□投稿者/ みのり -(2021/10/16(Sat) 20:37:11)
| 2021/10/16(Sat) 20:38:26 編集(投稿者) ■No17628に返信(パニチェさんの記事) 2021/10/16(Sat) 18:43:56 編集(投稿者)
> ■No17609に返信(みのりさんの記事) >>ああ、と思いました。 >>私は、自分が考える〈私〉について、「世界の外にある」とは考えていないんです。 >>これはあくまで私(みのり)の感覚です。 >>以前、説明を受けた際には、「世界のどこにも属さない特異点」というので、とりあえずは理解はしてはみましたが、自分の中ではどうもしっくりしてはいなかったんです。
返信いただいたので、ここ、ちょっと書いてみます。
私も、自分の眼の位置から世界が開闢する、というのは実感できるのです。 これについては、パニチェさんと同じですよね。
ただ、その眼の位置が「世界に属していない」というのが、自分としては違和感があり、どちらかというと、身体ごと世界と不分離ではありつつ(従って世界に属していないどころか溶けている)、〈私〉としての世界は、眼のところから開闢している、というのが自分風なのです。
>>言葉では表現しつくすことが不可能、唯一無二、私秘性 といったところでは、パニチェさんが語られるパニチェさんの〈私〉とは共通していますけれど。 >>そうしたことから、前投稿にあるような勘違いをしたのかもしれません。 >>ただ、もし今後、ウィトゲンシュタイン言説を解説書などで読む場合には、 >>彼が、「〈私〉が世界外に位置する」としていたことを念頭に読みたいと思います。 > > その必要はないです。断言!^^ > もしその機会があれば、先入観なしで是非ニュートラルなスタンスでもって読んでみて下さい。
そうですね。 読む機会があればそうします。
> みのりさんに伝えた「比類なき先言の<私>」というテーマはあくまでもパニチェのライフボビーとしてのものであって、これとウィトゲンシュタインが考察していた主体が同じであるかどうかはまだ確証はありませんが、現時点でパニチェはそのように読解しているというだけのことです。
はい。 以前にもそのようにお聞きしたのは憶えています。
> 永井均氏の〈私〉とパニチェの「比類なき先言の<私>」は同類のテーマだとは思いますが、同一(厳密には同一ではありえないのですが)あるいは同じようなものであるかについても断言できません。
はい。 > ウィトゲンシュタインや永井均氏を知る以前からパニチェは「比類なき先言の<私>」の探究をライフホビーとしていました。 > > 後にYahoo!掲示板時代にKIDAMASAさんという(イクストランさんに匹敵するような博学な投稿者でした)方から同じようなことを探究している哲学者がいるということでウィトゲンシュタインや永井均氏を教えてもらいました。ちなみにKIDAMASAさんは「比類なき先言の<私>」の名付け親でもあります。
はい、前にお聞きして憶えています。
> 誤解ないようにお伝えしておきますが、パニチェがみのりさんとレス交換したのはパニチェの「比類なき先言の<私>」です。 > そこのところ誤解なきよう、よろしくお願いします。^^
はい、去年、そのつもりで教えていただいていました。 ^^
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