| 三位一体論は、旧約聖書と新約聖書の同一性を根拠づけるという意義ももっていると思います。
寸分も違いのない、同じ三位一体の神。ただ、旧約では、子なる神は幕を隔てた向こう側。被造物に隔絶する絶対神と想定していた。こうして、人間が一なる神をひたすら仰ぎ見ることが、旧約の神を残酷で我儘な独裁者のように見えさせていた。
幕の向こう側の子なる神が人間として受肉することで、初めて三位一体の神の交わりに参加することが可能になったのだと思います。だから、向こう側に仰ぎ見るというより、三位一体の交わりに参加するということですね。三位一体といっても、ドグマや概念というより、愛の交わりそのものです。ここを捉えると、他の宗教や無神論でも、問題なく含まれうるということです。カトリック嫌いの人は、行いなくして救われないからけしからんという。
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