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No17776 の記事


■17776 / )  真我(ブラフマンとアートマン)
□投稿者/ みのり -(2021/10/20(Wed) 08:07:01)
    2021/10/20(Wed) 08:10:14 編集(投稿者)

    NO17691の投稿について。 詳細に書ききれていなかった部分があったので、以下の部分を中心として加筆編集しています。
    自分の中で明確に把握しきれていなかった部分でもあったので、今回、再確認できてよかったと思っています。
    (真我という言葉は、アートマンとしての意味、ブラフマンとしての意味の二通りに使用される。 もともと、ブラフマン=アートマンである。)

    ・・・・・

    >>これは、つまり、パニチェさんの〈私〉が、「世界には属していないのではないか」というのと、似ているのかもしれないです。
    >
    > ここは探究中です。
    > きっと山下良道さんや藤田一照さんなら迷わず〈私〉と真我は同じだと主張されるでしょうね。

    あくまで、みのりが考えるにはですが、〈私〉というのは、禅でいう「無位の真人」と同じようなもののように考えています。
    (もし、〈私〉が身体の中に位置するものであるとするなら、それが合うと思うのです。)

    ラマナ・マハルシ(アドヴァイタ)も真我という言葉を使うのですが、ラマナ・マハルシの言う真我というのは、身体に閉じ込められているものではないのです。
    梵我一如ということで言えば、ブラフマン=アートマンではあるのですが、アートマンは個人の身体内にあるものとされますよね。
    ラマナの言う真我というのは、ブラフマンのほうなんです。
    そうした意味で、アドヴァイタでの真我と、パニチェさんの〈私〉というのは、また別のものなのではないか、と考えたのです。
    (もし、パニチェさんが〈私〉を身体内に位置するものと考えられているならになります。
    身体に閉じ込められているものではないとするならば、アドヴァイタ(梵我一如の一形態である)での真我と〈私〉は同じようなものを指す可能性はあるのかもしれません。)
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