| 「想像imagination」について、現象学事典から、現象学ではどのように見ているのかを、 〔今、私の前に、一個の「リンゴ」があって、私は「それ」を見ている。〕 で見てきて、想像と知覚、想起、予期との違いとその関係性のうちに、 知覚=端的な知覚+{想像・想起・予期} ってなって、「想像imagination」を知覚作用のうちにあるものとしてみたんだけど、 ふと、思ったんね。 (1)「想像」は「再生産的想像」と「創造的想像」に分けられてる。 ってある。 「リンゴ」で見てきた〈知覚=端的な知覚+{想像・想起・予期}〉の{想像}は「再生産的想像」のことなのかもしれない。「創造的想像」じゃなくて。
で、 「想像imagination」と「創造creation」、この両者の似ているとこと違うところを見ていって見ます。
ネットのから、
「創造creation」は「これまでになかったものを新しくつくりだすこと。この概念は、既存の要素あるいは素材の独創的組合せによる新しいタイプの事物の産出から、まったくの無からの世界そのものの創出に至る広い範囲で使われる。」(c-) だった。
想像imaginationについては、コトバンクから、 〔現実には存在しないもの、あるいは現実の存在とは違ったものを心に思い浮かべること。ただし、あるものを心に思い浮かべる、すなわち心像をつくるといっても、過去の経験そのままを思い浮かべることがあるが、これは記憶であって想像とはいえない。たとえば、過去に会ったことのある人の顔を実際に思い浮かべるという場合である。想像というのは、過去の経験から得られた心像を再構成して、その個人にとっては現実的ではない新しい心像をつくることをいう。それは現実に存在するものとは一致しない、あるいは現実からかけ離れたものであるから、空想fantasyともいう。しかし、現実的な心像ではないといっても、過去の経験とまったく無縁であるというわけではなく、むしろこれを基盤としている。したがって個人における想像の内容は、その人の経験そのもの、あるいは経験から得られた心像の質や量に規定される。しかも想像は、過去の経験の写しかえではなく、それを解体し再構成して、新しい心像をつくりだすものである。この過程を取り上げて、創造的想像creative imaginationとよぶことがある。単に想像、とくに空想というと非生産的なもののように受け取られがちであるが、創造的想像は科学における新しい発見や芸術における新作品などを生み出す原動力ともなる重要な精神作用なのである。なお想像には、このほかに、将来についてあれこれと思いめぐらす予想的想像anticipatory imaginationや、他人の行動とか想像に従う模倣的想像imitative imaginationなどがある。〕(i-a)
〔日常語では、現に存在する対象を欠いた表象を「想像」とよび、知覚から区別するが、哲学で用いられる「想像」も、一般に、「事物がそうあるようにではない仕方で事物を覚知する」働きとされる。ただし、西洋近代哲学では、ほぼ明確に「知解」intellectio(ラテン語)との対比において用いられ、たとえば、2点間を最短距離で結ぶ線や、四つの内角がすべて直角である平面図形という形の把握が「知解」であるのに対して、眼前にある知覚物としての机の端を直線として覚知したり、その机の上の本の表面を長方形として覚知する感性的経験を「想像」的という。またカントによれば、実体性や因果性は純粋悟性概念であるのに対して、それらを感性的現象の場面で具体化したもの、つまり「図式」は、想像力(構想力)の所産である。「想像」のこの種の用法も、「事物がそうあるようにではない……」という規定における「事物」を広義に解し、概念的なものまで含めるならば、一般の用法から逸脱するものではない。〕(i-b)
簡単に見ちゃって、 想像と創造が似てるところは、 〈実在していないもの(非現実)をイメージとして創り出す、あるは感覚に与えられていないものをイメージする〉 とか、〈現前に見えていないものが相手〉っていうところが、似てる気がする。 〈(身体に属する)感覚器官→(精神に属する)感覚→端的な知覚〉っていう“現在の感-知覚(端的な)”にはない精神現象、って見ることもできるかも。
違いは? 〔創造的想像は科学における新しい発見や芸術における新作品などを生み出す原動力ともなる重要な精神作用なのである〕(i-a) っていうところが違いかな?
で、ひとまず、 想像を知覚に近いところに置く現象学のわたしの見方に対して、創造っていうのを〈思-考の領域〉に近いところに置いとくことにする。 そして、想像・創造も体験による想起(記憶−過去)と予期(期待−未来)と深くキアスムしてる、ってしとく。 こう見たとき、「想像imagination」は知覚、記憶、思-考の全領域にその触手をのばしてて、思-考の領域に現れたときそれを「創造」って呼んでるのかも。
あと、〔まったくの無からの世界そのものの創出〕(c-)っていうのはどうなのかな?ってわたし思ってる。
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