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Re[12]: アドヴァイタ
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□投稿者/ みのり -(2021/10/17(Sun) 07:30:56)
| パニチェさん、レスありがとうございました。
■No17646に返信(パニチェさんの記事) > ■No17645に返信(みのりさんの記事) > >>一番上の図になるのでしょうか。 > > 禅定が深まるとともに自己が世界と同化していくイメージを図案化しました。 > みのりさんは一番下の図からさらに進んで内的空間が外界と同化している見性ではないか?ということです。
う〜ん。。 自分ではわからないです。
>>私としては、「〈私〉が世界外に位置する 」というのが、逆によくわからないんです。 >>独在論になるのですよね。 去年そのようにお聞きしたと思います。 > > 逆に聞きたいのですが、〈私〉が世界の外部でなく世界と同化している場合、自分の体と〈私〉と他者の体も含めた物体は世界内でどういう位置関係になりますか?
まず。みのり的には、みのりの身体とみのりの〈私〉は不分離です。 そして、眼のところから広がる、みのり的〈私〉世界には、他者はもちろん普通に存在しています。 ただ、これは、〈私〉でも自我の私でもどちらでもいいのですが、「自分」というものを認識している、意識している時の世界の見え方なんです。 (みのりにとってはそうだということです。)
自分というものを認識していない、意識していない時には、他者という認識も意識も特にはなく、今見えているもの、聞こえているもの、そういうものが不分離にある、という感じなんです。 こういうことを指して、〈私〉は世界に溶け込んでいる、と表現しました。
そして、〈私〉ということをニークラで書いている今のような時とか、リアルで嫌なことを感じた時、心配事が出たような時などには、ギューッと圧縮されて「自分」が表れてくる、という感じです。
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