□投稿者/ pipit -(2022/01/12(Wed) 22:18:37)
| ■No20361 > 『ここで、意識に現れる一切のものを「表象」と呼ぼう。そして、表象において現れているすべての像、知覚像や記憶像、思考像、空想像などをまとめて「現れ」と呼んでおく。 > 見えている光景や音、思い出している情景、思考の内容、空想された描像、そのすべてが現れである。 > 認知科学ではイメージと呼ばれる。』 > p18.19
↑が、山下先生の【表象】の定義で、
【表象】が構成素であり、表象から成るその構造を《意識》とするシステムを、 『意識システム』としてる。
オートポイエーシスは個体として働いてるけど、 閉鎖した時に個体が成り立つ、という考え方だと思う。
作動することではじめて個体が成り立つかんじかな?
思い出す山下先生の記述は、 No20240 『(略)オートポイエーシス、自己創出という事態は操作的閉鎖によるシステムの実現を指すのであって、システムによる構成素や構造の産出を言うのではない。 なぜ自己創出かと言うと、このシステムは実現に際し、自身以外の何者によって作られるのでもないからである。 操作的閉鎖は結局、産出プロセス・ネットワークの連鎖の仕方だけによって成立する。 もちろん、そこにはさまざまな要因が影響しているが、そのうちのどれが操作的閉鎖を起こしたかを特定することはできない。 システムの実現を説明できるのは、操作的閉鎖が起きたという事実だけなのである。 そして操作的閉鎖は、それによってシステムとなるネットワークの連鎖の形状のみによって決まる。 操作的閉鎖に先立ってシステムは存在していないが、逆に言えば操作的閉鎖とシステムの実現は同時なので、操作的閉鎖によってシステムが実現すると言っても、システムが操作的に閉鎖して自身を実現すると言っても同じことである。 (略)』 『カントとオートポイエーシス』山下和也先生著、p7より引用
あ!思い出した。 もう少し簡潔な言葉があったような、、、で、 No20236 『オートポイエーシス・システムは理論モデルではない。』p6 だ。
山下先生的には、実際に作動してる働きに、オートポイエーシス・システムを見る、って感じなのかなと思いました。
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