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■17658 / inTopicNo.85)  Re[13]: アドヴァイタ
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/17(Sun) 08:10:04)
    2021/10/17(Sun) 09:21:55 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No17653に返信(みのりさんの記事)
    > まず。みのり的には、みのりの身体とみのりの〈私〉は不分離です。
    > そして、眼のところから広がる、みのり的〈私〉世界には、他者はもちろん普通に存在しています。
    > ただ、これは、〈私〉でも自我の私でもどちらでもいいのですが、「自分」というものを認識している、意識している時の世界の見え方なんです。
    > (みのりにとってはそうだということです。)

    > 自分というものを認識していない、意識していない時には、他者という認識も意識も特にはなく、今見えているもの、聞こえているもの、そういうものが不分離にある、という感じなんです。
    > こういうことを指して、〈私〉は世界に溶け込んでいる、と表現しました。
    > そして、〈私〉ということをニークラで書いている今のような時とか、リアルで嫌なことを感じた時、心配事が出たような時などには、ギューッと圧縮されて「自分」が表れてくる、という感じです。

    これよく分かりますし、パニチェが探究しているまさに最先端のところです。
    ポイントは意識していない時にも存在するのが〈私〉かどうか、もしそうであるなら〈私〉はどこに位置しているのか?というようなところです。

    意識してない時に存在するのが〈私〉であるなら、意識した時に存在するのは言語的な「私」である可能性もあるということ。

    さらに、ひょっとしたら身体と不分離な(身体に閉じている)のは〈私〉ではなく「私」ではないか?というようなところが現時点での探究の最先端です。

引用返信/返信 削除キー/
■17653 / inTopicNo.86)  Re[12]: アドヴァイタ
□投稿者/ みのり -(2021/10/17(Sun) 07:30:56)
    パニチェさん、レスありがとうございました。

    No17646に返信(パニチェさんの記事)
    > ■No17645に返信(みのりさんの記事)
    >
    >>一番上の図になるのでしょうか。
    >
    > 禅定が深まるとともに自己が世界と同化していくイメージを図案化しました。
    > みのりさんは一番下の図からさらに進んで内的空間が外界と同化している見性ではないか?ということです。

    う〜ん。。 自分ではわからないです。

    >>私としては、「〈私〉が世界外に位置する 」というのが、逆によくわからないんです。
    >>独在論になるのですよね。 去年そのようにお聞きしたと思います。
    >
    > 逆に聞きたいのですが、〈私〉が世界の外部でなく世界と同化している場合、自分の体と〈私〉と他者の体も含めた物体は世界内でどういう位置関係になりますか?

    まず。みのり的には、みのりの身体とみのりの〈私〉は不分離です。
    そして、眼のところから広がる、みのり的〈私〉世界には、他者はもちろん普通に存在しています。
    ただ、これは、〈私〉でも自我の私でもどちらでもいいのですが、「自分」というものを認識している、意識している時の世界の見え方なんです。
    (みのりにとってはそうだということです。)

    自分というものを認識していない、意識していない時には、他者という認識も意識も特にはなく、今見えているもの、聞こえているもの、そういうものが不分離にある、という感じなんです。
    こういうことを指して、〈私〉は世界に溶け込んでいる、と表現しました。

    そして、〈私〉ということをニークラで書いている今のような時とか、リアルで嫌なことを感じた時、心配事が出たような時などには、ギューッと圧縮されて「自分」が表れてくる、という感じです。


引用返信/返信 削除キー/
■17646 / inTopicNo.87)  Re[11]: アドヴァイタ
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/16(Sat) 21:15:48)
    No17645に返信(みのりさんの記事)

    > 一番上の図になるのでしょうか。

    禅定が深まるとともに自己が世界と同化していくイメージを図案化しました。
    みのりさんは一番下の図からさらに進んで内的空間が外界と同化している見性ではないか?ということです。

    > 私としては、「〈私〉が世界外に位置する 」というのが、逆によくわからないんです。
    > 独在論になるのですよね。 去年そのようにお聞きしたと思います。

    逆に聞きたいのですが、〈私〉が世界の外部でなく世界と同化している場合、自分の体と〈私〉と他者の体も含めた物体は世界内でどういう位置関係になりますか?
引用返信/返信 削除キー/
■17645 / inTopicNo.88)  Re[10]: アドヴァイタ
□投稿者/ みのり -(2021/10/16(Sat) 21:05:53)
    2021/10/16(Sat) 21:10:29 編集(投稿者)
    No17641に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/10/16(Sat) 20:47:24 編集(投稿者)
    >
    > ■No17640に返信(みのりさんの記事)
    >
    >>返信いただいたので、ここ、ちょっと書いてみます。
    >>私も、自分の眼の位置から世界が開闢する、というのは実感できるのです。
    >>これについては、パニチェさんと同じですよね。
    >
    >>ただ、その眼の位置が「世界に属していない」というのが、自分としては違和感があり、
    >
    > 眼の位置は世界と〈私〉の境界というか接点で、世界にも〈私〉にも属していると思います。

    ああ、なるほど。 境界ということなら、みのりとしても同じになるのだと思います。
    〈私〉として、世界から区切りをつける場合なら、という意味で。

    >>どちらかというと、身体ごと世界と不分離ではありつつ(従って世界に属していないどころか溶けている)、〈私〉としての世界は、眼のところから開闢している、というのが自分風なのです。
    >
    > これはみのりさんの方が先に行っちゃてる可能性はありますよ。^^
    > 以前に以下のようなパニチェのオリジナル図も載せたことがあるんですが内的世界が世界に同化するのが見性体験(アドヴァイタ)であるんだろうな、と思っている節はあります。

    一番上の図になるのでしょうか。

    私としては、「〈私〉が世界外に位置する 」というのが、逆によくわからないんです。
    独在論になるのですよね。 去年そのようにお聞きしたと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■17641 / inTopicNo.89)  アドヴァイタ
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/16(Sat) 20:46:36)
    2021/10/16(Sat) 20:47:24 編集(投稿者)

    No17640に返信(みのりさんの記事)

    > 返信いただいたので、ここ、ちょっと書いてみます。
    > 私も、自分の眼の位置から世界が開闢する、というのは実感できるのです。
    > これについては、パニチェさんと同じですよね。

    > ただ、その眼の位置が「世界に属していない」というのが、自分としては違和感があり、

    眼の位置は世界と〈私〉の境界というか接点で、世界にも〈私〉にも属していると思います。

    > どちらかというと、身体ごと世界と不分離ではありつつ(従って世界に属していないどころか溶けている)、〈私〉としての世界は、眼のところから開闢している、というのが自分風なのです。

    これはみのりさんの方が先に行っちゃてる可能性はありますよ。^^
    以前に以下のようなパニチェのオリジナル図も載せたことがあるんですが内的世界が世界に同化するのが見性体験(アドヴァイタ)であるんだろうな、と思っている節はあります。

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引用返信/返信 削除キー/
■17640 / inTopicNo.90)  Re[8]: 補足
□投稿者/ みのり -(2021/10/16(Sat) 20:37:11)
    2021/10/16(Sat) 20:38:26 編集(投稿者)
    No17628に返信(パニチェさんの記事)
    2021/10/16(Sat) 18:43:56 編集(投稿者)


    > ■No17609に返信(みのりさんの記事)
    >>ああ、と思いました。
    >>私は、自分が考える〈私〉について、「世界の外にある」とは考えていないんです。
    >>これはあくまで私(みのり)の感覚です。
    >>以前、説明を受けた際には、「世界のどこにも属さない特異点」というので、とりあえずは理解はしてはみましたが、自分の中ではどうもしっくりしてはいなかったんです。

    返信いただいたので、ここ、ちょっと書いてみます。

    私も、自分の眼の位置から世界が開闢する、というのは実感できるのです。
    これについては、パニチェさんと同じですよね。

    ただ、その眼の位置が「世界に属していない」というのが、自分としては違和感があり、どちらかというと、身体ごと世界と不分離ではありつつ(従って世界に属していないどころか溶けている)、〈私〉としての世界は、眼のところから開闢している、というのが自分風なのです。

    >>言葉では表現しつくすことが不可能、唯一無二、私秘性 といったところでは、パニチェさんが語られるパニチェさんの〈私〉とは共通していますけれど。
    >>そうしたことから、前投稿にあるような勘違いをしたのかもしれません。
    >>ただ、もし今後、ウィトゲンシュタイン言説を解説書などで読む場合には、
    >>彼が、「〈私〉が世界外に位置する」としていたことを念頭に読みたいと思います。
    >
    > その必要はないです。断言!^^
    > もしその機会があれば、先入観なしで是非ニュートラルなスタンスでもって読んでみて下さい。

    そうですね。 読む機会があればそうします。

    > みのりさんに伝えた「比類なき先言の<私>」というテーマはあくまでもパニチェのライフボビーとしてのものであって、これとウィトゲンシュタインが考察していた主体が同じであるかどうかはまだ確証はありませんが、現時点でパニチェはそのように読解しているというだけのことです。

    はい。 以前にもそのようにお聞きしたのは憶えています。

    > 永井均氏の〈私〉とパニチェの「比類なき先言の<私>」は同類のテーマだとは思いますが、同一(厳密には同一ではありえないのですが)あるいは同じようなものであるかについても断言できません。

    はい。

    > ウィトゲンシュタインや永井均氏を知る以前からパニチェは「比類なき先言の<私>」の探究をライフホビーとしていました。
    >
    > 後にYahoo!掲示板時代にKIDAMASAさんという(イクストランさんに匹敵するような博学な投稿者でした)方から同じようなことを探究している哲学者がいるということでウィトゲンシュタインや永井均氏を教えてもらいました。ちなみにKIDAMASAさんは「比類なき先言の<私>」の名付け親でもあります。

    はい、前にお聞きして憶えています。

    > 誤解ないようにお伝えしておきますが、パニチェがみのりさんとレス交換したのはパニチェの「比類なき先言の<私>」です。
    > そこのところ誤解なきよう、よろしくお願いします。^^

    はい、去年、そのつもりで教えていただいていました。 ^^
引用返信/返信 削除キー/
■17628 / inTopicNo.91)  補足
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/16(Sat) 18:32:37)
    2021/10/16(Sat) 18:43:56 編集(投稿者)

    こんばんは、みのりさん。レスありがとうございます。

    No17606に返信(みのりさんの記事)
    > 印象として、とても難しいですね。

    はい、ニーチェよりもさらに難しいと思います。

    > 話題に出ていたのもあり少し考えたくなったのですが、また、読解を明日からしていきます。
    > お手数をおかけしました。 ありがとうございます。^^

    とんでもないです、上記了解しました。

    No17609に返信(みのりさんの記事)
    > ああ、と思いました。
    > 私は、自分が考える〈私〉について、「世界の外にある」とは考えていないんです。
    > これはあくまで私(みのり)の感覚です。
    > 以前、説明を受けた際には、「世界のどこにも属さない特異点」というので、とりあえずは理解はしてはみましたが、自分の中ではどうもしつくりしてはいなかったんです。

    > 言葉では表現しつくすことが不可能、唯一無二、私秘性 といったところでは、パニチェさんが語られるパニチェさんの〈私〉とは共通していますけれど。
    > そうしたことから、前投稿にあるような勘違いをしたのかもしれません。
    > ただ、もし今後、ウィトゲンシュタイン言説を解説書などで読む場合には、
    > 彼が、「〈私〉が世界外に位置する」としていたことを念頭に読みたいと思います。

    その必要はないです。断言!^^
    もしその機会があれば、先入観なしで是非ニュートラルなスタンスでもって読んでみて下さい。

    みのりさんに伝えた「比類なき先言の<私>」というテーマはあくまでもパニチェのライフボビーとしてのものであって、これとウィトゲンシュタインが考察していた主体が同じであるかどうかはまだ確証はありませんが、現時点でパニチェはそのように読解しているというだけのことです。

    永井均氏の〈私〉とパニチェの「比類なき先言の<私>」は同類のテーマだとは思いますが、同一(厳密には同一ではありえないのですが)あるいは同じようなものであるかについても断言できません。

    ウィトゲンシュタインや永井均氏を知る以前からパニチェは「比類なき先言の<私>」の探究をライフホビーとしていました。

    後にYahoo!掲示板時代にKIDAMASAさんという(イクストランさんに匹敵するような博学な投稿者でした)方から同じようなことを探究している哲学者がいるということでウィトゲンシュタインや永井均氏を教えてもらいました。ちなみにKIDAMASAさんは「比類なき先言の<私>」の名付け親でもあります。

    誤解ないようにお伝えしておきますが、パニチェがみのりさんとレス交換したのはパニチェの「比類なき先言の<私>」です。
    そこのところ誤解なきよう、よろしくお願いします。^^


引用返信/返信 削除キー/
■17612 / inTopicNo.92)  Re[7]: 同感です
□投稿者/ みのり -(2021/10/16(Sat) 11:51:11)
    No17607に返信(田秋さんの記事)
    > 2021/10/16(Sat) 11:38:59 編集(投稿者)
    >
    > こんにちは、みのりさん
    >
    > 他トピで書かれた「投影」」の件、多々思い当たる節があります。
    > あの御仁、人にアドバイスやマイナスの評価をしょっちゅうしていますが、まずはその言葉をご自分にかけられてみては如何?と常々思っていました。
    >
    > 少し前restさんが書かれていたことにも思い当たる節があります。
    > いつぞやのAさんに関わる件では「あなは約束を守りますか?」の1点で押し通しました。

    田秋さん、こんにちは。

    > いつぞやのAさんに関わる件では「あなは約束を守りますか?」の1点で押し通しました。

    田秋さんのされた、このことが一番効率的でしたね。^^

    ただ、同じことを仮に私が書いたとしても、彼は受け入れなかったと思います。
    みのりは、彼より格下らしいので。

    人間に対しての格付けを彼自身がすぐにするので、自分も人からそうされるのではないか、という不安に苛まれているようなんです。

    少なくとも、ニークラには、他人をやたらと格付けしたり、能力などによって差別する人などいないのだ、ということを今日も書いてはみたのですが、思い込んでしまったものはなかなか覆せないようです。


    >
引用返信/返信 削除キー/
■17609 / inTopicNo.93)  Re[6]: お借りしました。
□投稿者/ みのり -(2021/10/16(Sat) 11:44:44)
    ああ、と思いました。

    私は、自分が考える〈私〉について、「世界の外にある」とは考えていないんです。
    これはあくまで私(みのり)の感覚です。
    以前、説明を受けた際には、「世界のどこにも属さない特異点」というので、とりあえずは理解はしてはみましたが、自分の中ではどうもしつくりしてはいなかったんです。

    言葉では表現しつくすことが不可能、唯一無二、私秘性 といったところでは、パニチェさんが語られるパニチェさんの〈私〉とは共通していますけれど。

    そうしたことから、前投稿にあるような勘違いをしたのかもしれません。

    ただ、もし今後、ウィトゲンシュタイン言説を解説書などで読む場合には、
    彼が、「 〈私〉が世界外に位置する 」としていたことを念頭に読みたいと思います。

    あの、眼のところからその人の世界が広がっているというのですよね。
    あとなんだっけ、名前忘れた。。。片目閉じて寝転んでる人から見えている世界・・・

    この投稿、「ああ」と思い書いてみただけなので、スルーいただいて大丈夫です。^^
引用返信/返信 削除キー/
■17607 / inTopicNo.94)  同感です
□投稿者/ 田秋 -(2021/10/16(Sat) 11:38:22)
    2021/10/16(Sat) 11:38:59 編集(投稿者)

    こんにちは、みのりさん

    他トピで書かれた「投影」」の件、多々思い当たる節があります。
    あの御仁、人にアドバイスやマイナスの評価をしょっちゅうしていますが、まずはその言葉をご自分にかけられてみては如何?と常々思っていました。

    少し前restさんが書かれていたことにも思い当たる節があります。
    いつぞやのAさんに関わる件では「あなは約束を守りますか?」の1点で押し通しました。

引用返信/返信 削除キー/
■17606 / inTopicNo.95)  Re[5]: お借りしました。
□投稿者/ みのり -(2021/10/16(Sat) 11:28:57)
    2021/10/16(Sat) 11:32:12 編集(投稿者)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    No17600に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/10/16(Sat) 09:26:34 編集(投稿者)

    > もったいつけるわけではないのですが、ウィトゲンシュタインは一筋縄ではいかないんですよねぇ〜。

    かなり難しそうですね。

    > 生前にウィトゲンシュタイン自身が出版した哲学書は「論理哲学論考」の1冊だけであり、その他の「青色本」、「茶色本」、「哲学探究」「確実性の問題」などは生前に書き記した講義ノートや原稿などをもとに死後出版されました。現在も専門家によって研究が続けられ、解説書の著者によっても解釈や見解が異なるところも多々あり、論考ひとつをとってもさまざまな解釈があります。

    そうだったんですか。 一冊だけしか書いていなくて、後の様々に出版されているものというのは、ノートや原稿の文章をもとに編集されたものなのですね。

    > さらに前期「論考」で展開された写像理論(世界と言語を対比させた言語論)は破棄した上で(破棄していないという専門家もいるようですが)、後期「探究」の言語ゲーム(言葉の意味は使用や用途、文脈や生活習慣や文化までも含むコンテキストにあり、使われ方によって新しい意味や変更がなされていくような日常的ゲーム)を考察しているので厄介です。

    前期と後期に分けられる、というのは聞いたことがありました。

    > 前置きが長くなりましたが。。。。
    >
    > 3.221は3.203(論考では数字が小さい方が上位の文となり、それを後の文で註釈するスタイルをとります、よって3.221は3.2以降にある文の註釈になります)の「名は対象を意味する。対象が名の意味である」を前提とした写像理論上にあり、対象が名の意味であるなら「私は対象について話をすることができるだけで、対象を表明することはできない」という意味になりますので、みのりさんの「本質を言語化することは不可能だ」ということも含まれます。
    >
    > 但し、前期の語りえないものは写像理論を前提とした世界の外にあるものですから、〈私〉が世界外に位置することを考えれば同類の語りえないものではないと思います。

    そうなんですね。 私が書いたことも含まれるけれど、「世界の外にある」語りえないもの、というところでは、私の書いたことは違ってくる、ということになるのですね。

    今、書いていただいたことへの私の読み自体、もしかしたら違うかもしれないですが、なにしろ、私自身ほとんど知らないですので、ここで保留にしていただいて大丈夫です。

    > ウィトゲンシュタインは解説書や訳本でも参考にしながら読み解いていかないと、なかなか一筋縄ではいきません。^^;

    印象として、とても難しいですね。
    話題に出ていたのもあり少し考えたくなったのですが、また、読解を明日からしていきます。

    お手数をおかけしました。 ありがとうございます。^^
引用返信/返信 削除キー/
■17600 / inTopicNo.96)  Re[4]: お借りしました。
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/16(Sat) 09:13:49)
    2021/10/16(Sat) 09:26:34 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。

    No17581に返信(みのりさんの記事)

    > >3.221 私は対象を名指すことしかできない。記号がそれを代表する。私は対象について話をすることができるだけで、対象を表明することはできない(論理哲学論考より)。

    > 命題は、ものがいかにあるかを語りうるだけで、それが何であるかを語りえない。<
    > この部分が、〈私〉は、言葉で表現しつくすことは不可能である、にも通ずるように感じました。
    > そして。 おそらくですが、〈私〉のみならず、世界のすべてのものについても同じように言えるのだろう、と考えます。
    > 例えば、林檎、秋、テーブル、月・・・・こうした様々なものについても、
    > 「○○がそこにある」のように会話したり、文章化したりはいくらでも可能だけれど、林檎、秋、テーブル、月・・・・このようなものについての本質を言語化することは不可能だと、そういうことなのではないか、と考えています。
    > パニチェさん、こういうので合ってますか?

    もったいつけるわけではないのですが、ウィトゲンシュタインは一筋縄ではいかないんですよねぇ〜。

    生前にウィトゲンシュタイン自身が出版した哲学書は「論理哲学論考」の1冊だけであり、その他の「青色本」、「茶色本」、「哲学探究」「確実性の問題」などは生前に書き記した講義ノートや原稿などをもとに死後出版されました。現在も専門家によって研究が続けられ、解説書の著者によっても解釈や見解が異なるところも多々あり、論考ひとつをとってもさまざまな解釈があります。

    さらに前期「論考」で展開された写像理論(世界と言語を対比させた言語論)は破棄した上で(破棄していないという専門家もいるようですが)、後期「探究」の言語ゲーム(言葉の意味は使用や用途、文脈や生活習慣や文化までも含むコンテキストにあり、使われ方によって新しい意味や変更がなされていくような日常的ゲーム)を考察しているので厄介です。
    前置きが長くなりましたが。。。。

    3.221は3.203(論考では数字が小さい方が上位の文となり、それを後の文で註釈するスタイルをとります、よって3.221は3.2以降にある文の註釈になります)の「名は対象を意味する。対象が名の意味である」を前提とした写像理論上にあり、対象が名の意味であるなら「私は対象について話をすることができるだけで、対象を表明することはできない」という意味になりますので、みのりさんの「本質を言語化することは不可能だ」ということも含まれます。

    但し、前期の語りえないものは写像理論を前提とした世界の外にあるものですから、〈私〉が世界外に位置することを考えれば同類の語りえないものではないと思います。
    ウィトゲンシュタインは解説書や訳本でも参考にしながら読み解いていかないと、なかなか一筋縄ではいきません。^^;

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