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■18105 / inTopicNo.13)  みのり殿へ
  
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/10/31(Sun) 08:08:17)
    おはようございます。

    今までの数々の無礼、申し訳ないと思います。
    今日、起床したら脳が正常に戻ったと自覚しました。
    後ほど、また連絡いたします。
引用返信/返信 削除キー/
■18090 / inTopicNo.14)  Re[43]: 先にここだけ。
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/30(Sat) 18:33:12)
    2021/10/30(Sat) 18:36:11 編集(投稿者)

    No18087に返信(みのりさんの記事)
    > 正直な気持ちを先日書いたものですね。(笑)
    > 持ってきていただいてありがとうございます。^^
    > まさにこの通りなんじゃないかな、と考えています。
    > 説明いただいた内容をだいぶ忘れてしまったのもあると思います。
    > せっかく説明いただいたのに、申し訳ない限りです。<(_ _)>

    そんなことは全然ないですよ。
    前回も今回のレス交換もパニチェにとっては貴重で感謝しています。^^

    > それと、自分のところである程度、同じような感覚を持っている人が説明を受けたなら、忘却するということもないと思います。
    > なにしろもともとあるものなのですから。

    みのりさんの〈〈私〉〉が気づきに上書き、あるいはヴァージョンアップ、または吸収されるのは、理屈上ではよく分かりますし、当然だと思います。
    みのりさんにとって気づきが日常的にも当たり前の実相なんですから、実相が二つあることの方が不自然です。

    > 「観てるやつ」が、パニチェさんとみのりとで通じ合った、というのとはまた種類は違うのだろうとは思いますが、例えばの話、パニチェさんと他の独在論者が話し合えば、何かしら共有できる部分も多いのだと思います。

    はい、パニチェもこれには全面的に同意します。
    また将来的には〈私〉が気づきに上書きされる可能性も十分あります。

    > 余談ですが・・。
    > 〈私〉について話ができた人リストに、みのりの名前も入れていただいてますけど(パニチェさんのトピにて)、理解できていなかったと暴露されていますので、除外しておいてくださいね、気持ちの上でですけど。^^

    いえ、パニチェの中ではあの時の感覚というかイメージから、みのりさんは伝達実験の成功例と得手勝手に記憶させてもらいます。^^

引用返信/返信 削除キー/
■18087 / inTopicNo.15)  Re[42]: 先にここだけ。
□投稿者/ みのり -(2021/10/30(Sat) 18:16:23)
    No18077に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/10/30(Sat) 12:44:22 編集(投稿者)
    >
    > ■No18075に返信(みのりさんの記事)
    >>メモ的にここだけ書いてみます。
    >
    >>>> 世界内ではない、ということと(パニチェさんのおっしゃる)、例えばですが、「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」というのは、まったく違いそうですか?
    >>>> ちなみに、「  」内は、気づきについてなのですが・・。
    >
    >>>いえ、違わないです。今のところは「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」としか言いようがありません。
    >
    >>非二元(=アドヴァイタ)では、「全体から分離しての個は存在しえない」と考える。
    >
    >>パニチェさんの〈私〉の独在論的な視点。つまり、「個はある」という視点。
    >
    >>この違いがあるけれど、「存在の基盤としての意識」という意味で「意識」を置いているという点では共通しているのだと思います。
    >
    >>その「意識」は、個有のものか、それとも、ただ一つだけのものか、ということでもあると考えます。
    >
    > これは違いますね。
    > 〈私〉がやはり伝わっていないと思われます。^^;
    >
    > 希望的観測で述べれば、みのりさんも言うように「昨年、教えていただいた時は、パニチェさんの〈私〉の要点を理解はしたと思うのですが、その後、みのり的なものにみのりの中で再編した感じ」だと思います。

    正直な気持ちを先日書いたものですね。(笑)
    持ってきていただいてありがとうございます。^^
    まさにこの通りなんじゃないかな、と考えています。

    > もし上記のような「私」や意識であればあれだけのレス交換は必要としないと思います。^^

    説明いただいた内容をだいぶ忘れてしまったのもあると思います。
    せっかく説明いただいたのに、申し訳ない限りです。<(_ _)>
    それと、自分のところである程度、同じような感覚を持っている人が説明を受けたなら、忘却するということもないと思います。
    なにしろもともとあるものなのですから。

    「観てるやつ」が、パニチェさんとみのりとで通じ合った、というのとはまた種類は違うのだろうとは思いますが、例えばの話、パニチェさんと他の独在論者が話し合えば、何かしら共有できる部分も多いのだと思います。


    余談ですが・・。
    〈私〉について話ができた人リストに、みのりの名前も入れていただいてますけど(パニチェさんのトピにて)、理解できていなかったと暴露されていますので、除外しておいてくださいね、気持ちの上でですけど。^^
引用返信/返信 削除キー/
■18085 / inTopicNo.16)  Re[29]: 非二元と〈私〉
□投稿者/ みのり -(2021/10/30(Sat) 17:59:56)
    2021/10/30(Sat) 18:18:41 編集(投稿者)

    まず、No18076より引用しておきます。

    ※ ※ ※

    > パニチェさんの〈私〉というのは、パニチェさんにとって「ただ一つ確かに言えるもの」「それのみは実在だと言えるもの」のような存在でいいですか?

    そうです。

    > 具体的には、「パニチェさんの意識」「パニチェさんの魂」であるとか。
    > そのような感じで理解しているのですが、いかがですか?
    > このあたりを再確認しないことには、話もかみあわないですし。^^s

    > ・・・・・
    > 〈私〉はただ見ている感じているだけの独在論的存在で、意味や価値を創出できるような衣装(例えば言語や思考)を纏っていない裸の特異点です。
    > ・・・・・
    > これなど拝見するに、やはり、「意識」に近いものなのかな、とは感じています。

    言葉にすると万人に共通する意識や魂のパニチェ版になってしまいますが、この時点で既に頽落(変質)しています。
    「意識」や「魂」って他者にも伝わるし、そういう意味では言語化できる対象です。
    〈私〉は万人には共通しようがない言語化不可能な対象です。

    ※ ※ ※


    No18071に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/10/30(Sat) 08:55:06 編集(投稿者)

    >>こうしたことについて私は、コインの表としてはその通りと思うんですね。
    >>ただ、裏もあるよと、ほんとのところ、私は、ニーチェより親鸞型なんです。
    >>コインの裏側視点から言うと、自由意志もないと普通に考えています。
    >>表(個が存在する考え方)では、当然、自由意志が当たり前ですし、私の中ではですが、どちらも両立して考えています。
    >
    > 帰依(帰命)とか全面的に委ねるということでしょうか?
    > もしそうだとすると委ねる対象は全体運動あるいは宇宙(例えで言うなら大海原)ってことになるのでしょうか?

    先日も出した「海と波の喩え」。 あれがそのまま、自由意志のなさ、つまり、全体性から離れて個別のものは存在しえない、を表していると考えますし、実際、世界はそのようになっていると見ています。
    全て全体性から起きて来ていて、それを個別のところでは、自分が成したこととして社会生活は行われている、という感じです。
    こうしたことについては、ものすごく実感としていて、覚者がそういうふうに言うのでなんとなくそう思う、ということではまったくないです。

    >>上で触れた観照状態、それにいつもあるということは、自分のところで真我、気づきと離れていない、ということです。
    >>実は誰でもが離れていないんですが、厚く溜まったごちゃごちゃした思考によってその姿がすっかり隠されてしまい、働くことが難しくなってるんです。
    >>自分の身体の中にそういうものがある、と考えている間は正確な気づき、真我とは違うといえば違うのですが、非二元の探求をする人たちはそこを足掛かりにしていきます。
    >>ですので、万が一にも(^▽^;)、パニチェさんがその探求を本気でしようと思われたら、多分しばらくして本当の意味での真我、気づきも理解されると思いますよ。
    >>これについては、興味なければまったくのスルーでお願いします。
    >
    > 思いっきり興味ありますし、みのりさんの言うことはこれまでの書籍とか覚者から聞いた話などなどから(直接経験上ではなく)理屈上では分かります。
    > ここ正直かつ忌憚なく現状のパニチェのスタンスというか探究途上の報告をしますと。。。
    >
    > パニチェが底が抜けてないという可能性と同じく、ひょっとすると実相はやはり〈私〉であり、非二元や不二の方がある種の変性意識状態(オルタードステイツ)である可能性も否定していません。

    非二元は変性意識状態とは無関係ですよ。
    どちらかというと、人間にとってもともと自然なのは、非二元の意識状態だと思います。
    なにしろもともと原初の人間には、自我はなかったし、幼子にもありません。
    私もあなたもなく、「ただ、気づいているだけ」です。

    > この発想って、ヴェーダーンタ学派から数えればおそらく数千年受け継がれている見性に楯突くことにもなりますが、パニチェにとっては人格神(有神論)を懐疑しペンディングしているのと同じです。

    そうなんですか。

    > 仮に〈私〉が実相であるとするなら、非我は言語によって創出される「私」は本来の〈私〉ではないという意味での非我となり、無我は同じく言語によって創出された「私」には実体が無いという意味での無我だと考えます。
    >
    > 粗っぽく言えば三昧にあっても、気づきであっても、〈私〉は「在る」ということです。
    > これなくして気づきも三昧もないみたいな発想です。

     >〈私〉は万人には共通しようがない言語化不可能な対象です。
    ということですし、非二元の「気づき」「真我」とは、違うようですね。

    非二元では、そもそも「個人」は存在しないのです。
    どこにあるここにある、という意味での言語化は、「気づき」も不可能なことについては、後にも出てきますが、「気づき」そのものについては、一つしかないものであって、言いようによっては万人に共通、共有のものですし、それぞれの覚者がいろいろに説明しますし、それを人々は(みのりも)、「なるほどな」と納得できるのです。
    妥協して納得したふりしても気持ち悪いだけですし、わからない場合は皆、納得できるまでいろいろな本を読んだり、直接に教えてもらいに行ったりするんです。
    (私は対面で誰かに教わったことはないですけど。)

    > そしてこれも仮の話ですが輪廻転生があるとするならその主体が〈私〉ということになります。
    > 無我や不二や非二元は輪廻転生をどう説明するのか?パニチェは矛盾すると今のところ考えていますが、もちろん、輪廻転生など無いという可能性も否定はしていません。
    > ただ〈私〉が直接経験としてある以上、説明は言葉では難しいのですが、二元論ってことになります。

    非二元で輪廻転生を語る人は私は知らないです。
    個人が存在しないのに、輪廻もないだろうということなんだと思います。
    生まれる、死ぬ というのも、イメージ(幻想)なのだと覚者は言いますし。
    先日も書いたように、私は、生死がイメージ(幻想)であるというのまでは、ピンと来ないでいます。


    >>世界内ではない、ということと(パニチェさんのおっしゃる)、例えばですが、「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」というのは、まったく違いそうですか?
    >>ちなみに、「  」内は、気づきについてなのですが・・。
    >
    > いえ、違わないです。今のところは「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」としか言いようがありません。

    はい。

    >>私の眼の位置から開闢する世界は、私が創造したものである、ということなのかな。
    >
    > これは少し違いますね。
    > 創造している(認識によって価値や意味を創出)のが言語的な「私」であって〈私〉ではないですね。

    そこは、そのように私も考えていましたよ。^^

    > 〈私〉はただ見ている感じているだけの独在論的存在で、意味や価値を創出できるような衣装(例えば言語や思考)を纏っていない裸の特異点です。

    はい。

    >>非二元(=アドヴァイタ)では、一つのスクリーン(一つの気づき、意識)に対して無数の人間の数だけの映画が上映されてるイメージですが、独在論的には、映画は自分の分ただ一つだけで、書かれているようにそれ以外のことについては考えに入れないということですね。
    >>独在論的には、他者というのはどうなりますか?
    >>存在しない、となるのですか?
    >
    > 無数の人間を想定するのは二次的な認識であって、〈私〉が見ている世界内の他者は世界内にある物や現象と同じで〈私〉と同列の存在ではありません。

    存在はするのですね。

    > 極論すれば他者にも〈私〉のような存在や私秘性があるのかどうかは不可知です。

    はい。

    > もちろん上記は〈私〉に関する哲学的な探究上の話であって、(以前にpipitさんにもレスしましたが)日常的には迫ってくる車を避けるようなリアルさでもって他者の心や〈私〉もあると普通に思っています。

    そうなんですか。


     こちらとしては、やりとりをここで終了としたいと思います。
    パニチェさんの〈私〉、独在論について、結局のところよくわからないし、現時点で訊いてみたいと思うところについては訊けたからです。

    この間、やりとりいただいてありがとうございました。<(_ _)>
引用返信/返信 削除キー/
■18084 / inTopicNo.17)  Re[43]: 〈私〉
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/30(Sat) 17:52:12)
    お邪魔しま〜す。
    なんか、みのりさまがパニさんの〈私〉を話題にしてる見たいなんで、
    ちょと参加させてもらおっかな〜、って。

    ちょっとパニさんに聞きたいんだけど、
    パニさんの言う〈私〉についてなんだけど、

    (1)〈私〉は、言葉で表すことができない。
    (2)そのような〈私〉は存在する。

    こういうことでいい?

    わたしヤフーの知らないから聞いちゃうんだけど、めんどならいいよ。




引用返信/返信 削除キー/
■18078 / inTopicNo.18)  唯一無二性
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/30(Sat) 10:36:45)
    2021/10/30(Sat) 10:41:07 編集(投稿者)

    単純に唯一無二性だけにスポットを当てるなら〈私〉を持ち出さなくても、性格や姿形だけでも唯一無二だと思いますし、そこにあるPCも(厳密あるいは分子レベルで)全く同一のものはこの世界に存在しないという意味で唯一無二と言えます。

    客観的な唯一無二性を問うているのではなく、主観的な唯一無二性を問題にしているのですが、このように言語表現することで言わんとしている主観性に独我論(独在論)的な要素が削げ落ちてしまします。

    この点において「コウモリであるのはどのようなことか?」の問いと同じく〈私〉を問うているのに〈私〉はどこにも出てこなくなります。
引用返信/返信 削除キー/
■18077 / inTopicNo.19)  Re[41]: 先にここだけ。
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/30(Sat) 10:32:36)
    2021/10/30(Sat) 12:44:22 編集(投稿者)

    No18075に返信(みのりさんの記事)
    > メモ的にここだけ書いてみます。

    > >> 世界内ではない、ということと(パニチェさんのおっしゃる)、例えばですが、「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」というのは、まったく違いそうですか?
    > >> ちなみに、「  」内は、気づきについてなのですが・・。

    > >いえ、違わないです。今のところは「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」としか言いようがありません。

    > 非二元(=アドヴァイタ)では、「全体から分離しての個は存在しえない」と考える。

    > パニチェさんの〈私〉の独在論的な視点。つまり、「個はある」という視点。

    > この違いがあるけれど、「存在の基盤としての意識」という意味で「意識」を置いているという点では共通しているのだと思います。

    > その「意識」は、個有のものか、それとも、ただ一つだけのものか、ということでもあると考えます。

    これは違いますね。
    〈私〉がやはり伝わっていないと思われます。^^;

    希望的観測で述べれば、みのりさんも言うように「昨年、教えていただいた時は、パニチェさんの〈私〉の要点を理解はしたと思うのですが、その後、みのり的なものにみのりの中で再編した感じ」だと思います。

    もし上記のような「私」や意識であればあれだけのレス交換は必要としないと思います。^^

引用返信/返信 削除キー/
■18076 / inTopicNo.20)  Re[39]: パニチェさんの〈私〉
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/30(Sat) 10:23:43)
    No18073に返信(みのりさんの記事)
    > パニチェさんの〈私〉について、再確認みたいに先にしてから、返信したいのでよろしくお願いします。

    ありがとうございます。言語にできない対象なのでちゃんと答えになるか不安はありますが。。。

    > パニチェさんの〈私〉というのは、パニチェさんにとって「ただ一つ確かに言えるもの」「それのみは実在だと言えるもの」のような存在でいいですか?

    そうです。

    > 具体的には、「パニチェさんの意識」「パニチェさんの魂」であるとか。
    > そのような感じで理解しているのですが、いかがですか?
    > このあたりを再確認しないことには、話もかみあわないですし。^^s

    > ・・・・・
    > 〈私〉はただ見ている感じているだけの独在論的存在で、意味や価値を創出できるような衣装(例えば言語や思考)を纏っていない裸の特異点です。
    > ・・・・・
    > これなど拝見するに、やはり、「意識」に近いものなのかな、とは感じています。

    言葉にすると万人に共通する意識や魂のパニチェ版になってしまいますが、この時点で既に頽落(変質)しています。
    「意識」や「魂」って他者にも伝わるし、そういう意味では言語化できる対象です。
    〈私〉は万人には共通しようがない言語化不可能な対象です。

    以下、永井均氏の言葉を借ります。

    『その目から現実に世界を見ており、その身体を切られると本当に痛みを感じ、その身体だけを動かせる、唯一の生き物が存在する。現実にそのように存在しているのは一つだけなのだが、だれもそう言えるので、この事実は言語で語ることはできない。ここに独我論の真髄がある。必然的に独我論者である私は、他人が私と同じことを言いうる可能性をそもそも否定している。(永井均著「『青色本』を掘り崩す──ウィトゲンシュタインの誤謬 ウィトゲンシュタイン的独我論の永井的拡張 P.63」より )』

    余計にややこしくなるかもしれませんが以下も引用しておきます。

    『ネーゲルの有名な論文“ What is it like to be a bat?”は「コウモリであるとはそのようなことか?」と訳されている。しかし、この訳ではその「どのような」がコウモリの主観的なあり方を問うているのか客観的なあり方を問うているのか、判然としない。「コウモリであるとは、前足の指のあいだの膜が翼の役割を果たし、哺乳類なのに飛べる動物であることである」のように答えられても文句は言えない。そうではなく、コウモリ自身の身になった、主観的なあり方が問われているのだ、という点を強調するには「コウモリだったらそんなかな?」のように訳すべきかもしれない。しかしこれだと、「私」が(あるいは人間であるという点で共通の体験をもつことが前提された「われわれ」が)もしコウモリでであったらどんな主観的体験をもつだろうか、と問うていることになる。つまり、こちら側の主観性をあちらに持ち込むことになる。しかし、元来の英語表現は、コウモリであることが当のコウモリ自身にとってどのようなことになるのか、とコウモリ自身にとっての主観性を問題にしているのであって、私(われわれ)がもしコウモリだったらどんな体験をもつかを問うているのではない。(同書 P.59〜P.60より)』

引用返信/返信 削除キー/
■18075 / inTopicNo.21)  先にここだけ。
□投稿者/ みのり -(2021/10/30(Sat) 10:00:47)
    メモ的にここだけ書いてみます。



    >> 世界内ではない、ということと(パニチェさんのおっしゃる)、例えばですが、「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」というのは、まったく違いそうですか?
    >> ちなみに、「  」内は、気づきについてなのですが・・。

    >いえ、違わないです。今のところは「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」としか言いようがありません。


    非二元(=アドヴァイタ)では、「全体から分離しての個は存在しえない」と考える。

    パニチェさんの〈私〉の独在論的な視点。つまり、「個はある」という視点。

    この違いがあるけれど、「存在の基盤としての意識」という意味で「意識」を置いているという点では共通しているのだと思います。

    その「意識」は、個有のものか、それとも、ただ一つだけのものか、ということでもあると考えます。


引用返信/返信 削除キー/
■18074 / inTopicNo.22)  Re[39]: パニチェさんの〈私〉
□投稿者/ みのり -(2021/10/30(Sat) 09:49:09)
    No18073に返信(みのりさんの記事)
    > パニチェさんの〈私〉について、再確認みたいに先にしてから、返信したいのでよろしくお願いします。
    >
    > パニチェさんの〈私〉というのは、パニチェさんにとって「ただ一つ確かに言えるもの」「それのみは実在だと言えるもの」のような存在でいいですか?
    >
    > 具体的には、「パニチェさんの意識」「パニチェさんの魂」であるとか。
    >
    > そのような感じで理解しているのですが、いかがですか?
    >
    > このあたりを再確認しないことには、話もかみあわないですし。^^

    ・・・・・
    〈私〉はただ見ている感じているだけの独在論的存在で、意味や価値を創出できるような衣装(例えば言語や思考)を纏っていない裸の特異点です。
    ・・・・・
    これなど拝見するに、やはり、「意識」に近いものなのかな、とは感じています。
引用返信/返信 削除キー/
■18073 / inTopicNo.23)  パニチェさんの〈私〉
□投稿者/ みのり -(2021/10/30(Sat) 09:45:32)
    パニチェさんの〈私〉について、再確認みたいに先にしてから、返信したいのでよろしくお願いします。

    パニチェさんの〈私〉というのは、パニチェさんにとって「ただ一つ確かに言えるもの」「それのみは実在だと言えるもの」のような存在でいいですか?

    具体的には、「パニチェさんの意識」「パニチェさんの魂」であるとか。

    そのような感じで理解しているのですが、いかがですか?

    このあたりを再確認しないことには、話もかみあわないですし。^^
引用返信/返信 削除キー/
■18071 / inTopicNo.24)  非二元と〈私〉
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/30(Sat) 08:46:06)
    2021/10/30(Sat) 08:55:06 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No18059に返信(みのりさんの記事)

    > それと、二度手間をおかけしてすみませんでした。

    いえいえ、とんでもありません。私のミスです。^^;

    > 誰であっても、自らの価値を自ら創造して生きている、つまり、その人の世界はその人自身が創造したものである、ということでいいのかな。

    そうです。

    > こうしたことについて私は、コインの表としてはその通りと思うんですね。
    > ただ、裏もあるよと、ほんとのところ、私は、ニーチェより親鸞型なんです。
    > コインの裏側視点から言うと、自由意志もないと普通に考えています。
    > 表(個が存在する考え方)では、当然、自由意志が当たり前ですし、私の中ではですが、どちらも両立して考えています。

    帰依(帰命)とか全面的に委ねるということでしょうか?
    もしそうだとすると委ねる対象は全体運動あるいは宇宙(例えで言うなら大海原)ってことになるのでしょうか?

    > 私もそうなのですが、パニチェさんもおそらく、何かに没頭しているとか何気に生活していて「私」を特に意識してなくているような時でも観照状態でいることが当たり前なのだと思うのですね。
    > これはつまり、リラックスしながらもいつも気づいてるということです。
    > 私が思うに、普通に暮らしていく分には、悟りや見性を認定してもらうより、こうしたことのほうが役立つと思います。

    なるほど。

    > そうなんですね。 そうなんですね、とは言ってみたものの、実はそれがどういうことかはまったくわかりません。(^▽^;)
    > パニチェさんの〈私〉については私はよくわからないですが、パニチェさんご自身は真我や気づきから離れたことはないというふうに、みのり的には考えますよ。
    > (あくまで、みのり的にはそう思うということです。)

    > 上で触れた観照状態、それにいつもあるということは、自分のところで真我、気づきと離れていない、ということです。
    > 実は誰でもが離れていないんですが、厚く溜まったごちゃごちゃした思考によってその姿がすっかり隠されてしまい、働くことが難しくなってるんです。
    > 自分の身体の中にそういうものがある、と考えている間は正確な気づき、真我とは違うといえば違うのですが、非二元の探求をする人たちはそこを足掛かりにしていきます。
    > ですので、万が一にも(^▽^;)、パニチェさんがその探求を本気でしようと思われたら、多分しばらくして本当の意味での真我、気づきも理解されると思いますよ。
    > これについては、興味なければまったくのスルーでお願いします。

    思いっきり興味ありますし、みのりさんの言うことはこれまでの書籍とか覚者から聞いた話などなどから(直接経験上ではなく)理屈上では分かります。
    ここ正直かつ忌憚なく現状のパニチェのスタンスというか探究途上の報告をしますと。。。

    パニチェが底が抜けてないという可能性と同じく、ひょっとすると実相はやはり〈私〉であり、非二元や不二の方がある種の変性意識状態(オルタードステイツ)である可能性も否定していません。

    この発想って、ヴェーダーンタ学派から数えればおそらく数千年受け継がれている見性に楯突くことにもなりますが、パニチェにとっては人格神(有神論)を懐疑しペンディングしているのと同じです。

    仮に〈私〉が実相であるとするなら、非我は言語によって創出される「私」は本来の〈私〉ではないという意味での非我となり、無我は同じく言語によって創出された「私」には実体が無いという意味での無我だと考えます。

    粗っぽく言えば三昧にあっても、気づきであっても、〈私〉は「在る」ということです。
    これなくして気づきも三昧もないみたいな発想です。

    そしてこれも仮の話ですが輪廻転生があるとするならその主体が〈私〉ということになります。
    無我や不二や非二元は輪廻転生をどう説明するのか?パニチェは矛盾すると今のところ考えていますが、もちろん、輪廻転生など無いという可能性も否定はしていません。
    ただ〈私〉が直接経験としてある以上、説明は言葉では難しいのですが、二元論ってことになります。

    > 世界内ではない、ということと(パニチェさんのおっしゃる)、例えばですが、「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」というのは、まったく違いそうですか?
    > ちなみに、「  」内は、気づきについてなのですが・・。

    いえ、違わないです。今のところは「どこにあるここにあるとその存在の位置を言語化して示すことは不可能」としか言いようがありません。

    > 私の眼の位置から開闢する世界は、私が創造したものである、ということなのかな。

    これは少し違いますね。
    創造している(認識によって価値や意味を創出)のが言語的な「私」であって〈私〉ではないですね。
    〈私〉はただ見ている感じているだけの独在論的存在で、意味や価値を創出できるような衣装(例えば言語や思考)を纏っていない裸の特異点です。

    > 非二元(=アドヴァイタ)では、一つのスクリーン(一つの気づき、意識)に対して無数の人間の数だけの映画が上映されてるイメージですが、独在論的には、映画は自分の分ただ一つだけで、書かれているようにそれ以外のことについては考えに入れないということですね。
    > 独在論的には、他者というのはどうなりますか?
    > 存在しない、となるのですか?

    無数の人間を想定するのは二次的な認識であって、〈私〉が見ている世界内の他者は世界内にある物や現象と同じで〈私〉と同列の存在ではありません。
    極論すれば他者にも〈私〉のような存在や私秘性があるのかどうかは不可知です。
    もちろん上記は〈私〉に関する哲学的な探究上の話であって、(以前にpipitさんにもレスしましたが)日常的には迫ってくる車を避けるようなリアルさでもって他者の心や〈私〉もあると普通に思っています。

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