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■15079 / inTopicNo.13)  Z 第一部 説話[3]
  
□投稿者/ みのり -(2021/07/20(Tue) 12:26:13)
    [3]背後世界論たちについて


    18〜21にかけては、自我について、また、自我と身体の関係について語られています。

    ・・・・・
    19 そして、この最も正直な存在、自我 ─ それは身体について話す。そしてそれは、仮構し、熱狂し、折れた翼ではばたくときですら、なお身体を意欲する。
    ・・・・・
    『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p58より引用

    ツァラトゥストラにとっての自我とは、言葉という次元における自己存在、すなわち、自我は「話す」ところのものである。
    そして、自我の存在を根源的に規定し、自我存在に意味を与えるのは、身体としての自己に他ならない。
    自我の固有の機能が「話す」ことであるなら、この自我の徳とは「正直さ」である。
    つまり、みずからの存在の根源としての自己(身体)に対する正直さ。

    自己(身体)の欲求は抑えるべきものであるとされてきたこと、また、そうした欲求について言葉で表現することが慎むべきこととされてきたことへの反論がなされていると考えました。

    (同書 p331〜p332 訳注を参考にしました。)

    ・・・・・
    21 一つの新しい誇りをわたしの自我はわたしに教えた。その誇りをわたしは人間たちに教える。もはや頭を天界的な諸事物の砂の中へ突っ込まないで、頭を自由にもたげることを、大地に意味を賦与する一つの地上的な頭を!
    ・・・・・
    同書 p589より引用

    一つの新しい誇りとは、「自己に対する正直さ」、また、正直であろうとする意志のことである。

    天界的な諸事物、つまり、背後世界について考えたり、そこにのめり込むのではなく、自らの正直な意志によって大地(今生きている現実世界)に意味を創造することが、新しい誇りなのだ。

    (同書 p332 訳注を参考にしました。)
引用返信/返信 削除キー/
■15031 / inTopicNo.14)  肉体と精神
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/18(Sun) 09:13:06)
    みのりさん、どういたしまして。
    以下は思いつくままの独り言ですので、お気遣いなく。^^

    物質的なものは疲弊する。物質的な肉体は疲弊、疲労する。
    しかし疲労するからこそ回復するのでああり、これこそが躍動的な生を象徴する徴でもある。

    疲労した肉体を精神は非物質的なものを捏造してリカバーしようとする。
    物質に対する非物質的なもの、不完全に対する完全、無知に対する全知、無能に対する全能。

    疲弊、疲労した奴隷的精神が求めるないものねだり。
    非物質的な一躍、つまり精神的な一躍でもって完全無欠にして全知全能の神や背後世界を捏造した。

    真理への意志とは弱体化、疲弊、疲労した精神が求めるところの生の対極、動に対する静、無常に対する不変的なものをでっちあげ取り繕うとする力への意志のマイナス作用と言っていい。

    ちなみにツァラトゥストラの白水社版の訳では「肉体を軽蔑者」となっており、ちくま学芸文庫の「身体を軽蔑する者たち」よりもリアルさが増す。

    身体よりも肉体の方が血肉(血を流し、肉を削る)をイメージしやすく、生を貫き疲弊、疲労しながらも酷使されることを本望とする肉体に相応しい。



引用返信/返信 削除キー/
■15030 / inTopicNo.15)  Re[57]: 存在の腹
□投稿者/ みのり -(2021/07/18(Sun) 08:46:15)
    パニチェさん、こちらもありがとうございます。

    No15027に返信(パニチェさんの記事)
    > 少し遡りますが、白水社版のツァラトゥストラにある訳注がコンパクトで説得力があったので参考までに引用しておきます。
    >
    > 存在の腹
    > 『存在の根源、つまり宗教家や哲学者の考える超越的世界。ニーチェによれば、生命の主導原理は肉体であり、精神、知性は、補助手段に過ぎない。ところが肉体が疲労すると、精神はそれを覆い隠すために超越的世界を捏造し、それがより価値ある世界であるかのように、肉体を説得するのである。(白水社刊 薗田宗人訳「ツァラトゥストラ 訳注」より)』

    ここでは、「存在の腹」は、「存在の根源、つまり宗教家や哲学者の考える超越的世界」だということが書かれていますね。

    > この前段に『ひと跳びで、命がけのひと跳びで究極のものに到り着こうとする疲労感、精神尽き果てたあわれな無知な疲労感、それがすべての神々と背後の世界を創ったのだ。(同書)』があることからしても上記の訳注が説得力があり、先の私の解釈はちょい飛躍し過ぎでした。すんまそん。^^;

    生命の主導原理である肉体が疲労すると、それを覆い隠すために精神は超越的世界を捏造し、それが価値ある世界であるように超越的世界を捏造する、と訳注にある部分、それが引用していただいた一文(番号だと12)に相当するのですね。

    肉体が疲労し弱ることによって、それを補うかのように精神が超越的世界を創り上げる。

    ・・・・・
    13 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 身体に絶望したのは、身体であった、─ 身体こそが、昏迷せる精神の指でもって、最後の壁を手探りしたのだ。

    14 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 大地に絶望したのは、身体であった、─ 身体こそが、存在の腹が自分に話しかけてくるのを聞いたのだ。
    ・・・・・

    この「身体、大地に絶望」というのは、「肉体の疲労」を意味するのですね。
    「肉体の疲労」とは、具体的には、様々な理由により生きることに疲れてしまうであるとか、気力を失ってしまう、というようなことなのだと思います。
    そういう状態であれば、肉体も疲労していると考えるのが自然かな、と思いますし。

    ─ 身体こそが、昏迷せる精神の指でもって、最後の壁を手探りしたのだ。
    これは、肉体の疲労を覆い隠すよかに精神が背後世界を創り上げた、ということを意味するのだと思いました。


    よかった。^^  つながりました。

    パニチェさん、ありがとうございます。

引用返信/返信 削除キー/
■15028 / inTopicNo.16)  Re[56]: 生は快楽の泉である
□投稿者/ みのり -(2021/07/18(Sun) 07:51:38)
    No14994に返信(パニチェさんの記事)
    > ■No14993に返信(みのりさんの記事)
    > >>はい!喜んで♪(居酒屋店員風w)
    >
    >>じゃ、とりあえず生で♪ (違うか (^▽^;)
    >
    > 『生は快楽の泉である。しかし、賤民もいっしょに飲むところ、そこでは一切の泉は毒されている。(ツァラトゥストラ 賤民について6-1)』
    >
    > これが書きたかったための返信でもあるのでスルーしてくらはい(笑)

    パニチェさん、レスありがとうございます。

    「そこでは一切の泉は毒されている」ってなんだろう?と思いました。
    6で出てくるそうなのでその時に解るのを楽しみにします。^^

    >>身体性(大地)がそのまま健康的に作用するのではなく、身体性(大地)には病みや暗黒面に向かってしまわざるをえない傾向が隠されている、というようなことを書かれているのかな、と思いました。
    >>(違ってたらすみません。)
    >
    > その通りです。病的精神は身体性からの指令によって背後世界や神を捏造しました。
    > 「力への意志」の一側面である「真理への意志」による捏造です。

    ありがとうございます。わかりやすいです。


    > 『あるべき世界が実在しているという信仰は、あるべき世界を創造しようとする意欲を欠いた非生産的人間の信仰であり、彼らはその世界が実在するものだとし、その世界に到達するための手段や手法を探しはじめる。──「真理への意志」とは──創造への意志の喪失なのだ。(1887年秋遺稿)』

    今生きている現実世界よりも背後世界こそが本当の世界であると捏造し、そこに到達するための手段や方法を探しはじめる、ということですね。
    そうしたことが「真理への意志」である、と。
    「真理への意志」という言葉だけ見ると真摯な崇高なものを思い浮かべがちだと思うのですが、ニーチェにおいての「真理への意志」にはそのような意味はまったく含まれておらず、むしろ批判のための言葉だということになるのですね。

    >>また、ぼちぼちと次に進んでいこうと思います。
    >
    > そそ、無理せずボチボチ行きましょう。休憩や休息もありです。^^

    ありがとうございます。期限は考えずマイペースで読んでいきます。
引用返信/返信 削除キー/
■15027 / inTopicNo.17)  存在の腹
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/18(Sun) 07:50:45)
    少し遡りますが、白水社版のツァラトゥストラにある訳注がコンパクトで説得力があったので参考までに引用しておきます。

    存在の腹
    『存在の根源、つまり宗教家や哲学者の考える超越的世界。ニーチェによれば、生命の主導原理は肉体であり、精神、知性は、補助手段に過ぎない。ところが肉体が疲労すると、精神はそれを覆い隠すために超越的世界を捏造し、それがより価値ある世界であるかのように、肉体を説得するのである。(白水社刊 薗田宗人訳「ツァラトゥストラ 訳注」より)』

    この前段に『ひと跳びで、命がけのひと跳びで究極のものに到り着こうとする疲労感、精神尽き果てたあわれな無知な疲労感、それがすべての神々と背後の世界を創ったのだ。(同書)』があることからしても上記の訳注が説得力があり、先の私の解釈はちょい飛躍し過ぎでした。すんまそん。^^;

引用返信/返信 削除キー/
■14994 / inTopicNo.18)  生は快楽の泉である
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/17(Sat) 11:11:57)
    No14993に返信(みのりさんの記事)
    >>はい!喜んで♪(居酒屋店員風w)

    > じゃ、とりあえず生で♪ (違うか (^▽^;)

    『生は快楽の泉である。しかし、賤民もいっしょに飲むところ、そこでは一切の泉は毒されている。(ツァラトゥストラ 賤民について6-1)』

    これが書きたかったための返信でもあるのでスルーしてくらはい(笑)

    > 身体性(大地)がそのまま健康的に作用するのではなく、身体性(大地)には病みや暗黒面に向かってしまわざるをえない傾向が隠されている、というようなことを書かれているのかな、と思いました。
    > (違ってたらすみません。)

    その通りです。病的精神は身体性からの指令によって背後世界や神を捏造しました。
    「力への意志」の一側面である「真理への意志」による捏造です。

    『あるべき世界が実在しているという信仰は、あるべき世界を創造しようとする意欲を欠いた非生産的人間の信仰であり、彼らはその世界が実在するものだとし、その世界に到達するための手段や手法を探しはじめる。──「真理への意志」とは──創造への意志の喪失なのだ。(1887年秋遺稿)』

    > また、ぼちぼちと次に進んでいこうと思います。

    そそ、無理せずボチボチ行きましょう。休憩や休息もありです。^^


引用返信/返信 削除キー/
■14993 / inTopicNo.19)  Re[54]: Z 第一部 説話[3]
□投稿者/ みのり -(2021/07/17(Sat) 10:18:49)
    No14990に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/07/17(Sat) 08:53:07 編集(投稿者)
    >
    > おはようございます、みのりさん。
    > お陰様で私もツァラトゥストラを学び直す機会になっていて楽しいです。

    パニチェさん、レスありがとうございます。
    お世話になっております。<(_ _)>

    > ■No14987に返信(みのりさんの記事)
    >>パニチェさん、おはようございます。
    >>質問したいところがあるので、教えていただけると嬉しいです。
    >
    > はい!喜んで♪(居酒屋店員風w)

    じゃ、とりあえず生で♪ (違うか (^▽^;)

    >>■No14960に返信(みのりさんの記事)
    > >>説話[3]背後世界論者たちについて
    >
    > >>・・・・・
    > >>13 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 身体に絶望したのは、身体であった、─ 身体こそが、昏迷せる精神の指でもって、最後の壁を手探りしたのだ。
    > >>
    > >>14 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 大地に絶望したのは、身体であった、─ 身体こそが、存在の腹が自分に話しかけてくるのを聞いたのだ。
    > >>・・・・・
    > >>『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p57より引用
    >
    > >>13にある、身体に対する身体の絶望とは、自己に対する彼ら自身の絶望を意味する。
    > >>14にある、大地に対する身体の絶望とは、自己存在の根源である大地(現実世界)が無力で病的な絶望的なものに化していることに絶望することを意味する。そして、その絶望により自ら(身体でもって)背後世界というものを作り上げ、背後世界からの啓示を聞いたと思い込む、そうしたことについて書かれていると思います。
    >
    > >>(同書 p329〜p330 訳注を参考にしました。)
    >
    > >>「存在の腹」ということについては、p330訳注にある「大地の或る秘められた醜悪な面」という解釈とは違う解釈をしてみました。
    > >>そのほうが私としては合う気がしました。
    >
    >
    >>13、14についてパニチェさんはどのように解釈されますか?
    >>訳注を参考にして自分なりに解釈してみたのですが、もうひとつ自信がなく、パニチェさんの解釈を聞いてみたいと思いました。
    >
    >
    > みのりさんの解釈と同じで同意します。
    > 背後世界論者たちが神や背後世界を捏造したプロセスを解体&断罪しつつツァラトゥストラが語っているところですね。

    主旨というか大筋のところではそういうことですよね。^^
    そのことについて、表現を少しずつ変えながら言及しているので「背後世界論者たち」は長めなのかな、と今のところ思っています。
    ニーチェがそれだけ力を入れたかった部分ということになるのでしょうね。


    >>「存在の腹」というのが何を意味するのか、それについてのパニチェさんの解釈もよかったら教えてください。
    >
    > 大地(身体性)を離れて天空(背後世界)へと向かわせるような大地の醜い臓物や魔物、大いなる理性に潜み病的精神に作用する暗黒物(ニヒリズムの暗黒面)みたいに解釈しています。

    教えていただいてありがとうございます。

    身体性(大地)がそのまま健康的に作用するのではなく、身体性(大地)には病みや暗黒面に向かってしまわざるをえない傾向が隠されている、というようなことを書かれているのかな、と思いました。
    (違ってたらすみません。)


    > でも、ここは読者が自由に自分に当てはめて会解釈できる自由度のある表現ですね。
    > ニーチェやツァラトゥストラは読者に委ねていると思います。

    はい。^^


    また、ぼちぼちと次に進んでいこうと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■14990 / inTopicNo.20)  Re[53]: Z 第一部 説話[3]
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/17(Sat) 08:50:53)
    2021/07/17(Sat) 08:53:07 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。
    お陰様で私もツァラトゥストラを学び直す機会になっていて楽しいです。

    No14987に返信(みのりさんの記事)
    > パニチェさん、おはようございます。
    > 質問したいところがあるので、教えていただけると嬉しいです。

    はい!喜んで♪(居酒屋店員風w)

    > ■No14960に返信(みのりさんの記事)
    >>説話[3]背後世界論者たちについて

    >>・・・・・
    >>13 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 身体に絶望したのは、身体であった、─ 身体こそが、昏迷せる精神の指でもって、最後の壁を手探りしたのだ。
    >>
    >>14 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 大地に絶望したのは、身体であった、─ 身体こそが、存在の腹が自分に話しかけてくるのを聞いたのだ。
    >>・・・・・
    >>『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p57より引用

    >>13にある、身体に対する身体の絶望とは、自己に対する彼ら自身の絶望を意味する。
    >>14にある、大地に対する身体の絶望とは、自己存在の根源である大地(現実世界)が無力で病的な絶望的なものに化していることに絶望することを意味する。そして、その絶望により自ら(身体でもって)背後世界というものを作り上げ、背後世界からの啓示を聞いたと思い込む、そうしたことについて書かれていると思います。

    >>(同書 p329〜p330 訳注を参考にしました。)

    >>「存在の腹」ということについては、p330訳注にある「大地の或る秘められた醜悪な面」という解釈とは違う解釈をしてみました。
    >>そのほうが私としては合う気がしました。


    > 13、14についてパニチェさんはどのように解釈されますか?
    > 訳注を参考にして自分なりに解釈してみたのですが、もうひとつ自信がなく、パニチェさんの解釈を聞いてみたいと思いました。


    みのりさんの解釈と同じで同意します。
    背後世界論者たちが神や背後世界を捏造したプロセスを解体&断罪しつつツァラトゥストラが語っているところですね。


    > 「存在の腹」というのが何を意味するのか、それについてのパニチェさんの解釈もよかったら教えてください。

    大地(身体性)を離れて天空(背後世界)へと向かわせるような大地の醜い臓物や魔物、大いなる理性に潜み病的精神に作用する暗黒物(ニヒリズムの暗黒面)みたいに解釈しています。

    でも、ここは読者が自由に自分に当てはめて会解釈できる自由度のある表現ですね。
    ニーチェやツァラトゥストラは読者に委ねていると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■14987 / inTopicNo.21)  Re[52]: Z 第一部 説話[3]
□投稿者/ みのり -(2021/07/17(Sat) 08:09:32)
    パニチェさん、おはようございます。
    質問したいところがあるので、教えていただけると嬉しいです。


    No14960に返信(みのりさんの記事)
    > 説話[3]背後世界論者たちについて
    >
    > ・・・・・
    > 13 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 身体に絶望したのは、身体であった、─ 身体こそが、昏迷せる精神の指でもって、最後の壁を手探りしたのだ。
    >
    > 14 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 大地に絶望したのは、身体であった、─ 身体こそが、存在の腹が自分に話しかけてくるのを聞いたのだ。
    > ・・・・・
    > 『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p57より引用
    >
    > 13にある、身体に対する身体の絶望とは、自己に対する彼ら自身の絶望を意味する。
    > 14にある、大地に対する身体の絶望とは、自己存在の根源である大地(現実世界)が無力で病的な絶望的なものに化していることに絶望することを意味する。そして、その絶望により自ら(身体でもって)背後世界というものを作り上げ、背後世界からの啓示を聞いたと思い込む、そうしたことについて書かれていると思います。
    >
    > (同書 p329〜p330 訳注を参考にしました。)
    >
    >
    > 「存在の腹」ということについては、p330訳注にある「大地の或る秘められた醜悪な面」という解釈とは違う解釈をしてみました。
    > そのほうが私としては合う気がしました。


    13、14についてパニチェさんはどのように解釈されますか?
    訳注を参考にして自分なりに解釈してみたのですが、もうひとつ自信がなく、パニチェさんの解釈を聞いてみたいと思いました。

    「存在の腹」というのが何を意味するのか、それについてのパニチェさんの解釈もよかったら教えてください。

引用返信/返信 削除キー/
■14980 / inTopicNo.22)  Re[54]: お邪魔
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/07/16(Fri) 22:19:38)
    みのりさま、パニさん、
    ありがとございます。

    今日ちょっと疲れちゃったから、また後でお邪魔させてもらいま〜す。
    でも、書いてあって嬉しかった。




引用返信/返信 削除キー/
■14971 / inTopicNo.23)  お邪魔無視下さいw
□投稿者/ パニチェ -(2021/07/16(Fri) 21:43:05)
    No14967に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > みのりさま、お邪魔します。

    「みのりさま、お邪魔します」にお邪魔虫します。^^
    既にみのりさんが返信してるので不必要なのでスルーして下さい。

    > ■14960の
    > >13にある、身体に対する身体の絶望とは、自己に対する彼ら自身の絶望を意味する<
    > の「自己」「自身」っていう用語の意味、なんか書いてある?
    > あと「自分自身」っていうのもあったかな。まこれはいいわ。
    > とくに「自己」っていうのこけっこう出てきてるみたいだから、この語だけについてでいいわ。

    > なければ返信なしでいいよ。
    > 返信なければ書いてないっていうことで済ませるから。

    「背後世界論者たちについて」に続く「身体を軽蔑する者たちについて」に以下のように書かれています。
    参考まで。。。

    『感覚と精神とは道具ないし玩具である。それらの背後には、さらに自己が横たわっているのだ。当然また、自己は感覚の目で探り、精神の耳で聞く。自己はつねに聴き、そして探る。それは比較し、強制し、征服し、破壊するのだ。それは支配し、そしてまた自我の支配者でもある。きみのもろもろの思想や感情の背後に、わたしの兄弟よ,一人の強大な命令者、一人の知られざる賢者が立っている──この者が自己と呼ばれる。きみの身体のなかに彼は住んでいる。彼はきみの身体なのだ。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて8 〜10)』

引用返信/返信 削除キー/
■14970 / inTopicNo.24)  Re[53]: Z 第一部 説話[3]
□投稿者/ みのり -(2021/07/16(Fri) 21:13:11)
    2021/07/16(Fri) 21:16:31 編集(投稿者)
    No14967に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > みのりさま、お邪魔します。
    >
    > ■14960の
    > >13にある、身体に対する身体の絶望とは、自己に対する彼ら自身の絶望を意味する<
    > の「自己」「自身」っていう用語の意味、なんか書いてある?
    > あと「自分自身」っていうのもあったかな。まこれはいいわ。
    > とくに「自己」っていうのこけっこう出てきてるみたいだから、この語だけについてでいいわ。
    >
    > なければ返信なしでいいよ。

    悪魔ちゃん、こんばんは。
    ニーチェにとっての「自己」とは、身体性のことです。
    精神や理性は、身体の道具であると考えました。

    以前、パニチェさんに教えていただいた時の投稿を引用しますね。


    ・・・・・・・・・・

    ■13380 / inTopicNo.67)  Re[20]: ニーチェ 2.
    ▲▼■
    □投稿者/ みのり -(2021/05/29(Sat) 16:35:13)
    No13359に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/05/29(Sat) 13:33:16 編集(投稿者)


    > ニーチェはこれを逆転させ自我も含めた意識や精神性は『意識。──意識性は、有機体の最後の、最も遅れた発展であり、したがってまたその表面の最も未熟な、最も無力な部分である。(悦ばしき知識第11番)』や『きみが「精神」と呼ぶところの、きみの小さな理性もまた、きみの身体の道具である。きみの大いなる理性の一つの小さな道具ないしは玩具である。(ツァラトゥストラ)』と、意識や精神性よりも身体性を生が本来有するベクトルに沿った大いなる理性と考え重視します。よって自己は自我や意識などの精神性ではなく身体性であり、自我は身体性(本質)の大いなる(無意識的な)理性のもとに統一管理されたもろもろのもの(例えば本能的な反射や衝動)と同一(同列)ではない。

    まず、自己と自我というのは違うものだということですね。
    自己というのは身体性だとし、それを自我より重視している。
    ここについて、私は勘違いしていたので分かってよかったです。

    ・・・・・・・・・・引用終わり


引用返信/返信 削除キー/

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