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■21000 / inTopicNo.49)  Re[51]: イメージ
  
□投稿者/ 田秋 -(2022/02/21(Mon) 19:28:31)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    今は単旋律くらいなら浮かびますが。作曲家と指揮者はオーケストラのスコアみて頭の中で相当響くと思う。

    「南禅寺の晩秋のもみじ、それは勿論素晴らしいけれど、初夏の日の光に戦(そよ)ぐ青々とした紅葉もまた素晴らしい。」

    この文章を読んで頭の中で紅葉したもみじや、緑色の葉のもみじが戦ぐのが頭に浮かんできたら、これもファンタスマ?(南禅寺に行ったことなくて)

    でも南禅寺に行ったことなくても近くの公園で紅葉したもみじや若い葉っぱを見たことはあって、背景を南禅寺(っぽい)ものに置き換えて想像するのはファンタスマじゃない?
引用返信/返信 削除キー/
■20999 / inTopicNo.50)  Re[50]: イメージ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/21(Mon) 18:48:33)
    「現象学事典」からの書き写し。「ファンタスマ」ね。

    《ファンタスマ [(独)Phantasuma] 
     知覚においてその体験された内容が感覚と呼ばれるのに対して、想像における内容はファンタスマと呼ばれる。感覚とファンタスマ、たとえば感覚音と音ファンタスマは、内容の面だけからみれば、同種類のものである。またわれわれは感覚とファンタスマを同時に体験することができる。たとえば楽譜を読み(視覚的感覚)ながら、メロディーを想像する(音ファンタスマ)という場合のように。しかし感覚にあって、諸感覚は感覚視野(Sinnesfeld)において感性的統一をなし、同時的に与えられている感覚的内容を集めながら知覚統覚を形成してゆく。それに対してファンタスマの場合は、これらを統一する分布があり、想像野(Fanrasumafeld)に支えられているのであるが、想像する当の主体を取り巻く現実の知覚的感覚野とまったく関連していない。感覚を基盤とする知覚的対象とファンタスマを基盤とする想像対象とは統一することがない。両作の差異を可能にするのは、その存在様態と時間様態の差異である。感覚が実在性(Realität)と現前(現在Ggenwart)を有するのに対して、ファンタスマは非現実性(Irrealität)と空無性(Nichtigkeit)という性格をもつ。それは「それ自身ではなんの価値もなく、ただ、それが与えられてしまえば再び感覚になってしまうであろうような、別のものを呈示するものとしてのみ妥当する」[Hu23.77]。ファンタスマは内容的には現在的であるが、現在化しない対象を準現在化する(vergegenwärtigen)ためにある。知覚において変様された再現体(たとえば記憶)において、「ファンタスマの現在的として妥当する働きは、それが非現在的として妥当する働きを前提にして」[Hu 23.165]はじめて可能である。》(想像4)

    「ファンタスマ」、初めて見る語。何回も読み返して見てるんだけど、

    《楽譜を読み(視覚的感覚)ながら、メロディーを想像する(音ファンタスマ)》
    ん〜ん、たしかに私が見てるのは「楽譜」っていう紙の上に書かれてある〈記号〉だけ。そこからメロディーが浮かんでくる、っていうことはあるかもね。もっともわたしのばあいそういうのおぼつかないけど、きっと田秋さんだったらバッチリね。
    こんな感じのがファンタスマっていうの〜? な〜んとなく〜、っていう感じ。

    ひとまず、
    (16)知覚においてその体験された内容が感覚と呼ばれる。
    (17)想像における内容はファンタスマと呼ばれる。
    (18)「感覚視野」、「想像野」っていうのがあって、「ファンタスマ」は「想像野」に支えられている。
    (19)「感覚知覚野」に現れているのが「知覚対象」、「想像野」に現れているのが「想像対象」?
    (20)「感覚視野」と「想像野」は関連していなくて、「知覚対象」と「想像対象」は一致することはない。
    (21)「感覚」は実在性と現前(現在)を有する。
    (22)「ファンタスマ」は非現実性と空無性という性格をもつ。

    ん〜ん、よくわかんないよ〜。

引用返信/返信 削除キー/
■20975 / inTopicNo.51)  Re[49]: イメージ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/20(Sun) 15:12:02)
    No20924の「想像」の書き写しのつづきね。

    《広義の想像には二種類ある。すなわちここで取り上げる端的な想像(狭義の想像)と知覚を基底にもつ「像意識」とである。狭義の想像は、知覚が感覚与件を内容とするのに対し、感覚の変様態であるファンタスマを内容にして、その上に想像・像(想像対象)を構成していて、二層的であるのに対し、後者では最下底に知覚の対象たる物理的像があり、それに基づけられて、物理的像の変様した像客体が現出し、それをアナロゴンとして像主体(想像・像に対応する)が呈示されてくる。両者は想像・像の構成に向かう二つのまったく異なるありかただといえよう。狭義の想像とは、対象を意識に自己現前する(selbstgegenwärtigen)ものとして表象する知覚に対して、「像のうちに対象を準現在化する(vergegenwärtigen)」働きのことをいう。後者の性格は、記憶(erimmerung)や期待(Erwartung)もまた共有するところであるが、「記憶」が対象をかつてあったと定立し、「期待」が対象を将来あるだろうとして定立するのに対し、想像は対象を非定立のまま保持しつづける。また対象が現前しないがゆえに、想像は知覚の特色である内容充足を成就することができない。想像は『イデーン』以降、対象の存在定立を排去してノエシス−ノエマの純粋構造を取り出す操作作用として活用されるようになる(中立性変様Neutralitäsmodifikation)。なぜならば、想像とは存在定立の排去を自然的に遂行された知覚のことであるといえるからである。従来の意識の現象学的研究は、とかく知覚を範例として論じる傾向が強かったが、想像も知覚に劣らず重要な現象学的主題となるであろう。一方、サルトルは『イデーン』におけるフッサールの像(Bild)分析に触発されて、独自の想像力分析を行い、やがてこれをもとにして、即自−対自あるいは存在−無の対立図式による大著『存在と無』へと結実させていった。サルトルの想像力論は『想像力』(1936)と『想像力の問題』(1940)につきるが、これは彼が一方で行っていた『壁』(1937)、『嘔吐』(1938)などの文学創作の方法論をなすものであり、想像界を知覚界と対峙(向かい合ってそびえること、対立する者どおしが、にらみ合ったままじっと動かずにいること)するもう一つの領域であることを論証しようとするものであった。》(想像3)
    これでここの部分の書き写しはおわりね。

    「想像」について、現象学では、
    《広義の想像には二種類ある。すなわちここで取り上げる端的な想像(狭義の想像)と知覚を基底にもつ「像意識」とである‥‥》っていうところ、よく分かんない。「アナロゴン」、ネットで「コツ」みたいなこと書いてあったけど、分かんない。「ファンタスマ」については「現象学事典」に書いてあるので、後で書き写して見ま〜す。

    ひとまず、現象学のは、
    (7)「感覚の変様態」を「ファンタスマ」って呼んでる。
    (8)知覚は対象を意識に自己現前するものとして表象する。
    (9)想像は、像のうちに対象を準現在化する働き。
    (10)想像の性格は、「記憶」や「期待」も共有している。
    (11)記憶は対象をかつてあったと定立する。
    (12)期待は対象を将来あるだろうとして定立する。
    (13)想像は対象を非定立のまま保持しつづける。
    (14)想像は対象が現前してない。
    (15)想像とは存在定立の排去を自然的に遂行された知覚のことである。
    ってしとく。

    現象学では「現在化―準現在化」っていうのがあって、前に、
    No13399でちょっと書き写したのあるけど、
    「知覚」と「想像」の違いを見るときに関係してくるみたい。あとで「現象学事典」の書き写しておこっかな。
    あ、それと、
    No20902でわたしが抽出した
    (2)を、現象学では、知覚と想像とは意識の対象に対するかかわり方が本質的に異なる、とした。
    に変えとく。

引用返信/返信 削除キー/
■20969 / inTopicNo.52)  Re[48]: 論理
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/20(Sun) 12:37:42)
    ■20966、マジモンさん、
    >「 温まりたい 」←本当に?<
    「寒いから火に当たるの」を、「火に当たるの、どうしてかっていうと、寒いから」
    って見たのね。だから「温まりたい」んだな〜って思っただけよ。

    >@も考慮しないといけない。<
    よくわかんないけど、了解で〜す。
引用返信/返信 削除キー/
■20966 / inTopicNo.53)  Re[47]: 論理
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/02/20(Sun) 08:58:12)
    No20954に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    >
    > でもね、「意味」を考えて見るね。
    > 「寒いから火にあたるの」は、〈温まりたい〉っていう意味じゃないかしら?
    >
    > 〈温まりたい〉が、What do you want to do ?で聞きたいところなのかな?

    はい、おはようございます。
    文章はエキスパンドするもんだから

    @ 「 ????????????????? 」

    A 「 寒いから火に当たるの 」

    B 「 温まりたい 」←本当に?


    @も考慮しないといけない。

引用返信/返信 削除キー/
■20954 / inTopicNo.54)  Re[46]: 論理
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/19(Sat) 20:33:44)
    >悪魔ちゃん、考えてることを教えてくれてありがとう!<
    いいえ〜、どういたしまして。
    逆に、問われると自分の考えを思い知るよ。

    >あれ?論がお喋りで、理が分けること、じゃなかったっけ?<
    うん、そうよ。
    分類って分けることじゃん。
    「イヌ」と「ネコ」を分けるって、分類してる、っていうことじゃん?

    あ、「パターン」ね。
    「類型」?ん〜ん、〈分け方〉?〈分けの基準〉の設定の仕方?
    な〜んか難しいね。

    イチゴ、
    植物か動物か?
    果物か野菜か?
    食べられるものか食べられないものか?
    好きなものか好きじゃないものか?
    ・・・
    いろいろに分けられるよね。

    >お喋りパターン<
    文法的問題?
    「白さはポチをあくびした」
    「丸い三角形」
    はそれぞれの語の結びつけ方では、ふつう、ヘン。
    「寒いから火にあたるの」
    において、「寒い」と「火」と「あたる」っていう語のパターン(類型)の結びつけ方、こういうパターンはわたしにとってふつうのパターン。

    でもね、「意味」を考えて見るね。
    「寒いから火にあたるの」は、〈温まりたい〉っていう意味じゃないかしら?

    〈温まりたい〉が、What do you want to do ?で聞きたいところなのかな?











引用返信/返信 削除キー/
■20946 / inTopicNo.55)  Re[45]: 論理
□投稿者/ pipit -(2022/02/19(Sat) 19:37:58)
    悪魔ちゃん、考えてることを教えてくれてありがとう!

    No20937
    > 「論理」のほかに「理論」っていうのあるよね。
    > で、「論」と「理」を分けて見るよね。
    >
    > 「論」なんだけど、
    > フッサールの『デカルト的省察』の訳注に、
    > 〔「自我論」と「独我論」はどちらも日本語では「…論」となってしまうが、前者は「自我についての研究・学問」の意であるのに対し、後者は「我一人のみが存在するという主張・考え方」の意であることに注意。ちょうど、例えば、認識論というのは認識についての研究・学問であるが、経験論というのは認識の根源は経験にあるという主張・考え方である(それゆえ、経験主義とも訳される)のと同様。〕
    > ってあるから、「論」っていっても「主張・考え方」と「研究」に二種類がある見たい。わたし、どちらかっていうと、「研究者」の方が好き。
    > あ、話しそれちゃった。でもちょっと想い出しちゃたから。<

    例の出し方がわかりやすいね!


    > わたし「論」っていうの簡単にしちゃって〈お喋りする〉、あるいは〈表現すること〉ってしちゃうよ。<

    うん。

    > 「理」なんだけど、
    > 「論理」を〈お喋りする理〉、「理論」を〈理についてお喋りする〉ってしてみるね。逆でもいいんだけど。
    > いずれにしても「理」はいまだ不明ね。だけどいまのところ〈分けること〉ってして見てるよ。ん〜ん、〈分類すること〉みたいな。でもこれ通用しないのかも。<


    分けること、に付随するけど、
    分け方、も、理とも言えるかもと今思ったよ。


    > で、
    >
    > 「理論ってなあに?」って聞かれたら、
    > 「分類語でお喋りすること」って答えるかな。<

    今わたしが興味あるのは、論理なんだけどね。
    あ!理論が分類語でお喋りすることなら、
    論理は、お喋りするにおいてのパターン、は?


    > ん〜ん、もっとわかりやすく、
    > A,Bがいて、A,Bの前にイチゴがあるのね。
    > Aは眼の前にあるイチゴを指して、
    > A「これ、なあに?」ってBに聞くのね。
    > B「イチゴ」って答える。
    > A「うん、それが理論っていうことなの」<

    Bが【分類してお喋り「イチゴ」した】ってこと?
    Bに起きた【  理論  】。



    > 「論理ってなあに?」って聞かれたら、<

    お、ここで、論理登場だね。

    > 「分類の仕方についてお喋りすること」、かな?<

    あれ?
    論がお喋りで、理が分けること、じゃなかったっけ?

    でも、pipitがさっき書いたのは、
    「論理は、お喋りするにおいてのパターン、は?」だから、

    けっこう似てる?

    論理論になると、
    お喋りパターンについてお喋りすること
    になるかな?


    > いまのところこんな感じ〜。
    >
    > ほら、イメージって、自由さがあるからいいよね。<

    うん。ありがとう!
    おもしろいです (^○^)

引用返信/返信 削除キー/
■20937 / inTopicNo.56)  Re[44]: 論理
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/19(Sat) 18:45:53)
    ■20929、pipitさま、
    >脈絡なく、ごめんよ<
    いいえ〜、タイムリーじゃん。

    >「論理ってなに?」って聞かれたら、自分の中の答えとしてイメージある??<
    ん〜ん、わたしもいまいち「論理」のイメージ湧いてこない。わたしにとってはあまり好きな語じゃないみたい。なぜかしらないけど。

    でも、今のところのを書いて見るね。まだわたし分かってないから長くなっちゃかも?

    「論理」のほかに「理論」っていうのあるよね。
    で、「論」と「理」を分けて見るよね。

    「論」なんだけど、
    フッサールの『デカルト的省察』の訳注に、
    〔「自我論」と「独我論」はどちらも日本語では「…論」となってしまうが、前者は「自我についての研究・学問」の意であるのに対し、後者は「我一人のみが存在するという主張・考え方」の意であることに注意。ちょうど、例えば、認識論というのは認識についての研究・学問であるが、経験論というのは認識の根源は経験にあるという主張・考え方である(それゆえ、経験主義とも訳される)のと同様。〕
    ってあるから、「論」っていっても「主張・考え方」と「研究」に二種類がある見たい。わたし、どちらかっていうと、「研究者」の方が好き。
    あ、話しそれちゃった。でもちょっと想い出しちゃたから。

    わたし「論」っていうの簡単にしちゃって〈お喋りする〉、あるいは〈表現すること〉ってしちゃうよ。

    「理」なんだけど、
    「論理」を〈お喋りする理〉、「理論」を〈理についてお喋りする〉ってしてみるね。逆でもいいんだけど。
    いずれにしても「理」はいまだ不明ね。だけどいまのところ〈分けること〉ってして見てるよ。ん〜ん、〈分類すること〉みたいな。でもこれ通用しないのかも。

    で、

    「理論ってなあに?」って聞かれたら、
    「分類語でお喋りすること」って答えるかな。
    ん〜ん、もっとわかりやすく、
    A,Bがいて、A,Bの前にイチゴがあるのね。
    Aは眼の前にあるイチゴを指して、
    A「これ、なあに?」ってBに聞くのね。
    B「イチゴ」って答える。
    A「うん、それが理論っていうことなの」

    「論理ってなあに?」って聞かれたら、
    「分類の仕方についてお喋りすること」、かな?

    いまのところこんな感じ〜。

    ほら、イメージって、自由さがあるからいいよね。


引用返信/返信 削除キー/
■20929 / inTopicNo.57)  論理
□投稿者/ pipit -(2022/02/19(Sat) 17:07:30)
    悪魔ちゃん、こんにちは!

    脈絡なく、ごめんよ、

    悪魔ちゃんって、「論理ってなに?」って聞かれたら、自分の中の答えとしてイメージある??

    私、ここんとこ、認識対象(概念)と認識対象(概念)の関係性が論理かなぁとそんな感じに思ってるんだけど、悪魔ちゃんは、論理のイメージあるかなぁききたいなぁ、と思って、書き込みしました
    m(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■20924 / inTopicNo.58)  Re[42]: :   イメージ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/19(Sat) 14:25:36)
    「想像」について、「現象学事典」のほかのところにあるのを書き写して見ていって見ます。

    《想像 [(独)Phantasie (仏)imagination ] 
    プラトンが認識における想像的契機(eikasia)をイデアから遠のいたものとして拒斥したのに対して、アリストテレスは想像(fantasia)を感性的知覚と思惟の中間に位置づけ、後者の遂行に不可欠なものと規定し、記憶と親近関係にあるとした。ギリシア語のfantasia,ラテン語のonaginatioをパラケルスス(Paraceisus,1493-1551)がドイツ語でEinbildungskraftと訳す。アリストテレスの思想は、たとえばカントの構想力(Einbildungskeraft)に見られるように、その後の哲学的伝統を領導することになる。カントはさらに再生産的構想力(reproduktive E.)と生産的構想力(produktive E.)に分け、後者は悟性的認識への通路を開く超越論的機能をもつとした。カント以降ドイツではロマン主義的思潮がおこり、構想力を人間精神の根源的創造力として顕揚し、芸術、認識論、形而上学に関わるすべての活動の核心部分とした。フッサールはこのロマン主義的構想力論を排し、想像のロマン主義的意味での生産的性格を否定する。
     フッサールが数学から哲学へと生涯の仕事を転換する動機となったのは、1885/86年ウィーン大学で行われたF.ブレンターノの講義「心理学と美学の諸問題精選」であるが、この講義においてブレンターノは想像(Fantasie)の学説史をたどりなおしながら、心理学と美学の接点を求め、いわば「想像の美学」を構想していた。フッサール自身も『論理学研究』(1900)を準備していた1898年、長編論文「想像と像的表象」を執筆する。したがって初期以来フッサールの想像への関心は強かったと言うよう。フッサールは師ブレンターノを、意識はいつも「〜についての意識」(Bewb&#223;tsein von stwas)であること、つまり意識の志向性(Intentonalit&#228;t)を発見した点において賞揚したが、想像もまた知覚に劣らず志向的意識であると考えた。想像を知覚と認識の中間に位置づけたりせず、知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象(Vorstellung)、つまり像あるいはイメージと見なした。もともとブレンターノにあっては想像も知覚も表象作用としては同じでありながら、ただ表象されたもの(内容)において差異が現れるというのである。その際、表象されたものとしての表象内容と表象対象とが混同された結果、前者の意識内在性、後者の意識超越性という区別が看過された。フッサールはこの点でブレンターノを批判する。想像について語れば、その想像・像は意識内容ではなく、志向的対象であり、意識に超越し、意識がそれを思念し、それを狙う対象である。意識作用は一様ないしは同じであるのではなく、表象には表象作用が、想像には想像作用が対応するはずである。この作用−対象、あるいはノエシス−ノエマの相関構造が想像においても貫けれている。)(想像2)
    ここれはつづくけど後で。ひとまずここの部分について、

    プラトン、アリストテレス、カント、フッサール、それぞれの「想像imagnation」のイメージについて書いてある。

    カントの場合、〔想像(Phantasie)〕じゃなくて《構想力(Einbildungskeraft)》ってなってるけど、カントは、Phantasie とEinbildungskeraftの意味を区別してる、っていうことなのかな?もしそうだとしたらカントの言う《構想力(Einbildungskeraft)》と〔想像((独)Phantasie)〕は別ものとして見なくちゃならないけど、わたしにはよくわかんない。いずれにしてもカントの言う《Einbildungskeraft(構想力)》っていうのは《reproduktive E.(再生産的構想力)》と《produktive E.(生産的構想力)》に分けられてるみたいね。

    わたしがちょっと気になってるのが、
    《アリストテレスは想像(fantasia)を感性的知覚と思惟の中間に位置づけ、後者の遂行に不可欠なものと規定し、記憶と親近関係にあるとした》(A)
    と、
    フッサールは、《想像を知覚と認識の中間に位置づけたりせず、知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象(Vorstellung)、つまり像あるいはイメージと見なした》(F)
    のところの、
    (A)の《感性的知覚と思惟の中間に位置づけ》、(F)の《知覚と認識の中間に位置づけたりせず》っていうところを見ると、どうやら、哲学においては「思惟」と「認識」が対応してる感じ。哲学では「認識」って言ったら「思惟」の領域にかかわるものとして、「知覚」の領域にかかわることじゃなくて、って見れるんだけど。
    あ、これは置いといて、

    ひとまず、フッサールのは、
    (5)「想像」は、知覚と思惟(認識)の中間に位置づけず、知覚と並び知覚にどこまでも近いもの。
    (6)「想像」における〈想像・像〉は意識“内容”ではなく、志向的“対象”。
    ってしとく。


引用返信/返信 削除キー/
■20902 / inTopicNo.59)  Re[41]:   イメージ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/18(Fri) 18:53:43)
    ここまで、メルポンの〈身振りの意味〉、とくに〈言葉と意味〉について、だったんだと思うけど、これ、ひとまず横に置いといて。

    やっぱ「表現すること」によってわたしに分かってくる気がする。

    で、

    このごろ、「現象学事典」の「想像」っていうところをもういちど読み返してるのね。
    なんか雰囲気的に「意味」と「想像」って怪しげに深くかかわってる気がしたからかな?

    [imagination]は「想像(力)」、[image]は「イマージュ」、[creation]は「創造」って訳されてるみたいだけど、これからのわたしの物語り、「イメージ」っていう題名にして見ました。

    No12814で、
    「想像」を〈思考の領域〉ってしてわたし見てたんだけど、ちょっと違うのかも?
    もう一回見なおしていくとこにする。あ、とくに現象学のをね。

    「現象学事典」のNo12814のを再掲しとく。
    《想像力 [(仏・英)imagination ]
     想像する能力。再生産的想像力と創造的想像力に分けられる。想像力は人間的識の本質的作用であるにもかかわらず、従来の心理学や形而上学は、想像力が身体と関わることから、これを低級な能力と見なしてきた。デカルトにおいて、想像するとは精神が己を物体に向け、その物体のうちに、精神自身によって理解された観念ないし感覚に知覚された観念に対応するものを、直観することのである。つまり心像は外部の対象と同じ資格のひとつの対象であり、想像することは、物体的なものの形ないし像を眺めることなのである。ベルクソンは、イマージュとは、観念論者が表象と呼ぶものよりは劣っている存在、つまり表象と事物の中間にある存在と考える。以上のように心像は従来、しばしば物ないし物のような存在と捉えられてきた。これに対し、現象学は、知覚と想像とは意識の対象に対するかかわり方が本質的に異なることを明らかにした。知覚は対象を現にここに存在するものとして定立するが、想像とは対象を無として定立し、現実を超え出る作用である。サルトルが主張するように、想像力は人間的意識の本質的作用であり、積極的に評価されるべきである。意識の非現実化する優れた作用である想像力は、現実世界との交通を遮断して、可能性の世界を開示する能力である。そしてこの能力をその存在の本質とする意識そのものが、すでに自由なのである。》(想像1)

    これから、ひとまず、

    (1)「想像」を「再生産的想像」と「創造的想像」に分けて見ることにする。
    《現象学は、知覚と想像とは意識の対象に対するかかわり方が本質的に異なることを明らかにした。知覚は対象を現にここに存在するものとして定立するが、想像とは対象を無として定立し、現実を超え出る作用である》
    から、
    (2)「対象」−「知覚」−「想像」の関係性を問題としてる感じ。
    (3)「知覚」は、対象を現にここに存在するものとして定立している。
    (4)「想像」は、対象を無として定立している。

    (想像1)からはこれを抽出しとく。

引用返信/返信 削除キー/
■20843 / inTopicNo.60)  Re[40]: 言葉(パロール)
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/02/15(Tue) 19:29:15)
    Y「表現としての身体と言葉(パロール)」のところを見てきたんだけど、
    メルポンの「言葉(パロール)」についての見方は、
    No15611の(MP-9)
    No11365の(MP-2)
    No15014
    に集約されているんだと思う。

    ひとまず、このお話は、おしまい〜。



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