| ■20929、pipitさま、 >脈絡なく、ごめんよ< いいえ〜、タイムリーじゃん。
>「論理ってなに?」って聞かれたら、自分の中の答えとしてイメージある??< ん〜ん、わたしもいまいち「論理」のイメージ湧いてこない。わたしにとってはあまり好きな語じゃないみたい。なぜかしらないけど。
でも、今のところのを書いて見るね。まだわたし分かってないから長くなっちゃかも?
「論理」のほかに「理論」っていうのあるよね。 で、「論」と「理」を分けて見るよね。
「論」なんだけど、 フッサールの『デカルト的省察』の訳注に、 〔「自我論」と「独我論」はどちらも日本語では「…論」となってしまうが、前者は「自我についての研究・学問」の意であるのに対し、後者は「我一人のみが存在するという主張・考え方」の意であることに注意。ちょうど、例えば、認識論というのは認識についての研究・学問であるが、経験論というのは認識の根源は経験にあるという主張・考え方である(それゆえ、経験主義とも訳される)のと同様。〕 ってあるから、「論」っていっても「主張・考え方」と「研究」に二種類がある見たい。わたし、どちらかっていうと、「研究者」の方が好き。 あ、話しそれちゃった。でもちょっと想い出しちゃたから。
わたし「論」っていうの簡単にしちゃって〈お喋りする〉、あるいは〈表現すること〉ってしちゃうよ。
「理」なんだけど、 「論理」を〈お喋りする理〉、「理論」を〈理についてお喋りする〉ってしてみるね。逆でもいいんだけど。 いずれにしても「理」はいまだ不明ね。だけどいまのところ〈分けること〉ってして見てるよ。ん〜ん、〈分類すること〉みたいな。でもこれ通用しないのかも。
で、
「理論ってなあに?」って聞かれたら、 「分類語でお喋りすること」って答えるかな。 ん〜ん、もっとわかりやすく、 A,Bがいて、A,Bの前にイチゴがあるのね。 Aは眼の前にあるイチゴを指して、 A「これ、なあに?」ってBに聞くのね。 B「イチゴ」って答える。 A「うん、それが理論っていうことなの」
「論理ってなあに?」って聞かれたら、 「分類の仕方についてお喋りすること」、かな?
いまのところこんな感じ〜。
ほら、イメージって、自由さがあるからいいよね。
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