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■14139 / inTopicNo.1)  Re[57]: 永劫回帰と画餅
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/15(Tue) 20:30:34)
    こんばんは、みのりさん。レスありがとうございます。

    No14103に返信(みのりさんの記事)
    > なるほど。 自己も含めた世界全体が融け合い、万物と一体となって体験したり悟ったりしている、ということですね。

    はい、そのように思います。

    > ニーチェのアフォリズムには、幸福感に満たされていることを思わせる記述がたしかにありますね。

    はい。

    > 悟りを開いた人というのは、常に安心感、安らぎに包まれているというのを聞いたことがあります。
    > ニーチェが悟りを開いた人なのかどうかは私にはわかりようもないですが、病という苦しみも全肯定していたことを考えると、安らぎ、安心感に包まれていたのかもしれないです。

    ニーチェは悟りにかすった程度だと思ってます。
    十牛図で言うと得牛あたりかな。。。
    その後、ニーチェの精神状態が穏やかであったかどうかは分かりません。
    発狂後は、ニーチェに接した人たちの記録からすれば穏やかで、安らぎ、安心感に包まれていたようです。

    https://www.youtube.com/watch?v=N26hdXMZjo8
150×173

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引用返信/返信 削除キー/
■14116 / inTopicNo.2)  まったり中♪
□投稿者/ みのり -(2021/06/15(Tue) 09:12:04)
    外から聴こえてくる小鳥たちの鳴き声が心地よく〜
    家事の手を休めてまったり中♪

    アートポットさんのトピが満杯になりそうなので、
    こちらに書こうっと。

    ニーチェクラブでの話題は哲学に限らず、ルール違反
    に当たらなければ、どんな話題でもいいみたいですよ。

    私ももうすぐニーチェについて一段落すると思うので、
    その後はしばらくは軽めの話題を書こうかな、と
    思ってます。

    パニチェさんをはじめとして素敵な方々のいらっしゃる
    ニーチェクラブが好きなので、こちらに何か書かせていた
    だけるのは楽しいし気分転換になるのです。

    難しく考えず、トピを作っていただいて、書きたいことを
    書いたり、訪れた方と会話したり。
    それでもいいんじゃないのかな〜、と。
    哲学のことを書きたい気分になったらその時は書くという感じで。


     最近は暑くなってきたので、コーヒーはアイスです。
    ペットボトル入りのを買ってきたり、自分で作ったり。
    さてさて。 今はそんなに暑くないので、ホットでもいいかな。
    飲んだらまた家事にいそしもう♪
引用返信/返信 削除キー/
■14103 / inTopicNo.3)  Re[56]: 永劫回帰と画餅
□投稿者/ みのり -(2021/06/14(Mon) 20:56:04)
    パニチェさん、こんばんは。 レスありがとうございます。

    No14102に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは、みのりさん。レスありがとうございます。
    >
    > ■No14087に返信(みのりさんの記事)
    >>パニチェさん、レスありがとうございます。
    >>毎回いろいろと教えていただき感謝でいっぱいです。
    >
    > それはよかったです、でも勝手にレス付けたり引用してるだけですからスルーして先に進んでもらっても全く構いませんので、くれぐれもお気遣いなく。^^

    いえいえ。自分だけでは知りえないことも、引用とともに教えていただけて
    とても勉強させていただいています。


    > >>『完全な忘我の状態にありながらも、爪先にまで伝わる無数の微妙な戦きと悪寒とを、このうえなく明確に意識している。これはまた幸福の潜む深所でもあって、そこでは最大の苦痛も最高の陰惨さも幸福に逆らう反対物としては作用せず、むしろ幸福を引き立てるための条件として、挑発として、いいかえればこのような光の氾濫の内部におけるなくてはならない一つの色どりとして作用するのである。これはまたリズムの釣り合いを見抜く本能でもあって、さまざまな形の広大な場所を張り渡している。──その長さ、広く張り渡されたリズムへの欲求が、ほとんどインスピレーションの圧力と緊張に対抗する一種の調節の役目をも果たしている。…いっさいが最高の度合いにおいて非自由意志的に起こる。しかも、自由の感情の、無制約的な存在の、権力の、神的性格の嵐の中にあるようにして起こる。…形象や比喩が自分の思いの儘にならぬことは、最も注目に値する点だ。われわれはもう何が形象であり、何が比喩であるのかが分からない。いっさいが最も手近な、最も適確な、そして最も単純な表現となって、立ち現れる。実際、ツァラトゥストラの言葉を思い出して頂くなら、事物の方が自らに近寄って来て、比喩になるよう申し出ているかのごとき有様にみえる。(この人を見よ ツァラトゥストラ)』
    >>
    > >>『諸仏が真理を体験するとき、万物が真理を体験する。たしかに覚者と万物は、表面的に見れば同一のものではない。しかし、真理を体験するとき、おのおのの体験が、互いに妨げあうことなく実現するのである。これが仏道の明確な教えである。それを、諸仏と万物が同一であるか異なっているかという分別によって学んではならない。そのため「一つのことに通じれば、すべてのことに通じる」というのである。一つのことを体験するということは、一つのことが本来具えている姿を奪うことではない。一つのことを他のことと対立させることでも、対立をなくしてしまうことでもない。強いて対立をなくそうすることは、こだわることである。体験することにこだわらないとき、一つの体験は、すべての体験に通じる。このように、一つのことを体験するということは、そのものになりきることである。そのものになりきるということは、すべてのものになりきることである。(正法眼蔵 画餅「誠信書房刊 現代訳 正法眼蔵」より)』
    >>
    >>
    >>ニーチェの方も、画餅という文章のほうも、それぞれ、無自性(共通認識になりえる言葉だと思うので使用します。)という言葉の意味するものでの共通性がありそうに思えます。
    >
    >>自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。
    >>万法に証されるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり。
    >> 『正法眼蔵 現成公案』からです。
    >>画餅という文章のほうは、これと同じようなことなのかな、というのはなんとなくですが感じました。
    >
    >>パニチェさんご自身考えられる、二つの相通ずるところを教えていただけると嬉しいです。
    >
    > みのりさんも指摘されている通り、無自性ですね。
    > 永劫回帰の受胎も画餅も対立するものがありません、自己も含めた世界全体が融け合っています。
    > 華厳で言うところの事事無礙法界の如く。。。
    > で、自己が体験したり悟るというよりも万物と一体となって体験したり悟ったりしてます。

    なるほど。 自己も含めた世界全体が融け合い、万物と一体となって体験したり悟ったりしている、ということですね。

    > そして共に幸福感あるいは安らぎがそこにあるように思われます。

    ニーチェのアフォリズムには、幸福感に満たされていることを思わせる記述がたしかにありますね。

    悟りを開いた人というのは、常に安心感、安らぎに包まれているというのを聞いたことがあります。
    ニーチェが悟りを開いた人なのかどうかは私にはわかりようもないですが、病という苦しみも全肯定していたことを考えると、安らぎ、安心感に包まれていたのかもしれないです。
引用返信/返信 削除キー/
■14102 / inTopicNo.4)  Re[55]: 永劫回帰と画餅
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/14(Mon) 20:17:55)
    こんばんは、みのりさん。レスありがとうございます。

    No14087に返信(みのりさんの記事)
    > パニチェさん、レスありがとうございます。
    > 毎回いろいろと教えていただき感謝でいっぱいです。

    それはよかったです、でも勝手にレス付けたり引用してるだけですからスルーして先に進んでもらっても全く構いませんので、くれぐれもお気遣いなく。^^

    > 入門書を読み理解している段階なので、アフォリズムそのものは難しく感じられ、自分なりに解釈するというのもなかなか難しくはあります。
    > すいすいと解釈できたら楽しいだろうな〜。
    > すいすいいかないのもそれはそれで楽しいですけど。(^▽^;)

    ニーチェも他の哲学者と同様、なかなかすいすいは行きません(笑)。

    > ニーチェ36歳の頃なのですね。
    > 著作だと『曙光』(1981年6月)、『悦ばしき知識』(1982年8月)を出した時期。
    > (1981年、1982年とありますが、それぞれ1881年、1882年でいいのかな、と。)

    失礼しました、その通りです。ありがとうございます、訂正しておきました。^^

    >>『完全な忘我の状態にありながらも、爪先にまで伝わる無数の微妙な戦きと悪寒とを、このうえなく明確に意識している。これはまた幸福の潜む深所でもあって、そこでは最大の苦痛も最高の陰惨さも幸福に逆らう反対物としては作用せず、むしろ幸福を引き立てるための条件として、挑発として、いいかえればこのような光の氾濫の内部におけるなくてはならない一つの色どりとして作用するのである。これはまたリズムの釣り合いを見抜く本能でもあって、さまざまな形の広大な場所を張り渡している。──その長さ、広く張り渡されたリズムへの欲求が、ほとんどインスピレーションの圧力と緊張に対抗する一種の調節の役目をも果たしている。…いっさいが最高の度合いにおいて非自由意志的に起こる。しかも、自由の感情の、無制約的な存在の、権力の、神的性格の嵐の中にあるようにして起こる。…形象や比喩が自分の思いの儘にならぬことは、最も注目に値する点だ。われわれはもう何が形象であり、何が比喩であるのかが分からない。いっさいが最も手近な、最も適確な、そして最も単純な表現となって、立ち現れる。実際、ツァラトゥストラの言葉を思い出して頂くなら、事物の方が自らに近寄って来て、比喩になるよう申し出ているかのごとき有様にみえる。(この人を見よ ツァラトゥストラ)』
    >
    >>『諸仏が真理を体験するとき、万物が真理を体験する。たしかに覚者と万物は、表面的に見れば同一のものではない。しかし、真理を体験するとき、おのおのの体験が、互いに妨げあうことなく実現するのである。これが仏道の明確な教えである。それを、諸仏と万物が同一であるか異なっているかという分別によって学んではならない。そのため「一つのことに通じれば、すべてのことに通じる」というのである。一つのことを体験するということは、一つのことが本来具えている姿を奪うことではない。一つのことを他のことと対立させることでも、対立をなくしてしまうことでもない。強いて対立をなくそうすることは、こだわることである。体験することにこだわらないとき、一つの体験は、すべての体験に通じる。このように、一つのことを体験するということは、そのものになりきることである。そのものになりきるということは、すべてのものになりきることである。(正法眼蔵 画餅「誠信書房刊 現代訳 正法眼蔵」より)』
    >
    >
    > ニーチェの方も、画餅という文章のほうも、それぞれ、無自性(共通認識になりえる言葉だと思うので使用します。)という言葉の意味するものでの共通性がありそうに思えます。

    > 自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。
    > 万法に証されるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり。
    >  『正法眼蔵 現成公案』からです。
    > 画餅という文章のほうは、これと同じようなことなのかな、というのはなんとなくですが感じました。

    > パニチェさんご自身考えられる、二つの相通ずるところを教えていただけると嬉しいです。

    みのりさんも指摘されている通り、無自性ですね。
    永劫回帰の受胎も画餅も対立するものがありません、自己も含めた世界全体が融け合っています。
    華厳で言うところの事事無礙法界の如く。。。
    で、自己が体験したり悟るというよりも万物と一体となって体験したり悟ったりしてます。
    そして共に幸福感あるいは安らぎがそこにあるように思われます。

引用返信/返信 削除キー/
■14087 / inTopicNo.5)  Re[54]: 永劫回帰と画餅
□投稿者/ みのり -(2021/06/14(Mon) 12:54:27)
    パニチェさん、レスありがとうございます。
    毎回いろいろと教えていただき感謝でいっぱいです。

    No14060に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/06/13(Sun) 14:32:39 編集(投稿者)

    >>パニチェさんの解釈、解りやすくて説得力を感じますよ。^^
    >
    > あっ、そうですか。ありがとうございます。
    > くれぐれも曲解や誤解があると思うので、よろしくお願いします。
    > みのりさんが解釈したニーチェがみのりさんにとってのニーチェです。(; ̄へ ̄)ノ〃キッパリ!

    入門書を読み理解している段階なので、アフォリズムそのものは難しく感じられ、自分なりに解釈するというのもなかなか難しくはあります。
    すいすいと解釈できたら楽しいだろうな〜。
    すいすいいかないのもそれはそれで楽しいですけど。(^▽^;)

    >>引用文中に、
    >>>…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。<
    >
    >>とあります。
    >>これは、『ツァラトゥストラ』第二部、第三部、第四部をそれぞれ10日間という短期間で一気に書き上げた時期のことを指しているのでしょうか?
    >
    > 『この人を見よ なぜ私はこんなにも賢明なのか』では「36歳の時私は私の活力の最低点に達した」「その翌年の冬、それは私がジェノヴァで過ごした最初の冬なのだが、私にはすべてが甘美に霊的に思われるようになった。こういう状態は、血液と筋肉との極度の貧困に伴って現れるということはほぼ確かなのだが、とにかくこれが『曙光』を生み出したのである。」とありますから、著作で言うと『曙光』(1981年6月)、『悦ばしき知識』(1982年8月)だと思います。


    ニーチェ36歳の頃なのですね。
    著作だと『曙光』(1981年6月)、『悦ばしき知識』(1982年8月)を出した時期。
    (1981年、1982年とありますが、それぞれ1881年、1882年でいいのかな、と。)

    > この二書はまさしくニーチェ哲学の夜明けであるとともに、主著『ツァラトゥストラ』へ続く左右の門扉です。

    おお、そうなんですね。^^ 

    > また、ツァラトゥストラの第一部が完成するのは1883年1月であるということ、永劫回帰の受胎が1881年8月であったことからすれば、やはり1880年〜1882年のこの時期にツァラトゥストラの構想も成立しており、ニーチェの精神が最も快活な時期を迎えたのだと思います。

    はい。

    >>また、ニーチェは執筆活動をしていた頃には国籍を持たず、各地で療養しながら暮らしていたとも聞いた気がします。
    >>国籍を持たないというのは本当にそうだったのでしょうか?
    >>よかったらこれについても教えていただけますか。^^
    >
    > ニーチェはバーゼル大学員外教授、ライプツィヒ大学博士を授与された1869年(25歳)に当時のプロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部)から除籍しており、スイス国籍を取得しなかったことから無国籍となったようです。

    そうなんですね。 当時は無国籍でも暮らしにくさというのはあまりなかった時代だったのかな。


    >>1881年ということは、『ツァラトゥストラ』を書く前ですね。
    >>永劫回帰というのは、考え抜いて出来たものというより一瞬の閃きにより生まれたものだということでいいのですか?
    >
    > そのようです。以下が永劫回帰を受胎した時の様子に触れたニーチェのアフォリズムです。
    > なんか禅的な見性体験のように私には思えます。道元禅師著『正法眼蔵 画餅』と相通じるものがあります。
    >
    > 『完全な忘我の状態にありながらも、爪先にまで伝わる無数の微妙な戦きと悪寒とを、このうえなく明確に意識している。これはまた幸福の潜む深所でもあって、そこでは最大の苦痛も最高の陰惨さも幸福に逆らう反対物としては作用せず、むしろ幸福を引き立てるための条件として、挑発として、いいかえればこのような光の氾濫の内部におけるなくてはならない一つの色どりとして作用するのである。これはまたリズムの釣り合いを見抜く本能でもあって、さまざまな形の広大な場所を張り渡している。──その長さ、広く張り渡されたリズムへの欲求が、ほとんどインスピレーションの圧力と緊張に対抗する一種の調節の役目をも果たしている。…いっさいが最高の度合いにおいて非自由意志的に起こる。しかも、自由の感情の、無制約的な存在の、権力の、神的性格の嵐の中にあるようにして起こる。…形象や比喩が自分の思いの儘にならぬことは、最も注目に値する点だ。われわれはもう何が形象であり、何が比喩であるのかが分からない。いっさいが最も手近な、最も適確な、そして最も単純な表現となって、立ち現れる。実際、ツァラトゥストラの言葉を思い出して頂くなら、事物の方が自らに近寄って来て、比喩になるよう申し出ているかのごとき有様にみえる。(この人を見よ ツァラトゥストラ)』

    > 『諸仏が真理を体験するとき、万物が真理を体験する。たしかに覚者と万物は、表面的に見れば同一のものではない。しかし、真理を体験するとき、おのおのの体験が、互いに妨げあうことなく実現するのである。これが仏道の明確な教えである。それを、諸仏と万物が同一であるか異なっているかという分別によって学んではならない。そのため「一つのことに通じれば、すべてのことに通じる」というのである。一つのことを体験するということは、一つのことが本来具えている姿を奪うことではない。一つのことを他のことと対立させることでも、対立をなくしてしまうことでもない。強いて対立をなくそうすることは、こだわることである。体験することにこだわらないとき、一つの体験は、すべての体験に通じる。このように、一つのことを体験するということは、そのものになりきることである。そのものになりきるということは、すべてのものになりきることである。(正法眼蔵 画餅「誠信書房刊 現代訳 正法眼蔵」より)』


    ニーチェの方も、画餅という文章のほうも、それぞれ、無自性(共通認識になりえる言葉だと思うので使用します。)という言葉の意味するものでの共通性がありそうに思えます。

    自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。
    万法に証されるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり。
     『正法眼蔵 現成公案』からです。
    画餅という文章のほうは、これと同じようなことなのかな、というのはなんとなくですが感じました。

    パニチェさんご自身考えられる、二つの相通ずるところを教えていただけると嬉しいです。


引用返信/返信 削除キー/
■14060 / inTopicNo.6)  永劫回帰と画餅
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/13(Sun) 10:35:10)
    2021/06/14(Mon) 20:06:26 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No14052に返信(みのりさんの記事)
    > パニチェさんの解釈、解りやすくて説得力を感じますよ。^^

    あっ、そうですか。ありがとうございます。
    くれぐれも曲解や誤解があると思うので、よろしくお願いします。
    みのりさんが解釈したニーチェがみのりさんにとってのニーチェです。(; ̄へ ̄)ノ〃キッパリ!

    > 病があったからこそ生への意志が生まれ、ニーチェ独自の哲学が生まれたのですね。
    > 病という苦しみも全肯定していたニーチェですね。

    そうだと思います。

    > 引用文中に、
    > >…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。<

    > とあります。
    > これは、『ツァラトゥストラ』第二部、第三部、第四部をそれぞれ10日間という短期間で一気に書き上げた時期のことを指しているのでしょうか?

    『この人を見よ なぜ私はこんなにも賢明なのか』では「36歳の時私は私の活力の最低点に達した」「その翌年の冬、それは私がジェノヴァで過ごした最初の冬なのだが、私にはすべてが甘美に霊的に思われるようになった。こういう状態は、血液と筋肉との極度の貧困に伴って現れるということはほぼ確かなのだが、とにかくこれが『曙光』を生み出したのである。」とありますから、著作で言うと『曙光』(1881年6月)、『悦ばしき知識』(1882年8月)だと思います。

    この二書はまさしくニーチェ哲学の夜明けであるとともに、主著『ツァラトゥストラ』へ続く左右の門扉です。
    また、ツァラトゥストラの第一部が完成するのは1883年1月であるということ、永劫回帰の受胎が1881年8月であったことからすれば、やはり1880年〜1882年のこの時期にツァラトゥストラの構想も成立しており、ニーチェの精神が最も快活な時期を迎えたのだと思います。

    > また、ニーチェは執筆活動をしていた頃には国籍を持たず、各地で療養しながら暮らしていたとも聞いた気がします。
    > 国籍を持たないというのは本当にそうだったのでしょうか?
    > よかったらこれについても教えていただけますか。^^

    ニーチェはバーゼル大学員外教授、ライプツィヒ大学博士を授与された1869年(25歳)に当時のプロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部)から除籍しており、スイス国籍を取得しなかったことから無国籍となったようです。

    > 1881年ということは、『ツァラトゥストラ』を書く前ですね。
    > 永劫回帰というのは、考え抜いて出来たものというより一瞬の閃きにより生まれたものだということでいいのですか?

    そのようです。以下が永劫回帰を受胎した時の様子に触れたニーチェのアフォリズムです。
    なんか禅的な見性体験のように私には思えます。道元禅師著『正法眼蔵 画餅』と相通じるものがあります。

    『完全な忘我の状態にありながらも、爪先にまで伝わる無数の微妙な戦きと悪寒とを、このうえなく明確に意識している。これはまた幸福の潜む深所でもあって、そこでは最大の苦痛も最高の陰惨さも幸福に逆らう反対物としては作用せず、むしろ幸福を引き立てるための条件として、挑発として、いいかえればこのような光の氾濫の内部におけるなくてはならない一つの色どりとして作用するのである。これはまたリズムの釣り合いを見抜く本能でもあって、さまざまな形の広大な場所を張り渡している。──その長さ、広く張り渡されたリズムへの欲求が、ほとんどインスピレーションの圧力と緊張に対抗する一種の調節の役目をも果たしている。…いっさいが最高の度合いにおいて非自由意志的に起こる。しかも、自由の感情の、無制約的な存在の、権力の、神的性格の嵐の中にあるようにして起こる。…形象や比喩が自分の思いの儘にならぬことは、最も注目に値する点だ。われわれはもう何が形象であり、何が比喩であるのかが分からない。いっさいが最も手近な、最も適確な、そして最も単純な表現となって、立ち現れる。実際、ツァラトゥストラの言葉を思い出して頂くなら、事物の方が自らに近寄って来て、比喩になるよう申し出ているかのごとき有様にみえる。(この人を見よ ツァラトゥストラ)』

    『諸仏が真理を体験するとき、万物が真理を体験する。たしかに覚者と万物は、表面的に見れば同一のものではない。しかし、真理を体験するとき、おのおのの体験が、互いに妨げあうことなく実現するのである。これが仏道の明確な教えである。それを、諸仏と万物が同一であるか異なっているかという分別によって学んではならない。そのため「一つのことに通じれば、すべてのことに通じる」というのである。一つのことを体験するということは、一つのことが本来具えている姿を奪うことではない。一つのことを他のことと対立させることでも、対立をなくしてしまうことでもない。強いて対立をなくそうすることは、こだわることである。体験することにこだわらないとき、一つの体験は、すべての体験に通じる。このように、一つのことを体験するということは、そのものになりきることである。そのものになりきるということは、すべてのものになりきることである。(正法眼蔵 画餅「誠信書房刊 現代訳 正法眼蔵」より)』


    PS.継続でよければ「白猫様には敵わない2」をつくっておきましょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■14052 / inTopicNo.7)  Re[52]: 血でもって書かれた書
□投稿者/ みのり -(2021/06/13(Sun) 07:40:30)
    パニチェさん、引用とレスをありがとうございます。

    No14008に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/06/12(Sat) 09:04:30 編集(投稿者)

    > ■No14006に返信(みのりさんの記事)
    > >>また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。
    >
    >>この部分にとても惹かれるというかそうでありたいものだ、と思いました。
    >>ニーチェ自身も病に苦しみましたが、その運命を全肯定し、常に今に生きていたんですね。
    >
    > はい、その通りだと思いますし、彼の病苦を救ったのは彼自身の哲学だと思います。
    > 誤解があってはいけないので念のために…上記の文章はニーチェが言うところの運命愛をパニチェ流に解釈したパニチェの言葉なので素っ頓狂の可能性もあります。^^

    パニチェさんの解釈、解りやすくて説得力を感じますよ。^^

    > 『私は私であり、私の著作は私の著作であって、両者は別ものである。・・・私を多少とも理解したと思い込んだ人は、自分に合わせて、私を適当に拵え上げているまでであって──私自身とは正反対の像を拵え上げることも稀ではない。(この人を見よ なぜ私は良い本を書くのか1)』
    >
    >>ニーチェ、やはりいいですね。
    >>勇気とともに固定観念に縛られず前向きに生きる大切さを教えてくれます。
    >
    > 共感いただき、正直嬉しいです。
    > 参考までにニーチェの自身の病苦に対するアフォリズムを引用しておきます。
    >
    > 『病苦の時期にはわが身における何もかもが洗練された。観察それ自体だけでなく、観察の全器官も洗練されたのである。病者の光学から一段と健康な概念と価値を見渡し、また、これとは反対に豊富な生の充実と自信からのデカダンス本能の秘かな営みを見下すこと──これが私の最も歳月をかけた修行であり、私のほんとうの経験であって、もし私が何らかの点で達人になったのだとすれば、それはこの点においてであった。私は今やこの点をしっかり手中に収めている。物の見方を切替えることにかけては私はお手のものである。おそらく私にだけ、そもそも「価値の価値転換」などということが可能になる第一の理由は、ここにある。── 以上のような次第で、私は一個のデカダンなのであるが、それとは別に、私はデカダンの正反対のものである。その何よりの証拠は、ただ単なるデカダンであれば、心身の悪い状態にあるときに自分に不利な措置を講じるのが常であるのに、私は反対に悪い状態に逆らって本能的にいつも適切な措置を講じて来た、ということである。…《中略》…──心理学者なら誰でも承認しようが──根が健康であるということなのだ。典型的に病弱な人間は健康になることができない。ましてや自分で自分を健康にすることなど思いも及ばない。ところが、典型的に健康な人間にとっては、反対に、病気であることが、生きること、より多量に生きることへの強力な刺戟にさえなりえるのである。実際にこんな風に、今から考えると、あの永かった病苦の時代が私には偲ばれる。私は生をいわば新しく発見したのである。勿論、私自身の生も含めて。私は他の人々ならそう味わえそうもないようなすべての良い物事、小さな物事までをも、味わいつくした。──私は健康への意志、生への意志から、私の哲学を作り出した。…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。自己再建の本能が私に貧困と落剥の哲学を禁止したせいだった。(この人を見よ なぜ私はかくも賢明なのか1〜2)』

    >今から考えると、あの永かった病苦の時代が私には偲ばれる。私は生をいわば新しく発見したのである。勿論、私自身の生も含めて。私は他の人々ならそう味わえそうもないようなすべての良い物事、小さな物事までをも、味わいつくした。──私は健康への意志、生への意志から、私の哲学を作り出した。<

    病があったからこそ生への意志が生まれ、ニーチェ独自の哲学が生まれたのですね。
    病という苦しみも全肯定していたニーチェですね。

    > 主著である『ツァラトゥストラ』は1883年から1885年まで2年の歳月を要していますが、実際には健康の最低点にあった病気療養中に第二部は同年7月にシルス・マリアで、第三部は翌1884年1月にニースで、第四部はさらにその翌年の1885年の2月に同じくニースで、何れも第一部同様、10日間という短い日時の間に一気に書き上げています。この時期のニーチェの精神は身体とは真逆に最高点に達していたように思われます。

    引用文中に、
    >…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。<

    とあります。
    これは、『ツァラトゥストラ』第二部、第三部、第四部をそれぞれ10日間という短期間で一気に書き上げた時期のことを指しているのでしょうか?

    また、ニーチェは執筆活動をしていた頃には国籍を持たず、各地で療養しながら暮らしていたとも聞いた気がします。
    国籍を持たないというのは本当にそうだったのでしょうか?
    よかったらこれについても教えていただけますか。^^

    > またある種の見性体験である(パニチェはそのように考えています)永劫回帰の受胎も1881年の8月に病気療養ため訪れていたシルス・マリアのシルヴァプラナ湖畔を散歩中、巨大な尖った三角岩のほとりで起きます。

    1881年ということは、『ツァラトゥストラ』を書く前ですね。
    永劫回帰というのは、考え抜いて出来たものというより一瞬の閃きにより生まれたものだということでいいのですか?

    > ニーチェのアフォリズムがある意味では危険なほどに説得力があるのは彼が彼自身のためにツァラトゥストラの言葉を借りて言えば「血でもって書かれた」文章であるからだと思います。
    >
    > 『すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いてあるものだけを、愛する。血をもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。(ツァラトゥストラ 読むことと書くことについて)』

    たしかに! 血をもって書け のアフォリズムにも気迫が感じられますね。
引用返信/返信 削除キー/
■14019 / inTopicNo.8)  パニチェさんへ
□投稿者/ みのり -(2021/06/12(Sat) 10:26:46)
    このトピでテスト削除したら、できました。
    いやはや。。。ほんと、すみませんでした。<(_ _)>


     ニーチェの引用、ありがとうございました。
    また、じっくりと読ませていただきます。
引用返信/返信 削除キー/
■14008 / inTopicNo.9)  血でもって書かれた書
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/12(Sat) 08:41:19)
    2021/06/12(Sat) 09:04:30 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No14006に返信(みのりさんの記事)
    >>また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。

    > この部分にとても惹かれるというかそうでありたいものだ、と思いました。
    > ニーチェ自身も病に苦しみましたが、その運命を全肯定し、常に今に生きていたんですね。

    はい、その通りだと思いますし、彼の病苦を救ったのは彼自身の哲学だと思います。
    誤解があってはいけないので念のために…上記の文章はニーチェが言うところの運命愛をパニチェ流に解釈したパニチェの言葉なので素っ頓狂の可能性もあります。^^

    『私は私であり、私の著作は私の著作であって、両者は別ものである。・・・私を多少とも理解したと思い込んだ人は、自分に合わせて、私を適当に拵え上げているまでであって──私自身とは正反対の像を拵え上げることも稀ではない。(この人を見よ なぜ私は良い本を書くのか1)』

    > ニーチェ、やはりいいですね。
    > 勇気とともに固定観念に縛られず前向きに生きる大切さを教えてくれます。

    共感いただき、正直嬉しいです。
    参考までにニーチェの自身の病苦に対するアフォリズムを引用しておきます。

    『病苦の時期にはわが身における何もかもが洗練された。観察それ自体だけでなく、観察の全器官も洗練されたのである。病者の光学から一段と健康な概念と価値を見渡し、また、これとは反対に豊富な生の充実と自信からのデカダンス本能の秘かな営みを見下すこと──これが私の最も歳月をかけた修行であり、私のほんとうの経験であって、もし私が何らかの点で達人になったのだとすれば、それはこの点においてであった。私は今やこの点をしっかり手中に収めている。物の見方を切替えることにかけては私はお手のものである。おそらく私にだけ、そもそも「価値の価値転換」などということが可能になる第一の理由は、ここにある。── 以上のような次第で、私は一個のデカダンなのであるが、それとは別に、私はデカダンの正反対のものである。その何よりの証拠は、ただ単なるデカダンであれば、心身の悪い状態にあるときに自分に不利な措置を講じるのが常であるのに、私は反対に悪い状態に逆らって本能的にいつも適切な措置を講じて来た、ということである。…《中略》…──心理学者なら誰でも承認しようが──根が健康であるということなのだ。典型的に病弱な人間は健康になることができない。ましてや自分で自分を健康にすることなど思いも及ばない。ところが、典型的に健康な人間にとっては、反対に、病気であることが、生きること、より多量に生きることへの強力な刺戟にさえなりえるのである。実際にこんな風に、今から考えると、あの永かった病苦の時代が私には偲ばれる。私は生をいわば新しく発見したのである。勿論、私自身の生も含めて。私は他の人々ならそう味わえそうもないようなすべての良い物事、小さな物事までをも、味わいつくした。──私は健康への意志、生への意志から、私の哲学を作り出した。…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。自己再建の本能が私に貧困と落剥の哲学を禁止したせいだった。(この人を見よ なぜ私はかくも賢明なのか1〜2)』

    主著である『ツァラトゥストラ』は1883年から1885年まで2年の歳月を要していますが、実際には健康の最低点にあった病気療養中に第二部は同年7月にシルス・マリアで、第三部は翌1884年1月にニースで、第四部はさらにその翌年の1885年の2月に同じくニースで、何れも第一部同様、10日間という短い日時の間に一気に書き上げています。この時期のニーチェの精神は身体とは真逆に最高点に達していたように思われます。

    またある種の見性体験である(パニチェはそのように考えています)永劫回帰の受胎も1881年の8月に病気療養ため訪れていたシルス・マリアのシルヴァプラナ湖畔を散歩中、巨大な尖った三角岩のほとりで起きます。
    ニーチェのアフォリズムがある意味では危険なほどに説得力があるのは彼が彼自身のためにツァラトゥストラの言葉を借りて言えば「血でもって書かれた」文章であるからだと思います。

    『すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いてあるものだけを、愛する。血をもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。(ツァラトゥストラ 読むことと書くことについて)』

引用返信/返信 削除キー/
■14006 / inTopicNo.10)  Re[50]: 永劫回帰
□投稿者/ みのり -(2021/06/12(Sat) 07:23:58)
    No13998に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/06/11(Fri) 22:20:21 編集(投稿者)
    >
    > ■No13976に返信(みのりさんの記事)
    >
    > 『最大の重し。──もしある日、もしくはある夜なり、デーモンが君の寂寥きわまる孤独の果てまでひそかに後をつけ、こう君に告げたとしたら、どうだろう、──「お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦痛をあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、お前の人生の言いつくせぬ巨細のことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって、──さればこの蜘蛛も、樹間のこの月光も、またこの瞬間も、この自己自身も、同じように回帰せねばならぬ。存在の永遠の砂時計は、くりかえしくりかえし巻き戻される──それとともに塵の塵であるお前も同じく!」──これを耳にしたとき、君は地に身を投げ出し、歯ぎしりして、こう告げたデーモンに向かい「お前は神だ、おれは一度もこれ以上に神的なことを聞いたことがない!」と答えるだろうか。もしこの思想が君を圧倒したなら、それは現在あるがままの君自身を変化させ、おそらくは紛糾するであろう。何事をするにつけてもかならず「お前は、このことを、いま一度、いな無数度にわたって、欲するか?」という問いが、最大の重しとなって君の行為にのしかかるであろう!もしくは、この究極の永遠な裏書と確証とのほかにはもはや何ものをも欲しないためには、どれほど君は自己自身と人生を愛惜しなければならないだろうか?──(悦ばしき知識 第341番)』
    >
    > 『世界を、一定の力として、また一定数の力の中心として考えることが許されるとすれば──そしてあらゆるその他の考えはあくまで疑わしく、したがって役立ちえないとすれば──、このことから結論されるのは、世界は、その大々的なさいころ遊びをつづけながらも、算定しうる一定数の結合関係を通過しなければならないということである。無限の時間のうちではあらゆる可能な結合関係がいつかは達成されていたはずである。それのみではない、それらは無限回達成されていたはずである。しかも、あらゆる結語関係とその直後の回帰との間には総じてなお可能なその他すべての結合関係が経過したにちがいなく、これらの結合関係のいずれもが同一系列のうちで生ずる諸結合関係の全継起を条件づけているのであるから、このことで、絶対的に同一な諸系列の円環運動が証明されているはずである。すなわち、それは、すでに無限にしばしば反復された、また、無限にその戯れをたわむれる円環運動としての世界にほかならない。──こうした構想はただちに一つの機械論的構想ではない。なぜなら、もしそうであるとすれば、この構想が条件づけるのは、まったく同一の場合の無限の回帰ではなく、一つの終局状態となるからである。世界はそうした終局状態に達したことはかつてなかったという理由から、私たちは機械論を、不完全な、たんに暫定的にすぎない仮設とみなさざるをえないのである。(力への意志 第1066番)』
    >
    > 永劫回帰と運命愛は表裏一体です。
    >
    > デーモンからの啓示に「然り!なんと神聖なことだ。」と全肯定するには、何かの岐路で「無数度にわたって繰り返されるとしても同じ決断をするか?」に「然り!」と答えられるような生を全うしなければならないことと、常に今に生きる(而今)か、あるいは絶えざる自己超克が必須となる。
    >
    > また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。
    > 永劫回帰を受け入れることは運命愛(自分の運命を愛する大いなる自己肯定)そのものであもあるというような教訓も含みます。

    永劫回帰と運命愛は表裏一体ということなのですね。
    運命愛というのは、白取さんの本には出てこなかった言葉なので知れてよかったです。

    > また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。

    この部分にとても惹かれるというかそうでありたいものだ、と思いました。

    ニーチェ自身も病に苦しみましたが、その運命を全肯定し、常に今に生きて
    いたんですね。

    ニーチェ、やはりいいですね。
    勇気とともに固定観念に縛られず前向きに生きる大切さを教えてくれます。

引用返信/返信 削除キー/
■14004 / inTopicNo.11)  Re[48]: ディオニュソス
□投稿者/ みのり -(2021/06/12(Sat) 07:06:34)
    パニチェさん、ありがとうございます。

    No13996に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは、みのりさん。
    >
    > ■No13972に返信(みのりさんの記事)
    >>世界にはもともと与えられた価値というものはない、ということが人間が疑い深く考え抜いてきた結果として手に入れた最も確実なものである、ということですね。
    >>そのことは悲観すべきことではなく、自分なりの価値創造をしていけばいいだけなのだ、という希望だと思います。
    >
    > 禿同!^^

    よかった。^^

    > ■No13977に返信(みのりさんの記事)
    >>ディオニュソスとは、ギリシャ神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神。
    >>バッカスという洋酒入りのチョコがあり大好きなのですが、ここから取られていたんだな〜。
    >>ニーチェはギリシャ神話の神々が好きだったそうですね。
    >
    > 発狂前後にニーチェは自分を仏陀やディオニュソスの生まれ変わり、十字架にかかりし者などと称した手紙を送りつけています。
    > ニーチェがディオニュソスを好んだのは混沌やカオス(世界のありさま)、陶酔と酩酊(生の燃焼)などなどです。

    そうなんですね。病に苦しみながら執筆を続けたニーチェにとって、彼らは
    理想像というか一種の憧れでもあったのかな、と想像しました。
    >
    > 次の投稿で永劫回帰に関するアフォリズムを引用しておきます。

    いつもありがとうございます。 拝見しますね。
引用返信/返信 削除キー/
■13998 / inTopicNo.12)  永劫回帰
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/11(Fri) 21:34:09)
    2021/06/11(Fri) 22:20:21 編集(投稿者)

    No13976に返信(みのりさんの記事)

    『最大の重し。──もしある日、もしくはある夜なり、デーモンが君の寂寥きわまる孤独の果てまでひそかに後をつけ、こう君に告げたとしたら、どうだろう、──「お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦痛をあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、お前の人生の言いつくせぬ巨細のことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって、──さればこの蜘蛛も、樹間のこの月光も、またこの瞬間も、この自己自身も、同じように回帰せねばならぬ。存在の永遠の砂時計は、くりかえしくりかえし巻き戻される──それとともに塵の塵であるお前も同じく!」──これを耳にしたとき、君は地に身を投げ出し、歯ぎしりして、こう告げたデーモンに向かい「お前は神だ、おれは一度もこれ以上に神的なことを聞いたことがない!」と答えるだろうか。もしこの思想が君を圧倒したなら、それは現在あるがままの君自身を変化させ、おそらくは紛糾するであろう。何事をするにつけてもかならず「お前は、このことを、いま一度、いな無数度にわたって、欲するか?」という問いが、最大の重しとなって君の行為にのしかかるであろう!もしくは、この究極の永遠な裏書と確証とのほかにはもはや何ものをも欲しないためには、どれほど君は自己自身と人生を愛惜しなければならないだろうか?──(悦ばしき知識 第341番)』

    『世界を、一定の力として、また一定数の力の中心として考えることが許されるとすれば──そしてあらゆるその他の考えはあくまで疑わしく、したがって役立ちえないとすれば──、このことから結論されるのは、世界は、その大々的なさいころ遊びをつづけながらも、算定しうる一定数の結合関係を通過しなければならないということである。無限の時間のうちではあらゆる可能な結合関係がいつかは達成されていたはずである。それのみではない、それらは無限回達成されていたはずである。しかも、あらゆる結語関係とその直後の回帰との間には総じてなお可能なその他すべての結合関係が経過したにちがいなく、これらの結合関係のいずれもが同一系列のうちで生ずる諸結合関係の全継起を条件づけているのであるから、このことで、絶対的に同一な諸系列の円環運動が証明されているはずである。すなわち、それは、すでに無限にしばしば反復された、また、無限にその戯れをたわむれる円環運動としての世界にほかならない。──こうした構想はただちに一つの機械論的構想ではない。なぜなら、もしそうであるとすれば、この構想が条件づけるのは、まったく同一の場合の無限の回帰ではなく、一つの終局状態となるからである。世界はそうした終局状態に達したことはかつてなかったという理由から、私たちは機械論を、不完全な、たんに暫定的にすぎない仮設とみなさざるをえないのである。(力への意志 第1066番)』

    永劫回帰と運命愛は表裏一体です。

    デーモンからの啓示に「然り!なんと神聖なことだ。」と全肯定するには、何かの岐路で「無数度にわたって繰り返されるとしても同じ決断をするか?」に「然り!」と答えられるような生を全うしなければならないことと、常に今に生きる(而今)か、あるいは絶えざる自己超克が必須となる。

    また現時点の自分自身への最高形式の肯定とは、現在の自分を形成したこれまでの生もひっくるめて全肯定するということ。小さき我愛(自己愛)はその対極にある。
    永劫回帰を受け入れることは運命愛(自分の運命を愛する大いなる自己肯定)そのものであもあるというような教訓も含みます。

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