□投稿者/ pipit -(2022/01/02(Sun) 11:04:04)
| 2022/01/02(Sun) 11:10:15 編集(投稿者)
No20239 >『言葉』にもし、論理(物事の見方)というものが詰まってるとみれば、 例えば、 ある事象を『原因』と見る論理思考と、 ある事象を『衝突』と見る論理思考と、 みてる事象(眼識や耳識)が同じでも、事象に当てはめる『言葉』に論理が乗せられていれば、 その『言葉』を契機に、言語の使用者の【見方】が、、、世界を捉える論理が、、、 変化することもあるのかも<
世界、を、どう捉えるか、もありますよね。
言葉と同時に生じるものを世界と捉えるかどうか
オートポイエーシス論の山下先生の記述を思い出しました。
『(略)オートポイエーシス、自己創出という事態は操作的閉鎖によるシステムの実現を指すのであって、システムによる構成素や構造の産出を言うのではない。 なぜ自己創出かと言うと、このシステムは実現に際し、自身以外の何者によって作られるのでもないからである。 操作的閉鎖は結局、産出プロセス・ネットワークの連鎖の仕方だけによって成立する。 もちろん、そこにはさまざまな要因が影響しているが、そのうちのどれが操作的閉鎖を起こしたかを特定することはできない。 システムの実現を説明できるのは、操作的閉鎖が起きたという事実だけなのである。 そして操作的閉鎖は、それによってシステムとなるネットワークの連鎖の形状のみによって決まる。 操作的閉鎖に先立ってシステムは存在していないが、逆に言えば操作的閉鎖とシステムの実現は同時なので、操作的閉鎖によってシステムが実現すると言っても、システムが操作的に閉鎖して自身を実現すると言っても同じことである。 (略)』 『カントとオートポイエーシス』山下和也先生著、p7より引用
上記が、発生についての記述とすれば、 逆の消失についても同じかもですね。
操作的閉鎖が破られるとシステムも同時に消失する。
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