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Re[19]: 真我と〈私〉
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□投稿者/ パニチェ -(2021/10/20(Wed) 20:57:22)
| 2021/10/20(Wed) 21:31:22 編集(投稿者)
こちらこそレスありがとうございます。
■No17796に返信(みのりさんの記事) > 一つ質問があります。 > パニチェさんは、自身の内に、自覚している自分とはまた違う、人格のない誰かのような存在を感じられたことはありますか? > これはけして多重人格などの話ではなく、人格のない誰か、無色透明のような、それでいて何かを認識しているような何か、という感じです。 > そういう存在みたいなのを感じられたことはありますか? > というのが質問になります。
そういう存在はありますね。 これって軽度の、言い換えれば、健全な多重人格性だと思います。 自分を第三者的視線で眺めているもう一人の自分、苦悩の中で逆にこの目線がなくなり、苦しむ自分一色に染まってしまう(視野狭窄)のは危険だと思います。
この度を越してしまうのが解離性同一障害(多重人格障害)でしょうね。 例えば幼児期に虐待を受け、逃れる術もなく自己を保つために別人格を作り出し、耐え難い経験や記憶を背負わせること(こんな辛い目にあっているのは自分ではないという逃避)によって自己崩壊を防ぐというある種の自己防衛機能です。
〈私〉も無色透明でどんな作用も生じませんが「ただ見ている」、あるいは「感じている」だけの実存であり、これと上記が一致するのかどうかもペンディングです。 ただ、無色透明であっても決して万人に共通するような主体ではなく、そういう意味では無色透明という独在論的な色を持つものですね。
> 私はもうだいぶ前ですが、そういうものを感じ、それからそれは何なのだろう?というのが出てきて気になりだし、探求のようなことをする一つのきっかけになったように記憶しています。 > 今は、そういう存在は消えました。
それは気づきを体得してからですか?
■No17799に返信(みのりさんの記事) > その存在みたいなのを感じるようになって以降、自分の思考・感情にとても気づきやすくなり、思考に関しては浮かべばすべてのように気づいているようになったんです。 > でもそれは喜ばしいことばかりではなく、気づくからこそ逆に思考に振り回されることにもなりました。 > こういう状態に数年間は苦悩しました。
> パニチェさんは、こうしたことはなかったですか?
私の場合は普段とか日常生活では消えています。 何かの苦悩や精神的に切羽詰まった状態(最近ほとんどありませんがw)や非常事態になれば自ずと生じますね。 子供頃、誰に教わったでもなく鏡を見ながら泣いた経験ってりますか? 私は結構あって、あれって今から思えば泣いている自分を眺めるもう一人の冷静な自分を設定することによってバランスを保っていたのだと思います。
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