□投稿者/ みのり -(2021/06/11(Fri) 10:43:56)
| 『生きるための哲学 ニーチェ[超]入門』白取春彦 著 を参考にさせていただいて ニーチェの哲学についてまとめていく、の5回目。
〈永劫回帰、超人〉
永劫回帰については、『読まずに死ねない哲学名著50冊』平原 卓 著 を参考にさせていただきます。
「この生が苦悩や矛盾で満ちあふれているとしても、これを是認すること。 一瞬の幸福を糧に、あるがままの生を『然り』と肯定すること。 この『ディオニュソス的肯定』こそ、私の哲学の目がけるところにほかならない。」
・・・・・・同書 p255より引用
永劫回帰の世界観では、世界は無限に反復される円環運動である。 キリスト教の世界観での、「最後の審判」により裁きを受けた後、永遠の祝福を受けることから真の生が始まるとされ、現世は仮の生とされる、というのとは対照的だと言える。
永劫回帰の世界では、苦悩は無限に反復される。 また、快や美、幸福も一度でも感じることがあれば無限に反復される。 したがって苦悩も快楽も最終的にはともに等しく経験されることになり、このことに生を肯定されるきっかけがあるとニーチェは考えた。
ニーチェの言う「超人」を表すに、永劫回帰の世界を肯定して生きる者という内容も含まれているようだ。(これについてはみのりの観たところ、になります。)
さらに、倫理や宗教道徳、社会道徳、伝統、因習などを超え、自分で倫理道徳や価値観を創造して生きていく、そうした者を超人であるとニーチェは考えた。
(感想)
白取さんの本のp68〜69に、夏目漱石の『吾輩は猫である』でのニーチェの「超人」に触れた部分があるとの記述があり、それがおもしろいです。 大男で髭が濃い人物が風呂場にいて、その姿は魔中の大王で、ニーチェの所謂超人だ、とあるそうです。 夏目漱石は、超人というものを誤解していたんですね。
永劫回帰という考え方は、本質的なところを突いた考え方だと私は感じます。 人間に把握できるのは、今生きているこの生のみ。 この生には、苦悩も多いけれど、楽しさや喜びも見出すことが可能です。 自ら価値を創造していく、それは生きる喜びの一つだと思います。
昨日テレビで拝見した92歳の女性。新聞広告のカラー部分を集めておいたので、 野菜や食べ物を素材としたちぎり絵を作って楽しまれていました。 生き生きとしてとても素敵な作品でした。 超人のことを打っていたら、その女性のお姿を思い出しました。
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