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No21433 の記事


■21433 / )  Re[71]: : 意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/11(Fri) 18:35:51)
    現象学のわたしの物語り、しばらく「想像imagination」を主役にして見てきて、「想像」「想起」「予期」「知覚」「感覚」のそれぞれの性格と関係性についてだったような気がするけど、現象学の、ここらへん、どうやら「意味」にも繋がってる感じ。そこんとこ見ていくことにします。

    No21035の、現象学事典の「ノエシス・ノエマ」のなかから次のところを抽出して見て見ました。

    〔ノエシス的契機あるいはノエシスは意識の作用的側面を、そしてノエマ的契機あるいはノエマはその対象的側面を表す。〕(α)

    〔ノエマは広義での「意味」(Sinn)と解され、「いかなる志向的体験もみなあるノエマを持ち、そのノエマにおいてある意味を持ち、この意味を介して、その体験は対象へと関係する」〕(β)

    〔志向的体験におけるノエシス的側面は、さらに「素材的(ヒュレー的)契機」と「ノエシス的契機」という二つの契機に区別される。ヒュレー的契機をなす体験の成素は感覚的な所与で、ノエシス的契機によって「統握」され、「意味付与」されることにより「生気づけられる」〕(γ)

    〔ノエマには、諸作用に応じて知覚ノエマ、判断ノエマなどがある。たとえば樹木についての知覚においては、それが現実に在るかどうかなどいっさいの「定立」を遮断した「知覚されたそのもの」、ここでは括弧に入れられた「知覚された樹木そのもの」が知覚的ノエマ、「現象学的に還元された知覚の本質に属する相関者」として示される〕(ς)

    それと、

    (24)〔現前しているのはその対象の一側面である射映ないし現出でしかないが、しかし志向的には対象そのものが知覚されている、すなわちそのつどの現出を通して可能的諸現出(地平)をもつ対象が現出している。地平は対象ごとに既知の類型によって枠づけられているから、現在化にはつねに想起と想像としての準現在化が協働している。〕

    を、見ていくことにします。

    ついでに「ノエシス・ノエマ」について前に書き写したのをもう一度ここに登場させとく。

    No14181、フッサールの志向性について「現象学事典」から、
    〔…フッサールによれば「志向性という言葉は、意識とは何かについての意識であり、コギトとしてそれ自身のうちにコギタートゥム〔=意識内容としての志向的対象〕を保持しているという、意識のこの一般的な根本特性を意味して」おり、そして「この志向性という名称には、ヒュレーの諸問題までも含む、現象学のあらゆる問題が組み込まれている」のである。事実、彼の現象学的考察はcogito-cogitatumの、すなわちノエシスーノエマの相関関係を分析して記述する作業を通して、〈対象を志向し認識する意識主観の諸機能は何か〉という問いと、〈志向される対象は意識主観に対して、どのような仕方で存在者として与えられうるか〉という問いをめぐって、順次展開され深められるのである。つまりこの志向性の問題はフッサールを必然的に、認識論と存在論と自我論を連結統合する広範の研究領野へ導き、さらに時間論の考察も促す根本動因であるから、彼の著書、講義録のどれもが実にさまざまな観点から志向性の構造と諸機能を詳細に論述している。…〕(δ)

    No12267、フッサールの『デカルト的省察』の訳注から、
    〔「ノエマ」という語は。ギリシア語の「ノエイン」という動詞の過去分詞形で、同じ動詞の名詞化である「ノエシス」と対概念をなす。「ノエイン」は、ラテン語の「コギト(原形はコギターレ)」に対応する語で、「コギトと同様に「思う、思惟する」と訳すことができる。それゆえ、「ノエシス」を「思うこと、思惟すること」とし、「ノエマ」を「思われたこと、思惟されたこと」とすることもできる。フッサールは、後述される現象学的還元において捉えられようになる志向的な体験を、自然主義的な歪曲を排除して、与えられるままに捉えたものを、「ノエシス」と「ノエマ」という相関的な述語で呼んでいる。ここでは、「事実として与えられている諸学」が持っている「理念」を与えられるがままに捉えたのが「ノエマ的な現象」と呼ばれている。」(ο)

    つづくよ

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