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Re[54]: 永劫回帰と画餅
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□投稿者/ みのり -(2021/06/14(Mon) 12:54:27)
| パニチェさん、レスありがとうございます。 毎回いろいろと教えていただき感謝でいっぱいです。
■No14060に返信(パニチェさんの記事) > 2021/06/13(Sun) 14:32:39 編集(投稿者)
>>パニチェさんの解釈、解りやすくて説得力を感じますよ。^^ > > あっ、そうですか。ありがとうございます。 > くれぐれも曲解や誤解があると思うので、よろしくお願いします。 > みのりさんが解釈したニーチェがみのりさんにとってのニーチェです。(; ̄へ ̄)ノ〃キッパリ!
入門書を読み理解している段階なので、アフォリズムそのものは難しく感じられ、自分なりに解釈するというのもなかなか難しくはあります。 すいすいと解釈できたら楽しいだろうな〜。 すいすいいかないのもそれはそれで楽しいですけど。(^▽^;)
>>引用文中に、 >>>…私の生命力が最低点に突き当たったあの数年が、ほかでもない、私がペシミストであることをやめた時期であったということに、どうか注目いいただきたい。< > >>とあります。 >>これは、『ツァラトゥストラ』第二部、第三部、第四部をそれぞれ10日間という短期間で一気に書き上げた時期のことを指しているのでしょうか? > > 『この人を見よ なぜ私はこんなにも賢明なのか』では「36歳の時私は私の活力の最低点に達した」「その翌年の冬、それは私がジェノヴァで過ごした最初の冬なのだが、私にはすべてが甘美に霊的に思われるようになった。こういう状態は、血液と筋肉との極度の貧困に伴って現れるということはほぼ確かなのだが、とにかくこれが『曙光』を生み出したのである。」とありますから、著作で言うと『曙光』(1981年6月)、『悦ばしき知識』(1982年8月)だと思います。
ニーチェ36歳の頃なのですね。 著作だと『曙光』(1981年6月)、『悦ばしき知識』(1982年8月)を出した時期。 (1981年、1982年とありますが、それぞれ1881年、1882年でいいのかな、と。)
> この二書はまさしくニーチェ哲学の夜明けであるとともに、主著『ツァラトゥストラ』へ続く左右の門扉です。
おお、そうなんですね。^^
> また、ツァラトゥストラの第一部が完成するのは1883年1月であるということ、永劫回帰の受胎が1881年8月であったことからすれば、やはり1880年〜1882年のこの時期にツァラトゥストラの構想も成立しており、ニーチェの精神が最も快活な時期を迎えたのだと思います。
はい。
>>また、ニーチェは執筆活動をしていた頃には国籍を持たず、各地で療養しながら暮らしていたとも聞いた気がします。 >>国籍を持たないというのは本当にそうだったのでしょうか? >>よかったらこれについても教えていただけますか。^^ > > ニーチェはバーゼル大学員外教授、ライプツィヒ大学博士を授与された1869年(25歳)に当時のプロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部)から除籍しており、スイス国籍を取得しなかったことから無国籍となったようです。
そうなんですね。 当時は無国籍でも暮らしにくさというのはあまりなかった時代だったのかな。
>>1881年ということは、『ツァラトゥストラ』を書く前ですね。 >>永劫回帰というのは、考え抜いて出来たものというより一瞬の閃きにより生まれたものだということでいいのですか? > > そのようです。以下が永劫回帰を受胎した時の様子に触れたニーチェのアフォリズムです。 > なんか禅的な見性体験のように私には思えます。道元禅師著『正法眼蔵 画餅』と相通じるものがあります。 > > 『完全な忘我の状態にありながらも、爪先にまで伝わる無数の微妙な戦きと悪寒とを、このうえなく明確に意識している。これはまた幸福の潜む深所でもあって、そこでは最大の苦痛も最高の陰惨さも幸福に逆らう反対物としては作用せず、むしろ幸福を引き立てるための条件として、挑発として、いいかえればこのような光の氾濫の内部におけるなくてはならない一つの色どりとして作用するのである。これはまたリズムの釣り合いを見抜く本能でもあって、さまざまな形の広大な場所を張り渡している。──その長さ、広く張り渡されたリズムへの欲求が、ほとんどインスピレーションの圧力と緊張に対抗する一種の調節の役目をも果たしている。…いっさいが最高の度合いにおいて非自由意志的に起こる。しかも、自由の感情の、無制約的な存在の、権力の、神的性格の嵐の中にあるようにして起こる。…形象や比喩が自分の思いの儘にならぬことは、最も注目に値する点だ。われわれはもう何が形象であり、何が比喩であるのかが分からない。いっさいが最も手近な、最も適確な、そして最も単純な表現となって、立ち現れる。実際、ツァラトゥストラの言葉を思い出して頂くなら、事物の方が自らに近寄って来て、比喩になるよう申し出ているかのごとき有様にみえる。(この人を見よ ツァラトゥストラ)』
> 『諸仏が真理を体験するとき、万物が真理を体験する。たしかに覚者と万物は、表面的に見れば同一のものではない。しかし、真理を体験するとき、おのおのの体験が、互いに妨げあうことなく実現するのである。これが仏道の明確な教えである。それを、諸仏と万物が同一であるか異なっているかという分別によって学んではならない。そのため「一つのことに通じれば、すべてのことに通じる」というのである。一つのことを体験するということは、一つのことが本来具えている姿を奪うことではない。一つのことを他のことと対立させることでも、対立をなくしてしまうことでもない。強いて対立をなくそうすることは、こだわることである。体験することにこだわらないとき、一つの体験は、すべての体験に通じる。このように、一つのことを体験するということは、そのものになりきることである。そのものになりきるということは、すべてのものになりきることである。(正法眼蔵 画餅「誠信書房刊 現代訳 正法眼蔵」より)』
ニーチェの方も、画餅という文章のほうも、それぞれ、無自性(共通認識になりえる言葉だと思うので使用します。)という言葉の意味するものでの共通性がありそうに思えます。
自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。 万法に証されるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり。 『正法眼蔵 現成公案』からです。 画餅という文章のほうは、これと同じようなことなのかな、というのはなんとなくですが感じました。
パニチェさんご自身考えられる、二つの相通ずるところを教えていただけると嬉しいです。
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