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■14525 / inTopicNo.61)  Re[29]: Z 第一部 序説 1
  
□投稿者/ みのり -(2021/06/28(Mon) 20:37:25)
    パニチェさん、こんばんは。 レスありがとうございます。


    >>ツァラトゥストラというのは、ゾロアスター教の開祖ゾロアスターのドイツ語読みだそうです。
    >>ニーチェはゾロアスターから影響を受けてはいないけれど、その名を取り入れたということです。
    >
    > 何故、ニーチェがツァラトゥストラをモデルにしたのかは「この人を見よ」で以下のように書かれています。
    >
    > 『ツァラトゥストラという名前が他の誰でもなく私の口から、最初のインモラリストである私の口出ている以上、その名前が何を意味するのか、誰か尋ねてくれる人がいてもよかったろうに、誰も私に尋ねてはくれなかった。というのも、歴史の中であのペルシア人の秀れた独自性をなしているものは、私の口から出されているこの名前の意味する処とは正反対だからである。ツァラトゥストラはまず善と悪の戦いを、事物運行の本来の歯車と見たのであった。──道徳を力自体、原因自体、目的自体として形而上学的なものに翻訳してしまうこと、これが彼の仕事である。ところでこの問題は、じつをいえばすでにそのまま答えにもなっている。ツァラトゥストラは道徳という、この最も後に重大な結果を招く迷妄を創り出した者でもあったのだ。したがって、必然的に、彼は道徳が迷妄であることを認めた最初の者でもある。・・・──私の言わんとする処はもうお分かりであろうか?…誠実さから発する道徳の自己超克、道徳家が自分を超克してその反対のものに──私という存在に──なること、これが私の口から出されている、ツァラトゥストラという名前が意味する処のものである。(この人を見よ なぜ私は一個の運命であるのか3)』

    ゾロアスター教が善悪二元からなっている、というのは調べてわかったのですが、
    引用していただいたものは私には難しくて解りませんでした。
    どのような内容なのか教えていただけるとありがたいです。<(_ _)>
引用返信/返信 削除キー/
■14521 / inTopicNo.62)  Re[28]: Z 第一部 序説 1
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/28(Mon) 20:15:24)
    2021/06/28(Mon) 20:43:21 編集(投稿者)

    こんばんは、みのりさん。横レス失礼します。

    No14503に返信(みのりさんの記事)
    > ツァラトゥストラというのは、ゾロアスター教の開祖ゾロアスターのドイツ語読みだそうです。
    > ニーチェはゾロアスターから影響を受けてはいないけれど、その名を取り入れたということです。

    何故、ニーチェがツァラトゥストラをモデルにしたのかは「この人を見よ」で以下のように書かれています。

    『ツァラトゥストラという名前が他の誰でもなく私の口から、最初のインモラリストである私の口から出ている以上、その名前が何を意味するのか、誰か尋ねてくれる人がいてもよかったろうに、誰も私に尋ねてはくれなかった。というのも、歴史の中であのペルシア人の秀れた独自性をなしているものは、私の口から出されているこの名前の意味する処とは正反対だからである。ツァラトゥストラはまず善と悪の戦いを、事物運行の本来の歯車と見たのであった。──道徳を力自体、原因自体、目的自体として形而上学的なものに翻訳してしまうこと、これが彼の仕事である。ところでこの問題は、じつをいえばすでにそのまま答えにもなっている。ツァラトゥストラは道徳という、この最も後に重大な結果を招く迷妄を創り出した者でもあったのだ。したがって、必然的に、彼は道徳が迷妄であることを認めた最初の者でもある。・・・──私の言わんとする処はもうお分かりであろうか?…誠実さから発する道徳の自己超克、道徳家が自分を超克してその反対のものに──私という存在に──なること、これが私の口から出されている、ツァラトゥストラという名前が意味する処のものである。(この人を見よ なぜ私は一個の運命であるのか3)』

引用返信/返信 削除キー/
■14508 / inTopicNo.63)  Re[29]: Z 第一部 序説 1
□投稿者/ みのり -(2021/06/28(Mon) 15:03:06)
    田秋さん、こんにちは。

    No14507に返信(田秋さんの記事)
    > みのりさん、おはようございます。
    >
    > え、もう読み始めたのですか!
    >
    > >ニーチェについては少し休んで、また再開します。♪
    > >100分de名著のツァラトゥストラも注文していたので、そちらをさらっと読んでから、
    >
    > 夏ころかと思ってました・・・

    100de名著ツァラトゥストラが内容が豊富な割に読みやすくて(しかもおもしろい)すらすらと読んでしまったんです。
    著書は、同じく100分de名著 カント純粋理性批判も書かれた西 研さんです。
    そのうち、100分de名著版ツァラトゥストラの内容にも少し触れてみようかな、と考えています。

    ちくま文庫のツァラトゥストラについては、急がずにゆっくりと読解していくつもです。
    かと言って深いところまで踏み込むとなかなか進めないので、一通りという感じで進めていきたいと思っています。
    >
    > ボクが学生の頃のレコード(R.シュトラウス)のタイトルは《ツァラトゥストラはかく語りき》でした。いつの頃から、あれは文語だからということで、口語で《ツァラトゥストラはこう語った》になりました。最初はなんだか威厳が無くなったように感じたものです。口語が現れ始めたのは結構早く、高校生の時に友人に「最近は[こう語った]と言うんだって」と教えられた記憶があります。

    そうでしたか。映画2001年宇宙の旅にも使われている曲ですね。

    > ちくま文庫が《このようにツァラトゥストラは語った》としているのは原題が《Also sprach Zarathustra》となっているからだと思います。ドイツ語の平叙文は動詞が2番目にきます。普通は主語が文頭に来て’Zarathustra sprach also’(凄い違和感ありますね!完全に《Also sprach Zarathustra》が市民権を得ている感じです。’Er sprach also’ならそうでもないですね)なので、ニーチェはalso(このように)を強調したかったのだと考えれば、ちくま文庫のタイトルはニーチェの意をよく汲んでいるということになるのでしょうね。

    原題では、Also(このように)が一番先に来ていて、ちくま文庫でのタイトルはそれをそのまま採用しているのではないか、ということなのですね。
    教えていただいてありがとうございます。

    >
    > 現在はプログラムに書くときは口語で書きます。ボクの日フィルでの最後の定期演奏会のメインがツァラトゥストラでした。今後コンサートのプログラムに《このようにツァラトゥストラは語った》を採用するとちょっと話題になるかも・・・

    そうだったのですか。^^  ニーチェにはなにかと縁があるのですね。
引用返信/返信 削除キー/
■14507 / inTopicNo.64)  Re[28]: Z 第一部 序説 1
□投稿者/ 田秋 -(2021/06/28(Mon) 11:40:33)
    みのりさん、おはようございます。

    え、もう読み始めたのですか!

    >ニーチェについては少し休んで、また再開します。♪
    >100分de名著のツァラトゥストラも注文していたので、そちらをさらっと読んでから、

    夏ころかと思ってました・・・

    ボクが学生の頃のレコード(R.シュトラウス)のタイトルは《ツァラトゥストラはかく語りき》でした。いつの頃から、あれは文語だからということで、口語で《ツァラトゥストラはこう語った》になりました。最初はなんだか威厳が無くなったように感じたものです。口語が現れ始めたのは結構早く、高校生の時に友人に「最近は[こう語った]と言うんだって」と教えられた記憶があります。

    ちくま文庫が《このようにツァラトゥストラは語った》としているのは原題が《Also sprach Zarathustra》となっているからだと思います。ドイツ語の平叙文は動詞が2番目にきます。普通は主語が文頭に来て’Zarathustra sprach also’(凄い違和感ありますね!完全に《Also sprach Zarathustra》が市民権を得ている感じです。’Er sprach also’ならそうでもないですね)なので、ニーチェはalso(このように)を強調したかったのだと考えれば、ちくま文庫のタイトルはニーチェの意をよく汲んでいるということになるのでしょうね。

    現在はプログラムに書くときは口語で書きます。ボクの日フィルでの最後の定期演奏会のメインがツァラトゥストラでした。今後コンサートのプログラムに《このようにツァラトゥストラは語った》を採用するとちょっと話題になるかも・・・
引用返信/返信 削除キー/
■14504 / inTopicNo.65)  Re[29]: 永劫回帰の暗黒面
□投稿者/ みのり -(2021/06/28(Mon) 09:25:18)
    >その通り、然り!です。^^
    >受動的ニヒリズムは悲観主義とか厭世主義と同義ですね。

    パニチェさん、ありがとうございます。^^
引用返信/返信 削除キー/
■14503 / inTopicNo.66)  Z 第一部 序説 1
□投稿者/ みのり -(2021/06/28(Mon) 09:23:59)
    2021/06/28(Mon) 09:29:34 編集(投稿者)

    『ツァラトゥストラ』ちくま学芸文庫上下巻
    ツァラトゥストラの読解を少しずつしていきます。

    ツァラトゥストラと略される場合も多いようですが、正式には、「ツァラトゥストラはかく語りき」「ツァラトゥストラはこのように語った」などになります。
    ニーチェの分身であるツァラトゥストラに、ニーチェの哲学を語らせる形式となっています。
    ちくま学芸文庫では、「このようにツァラトゥストラは語った」となっています。
    副題として、「万人のための、そして何ぴとのためのものでもない一冊の書」とあります。

    ツァラトゥストラというのは、ゾロアスター教の開祖ゾロアスターのドイツ語読みだそうです。
    ニーチェはゾロアスターから影響を受けてはいないけれど、その名を取り入れたということです。

    ツァラトゥストラという名前が長いので、主に投稿のタイトルにいれる場合などに、ツァラトゥストラを「Z」と表していきます。
    本書でも注釈においてそのように表記されています。

     では、さっさく、第一部 序説1です。
    序説は1〜10まであります。

    ツァラトゥストラは30歳の時、故郷を捨て山籠もりを始め、その生活は10年間続きましたが、自分の知恵を人々に「贈与し分与したい」と思い立ち、山を下りる覚悟をします。

    この部分、イエスの「荒野の誘惑」への対抗意識があると注釈にあります。
    年齢がイエスより上であること、修行の期間も長いということで、ツァラトゥストラの成熟を表そうとしている、とのこと。

    ツァラトゥストラは「おまえ、大いなる天体よ!」と太陽に語り掛けている。
    ゾロアスター教が太陽崇拝の宗教であることの連想だけではなく、太陽はツァラトゥストラにおいて、「認識と生との根源を表示する伝統的象徴」だそうです。

    「わたしのワシとわたしのヘビ」という表現は、それぞれツァラトゥストラの従者の象徴であり、それぞれ「誇り」と「賢さ」を表しているそうです。


    6 「わたしは贈与し分与したい、人間たちのなかの賢者たちが、いま一度その愚かさを、そして貧しい者たちが、いま一度その豊かさを、喜ぶようになるまで。」

    この部分は、イエスが学者やパリサイ人をおとしめ、こころ(精神)の貧しい者を祝福したという福音書の記述が素地となっているそうです。

    賢者たちが自らの持っている知識を捨て(愚かさを捨てる)自己超起しツァラトゥストラの話に耳を傾ければ豊かになり、また、既存の知識を持っていない貧しい者たちはツァラトゥストラの話が入る余地がたくさんにあるので、それは逆に豊かなのである。
    このようなことのようです。


    12 「― このようにしてツァラトゥストラの没落は始まった。」

    没落というのは。ここでは長い思索生活を終え、ツァラトゥストラが人間のもとに向かう、つまり、「孤独から世間へ下って行く」ことを指しているそうです。

    没落という言葉は後にも出てくるよく使われる言葉で、意味合いはその場合によって違ってくるようです。







引用返信/返信 削除キー/
■14471 / inTopicNo.67)  Re[28]: 永劫回帰の暗黒面
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/27(Sun) 08:01:37)
    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No14456に返信(みのりさんの記事)

    > ニヒリズムを忌むべきものとして捉えない、それが能動的ニヒリズムになるのかな、と思いました。
    > 生や世界に意味、価値、目的がないことを嘆くのではなく、「それなら上等だ!」と喜び、自ら価値創造をしていく。
    > そして永劫回帰も運命愛として受け止めていく、そういう人が超人である、ということですね。

    > 受動的ニヒリズムというのは、逆に、生に意味や価値などがなくても諦める境地で無難に生きていこうというような姿勢を指すのかな、と思いました。

    その通り、然り!です。^^
    受動的ニヒリズムは悲観主義とか厭世主義と同義ですね。
引用返信/返信 削除キー/
■14459 / inTopicNo.68)  先に。
□投稿者/ みのり -(2021/06/26(Sat) 16:47:25)
    ツァラトゥストラちくま学芸文庫を読む前に、前知識としてあるほうがいいかなと思うので、しばらく100分de名著版を読んでいきます。

引用返信/返信 削除キー/
■14458 / inTopicNo.69)  呪うことを学ぶべきだ。
□投稿者/ みのり -(2021/06/26(Sat) 16:43:43)
    100分de名著ツァラトゥストラをぱらぱらと少し読んでみました。

    そのp93に書かれている内容がおもしろいのでちょっと書いてみます。

    「『祝福することのできない者は、呪うことを学ぶべきだ。』- この明るい教えは、明るい空からわたしに降ってきた。」 (第三部 「日の出前」。)

    ルサンチマンがあるのにないかのように自分をごまかしたり押さえつけたりせず、あることを認め、受け入れられない状況があることも認めて呪ったり叫んだりまずはしていいのだ、ということ。

    ただたんに「ルサンチマンを持つな」だけではないということもニーチェは言っているようです。

    能動的に行うことであるなら、呪ったり叫んだりもいいのだ、ということ。

    ニーチェたしかにいい事言ってるけど、その通りしようとしたら疲れる部分もあるな、と感じたりしていたけど、超人になれていない人々に寄りそう発言もしてくれていたのですね。
引用返信/返信 削除キー/
■14456 / inTopicNo.70)  Re[27]: 永劫回帰の暗黒面
□投稿者/ みのり -(2021/06/26(Sat) 15:41:54)
    No14452に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/06/26(Sat) 11:36:04 編集(投稿者)

    パニチェさん、レスありがとうございます。

    > ■No14423に返信(みのりさんの記事)
    >
    >>パニチェさん、ありがとうございます。^^
    >>拝読した中の一部分を引用させていただきます。
    >
    > >>喉に噛み付くヘビとは永劫回帰のニヒリズム的側面の象徴であり、その克服は自ら噛み付かれたヘビの頭を噛み切るしかない。
    > >>ニヒリズムの超克は、さらに徹底したニヒリズムでしかありえず、またニヒリズムは外からの働きかけでは超克されえない。
    >
    >>蛇は永劫回帰のニヒリズム的側面の象徴なのですね。
    >>(たしかにどうしようもなく想像を絶する苦しみです。)
    >>克服するためには困難を極めても自分でするしかない、ということ。
    >
    >>強烈な印象を残す場面ですね。
    >
    > そうですね。ツァラトゥストラには印象的な場面がいくつもあります。
    > 一説によるとツァラトゥストラは第五福音書として書かれたそうです。
    > そしてこの福音書こそパウロやアウグスティヌスによって捏造された諸価値をパロディー化する「万人のための、そして何人のためのものでもない一冊の書」であるとのことでした。

    わ〜、挑戦的というべきかユーモアというべきか、どちらもなのかな、おもしろいですね。

    > 以下は私流の解釈ですが。。。
    > ニーチェの言うニヒリズムのとは『ニヒリズムとは何を意味するのか?──至高の諸価値がその価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。「何のために?」への答えが欠けている。(力への意志 第2番)』とのことです。神が死んだ後は、生(人生)や世界に普遍的な意味や価値や目的もなくなる、この状態をもって『至高の諸価値がその価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。「何のために?」への答えが欠けている。』と述べます。

    ニーチェの生きた時代は、科学その他の学問の発展の影響により、先鋭的な人々の意識の変化にも少しずつ影響を及ぼし始めた時代だったのでしょうね。
    信じて来た神の実在への疑問を感じたなら、これまで信じてきたものが剥奪されるかのような、目標を失うような心境になる人々も多かったのだと思います。

    > そしてニヒリズムには二種類あります。
    > 『ニヒリズム。それは二義的である、
    > A、精神の上昇した権力の徴候としてのニヒリズム、すなわち、能動的ニヒリズム。
    > B、精神の権力の衰退と後退としてのニヒリズム、すなわち、受動的ニヒリズム。(力への意志 第22番)』

    能動的ニヒリズムと受動的ニヒリズムですね。

    > 喉に噛み付いた蛇の頭を噛み切るのは上記のAの能動的なニヒリズムに当たります。
    > つまり生や世界に意味や価値や目的がないのなら、自らがその価値や意味や目的を付与し創造者となろうという決意をもって蛇の頭を噛み切る。
    >
    > この新たな創造者にとっては幾度となく同じ人生を歩む永劫回帰を告知する悪魔の囁き(悦ばしき知識 第341番)にも「然り!なんと神聖なことか」と応えることができる(運命愛)。
    >
    > ニーチェにとってこれがいつの日か世代に現れるであろう神なき時代の理想的人間像(既存の人を超克した)超人ってことになるんだと思います。

    ニヒリズムを忌むべきものとして捉えない、それが能動的ニヒリズムになるのかな、と思いました。
    生や世界に意味、価値、目的がないことを嘆くのではなく、「それなら上等だ!」と喜び、自ら価値創造をしていく。
    そして永劫回帰も運命愛として受け止めていく、そういう人が超人である、ということですね。

    受動的ニヒリズムというのは、逆に、生に意味や価値などがなくても諦める境地で無難に生きていこうというような姿勢を指すのかな、と思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■14452 / inTopicNo.71)  永劫回帰の暗黒面
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/26(Sat) 10:38:41)
    2021/06/26(Sat) 11:36:04 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No14423に返信(みのりさんの記事)

    > パニチェさん、ありがとうございます。^^
    > 拝読した中の一部分を引用させていただきます。

    >>喉に噛み付くヘビとは永劫回帰のニヒリズム的側面の象徴であり、その克服は自ら噛み付かれたヘビの頭を噛み切るしかない。
    >>ニヒリズムの超克は、さらに徹底したニヒリズムでしかありえず、またニヒリズムは外からの働きかけでは超克されえない。

    > 蛇は永劫回帰のニヒリズム的側面の象徴なのですね。
    > (たしかにどうしようもなく想像を絶する苦しみです。)
    > 克服するためには困難を極めても自分でするしかない、ということ。

    > 強烈な印象を残す場面ですね。

    そうですね。ツァラトゥストラには印象的な場面がいくつもあります。
    一説によるとツァラトゥストラは第五福音書として書かれたそうです。
    そしてこの福音書こそパウロやアウグスティヌスによって捏造された諸価値をパロディー化する「万人のための、そして何人のためのものでもない一冊の書」であるとのことでした。

    以下は私流の解釈ですが。。。
    ニーチェの言うニヒリズムのとは『ニヒリズムとは何を意味するのか?──至高の諸価値がその価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。「何のために?」への答えが欠けている。(力への意志 第2番)』とのことです。神が死んだ後は、生(人生)や世界に普遍的な意味や価値や目的もなくなる、この状態をもって『至高の諸価値がその価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。「何のために?」への答えが欠けている。』と述べます。

    そしてニヒリズムには二種類あります。
    『ニヒリズム。それは二義的である、
    A、精神の上昇した権力の徴候としてのニヒリズム、すなわち、能動的ニヒリズム。
    B、精神の権力の衰退と後退としてのニヒリズム、すなわち、受動的ニヒリズム。(力への意志 第22番)』

    喉に噛み付いた蛇の頭を噛み切るのは上記のAの能動的なニヒリズムに当たります。
    つまり生や世界に意味や価値や目的がないのなら、自らがその価値や意味や目的を付与し創造者となろうという決意をもって蛇の頭を噛み切る。

    この新たな創造者にとっては幾度となく同じ人生を歩む永劫回帰を告知する悪魔の囁き(悦ばしき知識 第341番)にも「然り!なんと神聖なことか」と応えることができる(運命愛)。

    ニーチェにとってこれがいつの日か世代に現れるであろう神なき時代の理想的人間像(既存の人を超克した)超人ってことになるんだと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■14451 / inTopicNo.72)  量子
□投稿者/ みのり -(2021/06/26(Sat) 10:15:01)
    少し前に、『先生、それって「量子」の仕業ですか?』大関真之 著を読みました。

    量子とはなに?というところからまずよく解らない私が、有名な二重スリット実験やシュレディンガーの猫について少しでも知れたらいいな、と考え、易しく書かれていそうな本を自分なりに探し出し読んでみたのです。

    読んだ結果。 やはり難しかった。 でも、ネットであれこれ調べてみただけよりは少しは理解は進んだかも。

    苦手意識で委縮しっぱなしの人(私のような人ね ´艸`)にも解りやすいように説明しようという優しさが感じられる本でした。


    まず、量子とは。
    これ以上小さくすることができないという物理量の限界単位。

    そして、量子は、人間の思考を超える不可解な動きをするものであり、その不可解さが顕著に表れた実験が二重スリット実験。

    二つの細長い穴(二つのスリット)が開いたところを一粒ずつの光が通過すると、その先にあるスクリーンには、スリット型の細長い模様が二つ出来上がると予想されるが、実際には、スクリーン一面に幾つもの縞模様が並ぶ。

    また、スリットの脇に、どちらのスリットを光が通過したかを観測できる仕掛けをすると、スクリーンにできるのは幾つもの縞模様ではなく、スリットの数と同じ二つの模様である。

    スクリーンにできる縞模様は、機器による観測がなく(どちらのスリットを通ったかを光の粒が申告しなくてもよい状態)かつ、どちらのスリットでも通れる可能性がある状態、にある時にのみ出来る。
    これは、光が波のような性質も持つことから出来上がる現象。
    (二つの波がぶつかる時、波が強まったり打ち消し合うような作用、また、波が波紋を持ち拡がる性質。)


    シュレディンガーの猫というのは、あくまで思考実験であるとのこと。

    量子の世界は二つの可能性が重なり合った世界である、ということが、私たちが生きる世界の大きなものにも通用させることができるか、という問いが発端のようだ。


    紙に鉛筆で文字や絵が描けるのも、紙と筆記具の間で量子レベルでの摩擦が起きているからで、地面を歩けるのもそう。
    このような普段いちいち考えても見ないところにも量子の働きがあるというようなことも書かれていて、おもしろかったです。

    なぜこうしたことは起きる?という生きている上での疑問をおざなりにできない人間のたゆまぬ努力が、まったく肉眼では見えない世界での様々な動きをも解明してきたのだな〜。
引用返信/返信 削除キー/

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