| 綱渡りを待つ人々に「超人」について話し始めるも嘲笑されてしまうツァラトゥストラ。 しかし、諦めず別な語り口で話し始めます。
・・・・・ 2 人間は、動物と超人とのあいだにかけ渡された一本の綱である、- 一つの深淵の上にかかる一本の綱である。 ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p26より引用
(これは有名な一文のようです。) 人々がツァラトゥストラの話に興味を持ってくれないので、綱渡りの綱を喩えとして話し始めたのだと思います。
猿から進化した人間、それで完成なのではなく、自己超克して超人になるための過渡にいるもの、それが人間なのだということ。
5〜22までは、「わたしは愛する」ではじまる文章で、超人の素晴らしさとそれへの勧めを人々に語ります。 (イエスの山上の垂訓をなんとなく連想してしまいます。)
※ 6の「大いなる軽蔑者たち」というのの意味が解りません。 注釈にも出ていないので、これについてパニチェさん、教えていただけると嬉しいです。
18の文章は誤解しやすい部分になるのかな、と思い、引用してみます。 実際、私も注釈とは違う解釈をしていました。 ・・・・・ 18 わたしは愛する、自分の神を愛するがゆえに、自分の神を懲らしめる者を。 というのは、彼は自分の神の怒りによって破滅せざるをえないのだから。 ・・・・・同書 p28より引用
ここでの「神」というのは、各人の最も本来的な自己存在、各人の実存のこと、と注釈にはあります。 「自分の神を懲らしめる」とは、自分の実存に徹底して行くこと、困難に満ちていても徹底して実存的に生きようとすることを指すそうです。 自己超克の情熱が「神の怒り」、それによって非本来的自己の破滅を結果する、ということ。
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