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■12403 / inTopicNo.1)  哲学の雑談 11
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/05(Wed) 13:23:45)
    トピ主:knowing itselfさん


    よろしくお願いします。



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■12404 / inTopicNo.2)  Re[1]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/05(Wed) 13:44:45)
    knowing itselfさん、こんにちは。

    >プロテスタント対カトリック論争をするつもりはありませんので。
    >バロン司教についても批判するなら、理解してからにしてください。

    >藁人形論争に付き合うつもりは、まったくありません。

    私もそのような論争をしようとは思いません。

    ただ、信仰のみなのか、それとも行いによるものなのか、というところから、
    バロン司教の無神論でも救われるというのが納得できなかっただけです。

    なので、プロテスタント対カトリック論争をしたいのでも、knowing itselfさんを非難しているのではなく、むしろ尊敬してご意見を伺いたいなあと思っていたところです。



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■12405 / inTopicNo.3)  Re[2]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ toll -(2021/05/05(Wed) 14:31:54)


    >プロテスタント対カトリック論争をするつもりはありませんので。
    >バロン司教についても批判するなら、理解してからにしてください。


    え、え、え?
    何故 そういう発想になります?

    カトリックの教えを信じて洗礼を受ける = 救われる
    それで良いのじゃないですか
    プロテスタントの方に導かれて
    プロテスタントの教えの中で神を信じて救われる
    同じ聖書を学んで救われる
    どちらにしろ神がされる事ですよね

    バロン司教のあの部分に対しては批判というより
    クリスチャンさんなら ハテ?と疑問に思うんじゃないですか?

    バロン司教について詳しいようであれば
    ご教授願いたいと思うのですが?
引用返信/返信 削除キー/
■12406 / inTopicNo.4)  Re[2]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/05(Wed) 14:53:49)
    > ただ、信仰のみなのか、それとも行いによるものなのか、というところから、

    信仰のみか、行いか、という貧しすぎる抽象論など役に立ちません。行いによってのみ救われれるカトリックというのは、藁人形論法の最たるもの。

    先に紹介したベンシャピロとの対談で、カトリックはフェイスbasedやアクト(行い)based、というより、love(愛)basedだと、バロン司教は明言しています。これが彼の一番いいたかったことでしょう。

    後半では、まず神のグレイスがあって、それに人間が応答する。その応答面を重視するといっていましたが、応答というのはlovebasedの応答という意味です。

    ただいえることは、信仰のみでも愛の応答がなければまったく救われない可能性を認めるのがカトリックだとはいえるかも知れない。

    > バロン司教の無神論でも救われるというのが納得できなかっただけです。

    can be savedといっているんです。無神論者が自動的に全員救われるとはいっていません。逆に、人間への愛に溢れた無神論者が救われる可能性はありえないが、信仰だけで人間への愛の乏しすぎても、クリスチャンであるだけで自動的に救われるとなったら、違和感を覚える人がいても不思議ではありません。

    無神論者が救われる可能性がないとなったら、しかもプロテスタント教会で信仰告白しない人でなきゃだめとなったら、日本人のほとんどは救われません。
引用返信/返信 削除キー/
■12407 / inTopicNo.5)  Re[3]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/05(Wed) 14:55:55)
    トールという人、ちょっと不躾すぎるね。内容もつまらんのでスルーします。
引用返信/返信 削除キー/
■12409 / inTopicNo.6)  Re[3]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/05(Wed) 16:40:11)
    knowing itselfさん、早速の御書込みありがとうございます。

    >>ただ、信仰のみなのか、それとも行いによるものなのか、というところから、
    >
    > 信仰のみか、行いか、という貧しすぎる抽象論など役に立ちません。行いによってのみ救われれるカトリックというのは、藁人形論法の最たるもの。
    >
    > 先に紹介したベンシャピロとの対談で、カトリックはフェイスbasedやアクト(行い)based、というより、love(愛)basedだと、バロン司教は明言しています。これが彼の一番いいたかったことでしょう。

    なるほど、そうでしたか。

    > 後半では、まず神のグレイスがあって、それに人間が応答する。その応答面を重視するといっていましたが、応答というのはlovebasedの応答という意味です。
    >
    > ただいえることは、信仰のみでも愛の応答がなければまったく救われない可能性を認めるのがカトリックだとはいえるかも知れない。

    愛ですか。三位一体の神の御性質から言ったら、そうかもしれません。

    >>バロン司教の無神論でも救われるというのが納得できなかっただけです。
    >
    > can be savedといっているんです。無神論者が自動的に全員救われるとはいっていません。逆に、人間への愛に溢れた無神論者が救われる可能性はありえないが、信仰だけで人間への愛の乏しすぎても、クリスチャンであるだけで自動的に救われるとなったら、違和感を覚える人がいても不思議ではありません。
    >
    > 無神論者が救われる可能性がないとなったら、しかもプロテスタント教会で信仰告白しない人でなきゃだめとなったら、日本人のほとんどは救われません。

    無神論者が自動的に全員救われるのではないのですね、安心しました。
    それに、イエス様の十字架による贖罪と恩寵は、救済に欠かせないことだと思ったからです。

    バロン司教は、司会でユダヤ人のシャピロ氏に対して
    「無神論者であっても、良心に従った生き方をすれば、救われ得る」
    と語ったところがカトリック教会本来の教えなのかなと疑問に思ったからで
    この辺が私にはよく分からず困惑したところでした。

    誤解を与える書き込みでしたらお詫びいたします。
    これからも、いろいろ教えて戴ければ幸いです。

引用返信/返信 削除キー/
■12410 / inTopicNo.7)  Re[4]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/05(Wed) 17:06:23)
    クリスチャンではない私ですが、横レス失礼!

    No12409に返信(愛満開さんの記事)

    > 無神論者が自動的に全員救われるのではないのですね、安心しました。

    これってどういう感覚なんですか?
    無神論者が救われない方が愛満開さんにとっては安心できる?
    神を信じる者だけが救われるべきだと考えているということでしょうか。

    自分を信じる者だけを救うのが無償の愛と言えるのか?
    何かもの凄い違和感はあります。




引用返信/返信 削除キー/
■12412 / inTopicNo.8)  Re[4]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ toll -(2021/05/05(Wed) 17:35:04)
    No12407に返信(knowing itselfさんの記事)
    > トールという人、ちょっと不躾すぎるね。内容もつまらんのでスルーします。


    詰まらない内容ですみませんでしたね
    ここはあなたの作ったトピですから
    お好きな話題を選んで当然です

    何処が不躾か判りませんが
    確かに
    カトリックもプロテスタントとも
    どれ程の違いか判りませんよ

    そんな初心者にかける言葉が「つまらんよ」ですか?
    宗教者ってそんなものですか?


    何にだって神が係わっていると思うのが
    宗教者、、特にキリスト教者じゃないのでしょうか?

    神はどんな姿をして あなたの前においでになるでしょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■12417 / inTopicNo.9)  Re[5]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/05(Wed) 18:21:31)
    パニチェさん、こんばんは。

    No12410に返信(パニチェさんの記事)
    > クリスチャンではない私ですが、横レス失礼!
    >
    > ■No12409に返信(愛満開さんの記事)
    >
    >>無神論者が自動的に全員救われるのではないのですね、安心しました。
    >
    > これってどういう感覚なんですか?
    > 無神論者が救われない方が愛満開さんにとっては安心できる?
    > 神を信じる者だけが救われるべきだと考えているということでしょうか。
    >
    > 自分を信じる者だけを救うのが無償の愛と言えるのか?
    > 何かもの凄い違和感はあります。

    日本人の神認識からは遠い話だと思います。
    神が人間のためにあるのではなく、人間が神のためにあるからです。

    『神はモーセに、
    「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、
    慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。(ローマ人への手紙9章15節)

    これは、人の意志や努力には関係なく、あくまで全知全能の神の憐れみによるものだからです。

    このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。(ローマ人への手紙9章18節)』

    また、『カトリック教会のカテキズム』846ー847項には、

    「カトリック教会が神によってイエス・キリストを通して必要不可欠なものとして建てられたことを知っていて、しかもなおその教会に入ること、あるいは教会の中に終わりまでとどまることを拒否するとすれば、このような人々は救われることはないでしょう。

    でも、これは、自分の過ちによらずにキリストやキリストの教会を知らない人々には当てはまりません。

    本人の側に落ち度がないままに、キリストの福音ならびにその教会を知らずにいて、なおかつ誠実な心をもって神を捜し求め、また良心の命令を通して認められる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動をもって実践しようと努めている人々は、永遠の救いに達することができます。」とあります。

    つまり、全くイエス様を知らずに良心に従い実践していた場合は、救われるとしているようです。
    きっと、そこには、愛があるからだと思います。
    三位一体の神が愛の神であるように人は、愛があれば救われるのだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■12418 / inTopicNo.10)  Re[6]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/05(Wed) 18:38:55)
    No12417に返信(愛満開さんの記事)

    愛満開さん、レスありがとうございます。
    まず、私が一番興味があったのは愛満開さんの以下のカキコをさせる心理状況というか、どういう感覚かについてです。

    > ■No12409に返信(愛満開さんの記事)
    > 無神論者が自動的に全員救われるのではないのですね、安心しました。

    これについて率直というか正直なところを教えてもらえれば有難いです。

    > 『神はモーセに、
    > 「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、
    > 慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。(ローマ人への手紙9章15節)
    > これは、人の意志や努力には関係なく、あくまで全知全能の神の憐れみによるものだからです。
    > このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。(ローマ人への手紙9章18節)』

    ユダヤ教徒にとって新約聖書は聖書ではなく、旧約のみが聖書であり、あくまでも民族宗教です。
    旧約聖書に登場する神、つまり洪水によって人々を死に至らしめる神とキリストが説く愛に満ちた神との整合性はクリスチャンの中ではどのようにとれているのでしょうか?
    旧約と新約ではあまりにかけ離れているように思います。

    > つまり、全くイエス様を知らずに良心に従い実践していた場合は、救われるとしているようです。
    > きっと、そこには、愛があるからだと思います。
    > 三位一体の神が愛の神であるように人は、愛があれば救われるのだと思います。

    新約らしい教えだとは思いますが旧約との整合性がとれていないようには思えます。
    ちなみに浄土系仏教も万人は既に阿弥陀の本願によって救われているがそれに気付くか気付かないかは本人次第という教説なので、そういうところは似ているとは思います。

引用返信/返信 削除キー/
■12419 / inTopicNo.11)  Re[5]: 哲学の雑談 11
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/05(Wed) 18:49:28)
    tollさん、失礼します。

    knowing itselfさんも、きっと誤解されているだけだと思います。
    三位一体の神の愛を述べておられるので大丈夫だと私は信じます。

    ここは、自分自身が、しっかりとした芯(神への信仰)を見失わなければ、
    来世も含めて、きっと、良いことが待っていると思います。
    あきらめないで、信仰の道を進みましょう。
    微力ながら応援しています。
引用返信/返信 削除キー/
■12420 / inTopicNo.12)  三位一体論が旧約と新約の同一性を説明する
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/05(Wed) 19:11:30)
    三位一体論は、旧約聖書と新約聖書の同一性を根拠づけるという意義ももっていると思います。

    寸分も違いのない、同じ三位一体の神。ただ、旧約では、子なる神は幕を隔てた向こう側。被造物に隔絶する絶対神と想定していた。こうして、人間が一なる神をひたすら仰ぎ見ることが、旧約の神を残酷で我儘な独裁者のように見えさせていた。

    幕の向こう側の子なる神が人間として受肉することで、初めて三位一体の神の交わりに参加することが可能になったのだと思います。だから、向こう側に仰ぎ見るというより、三位一体の交わりに参加するということですね。三位一体といっても、ドグマや概念というより、愛の交わりそのものです。ここを捉えると、他の宗教や無神論でも、問題なく含まれうるということです。カトリック嫌いの人は、行いなくして救われないからけしからんという。
引用返信/返信 削除キー/

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