| knowing itselfさん、おはようございます。
> 聖書をとおして、また、宇宙・自然・人間をとおして、神が自己啓示するその在り方が、三位一体としかいいようがない。そういうことだと思います。人間が脳みそで拵えた虚構の真逆をいうのだと思います。
うーん、何かとても、奥が深いように思います。 生きた人格神として様々な手段で自己啓示されることが三位一体なのですね。 それは、フィクションではなく、リアルなものなのだと。 そして、人間をご自身に似せて創られ、人間の自由意思により、その愛と忠誠とを期待されているのだと。
「生ける神」と対局なのが木や石で出来た「偶像」であり、人間が、生きた交流が出来るか出来ないか、神は、人間との生きた交流である愛の交わりを求めていて、それが、人間の幸福でもあることを御存じなので、死んでいる「偶像」ではダメなのだと思います。
このように三位一体の神は、人間のことを思いやる、どこまでも愛の神であり、旧約聖書の神は、不可解で神秘的な神ではないので、人間が知りえない不可知論を退けます。
というのも、神は、ご自身に関する真理で人間の幸福に必要なものは、有限な人間に伝える方法を持っているからです。「主は〇〇に言われた」とある形式で人間に示されます。
さらに、神は、イエス様によって、時間空間の形式で被造物に見える形で示され、神が御自身を人間の体験の中において知らしめたのだと思います。
knowing itselfさん、この点については、如何でしょうか。
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