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■21479 / inTopicNo.25)  Re[75]: : 意味
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/12(Sat) 19:15:13)
    No21433のつづきね

    メルポンの【身振りの意味は与えられるのではなく目撃者の作用によって捉え直されているのである】
    見たいなのね。

    わたしにわかりやすい言葉にしちゃうよ。

    「ノエシス−ノエマ」なんだけど、
    〔cogito-cogitatumの、すなわちノエシス−ノエマの相関関係〕とか〔「ノエシス」を「思うこと、思惟すること」とし、「ノエマ」を「思われたこと、思惟されたこと」〕っていうことから、「cogito思惟」(思-考)の領域におけるもののようだけど、こういうのって他にも使えるんじゃないかって。ようするに「ノエシス−ノエマ」っていうのは〈すること−されたもの〉っていう相関関係のことなんじゃないかって見たのね。
    で、
    *「ノエシス」→〈すること〉
    *「ノエマ」→〈されたもの〉
    〈すること〉には〈するもの〉がいるはずだから、
    〈するもの〉が〈すること〉によって〈されたもの〉が発生する、もうちょっと追加して、
    〈するもの〉と〈されるもの〉、〈すること〉によって〈されたもの〉が発生する。
    「ノエマ−ノエシス」からはこういうふうなのがわたしに見えてきている。あたりまえのことようだけど、あたりまえになってるからこそ忘れがちなるのかな。これについてのお話しはまたいつか。

    *「ヒュレー」=〈素材〉

    (γ)に「統握」ってあるけど、現象学事典で、〔統握 (独)Auffassung : 統握の原意は理解・解釈であり、フッサールはこの概念によって統一体としての対象を現出させる志向的作用の本質契機を表す。‥‥〕ってあって、
    No11393(1-p62)で見たように、
    わたし「統握Auffassung」と「統覚Apperzeption」を区別していて、知覚の領域の統覚、思-考の領域の統握、ってしてるんだけど、現象学事典によると〔〈統覚〉は基本的には〈統握〉と同義である〕っていうことから、
    *「統握」→「統覚」

    「契機」をネットで調べたら、
    〔契機moment :原語は「動かす」という意味のラテン語の動詞mouereに由来する。それゆえ、あるものを動かし、決定する根拠のことを意味する。またさらに、ある全体、とくに静的なものではなく動的、過程的な全体に対するその構成要素、あるいはその一局面のことを意味することもある。実際、すべての事象を生成発展の相としてとらえていこうとするヘーゲル哲学においては、この意味で使われている。〕とか〔きっかけ、動機〕
    ってあったから、
    *「契機」→〈きっかけ〉とか〈動機〉

    あ、あと、
    No21433で、
    〔ノエマには、諸作用に応じて知覚ノエマ、判断ノエマなどがある。たとえば樹木についての知覚においては、それが現実に在るかどうかなどいっさいの「定立」を遮断した「知覚されたそのもの」、ここでは括弧に入れられた「知覚された樹木そのもの」が知覚的ノエマ、「現象学的に還元された知覚の本質に属する相関者」として示される〕(ς)のところ、
    (ς)ってなっちゃってる。違う記号にして見る。(λ)って。

引用返信/返信 削除キー/
■21478 / inTopicNo.26)  Re[74]: :感想
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/12(Sat) 19:12:27)
    ■21440、マジモンさん、

    わたし、素通りになんてできない。

    だって、私の始まりについてだから。


引用返信/返信 削除キー/
■21440 / inTopicNo.27)  Re[73]: : 感想
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/03/11(Fri) 20:43:37)
    この感想は、俺の奴だね。

    ごめん、俺、素通りするわ。
引用返信/返信 削除キー/
■21437 / inTopicNo.28)  Re[72]: : 感想
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/11(Fri) 20:16:46)
    ひとってさ〜、生き方それぞれじゃん。

    その生き方が、真か偽か、善いか悪いか、っていう「判断」ある見たいだけど、

    それ以前の問題もあるのよ。

    それを素通りしちゃうのはどうなのかしら?


引用返信/返信 削除キー/
■21433 / inTopicNo.29)  Re[71]: : 意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/11(Fri) 18:35:51)
    現象学のわたしの物語り、しばらく「想像imagination」を主役にして見てきて、「想像」「想起」「予期」「知覚」「感覚」のそれぞれの性格と関係性についてだったような気がするけど、現象学の、ここらへん、どうやら「意味」にも繋がってる感じ。そこんとこ見ていくことにします。

    No21035の、現象学事典の「ノエシス・ノエマ」のなかから次のところを抽出して見て見ました。

    〔ノエシス的契機あるいはノエシスは意識の作用的側面を、そしてノエマ的契機あるいはノエマはその対象的側面を表す。〕(α)

    〔ノエマは広義での「意味」(Sinn)と解され、「いかなる志向的体験もみなあるノエマを持ち、そのノエマにおいてある意味を持ち、この意味を介して、その体験は対象へと関係する」〕(β)

    〔志向的体験におけるノエシス的側面は、さらに「素材的(ヒュレー的)契機」と「ノエシス的契機」という二つの契機に区別される。ヒュレー的契機をなす体験の成素は感覚的な所与で、ノエシス的契機によって「統握」され、「意味付与」されることにより「生気づけられる」〕(γ)

    〔ノエマには、諸作用に応じて知覚ノエマ、判断ノエマなどがある。たとえば樹木についての知覚においては、それが現実に在るかどうかなどいっさいの「定立」を遮断した「知覚されたそのもの」、ここでは括弧に入れられた「知覚された樹木そのもの」が知覚的ノエマ、「現象学的に還元された知覚の本質に属する相関者」として示される〕(ς)

    それと、

    (24)〔現前しているのはその対象の一側面である射映ないし現出でしかないが、しかし志向的には対象そのものが知覚されている、すなわちそのつどの現出を通して可能的諸現出(地平)をもつ対象が現出している。地平は対象ごとに既知の類型によって枠づけられているから、現在化にはつねに想起と想像としての準現在化が協働している。〕

    を、見ていくことにします。

    ついでに「ノエシス・ノエマ」について前に書き写したのをもう一度ここに登場させとく。

    No14181、フッサールの志向性について「現象学事典」から、
    〔…フッサールによれば「志向性という言葉は、意識とは何かについての意識であり、コギトとしてそれ自身のうちにコギタートゥム〔=意識内容としての志向的対象〕を保持しているという、意識のこの一般的な根本特性を意味して」おり、そして「この志向性という名称には、ヒュレーの諸問題までも含む、現象学のあらゆる問題が組み込まれている」のである。事実、彼の現象学的考察はcogito-cogitatumの、すなわちノエシスーノエマの相関関係を分析して記述する作業を通して、〈対象を志向し認識する意識主観の諸機能は何か〉という問いと、〈志向される対象は意識主観に対して、どのような仕方で存在者として与えられうるか〉という問いをめぐって、順次展開され深められるのである。つまりこの志向性の問題はフッサールを必然的に、認識論と存在論と自我論を連結統合する広範の研究領野へ導き、さらに時間論の考察も促す根本動因であるから、彼の著書、講義録のどれもが実にさまざまな観点から志向性の構造と諸機能を詳細に論述している。…〕(δ)

    No12267、フッサールの『デカルト的省察』の訳注から、
    〔「ノエマ」という語は。ギリシア語の「ノエイン」という動詞の過去分詞形で、同じ動詞の名詞化である「ノエシス」と対概念をなす。「ノエイン」は、ラテン語の「コギト(原形はコギターレ)」に対応する語で、「コギトと同様に「思う、思惟する」と訳すことができる。それゆえ、「ノエシス」を「思うこと、思惟すること」とし、「ノエマ」を「思われたこと、思惟されたこと」とすることもできる。フッサールは、後述される現象学的還元において捉えられようになる志向的な体験を、自然主義的な歪曲を排除して、与えられるままに捉えたものを、「ノエシス」と「ノエマ」という相関的な述語で呼んでいる。ここでは、「事実として与えられている諸学」が持っている「理念」を与えられるがままに捉えたのが「ノエマ的な現象」と呼ばれている。」(ο)

    つづくよ

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■21322 / inTopicNo.30)  Re[70]: : 間想
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/08(Tue) 20:12:42)
    ちょっと想ったんだけど、
    〔今、私の前に、一個の「リンゴ」があって、私は「それ」を見ている。〕
    これっていろいろに使えるかも?

    たとえば、
    〔最近、私の前のニュースに、「ロシアのウクライナへの武力攻撃」があって、私は「それ」を見ている。〕
    みたいに。

引用返信/返信 削除キー/
■21292 / inTopicNo.31)  Re[69]: : 想像と創造
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/06(Sun) 19:16:15)
    あ、ちょっと

    神が世界を”創造”した、っていうのあるじゃん。

    神が世界を”想像”した、じゃなくて。

    信仰者は、世界を想像したのは神である、とは言いたくないんじゃないかしら? 

    やっぱ、想像と創造はちょっと区別しといた方がいいかも。
引用返信/返信 削除キー/
■21291 / inTopicNo.32)  Re[68]: : 想像imaginationと創造creation
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/06(Sun) 17:53:00)
    「想像imagination」について、現象学事典から、現象学ではどのように見ているのかを、
    〔今、私の前に、一個の「リンゴ」があって、私は「それ」を見ている。〕
    で見てきて、想像と知覚、想起、予期との違いとその関係性のうちに、
    知覚=端的な知覚+{想像・想起・予期}
    ってなって、「想像imagination」を知覚作用のうちにあるものとしてみたんだけど、
    ふと、思ったんね。
    (1)「想像」は「再生産的想像」と「創造的想像」に分けられてる。
    ってある。
    「リンゴ」で見てきた〈知覚=端的な知覚+{想像・想起・予期}〉の{想像}は「再生産的想像」のことなのかもしれない。「創造的想像」じゃなくて。

    で、
    「想像imagination」と「創造creation」、この両者の似ているとこと違うところを見ていって見ます。

    ネットのから、

    「創造creation」は「これまでになかったものを新しくつくりだすこと。この概念は、既存の要素あるいは素材の独創的組合せによる新しいタイプの事物の産出から、まったくの無からの世界そのものの創出に至る広い範囲で使われる。」(c-)
    だった。

    想像imaginationについては、コトバンクから、
    〔現実には存在しないもの、あるいは現実の存在とは違ったものを心に思い浮かべること。ただし、あるものを心に思い浮かべる、すなわち心像をつくるといっても、過去の経験そのままを思い浮かべることがあるが、これは記憶であって想像とはいえない。たとえば、過去に会ったことのある人の顔を実際に思い浮かべるという場合である。想像というのは、過去の経験から得られた心像を再構成して、その個人にとっては現実的ではない新しい心像をつくることをいう。それは現実に存在するものとは一致しない、あるいは現実からかけ離れたものであるから、空想fantasyともいう。しかし、現実的な心像ではないといっても、過去の経験とまったく無縁であるというわけではなく、むしろこれを基盤としている。したがって個人における想像の内容は、その人の経験そのもの、あるいは経験から得られた心像の質や量に規定される。しかも想像は、過去の経験の写しかえではなく、それを解体し再構成して、新しい心像をつくりだすものである。この過程を取り上げて、創造的想像creative imaginationとよぶことがある。単に想像、とくに空想というと非生産的なもののように受け取られがちであるが、創造的想像は科学における新しい発見や芸術における新作品などを生み出す原動力ともなる重要な精神作用なのである。なお想像には、このほかに、将来についてあれこれと思いめぐらす予想的想像anticipatory imaginationや、他人の行動とか想像に従う模倣的想像imitative imaginationなどがある。〕(i-a)

    〔日常語では、現に存在する対象を欠いた表象を「想像」とよび、知覚から区別するが、哲学で用いられる「想像」も、一般に、「事物がそうあるようにではない仕方で事物を覚知する」働きとされる。ただし、西洋近代哲学では、ほぼ明確に「知解」intellectio(ラテン語)との対比において用いられ、たとえば、2点間を最短距離で結ぶ線や、四つの内角がすべて直角である平面図形という形の把握が「知解」であるのに対して、眼前にある知覚物としての机の端を直線として覚知したり、その机の上の本の表面を長方形として覚知する感性的経験を「想像」的という。またカントによれば、実体性や因果性は純粋悟性概念であるのに対して、それらを感性的現象の場面で具体化したもの、つまり「図式」は、想像力(構想力)の所産である。「想像」のこの種の用法も、「事物がそうあるようにではない……」という規定における「事物」を広義に解し、概念的なものまで含めるならば、一般の用法から逸脱するものではない。〕(i-b)

    簡単に見ちゃって、
    想像と創造が似てるところは、
    〈実在していないもの(非現実)をイメージとして創り出す、あるは感覚に与えられていないものをイメージする〉
    とか、〈現前に見えていないものが相手〉っていうところが、似てる気がする。
    〈(身体に属する)感覚器官→(精神に属する)感覚→端的な知覚〉っていう“現在の感-知覚(端的な)”にはない精神現象、って見ることもできるかも。

    違いは?
    〔創造的想像は科学における新しい発見や芸術における新作品などを生み出す原動力ともなる重要な精神作用なのである〕(i-a)
    っていうところが違いかな?

    で、ひとまず、
    想像を知覚に近いところに置く現象学のわたしの見方に対して、創造っていうのを〈思-考の領域〉に近いところに置いとくことにする。
    そして、想像・創造も体験による想起(記憶−過去)と予期(期待−未来)と深くキアスムしてる、ってしとく。
    こう見たとき、「想像imagination」は知覚、記憶、思-考の全領域にその触手をのばしてて、思-考の領域に現れたときそれを「創造」って呼んでるのかも。

    あと、〔まったくの無からの世界そのものの創出〕(c-)っていうのはどうなのかな?ってわたし思ってる。



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■21273 / inTopicNo.33)  Re[67]: : 知覚と想像
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/05(Sat) 18:32:42)
    知覚と想像の違いと関係性なんだけど、

    No21196
    (2)「知覚」と「想像」とは意識の対象に対するかかわり方が本質的に異なる。
    ということから、想像と知覚の違いを、
    (29)志向対象の実在性の有無。
    で見て見ることにする。

    知覚の対象は?
    想像の対象は?
    なあに?
    ね。

    〔今、私の前に、一個の「リンゴ」があって、私は「それ」を見ている。〕で、

    知覚の対象は「リンゴ」っていうことになるのかしら?
    わたしのばあい、「リンゴ」は私の外にある物で、「知覚の対象」とは言わず、「知覚の対物」っていう表現になるんだけど。
    知覚の対象は〈感覚されているもの〉?
    わたし「知覚」を〈異種感覚情報の統合〉ってしてたんだけど、これ〈端的な知覚〉のこととすることにした。
    で、ひとまずこうしとく。
    (g)〈知覚〉の“対物”は「リンゴ」
    (h)〈端的な知覚〉の“対象”は〈感覚〉
    (16)知覚においてその体験された内容が感覚と呼ばれる。
    っていうのもあったし。

    で、想像の対象は?
    いろいろ考えて見たんだけど、
    「リンゴ」の向こう側、見えていない側面、これを付け加えてるのが{想像}なんじゃないかって。
    で、
    想像の対象は、
    「リンゴ」の見えていない面、っていうことになった。

    〈端的な知覚〉では、「リンゴ」の見えている面が、感官から感覚として提示されてるの対して、「想像」は実際には“感覚されていないもの”を“想像する”っていうことになるのかな。

    「想像」について、
    (4)想像は対象を無として定立する
    (13)想像は対象を非定立のまま保持しつづける。
    (14)想像は対象が現前していない。
    (30)想像は対象を不在の物として定立する。
    は、こういうことなんじゃないかって。

    「想像の対象」?
    想像にとって「リンゴ」の見えてない面は、“対象”――想像に対する象、ってなるのかしら?
    “対物”で見たとき、「リンゴ」の見えていない面は、想像に対する物、ってなるのかしら?
    ここらへんはよく分かんない。
    ひょっとしたら、「想像」っていうの、「対象」も「対物」も“ない”のかも?
    だから、「想像の対象」(想像に対する象)っていうのは実はヘンな言い方なのかも?
    でも、「想像という対象」っていうのはあるよね。想像の働きによってされた象、を対象とする、っていうの。
    〈想像の働きによってされた象〉を対象としてるのは何かな?っていう問いも浮かんでくるだけど、これはひとまず横に置いとくことにする。

引用返信/返信 削除キー/
■21268 / inTopicNo.34)  Re[66]: : 知覚と想像
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/05(Sat) 16:48:15)
    わたしの頭ン中、なんかごちゃごちゃしてきてるから、ちょっと整理して見る。

    「知覚」=〈端的な知覚〉+{想像・想起・予期}
    が出てきたのは、
    (5)「想像」を、知覚と思惟(認識)の中間に位置づけず、知覚と並び知覚にどこまでも近いもの。
    (15)「想像」とは存在定立の排去を自然的に遂行された知覚のことである。
    (23)直観的表象作用はその統握形式に従って、大きく現在化と準現在化とに分けられる。現在化は対象が現に現れること、有体的に現前していることを表し、知覚の志向的性格であるとされる。これに対して準現在化は記憶や想像や予期を規定し、現にない対象を思い浮かべる事態であり、この意味では、再生(Reproduction)や再現前化(Reprasentation)と同義である。
    (24)現前しているのはその対象の一側面である射映ないし現出でしかないが、しかし志向的には対象のそのものが知覚されている、すなわちそのつどの現出を通して可能的諸現出(地平)をもつ対象が現出している。地平は対象ごとに既知の類型によって枠づけられているから、現在化にはつねに想起と想像としての準現在化が協働している。
    (25)知覚対象は単なる現前(Prasenz)ではなくつねに付帯現前(Apprasenz)なのである。
    からだったと思う。
    そして、
    (25)の〔単なる現前〕を〈端的な知覚〉、〔付帯現前〕を{想像・想起・予期}ってみたんだった。
    〔単なる現前〕っていうのは、
    (24)現前しているのはその対象の一側面である射映ないし現出でしかない
    っていうことのことと見た。

    〔今、私の前に、一個の「リンゴ」があって、私は「それ」を見ている。〕で、見てきたのを整理すると、
    *「リンゴ」――私の前にある(外にある)物
    *〈リンゴ〉――「リンゴ」が私のうち(意識)に現れてるもの =知覚されているもの
    ってして、
    *「リンゴ」の見えてる面(見えているもの)を〔端的な知覚〕って呼ぶことにして。
    *〈リンゴ〉(知覚されてるもの)には〈見えているもの〉と〈見えていないもの〉の両方をもっている。
    ってして、
    *〈端的な知覚〉には付帯するものがあって、その両方を〈知覚されているもの〉(〈リンゴ〉)と見た。
    そして、
    *〈端的な知覚〉(見えているも)に付帯しているものを{想像・想起・予期}ってした。
    だから、
    〈リンゴ〉=端的な知覚(「リンゴ」の見えている面)+{想像・想起・予期}(付帯してるもの)
    もっと簡単に、
    私のうち(意識)に現れてる〈リンゴ〉という〈知覚されているもの〉は、“見えているもの”としての〈端的な知覚〉と、“見えていないもの”として{想起・予期・想像}が付け加わってる。
    ってしてわたし見てるんだと思う。

    〈端的な知覚〉に付け加わってるものとして、想起は過去(記憶)から、予期は未来(期待)が、でいいと思う。

    わたしにとって問題だったのは、知覚と想像の違いと関係性。
    No21196に戻ります。

引用返信/返信 削除キー/
■21258 / inTopicNo.35)  Re[65]: : ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/04(Fri) 20:54:03)
    わたしの物語りのあいまに、

    デカルトの『省察』、彼が言い出した「方法的懐疑」、彼それを徹底することができなかったんじゃないかしら? って。

    ふと
引用返信/返信 削除キー/
■21253 / inTopicNo.36)  Re[64]: :   知覚と想像
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/04(Fri) 19:46:56)
    No21238のつづきね
    〔今、私の前に、一個の「リンゴ」があって、私は「それ」を見ている。〕
    これで、つづけるね。

    私の外にある「リンゴ」(物)を私が見て、私のうち(意識)に現れてるのが〈リンゴ〉、っていうことにして、

    〔私は「リンゴ」を見ている〕、
    今、私に“見えている”のはその「リンゴ」のこちらを向いてる面で、「リンゴ」の向こう面は私には“見えてない”よね。私に知覚されてるのは「リンゴ」のこちら面、でいいよね。

    「知覚」において、〈見えているもの〉と〈見えていないもの〉っていう分節の仕方で見ていって見る。
    メルポンの『見えるものと見えないもの』、これって世界の分類の一つ仕方と見ることもできるよね。
    ん〜ん、これ以上分けることができない「カテゴリー」っていう方に近いかな?

    (A)知覚の領域=知覚+{想像・想起・予期}
    ってわたしして見たんだけど、
    〈見えているもの〉の知覚と、〈見えていないもの〉の知覚、っていう二つの「知覚」がある、ってして見た。
    やっぱ両者を区別した名前にしとかなくっちゃ、って。でどうしよっかな〜、で、
    〈見えているもの〉の知覚を、〈端的な知覚〉とか〈単なる知覚〉って言うことにしたよ。他にもいろいろ考えて見たんだけど、たとえば〈直接に覚されてるもの〉という意味で〈直覚〉が浮かんだんだけど、「直覚」をネットで調べたら「推理や考察によらずに瞬間的に物事の本質をさとること。直観。」ってあって、わたしが思いついた〈直観〉とは違うし、ややこしくなるのでこれ使うのやめた。
    で、(A)はこうなった。

    (B)知覚されているもの=端的な知覚+{想像・想起・予期}

    もっともこういう見方は、現象学の、
    「想像を、知覚と思惟(認識)の中間に位置づけず、知覚と並び知覚にどこまでも近いもの。」とか「想像とは存在定立の排去を自然的に遂行された知覚のことである。」とか「知覚はつねに想起、予期、想像が協働している」
    っていう見方じゃないばあいには話はかわってくるけどね。

    〈見えているもの〉と〈見えていないもの〉っていう区別は、〈感覚されているもの〉、〈感覚されていないもの〉っていう意味でわたし使ってる。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・体性覚っていう感覚をまとめて〈見る〉っていう語で表しているよ。
    あと、「語」についても同じような見方ができるかも。
    たとえば、ある会話の中で、Aさんが私に対して「ワタシ、リンゴ、スキ」って言ったとするね。このとき、私に〈見えているもの(聴こえているもの)〉は「ワタシ」「リンゴ」「スキ」という語だけで、それらの“意味”は〈見えていないもの〉っていうことになるよね(もっとも会って話すことにおいては、相手のコトバ以外の身振りも見えているものになるんだけど)。

    つづく

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