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■17823 / inTopicNo.61)  pipitさんへ
  
□投稿者/ みのり -(2021/10/21(Thu) 13:44:15)
    pipitさん、レスありがとうございます。
    お手数をおかけしてすみませんでした。

    No17822に返信(pipitさんの記事)

    > >自身の内に、自覚している自分とはまた違う、人格のない誰かのような存在を感じられたことはありますか?
    >>これはけして多重人格などの話ではなく、人格のない誰か、無色透明のような、それでいて何かを認識しているような何か、という感じです。
    >>そういう存在みたいなのを感じられたことはありますか?
    >>というのが質問になります。<
    >
    > わたしは、わたしと別人格の存在を感じたことは記憶にはないです。

    ごめんなさい。私の説明の仕方がわかりにくかったのかもしれません。
    パニチェさんが書いてくださったのをお借りして、質問しなおしさせてください。

    ・・・
    「 自分を第三者的視線で眺めているもう一人の自分」を感じられたこと、もしくは、よく感じられる、というのはありますか?
    言い換えると、思考・感情をただ眺めているだけのなにか、です。
    ・・・

    このように質問を変えさせてください。
    (伝わりにくかった時は、諦めますので。)


    > 別人格の存在とはちょっと違うのですが、
    > 自分が別場所から自分を見てる、みたいな話は聞いたことあります。
    > わたしの旦那さんが、小さい時肺炎になって、車で病院に運ばれてる時、上空から堤防を走る車を見てた、って。
    > (車、だから、自分を見てるわけじゃないけど)
    >
    > えー、ほんまに?
    > と聞くと
    > うん、本当に見てたんよ。と言ってました。
    >
    > 色んな可能性がありますよね。
    > 脳が入ってくる情報から「知る」に関した情報を組み立てたり、その他にもいろんな可能性があるなと思っています。

    自分という意識がなんらかの理由で薄れる時、そういう光景を見たという話を聞いたことはあります。
    もしかするとですが、そうしたものと似ているのかもしれないですね。
    とても貴重なお話を、ありがとうございます。


引用返信/返信 削除キー/
■17822 / inTopicNo.62)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/10/21(Thu) 13:07:57)
    No.17802
    みのりさん、こんにちは!

    >自身の内に、自覚している自分とはまた違う、人格のない誰かのような存在を感じられたことはありますか?
    > これはけして多重人格などの話ではなく、人格のない誰か、無色透明のような、それでいて何かを認識しているような何か、という感じです。
    > そういう存在みたいなのを感じられたことはありますか?
    > というのが質問になります。<

    わたしは、わたしと別人格の存在を感じたことは記憶にはないです。


    > 私はもうだいぶ前ですが、そういうものを感じ、それからそれは何なのだろう?というのが出てきて気になりだし、探求のようなことをする一つのきっかけになったように記憶しています。
    > 今は、そういう存在は消えました。<

    そうなんですね。
    pipitがそのような経験が記憶にないだけで、みのりさんのような経験をされる方もいるのだなぁと想像してます。

    別人格の存在とはちょっと違うのですが、
    自分が別場所から自分を見てる、みたいな話は聞いたことあります。
    わたしの旦那さんが、小さい時肺炎になって、車で病院に運ばれてる時、上空から堤防を走る車を見てた、って。
    (車、だから、自分を見てるわけじゃないけど)

    えー、ほんまに?
    と聞くと
    うん、本当に見てたんよ。と言ってました。

    色んな可能性がありますよね。
    脳が入ってくる情報から「知る」に関した情報を組み立てたり、その他にもいろんな可能性があるなと思っています。

    それでは、失礼しまーす
    (o^^o)♪


引用返信/返信 削除キー/
■17816 / inTopicNo.63)  Re[21]: 真我と〈私〉
□投稿者/ みのり -(2021/10/21(Thu) 08:25:07)
    2021/10/21(Thu) 11:41:11 編集(投稿者)
    田秋さん、投稿ありがとうございます。

    No17806に返信(田秋さんの記事)
    > 2021/10/20(Wed) 22:09:39 編集(投稿者)
    >
    > 横レス失礼します。
    >
    > ボクは、今ここで投稿している自分以外の自分を感じたことはありませんが、色々な面を持つ人間だとは思っています(多面人間)。ただそれが同時に複数現れることはありません。

    性格面で多面性がある人、というのはいますよね。
    もしかしたら、田秋さんのおっしゃっているのは、そうしたことでいいのでしょうか。
    そうであれば私もそうです。(書かれているのと同じように、同時に複数現れたりはしません。)

    > 脳って、使われているのは極一部分だそうですね。使われていない(と思われている)部分が〜理由は分かりませんが〜もう一人の自分として振舞ってるってことはあり得ませんか?

    パニチェさんと私とでやりとりしている「意識」であったり、〈私〉というものにも、脳(人間が脳と呼んでいる部分)は、間違いなく関係していると思います。

    脳科学に詳しくないですけれど、おもしろい分野ですよね。
    クオリアというのも以前に流行りましたね。

    ふと思いつき追記します。
    この「クオリア」というのは、その人独自の感覚、たとえば「秋の陽射しの真夏のそれとは違う涼しく清らかな感じ」をみのりが感じてもそれと寸分違わぬまったく同じものを他者が感じるのは不可能。 こういうのをクオリアというのですが・・・
    こういうのも、パニチェさんと私でやりとりしている〈私〉と関連していると思うんです。

引用返信/返信 削除キー/
■17815 / inTopicNo.64)  Re[20]: 真我と〈私〉
□投稿者/ みのり -(2021/10/21(Thu) 08:13:58)
    2021/10/21(Thu) 09:21:15 編集(投稿者)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    No17801に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/10/20(Wed) 21:31:22 編集(投稿者)

    > ■No17796に返信(みのりさんの記事)
    >>一つ質問があります。
    >>パニチェさんは、自身の内に、自覚している自分とはまた違う、人格のない誰かのような存在を感じられたことはありますか?
    >>これはけして多重人格などの話ではなく、人格のない誰か、無色透明のような、それでいて何かを認識しているような何か、という感じです。
    >>そういう存在みたいなのを感じられたことはありますか?
    >>というのが質問になります。
    >
    > そういう存在はありますね。
    > これって軽度の、言い換えれば、健全な多重人格性だと思います。
    > 自分を第三者的視線で眺めているもう一人の自分、苦悩の中で逆にこの目線がなくなり、苦しむ自分一色に染まってしまう(視野狭窄)のは危険だと思います。

    自分を第三者的視線で眺めているもう一人の自分、そうです、私が感じていたのもそうしたものです。
    どんな危機の際にも、心が混乱している時にも「観てるやつ」です。
    私は、昔は「観てるやつ」と呼んでました。(笑)
    この「観てるやつ」がぴったりと張り付いて存在を主張していた時期は、精神的に辛かったです。
    言わば、見張られてる感でした。
    10代からそれは「居た」ように思うのですが、存在感を露わにしたのは、40歳ぐらいからでした。
    程よく働いてくれれば良いものだったのでしょうけれど、私の場合は、葛藤を引き起こす元でもありました。

    > この度を越してしまうのが解離性同一障害(多重人格障害)でしょうね。
    > 例えば幼児期に虐待を受け、逃れる術もなく自己を保つために別人格を作り出し、耐え難い経験や記憶を背負わせること(こんな辛い目にあっているのは自分ではないという逃避)によって自己崩壊を防ぐというある種の自己防衛機能です。

    解離性同一性障害は、本人のみならず周りの人への影響も大きいと思いますし、何か効果的な治療法が出てくるといいですよね。
    もちろん、虐待がなくなることも願いたいです。

    > 〈私〉も無色透明でどんな作用も生じませんが「ただ見ている」、あるいは「感じている」だけの実存であり、これと上記が一致するのかどうかもペンディングです。
    > ただ、無色透明であっても決して万人に共通するような主体ではなく、そういう意味では無色透明という独在論的な色を持つものですね。

    そのようにパニチェさんは、考えられているのですね。
    とても貴重なお話をお聞きしていると思います。
    というのは、これまでネット上で、こうした話が通じる人というのは皆無だったのです。

    みのりの感じですと・・。先ほど「観てるやつ」と書いたのは、きちんとした言い方だと「観照意識」です。人によっては、「観察者」とも言うようです。
    去年も「観照」というので出させていただいたと思います。
    こうした言葉も、探求をしだしてから知ったものです。

    そしてこれが、以前は、身体の内にあるものと考えていたのですが、内外というのもそもそも思考が作り出しているいわば人間だけが持っている一種の独自の考えなのだ、と気づいた、ということなんです、
    こういうのを非二元では、「観照の崩壊」と言います。
    いわゆる、底が抜けたと同じ意味のようです。
    ただ、私の場合、探求によってこれらを理解した部分が大きく、瞑想などによって爆発的な体験をしたとかではないですし、人格もなんら立派にはなってないです。
    この「観照の崩壊」を理解できたのは、つい最近のことです。
    これに至るまでに探求をなんとなくし始めてから、7年ぐらいかかったと思います。
    観照意識が定着すれば、いつか大体は自然にそれは崩壊する、とは本で見ていたのですが、なかなかそれがやって来てはくれずにいました。

    「気づき」「真我」(アドヴァイタ、非二元でよく使われる)というのは、それらの上で( そもそもそれらのある場所が特定できないので、上でとか内でとか言っても単なるイメージでしかないのですが )、個としての分離したものは何も存在せず、すべては途切れのない連続性である(溶けている<、と同じようなこと)という世界観においての唯一の意識のようなものです。
    観照の崩壊によって、「気づき」に完全に移行できた実感はあります。


    >>私はもうだいぶ前ですが、そういうものを感じ、それからそれは何なのだろう?というのが出てきて気になりだし、探求のようなことをする一つのきっかけになったように記憶しています。
    >>今は、そういう存在は消えました。
    >
    > それは気づきを体得してからですか?

    まず、その「観てるやつ」=「観照意識」が存在感を押し出してしょうがなかったので、いろいろと葛藤とかする中で、それに次第に慣れるうちに存在感が消えていたのだと考えています。
    それと、今、上に書いたように「観照の崩壊」というのにもよったと思います。

    >
    > ■No17799に返信(みのりさんの記事)
    >>その存在みたいなのを感じるようになって以降、自分の思考・感情にとても気づきやすくなり、思考に関しては浮かべばすべてのように気づいているようになったんです。
    >>でもそれは喜ばしいことばかりではなく、気づくからこそ逆に思考に振り回されることにもなりました。
    >>こういう状態に数年間は苦悩しました。
    >
    >>パニチェさんは、こうしたことはなかったですか?
    >
    > 私の場合は普段とか日常生活では消えています。
    > 何かの苦悩や精神的に切羽詰まった状態(最近ほとんどありませんがw)や非常事態になれば自ずと生じますね。

    それがおそらくですが、不分離、溶けている、というのですよね。

    私も、普段は、思考や感情は「気づき」に勝手に現れて勝手に消えていくものなんですが、怒りを感じたりすると、「観てるやつ」風(昔の感じとは違い、葛藤は生まないですけど、なので「風」)が出てくる気はします。

    > 子供頃、誰に教わったでもなく鏡を見ながら泣いた経験ってりますか?

    ないです。

    > 私は結構あって、あれって今から思えば泣いている自分を眺めるもう一人の冷静な自分を設定することによってバランスを保っていたのだと思います。

    お〜、すごい。^^  もしかしたら、最初は偶然に鏡に映った泣いてる自分を見て・・、ってところから始まったのでしょうか。
    ちなみに何歳ぐらいの時ですか?
引用返信/返信 削除キー/
■17814 / inTopicNo.65)  Re[17]: 現存在、
□投稿者/ みのり -(2021/10/21(Thu) 07:36:34)
    No17800に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No17761
    > あら!?
    > ニーチェの訳書にも「現存在」っていうのが出てきてるのね。
    > カントの訳書にも出てきてるみたい。
    >
    > ハイデガーって、カントやニーチェより後よね。
    > ってすると、「Dasein」は、すでに存在していた語っていうことになるんね。
    >
    > な〜んかいやらしい雰囲気が漂ってる感じ〜。

    な〜んかいやらしい雰囲気って? 
    もしかして、ハイデガーがパクったんちゃうか? みたいな?
    でも、パクリっていうか影響を受ける、というのはどの世界でもあるんじゃないかな。

    実はそもそも、私は、ニーチェの訳書に「現存在」が出てるって知らないのよ(^▽^;)
    パニチェさんならきっとご存じですね。^^

引用返信/返信 削除キー/
■17806 / inTopicNo.66)  Re[20]: 真我と〈私〉
□投稿者/ 田秋 -(2021/10/20(Wed) 21:53:06)
    2021/10/20(Wed) 22:09:39 編集(投稿者)

    横レス失礼します。

    ボクは、今ここで投稿している自分以外の自分を感じたことはありませんが、色々な面を持つ人間だとは思っています(多面人間)。ただそれが同時に複数現れることはありません。

    脳って、使われているのは極一部分だそうですね。使われていない(と思われている)部分が〜理由は分かりませんが〜もう一人の自分として振舞ってるってことはあり得ませんか?

引用返信/返信 削除キー/
■17801 / inTopicNo.67)  Re[19]: 真我と〈私〉
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/20(Wed) 20:57:22)
    2021/10/20(Wed) 21:31:22 編集(投稿者)

    こちらこそレスありがとうございます。

    No17796に返信(みのりさんの記事)
    > 一つ質問があります。
    > パニチェさんは、自身の内に、自覚している自分とはまた違う、人格のない誰かのような存在を感じられたことはありますか?
    > これはけして多重人格などの話ではなく、人格のない誰か、無色透明のような、それでいて何かを認識しているような何か、という感じです。
    > そういう存在みたいなのを感じられたことはありますか?
    > というのが質問になります。

    そういう存在はありますね。
    これって軽度の、言い換えれば、健全な多重人格性だと思います。
    自分を第三者的視線で眺めているもう一人の自分、苦悩の中で逆にこの目線がなくなり、苦しむ自分一色に染まってしまう(視野狭窄)のは危険だと思います。

    この度を越してしまうのが解離性同一障害(多重人格障害)でしょうね。
    例えば幼児期に虐待を受け、逃れる術もなく自己を保つために別人格を作り出し、耐え難い経験や記憶を背負わせること(こんな辛い目にあっているのは自分ではないという逃避)によって自己崩壊を防ぐというある種の自己防衛機能です。

    〈私〉も無色透明でどんな作用も生じませんが「ただ見ている」、あるいは「感じている」だけの実存であり、これと上記が一致するのかどうかもペンディングです。
    ただ、無色透明であっても決して万人に共通するような主体ではなく、そういう意味では無色透明という独在論的な色を持つものですね。

    > 私はもうだいぶ前ですが、そういうものを感じ、それからそれは何なのだろう?というのが出てきて気になりだし、探求のようなことをする一つのきっかけになったように記憶しています。
    > 今は、そういう存在は消えました。

    それは気づきを体得してからですか?


    No17799に返信(みのりさんの記事)
    > その存在みたいなのを感じるようになって以降、自分の思考・感情にとても気づきやすくなり、思考に関しては浮かべばすべてのように気づいているようになったんです。
    > でもそれは喜ばしいことばかりではなく、気づくからこそ逆に思考に振り回されることにもなりました。
    > こういう状態に数年間は苦悩しました。

    > パニチェさんは、こうしたことはなかったですか?

    私の場合は普段とか日常生活では消えています。
    何かの苦悩や精神的に切羽詰まった状態(最近ほとんどありませんがw)や非常事態になれば自ずと生じますね。
    子供頃、誰に教わったでもなく鏡を見ながら泣いた経験ってりますか?
    私は結構あって、あれって今から思えば泣いている自分を眺めるもう一人の冷静な自分を設定することによってバランスを保っていたのだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■17800 / inTopicNo.68)  Re[16]: 現存在、
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/20(Wed) 20:48:34)
    No17761
    あら!?
    ニーチェの訳書にも「現存在」っていうのが出てきてるのね。
    カントの訳書にも出てきてるみたい。

    ハイデガーって、カントやニーチェより後よね。
    ってすると、「Dasein」は、すでに存在していた語っていうことになるんね。

    な〜んかいやらしい雰囲気が漂ってる感じ〜。


引用返信/返信 削除キー/
■17799 / inTopicNo.69)  Re[19]: 真我と〈私〉
□投稿者/ みのり -(2021/10/20(Wed) 20:46:43)
    その存在みたいなのを感じるようになって以降、自分の思考・感情にとても気づきやすくなり、思考に関しては浮かべばすべてのように気づいているようになったんです。
    でもそれは喜ばしいことばかりではなく、気づくからこそ逆に思考に振り回されることにもなりました。
    こういう状態に数年間は苦悩しました。

    パニチェさんは、こうしたことはなかったですか?
引用返信/返信 削除キー/
■17796 / inTopicNo.70)  Re[18]: 真我と〈私〉
□投稿者/ みのり -(2021/10/20(Wed) 20:34:15)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    一つ質問があります。
    パニチェさんは、自身の内に、自覚している自分とはまた違う、人格のない誰かのような存在を感じられたことはありますか?

    これはけして多重人格などの話ではなく、人格のない誰か、無色透明のような、それでいて何かを認識しているような何か、という感じです。
    そういう存在みたいなのを感じられたことはありますか?
    というのが質問になります。

    私はもうだいぶ前ですが、そういうものを感じ、それからそれは何なのだろう?というのが出てきて気になりだし、探求のようなことをする一つのきっかけになったように記憶しています。
    今は、そういう存在は消えました。
引用返信/返信 削除キー/
■17791 / inTopicNo.71)  Re[17]: 真我と〈私〉
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/20(Wed) 19:59:42)
    こんばんは、みのりさん。レスありがとうございます。

    No17691に返信(みのりさんの記事)
    > 海があります。
    > その海が姿を変えて現象しているのが波。
    > 波と波は繋がり合いながら変化しつつ、海とは不分離です。
    > しかし、やってくる一つ一つの波というのはあり、人間にも認識可能です。
    > そして、今、書いたようなことから考えれば、人間一人一つずつあると半ば常識のように考えられている「意識」というものも、ただ一つしかないのではないか、というのが私の考えです。
    > そしてその「意識」を言い換えたものが、「真我」「気づき」です。
    > アドヴァイタ(非二元)の考え方もそうです。
    > ですので、質問への答えは、「ただ一つあるもの」になります。

    はい。私もアドヴァイタを大海原と渦(生命は渦と同じく散逸構造系なので)で例えたことが何度かあります。
    書籍からの情報や覚者と言われる人から聞いた話から想像すると上記のようなものだということは分かります。
    ただパニチェの〈私〉に関する探究はあくまでも直接経験に拘っていますので、未だその境地には至っていません。

    > 「気づき」「真我」「意識」。 これらは、存在することの基盤のようなことを表す意味で用いられています。
    > スクリーンと映画の喩えです。

    はい。これも分かります。良道さんが「〈仏教3.0〉を哲学する」で用いてましたね。

    > あくまで、みのりが考えるにはですが、〈私〉というのは、禅でいう「無位の真人」と同じようなもののように考えています。
    > (もし、〈私〉が身体の中に位置するものであるとするなら、それが合うと思うのです。)

    はい、これも可能性としてありますし、以前に〈私〉を「無位の真人」とする思考実験も行ったことがあります。
    答えはまだ出ていません。^^

    > ラマナ・マハルシ(アドヴァイタ)も真我という言葉を使うのですが、ラマナ・マハルシの言う真我というのは、身体に閉じ込められているものではないのです。
    > 梵我一如ということで言えば、ブラフマン=アートマンではあるのですが、アートマンは個人の身体内にあるものとされますよね。
    > ラマナの言う真我というのは、ブラフマンのほうなんです。
    > そうした意味で、アドヴァイタでの真我と、パニチェさんの〈私〉というのは、また別のものなのではないか、と考えたのです。
    > (もし、パニチェさんが〈私〉を身体内に位置するものと考えられているならになります。
    > 身体に閉じ込められているものではないとするならば、真我と〈私〉は同じようなものを指す可能性はあるのかもしれません。)

    『ラマナ・マハルシの教え 私は誰か?』も以前のみのりさんとのレス交換で触発されてスコット・キロビー著『悟りを生きる』とともに読みましたので、上記のみのりさんの指摘はその通りだと思います。

    No17776に返信(みのりさんの記事)
    > あくまで、みのりが考えるにはですが、〈私〉というのは、禅でいう「無位の真人」と同じようなもののように考えています。
    > (もし、〈私〉が身体の中に位置するものであるとするなら、それが合うと思うのです。)

    はい、その通りです。

    > ラマナ・マハルシ(アドヴァイタ)も真我という言葉を使うのですが、ラマナ・マハルシの言う真我というのは、身体に閉じ込められているものではないのです。
    > 梵我一如ということで言えば、ブラフマン=アートマンではあるのですが、アートマンは個人の身体内にあるものとされますよね。
    > ラマナの言う真我というのは、ブラフマンのほうなんです。
    > そうした意味で、アドヴァイタでの真我と、パニチェさんの〈私〉というのは、また別のものなのではないか、と考えたのです。
    > (もし、パニチェさんが〈私〉を身体内に位置するものと考えられているならになります。
    > 身体に閉じ込められているものではないとするならば、アドヴァイタ(梵我一如の一形態である)での真我と〈私〉は同じようなものを指す可能性はあるのかもしれません。)

    上記も同意です。
    ただ先入観を極力排除しつつ探究していこうとは思っています。
引用返信/返信 削除キー/
■17782 / inTopicNo.72)  Re[15]: 自分が一番したいこと
□投稿者/ みのり -(2021/10/20(Wed) 16:08:28)
    floraさん、投稿ありがとうございます。
    お気持ち、とてもありがたく感じています。

    >restさんがご提案くださった、刑法の名誉棄損罪や侮辱罪なんですが、私もYAHOO時代、あまりにも罵詈雑言/誹謗中傷がひどかったので、もう一人の投稿者と一緒に弁護士さんに相談したことがありますが、これはリアルな生活で実害を受けないと難しいようです。<

    ヤフーはほんとうに中傷が日常茶飯事でしたよね。。。
    そうでしたか、弁護士さんに相談されたことがあったのですね。
    HNに対しての中傷、罵詈雑言だけだとやはり規制は難しく、リアル生活への被害が確認されないと取り扱ってはもらいにくいということなのですね。

    ヤフージャパンのトップページに様々なニュース記事が出ていて、それについてHN
    でのコメントができるようになっているのですが、話題性のある記事については特に誹謗中傷に当たるコメントがとても多く、ヤフーではAIで自動的に削除できる仕組みを導入したそうなんです。
    本来ならこのような仕組みなしに、各人の自律に任せられるといいのでしょうけれど、簡単ではないのですね。。。

    彼はもう私に対しては、わかりやすい形での中傷はできないと思っています。
    これだけ皆に知れ渡っていますから。
    私が懸念しているのは、Aさんへの彼の依存です。
    満たされないものを感じだすと、近づいて行き虐めるというパターンを何度もしていますので。
    でも、それも皆に知れ渡っているので、もうそう簡単にはできなくなっているとは思います。

    >議論と個人攻撃の区別がつかない人間が混ざっていると掲示板はとてもやりにくいものになりますね。老婆心とは思いますが、ご参考までに。

    まったく同感です。
    何が論点なのかも把握せず自論を展開し続けるだけの人に、意味不明な難癖をつけられるのはとても苦痛でした。

    >お寒くなりましたね、お体ご自愛を。

    今日は木枯らしが吹きました。
    焼き芋がおいしい感じの夕暮れが近づいています。

    floraさんもどうぞご自愛くださいね。^^
引用返信/返信 削除キー/

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