| 山下先生の言ってることが全然わからないので(コードのことなどの箇所読んでます。『カントとオートポイエーシス』p26など)、カント先生に頼ろう。(!)
山下先生の文章 『見たように、カントは感性を対象の触発による直観の受容性としているわけであるが、これを本当に受容と見てよいのであろうか? 直観は心性の規定であり、私の内的状態であって、直観の受容とはその変化に他ならない。 外官を感覚器官と捉えるなら、これは生命システムの構成素の攪乱による意識システムの表象産出に相当するのではないだろうか?』 p28
うん、ここはなんとなくイメージできる。
『とするならカントの言う悟性とは、意識システムにおけるコードに応じた表象産出とコード創発およびコード連鎖の能力と考えることができる。 (略) ただし注意しておかなければならないが、意識システムのレベルのコードは本来コード表象化されていない。 つまり認知科学で言う、言語化以前の「名無しの概念」である。 カントは本を書いている関係上、概念に言語で名称をつけねばならないのであるが。 (略) それでも、このコード表象なきコードのみによる思惟は、脳をもつ脊椎動物になら可能と思われる。 認知科学では「非言語化思考」と呼ばれるこの思惟は、(略)』p30.31
、、、うーん、これは、あの『論理』部分を読み直すべきか。。。
あ、p32に、
『この意識システムと認識システムの区別は、現代の認知科学では「二重過程理論(略)」に対応するであろう。』とあった。
ふーむ、カント先生ー (*_*)
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