14]: (第三章 批判と二つの視点)
□投稿者/ pipit -(2022/02/13(Sun) 09:55:16)
    みなさまおはようございます。

    山下和也先生の考察を、『カントとオートポイエーシス』p46、47より引用します。

    『先に見たように、『純粋理性批判』は純粋理性が純粋理性自身を超越論的に反省する、という構造をもっている。
    ここでただちに問題となるのは、この超越論的な反省が『純粋理性批判』において解明されている認識の構造に当てはまっていないということである。
    『純粋理性批判』の根源的な前提は、直観と概観が両方なければ認識は成立しないというものだった。
    しかし純粋理性の自己反省には、当然のように直観も概念も与えられない。
    その意味で超越論的認識は、『純粋理性批判』で言われる認識ではない。
    では、それを可能にするものは何か?
    上述したように、カントは認識する純粋理性をシステムとして捉えている。
    とするならば、その答えは認識するシステムのシステムそのものにとっての視点に他ならない。
     そして本書第二章で見たように、カントの言う理性を認識システムとして理解できる。
    『純粋理性批判』が何をしているかをオートポイエーシス論的に言うならば、認識システムがシステムそのものにとっての視点から認識表象の産出という自身の作動形式を記述している、ということになる。』
    引用終了

    この後、最後の文章

    ☆☆☆『純粋理性批判』が何をしているかをオートポイエーシス論的に言うならば、認識システムがシステムそのものにとっての視点から認識表象の産出という自身の作動形式を記述している、ということになる。☆☆☆

    についての山下先生の詳しい説明に入りまして、pipitもその理解に努めようと思っています。が、その前に少し山下先生的用語の復習をします。

    『かくして、カントの言う感性、悟性、理性という枠組みが、そのままオートポイエーシスの認識論の枠組みに対応させられたことになる。』同本p33より引用
    とあるように、
    オートポイエーシス認識論としての山下先生的考察として、

    生命システム--------感性
    意識システム--------悟性
    認識システム--------理性

    という枠組みで解釈されていくみたいですね。


    意識や認識、悟性や理性、言葉にどのような意味を込めるか、人によって異なるところもあるかもなので、これから話題とされる認識システム(理性)に関しての山下先生の記述を引用しようと思っています。(p31-32)


引用返信/返信 削除キー/
■20798 / inTopicNo.53)  Re[13]: (第三章 批判と二つの視点)再び
□投稿者/ pipit -(2022/02/13(Sun) 00:01:03)
    みなさまこんばんは。
    No20742
    山下先生の本『カントとオートポイエーシス』の読解を続けます。

    山下先生の問題意識
    p44
    『現象と物自体をいかに考えるとしても、カントがこの区別をしていることだけは疑いの余地がない。
    区別しているのは、いわばカントの私である。
    それでは、このカントの私はいかなる資格の私なのだろうか?
    純粋理性としての私なのか、
    純粋統覚としての私なのか、
    自体的な私なのか、
    内観の対象である主観としての私なのか?』

    山下先生としては、カント自身はそのことについて明確に述べてないけど、カントの認識論をオートポイエーシス論から再解釈することにより、カント認識論の構造を論じようとしてられるのかな?と思いましたけど、今日はもう寝ますねー

    また明日!おやすみなさい☆彡


引用返信/返信 削除キー/
■20786 / inTopicNo.54)  ワンちゃんの認識
□投稿者/ pipit -(2022/02/12(Sat) 07:41:49)
    2022/02/12(Sat) 07:45:22 編集(投稿者)

    おはようございます

    ワンちゃんシャッフルゲームのその後の続きがおススメ動画に出てきて、動物の認識についてわたしにはいろいろおもしろかったです。

    https://youtu.be/t8cWXQ_QhhE

    前の動画の最初では、透明を理解してなさそうなワンちゃんが、理解することに進化してるようなかんじもするし、犬にとって視覚が大きな役割を果たしていることなど(後半に各カップの形を変えての実験が出てきます)、、、

    推測してしまいます!

    でもその勝手な推測は大外れかもしれませんね (^_^)

    世界は不思議 !
引用返信/返信 削除キー/
■20783 / inTopicNo.55)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/11(Fri) 20:42:09)
    No20778
    マジモンさん、こんばんは!

    >・ エサをくれるヒトが突然いなくなった。困った。
    ・ 群れからはぐれた。困った。
    ・ 知能が高そうなワンコは、遊びだと思っている <

    なるほどー
    マジモンさんの考えてること教えてくれてありがとうございます!

    あんまり理詰め的に考えない方がいいのかもしれませんね。
    マジモンさんや(悪魔ちゃんもなのかな?)【感覚】みたいな捉え方いいのかもと思うけど、性質なのか性格なのか、やっぱり考えちゃうなぁ。

    なんでその感覚になるのか考えたくなっちゃうんだけど
    考えない方がいい気もするなー、というか、考えると誤っていきがちな気もします。
    わからないけど。

    マジモンさん、おもしろい話題をありがとうです♪
    (^○^)
引用返信/返信 削除キー/
■20778 / inTopicNo.56)  Pipitさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/02/11(Fri) 20:00:10)
    2022/02/11(Fri) 20:00:47 編集(投稿者)

    No20775に返信(pipitさんの記事)
     
    > マジモンさんの考えてることを知りたいのですが、
    > ワンちゃんは、なんで驚くと思われてますか?
    >
    > 人がいると思ってたのに、いないから驚いてるのかなーと、pipitは思ったのですが、
    > ほんの少し、あるいは、単純になら、犬も未来を予測しているのかなーと私は思いましたが、マジモンさんはどう思われますか??
    >
    > 今有るものは、先も有る、と、思ってるのかな?

    やはり、Pipitさんは何か理性が邪魔しているなと感じます。

    犬の世界を知って、犬を注意深く観察すると、
    このタオルマジックでの犬の反応は、私が感じるに3つ感じます。

    ・ エサをくれるヒトが突然いなくなった。困った。
    ・ 群れからはぐれた。困った。
    ・ 知能が高そうなワンコは、遊びだと思っている

    です。
    ペット(イヌネコに限らず)、またヒトもそうですが、
    どうしてもお留守番の生命体で、
    ご主人様が帰ってくるのは心細く待っている思います。

    ですので、目の前で飼い主がいなくなるというのは、
    『 困った、不安 』でしょうね。

    そして動画から感じるのは、臭覚ではなく、
    視覚を使って飼い主を探していますね。
引用返信/返信 削除キー/
■20776 / inTopicNo.57)  Re[5]: 超越論的感性論 第四項:X−4
□投稿者/ pipit -(2022/02/11(Fri) 18:04:16)
    うましかさん、こんばんは (^○^)

    No20772
    カント時間沼探検おつかれさまです!

    カントの時間論は感性論での記述が有名かと思ってるのですが、
    実は先を読み進めるとまた更に謎沼かも、と、思わせられる中島義道先生の文章を、自分の勉強のためにもご紹介いたしますね。もう既読されてたらすみません。

    私には難しすぎて完読できずにそのまま置いてあった『カントの時間論』中島義道先生、講談社学術文庫という本なのですが、再チャレンジしようかなあ(;゜0゜)

    この本の冒頭部分を引用します。中島義道先生の文章です。
    『時間論の書としての『純粋理性批判』ー学術文庫版への「まえがき」に代えて
     
     西洋哲学を通じて、時間に関する思索は二つの異なった道をたどってきた。
    一つは、アリストテレスに典型であるように、時間を外的物体の運動との連関で思索する道であり、
    もう一つはアウグスチヌスに典型であるように、時間を記憶や予期や知覚などの「こころ」のあり方との連関で思索する道である。

     カントの時間論にはこの二つの道が豊かに流れ込んでいる。
    これらを統合的に把握すること、すなわち物体の運動を可能にするような客観的時間がとりもなおさず私の「こころ」のあり方を決める時間であること、これを示すことがカントの時間論のめざすところであった。
    時間論とは、「根源的時間」に立ち返り、そこからすべてを導出することではない。
    時間論とは、時間的現象のすべてにわたって、(外的)物体の運動と(内的)「こころ」にまたがるその危ういあり方から目を逸らさずに、どこまでもこの二元性を見据えて緻密な記述を遂行することである。
     
     一般に、カントの時間論に関しては「感性論」内の「時間について」という一節だけを取りあげて論じる向きがあるが、そこでカントが語っていることは『純粋理性批判』でさまざまな観点から論じている時間についての考察のごく一部にすぎない。
    時間論は『純粋理性批判』全体に浸透しているのであり、そうした全体の構造を見抜くことによってのみ、われわれはカントの時間に関する繊細で強靭な思索を読み解くことができるのである。
    以下、順次『純粋理性批判』との連関において、本書の内容を概観してみる。』
    冒頭部分引用終了


    う、、、いやになるといえばいやになるかもー
    (これ以上ややこしいのかと。。。)
    。゚(゚´ω`゚)゚。


    ではではー (^ ^)

引用返信/返信 削除キー/
■20775 / inTopicNo.58)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/11(Fri) 16:16:32)
    マジモンさん、こんにちーわ!
    No20770

    >ワンコ タオルマジック
    https://www.youtube.com/watch?v=uG_Ftup4YYI
    この動画は『ご主人様が消える』をワンコに見せるマジック。
    この動画をヒトが見ても、種明かしは非常に簡単だが、
    ワンコにとっては難しい<

    動画見ました!
     
    マジモンさんの考えてることを知りたいのですが、
    ワンちゃんは、なんで驚くと思われてますか?

    人がいると思ってたのに、いないから驚いてるのかなーと、pipitは思ったのですが、
    ほんの少し、あるいは、単純になら、犬も未来を予測しているのかなーと私は思いましたが、マジモンさんはどう思われますか??

    今有るものは、先も有る、と、思ってるのかな?


引用返信/返信 削除キー/
■20774 / inTopicNo.59)  Pipitさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/02/11(Fri) 14:30:21)
    No20773に返信(pipitさんの記事)
    > マジモンさん、こんにちは!
    > No20770
    > あれ?
    >
    > 餌を入れたコップをぐるぐる移動させても、犬は餌が入っているコップを選ばずに、元々餌を入れたコップの位置にある空のコップを選んでたように私には思えてたのですが、
    >
    > マジモンさんは、犬がどんな理由で空のコップを選んでたように思ってられましたか?
    > デタラメに選んでる?

    たぶん、選んでいない(笑)
    まるで、小学生に大学の難問をやらせているようなもんで、
    ご主人様と遊んでいるだけかと思う。

    > なるほど、理由を勝手につけたのは人間の私ですね。
    > むむ、これが理性の誤謬かもですね。。。


    理性の誤謬?…、かもしれないね。


    > 高度な思惟は、時空を概念化させないと不可能なのかもしれませんね。
    > カラスがいろんなことを覚えてるのとかは、どうやって覚えてるとマジモンさんは思われてますか?


    カラスの世界を知って、カラスをよく観察しないと、その答えはでないと思う。

    ワンコのシャッフルゲームも、私から見たら、
    イヌはチンパンジーよりも知がないと判断しました。
    なぜなら、チンパンジーは透明な箱を理解できるからです。
引用返信/返信 削除キー/
■20773 / inTopicNo.60)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/02/11(Fri) 12:51:41)
    マジモンさん、こんにちは!
    No20770
    あれ?

    餌を入れたコップをぐるぐる移動させても、犬は餌が入っているコップを選ばずに、元々餌を入れたコップの位置にある空のコップを選んでたように私には思えてたのですが、

    マジモンさんは、犬がどんな理由で空のコップを選んでたように思ってられましたか?
    デタラメに選んでる?

    なるほど、理由を勝手につけたのは人間の私ですね。
    むむ、これが理性の誤謬かもですね。。。

    高度な思惟は、時空を概念化させないと不可能なのかもしれませんね。

    カラスがいろんなことを覚えてるのとかは、どうやって覚えてるとマジモンさんは思われてますか?

     

引用返信/返信 削除キー/

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